お久しぶりの小説です。小川洋子さんの短編は面白いのばかりですが、今回はシンプルな面白さ以上に、設定や雰囲気が奥ゆかしくて興味深いお話を選んでみました。このお話には自家栽培した野菜を訪問販売している老婆が登場するのですが、皆さんはこんな感じのいかにも個人がやっているノーブランドの物品、好きでしょうか? 僕は好きです。

 好き…なのですが、ほとんど買ったことがありません。時々、広い公園なんかでやっているバザールやアーケードにひっそりと構えている儲かっているのかすらわからないお店なんかを見て回るのは好きです。ごく稀に安いお菓子なんかを購入します。最近、リユースやヴィンテージがブームになって、繁華街なんかでも個人店のセレクトショップが増えましたが、そういったお洒落な感じではなく、もっと東尋坊や白糸の滝の付近にあるような地元感の濃いいお店なんかで味わえるオーラ。独特だし、外連味ばったものも多いですが、そんなところも愛おしく感じちゃう…都会生まれ特有の奔放な価値観が僕にはあるようです。相応に、大須とか河原町辺りのお洒落なお店も大好きなんですけどね。

 

 自分語りはほどほどにして、本題ですが。本作は色々と不可解な謎ばかりが次々起こり、それらがどれ一つとして解決せぬままに終わるという、単純に見ればもやもやしてしまう構成になっています。しかし、その漠然とした不安やミステリアスな雰囲気が確かな文体で描かれていて非常に読ませますし、何より起こる不可解がどれも絶妙に怪しくて面白いです。

 第一不可解は、家の中でいつの間にか起こっていました。奇妙な書き方ですが、実際にそう表すしかない、不気味ではあるものの小規模なものです。それは寝室のカレンダーにしてあった黒い丸印です。主人公は、いつもマメにカレンダーに予定を記しているのですが、この丸に関しては一切覚えがありませんでした。夫に聞いても、物知らぬ風です。そもそも夫にはカレンダーに予定を残す習慣がありません。家の中にあるものに、身に覚えのない手が加えられているというのは、どれだけ地味でも気味が悪いものです。主人公もかなり気にしますが、日が経つにつれ当初の夫のように、意識しなくなります。そして、何事もなくとうとう黒丸の日がやってきます。

 

 黒丸の日にやって来たのは、冒頭で軽く触れた野菜を売る老婆でした。野菜をたっぷり乗せた自転車をぎこちなく運転して家を周っているのです。しかし、今回はとんと売れなかったらしく、野菜は足りていると断る主人公に「お安くするからちょっとでもいいので買ってほしい」と食い下がる老婆。まあまあしつこく食い下がりますが、嫌な感じがしないのは年の功でしょうか?それとも小川洋子先生の文才がなせる業なのでしょうか? 

 結局、日持ちしそうな野菜をいくつか購入した主人公は、サービスとして一盛りの土をもらいます。中には中国の野菜の種が入っているらしく、移し替えて栽培し、食べてくださいと促されます。ニンジンの20倍のカロテンが入っているそうです。一連の流れは、変わってこそいますが、不可解なところも不思議なところもありません。ただ、顔はノーメイクなのにピンク色のマニキュアを施している老婆の見た目、中国の名前も知らない(老婆は覚えられなかった)栄養満点らしい野菜。これらが例の黒丸と結び付き、えも言われる怪しさを奏でています。そして、大方の予想通り、この野菜がさらに曲者でした。

 

 野菜は老婆の言いつけ通り、有り物の水槽に入れ替えられ寝室の日の当たらない場所に置かれます。そして、それから間もなくひょろひょろの細い芽が顔を出すのですが、これが何と、夜になると薄ぼんやりと発光します。その光は弱弱しいながらも「気味が悪いほど綺麗」らしく、その後、すくすく育つものの主人公も夫も、食べようとはしませんでした。夫からは「捨てたらいいんじゃない」と素っ気ない意見を出されますが、主人公は一連の流れから、簡単に処分してはいけないという直感を働かせ、老婆との会話の中でうっすら聞いていた「パン工場の裏の畑で農業をしている」という情報をもとに、老婆に直接詳しいことを聞こうと畑を目指します。しかし、ホラー(本作がそうかはともかく)のお約束として工場はあっても、その裏に畑などはなく、老婆にも会えずじまいでした。代わりに親切な工場のおじさんにできたてのジャムパンをもらいます。

 

 カレンダーの身に覚えのない黒丸、その印の日にやって来た野菜売りの老婆、その老婆からもらった中国野菜。とつながってきた奇妙な流れが、それが成長してもう水槽にも入れておけなくなりそうなまま、その状態で完全に停留してしまいます。食べることはおろか、捨てることもできない中国野菜を前に、なすすべがなくなり本作はチョンです。

 いや、捨てればいいじゃない。とどうでもよさそうに言う夫の意見が本作の小規模さを物語っていますが、同時に日常を侵食されるという事に大きいも小さいも無いのかもしれないというテーマも歌っている気がします。日常のエッセンスを光らせる小川洋子さんの持ち味です。中に出てくる、お野菜やマニキュア、ジャムパンといった毒でも薬でもないアイテムの数々がお話を素朴かつ柔らかに彩ってくれます。あるいは、素朴すぎて気づけないだけで、それらのどれかが猛毒なのかもしれないですね。

 

出典:『まぶた』小川洋子 新潮文庫(2004.11)