A先生の短編漫画にはやたらと麻雀が登場します。それだけ大人の娯楽として麻雀が幅を利かせていたというのも大きいかもしれませんが、なによりA先生の作風として大きい社会的地位による弱肉強食を描くうえで、麻雀は非常に理にかなった装置なのかもしれません。麻雀はやったことがないのでルールも楽しさもわかりませんが、大抵の場合、違法ではありますが金銭が賭けられるわけでして、そうなると色々と黒い感情がうごめくことになるのは想像に難くありません。多くのA作品でも、意地の悪い男たちが自分より劣っている冴えない人間をカモにして、金を巻き上げることに愉悦を抱きます。繰り返しになりますが、麻雀は弱者が強者の養分にされる様を描くことに非常に適した娯楽なのです。

 

 そんなわけで、今回はそんな狂気の遊びを描いいた麻雀漫画の中でも、とりわけ弱者にフォーカスしたお話を取り上げます。F先生の描く典型的ダメ男、のび太を見ていても思いますが、ご両人は本当に弱い人間の心理を描くことに長けています。僕も圧倒的弱者サイドの人間ですから、読んでいて辛かったり、同調したりします。FとAで違うところを上げると、F先生の弱者は応援したり、同情したくなる愛しさがありますが、A先生の弱者にはそれが全くありません。むしろ反対に、むかっ腹が立ってくるほどです。ダメな奴のダメなところを存分に誇張して書いています。ザコシショウもおったまげです。

 しかし、本作に出てくる弱者ポジ、青井はそこまで誇張されておらず生々しい弱さがあります。極度のお人好しで、まさに麻雀でもっぱらカモられるタイプなのですが、本作ではそんな彼に強力な助っ人が付きます。順を追って説明しますね。

 

 ある日、青井は同僚たちと雀荘に行くのですが、メンバーが足りず、急遽近の冴えないおっさんを混ぜてプレイすることになります。しかしその冴えないおっさん、小野さんはどうもバカツキだったようで次々にでかい役を決め、独り勝ちを決めます。ほかのメンバー同様こってり絞られた青井はたまらず早々に切り上げますが、その道中小野に声をかけられます。

 小野に連れられるまま喫茶店に入った青井はそこで彼がイカサマをしていたという事実を聞かされ、そのまま自分の負け額をそっくりそのまま返されます。といっても、もちろんこのお金は口止め料でも、イカサマを悔いて払う慰謝料でもありません。小野は他の粗暴なメンバーと違い、キチンと目上である自身をいたわっていた青井に好感を抱いていたのです。しかしその人の良さが麻雀では命とりだと小野は語ります。

 小野には麻雀に熱中するあまりお金や地位はおろか家族まで失い、イカサマに走ったことで小指ともお別れしていたという壮絶な過去がありました。そんな自分の体験から、若い青井には同じ道を踏まないよう麻雀から足を洗うように勧めます。どっこい青井はこの忠告に耳を貸しません。ここで大切なのは、青井が向いていないことを自覚しながらも麻雀に入れ込むわけが、決して小野のようなギャンブル中毒故でないことにあります。青井は麻雀をするようになるまで、周囲との交流が一切と言っていいほどありませんでした。青井は麻雀をすることで生まれた周囲との関係、つまりは友情を手放したくないのです。言うまでもなく、ここでいう青井の友情なんてものは相手側には存在せず、単に金蔓にされているだけで、小野もそこを指摘するのですがお人よしの青井は聞く耳を持ちません。そのまま、たまたま喫茶店で居合わせた同級生の麻雀仲間に誘われ、ホイホイ死出の旅に出かけます。

 

 仕方がないので、小野は青井の麻雀に付き添い、傍で見守ることにしました。案の定、負け続ける青井。見かねた小野は彼がトイレに行った空席を埋める間に、彼の持ち牌を得意のイカサマで強力な手にすり替えます。大三元です。ボーちゃんがまさおくんの身ぐるみ剝がしたときに出した役ですが、青井はこれを無視し、そのまま正々堂々カモられていきました。

 見ようによっちゃ立派な青井ですが、他のメンバーはどうも全員グルで彼をハメにきていたようです。真面目にやるだけあほくさい麻雀だったわけですが、それを踏まえての小野の忠告にもやはり聞く耳を持たず、青井は愚直に彼らとの友情を説きました。しかし、青井が帰った後の友人たちは本人たちがいないのを良いことに、口々に青井をコケにしていました。分かっちゃいましたが、やはり彼らにとって青井は単なる鴨葱のフルコースだったのです。

 

 さて、後日またも仕事終わりに友人たち()に麻雀を誘われる青井ですが、残業で遅くなってしまい後から合流することになります。そこで小野が青井が来るまでの中継ぎを買って出ます。ここでスカッと、窮鼠猫を噛む展開の始まりです……だったら良かったんですが、これはなろう小説ではなくAのブラックユーモアなのでそんないい風には回りません。案の定、イカサマ放題で勝ち続ける小野でしたが、その途中で筋もんっぽいお兄さんたちに声をかけられます。イカサマがバレたのです。ここで、小野のイカサマテクニックは素人目にこそ判断がつきませんが、その実はお粗末で簡単に見破られてしまう代物だったことがわかります。イカサマを使っても、弱者は弱者のままだったのです。

 賭場を荒らして指を詰められた過去を持つ小野にはもう後がありません。怖いお兄さんに連れていかれてしまうタイミングで残業終わりの青井と出くわします。青井は持ち前のお人好しで、宇野を擁護しようとしますが相手にされず、やくざから反対に「この男は下手なイカサマがバレて相手にされないもんだからガキをターゲットにしていたドブネズミさ」と真実を告げられ、そのまま連れ去られていきました。青井の仇でやろうとしていただけなら惜しむこともできますが、青井達から絞った際に禁欲が緩み、そのままズブズブと絶っていたはずの麻雀の世界に嵌まり込んでいたようなのです。青井絡み以外でもイカサマを働いていたのなら、弁解の余地はないでしょう。そして、そんな宇野とすれ違う青井もまた、ただただ体のいいカモにされるため友人たちのまつ雀荘に向かうのでした。

 

 とまあ、すっげえイヤな終わり方です。暗いテーマですが、ダメな人間にはわりとハッキリとダメな理由があるということなのでしょう。例えば青井の場合は、相手を疑うことを知らないお人好しと、客観的に物事を見れない視野の狭い面にあると思います。宇野の場合は、麻雀断ちをしておきながら麻雀で物事を解決しようとした考えなしなところでしょうか。無論、クラピカが言うように「騙されるよりも騙す方が悪い」に決まっています。友人のフリまでして、騙して金を奪う青井の連れたちは詐欺師と呼んでも過言じゃない邪悪さです。

 ダメなところはハッキリあるはずなのに痛い目に合っていない。そこにはやはり、社会的な強さが関係しているのでしょう。力こそパワー。パワーこそ正義。力があれば、どんな不条理もイカサマ牌も通ってしまうのです。

 

 

出典:『藤子不二雄Aブラックユーモア短篇集1』藤子不二雄A 中央公論社(1995.8)

青井の勝利を確信した小野のこの笑顔。国士無双級です。