トキメク瞬間というのは何もティーンの恋愛を歌ったラブソングに限った話でもなければ、必ずしも色恋に直結するものでもありません。例えば、僕のような冴えないサブカル野郎の場合だと、トキメキはもっぱら漫画の中の少女が見せる可憐な瞬間や強力な一枚絵にあります。最近では(というほど近くないですが……)『ルリドラゴン』の連載開始時にジャンプ紙面を飾ったあのガオーポーズのるりちゃんによるトキメキがどでかく印象に残っています。友人と「あの手は読者のハートを鷲掴みにする構えだ」とくだらない冗談を言っていたものです。本当の最近には、ジャンプ+に移行しましたが、その際に書き下ろされた話末のいいジャンイラストもすこぶるキュートでたまりませんでした。

 いきなり何の話をしているかというと……早い話、今回取り上げる羽海野チカ先生の短編集『スピカ』に収録されている表題作の少女、美園ちゃんのとあるシーンも初めて見たとき、可憐すぎて度肝抜かれたと言うことです。『ハチミツとクローバー』『三月のライオン』とヒットメイカーの作者様の持ち味であるキュートさはどこか高潔な感じというか、神聖さまで感じちゃう始末です。僕が一体どのシーンのどんな場面にときめいたかは恐らく語らずとも、読みさえすればバッチリ理解できると思います。それだけ印象的で美しい一コマなのです。

 

 といっても、このお話は冒頭で言った「ティーンの恋愛」をまんま地で行くラブストーリーですから、お話でもトキメキ必須です。本作の舞台となる高校の付近では夏になると花火大会があるらしく、学生たちの間では一年に一度の楽しみのようです。そして、夏の風物詩にあやかり告白する男女が急増し、カップルを量産する色気づいたイベントでもあるようです。主人公の高崎は自信が所属する野球部の主将から「花火大会に誘いたいからお前のクラスの美園を紹介してほしい」と頼まれます。冒頭から瑞々しすぎて僕、腐っちゃいそうです。一応、運動部だったんですけどね。

 

 野球部主将が興味を示している美園さんは黒い長髪に白い肌の美人ですが、転校したてなことといつも忙しそうに走っているか寝ているかなことが合わさってまだまともに会話したことがある同級生はいないと言います。ちなみに主将が美園を誘おうとしている動機は転校したてでまだ誰からも花火のお誘いを受けていないのではないかと踏んでいるためです。めちゃくちゃ飢えてますね。

 しかし、花火大会なんて浮かれたものよりも先に野球部には夏の大会という大きなイベントが控えています。今年が高校生ラストイヤーである主将は何としてでも大会に出て結果を残したいところなのですが、野球部の伝統で期末テストの点数が赤点だとレギュラーから外されてしまうのです。高校生は青春を満喫する前に学問と部活動の両立を熟さないといけないのです。世知辛いというか大変ですね。

 ちなみに主人公の高崎は成績優秀なのですが、体を壊したことでレギュラーから降りています。主将と同じで今回が最後の夏。マウンドに立てない分、脳筋メンバーの学業をサポートして赤点脱却を目指します。そんな中で、下校中、カバンを壊してあたふたしている美園に出会い、彼女も学業と幼少期から続けていたバレエの板挟みにあい苦しんでいる状況であると知ります。単純に期末テストだけの問題ではなく、大学受験も控えているわけですから、いよいよ両立は難しくなってきます。この状況に美園はかなり追い込まれているようです。

 

 成り行きで野球部が開く高崎塾に混ぜてもらうことになった美園は、そこから期末テストに向けて、そしてコンクールに向けて、もちろん野球部たちもテストと大会に向けて全力で打ち込む日々を過ごします。そんなある日、美園と高崎、そして主将が勉強をしていると、廊下で他の生徒がしていた野球部への陰口が聞こえてきます。早い話が「こんなに青春台無しにして必死にやって、甲子園に出れるわけでもプロになれるわけでもないのによくやるよね。むなしくないのかよ?」という余計なお世話な内容なのですが、これに野球部以上に傷ついたのが美園でした。日ごろから似たような小言を母親から漏らされていたのです。涙を落とすため飛び出した美園は、駆けつけてきた高崎に苦しい思いを打ち明けます。バレエで将来食っていけるわけでもない、大学受験と天秤にかけて落とされるべきだという母親の合理的な考えが理解こそできても、つらく苦しいのです。

 そんな美園に高崎は必死にやってきたのに怪我をしてダメになった自身を引き合いにして、ダメになっても好きなことにのめりこみ続ける姿を肯定的に説き、慰めます。高崎の優しい笑顔も素敵ですが、その先に彼が言った「泣いてもやめられないほど好きなことがあるなんてきっとすごいことだ」という言葉がナイスに胸に響きます。

 

 その後は、自身の行動に自信を持てるようになった美園がバレエで素晴らしいパフォーマンスをして母親と和解し、見事ベスト4に残った野球部と喜び合い、高崎は美園を花火に誘うととんとん拍子に上手くいく美味しい展開になっているのですが、単純にバレエコンクールで良い成績とったから見返したのではなく、パフォーマンスで活き活きと輝く自身を見せて、母親を感動させる辺りが先生の魅せ方の上手さなのかなと思います。コンクールの結果発表を待たずに労いの花束を買いに走った母親の言葉「不安でただぐずぐず言ってた間に……美園は一人でかんばってたんだね。ごめんね、ずっと一人で頑張らせて」という言葉、すごく優しい響きです。

 僕は決してテニスが好きなわけでもないし、内部進学だから大学受験もしてないし、早々に試合に負けて引退が決定したときガッツポーズ決めた畑の人間なのですが、それでも今でも繋がる友達がいたり、どんなにつらい思いをしてもやめずに続けた事実が大きな自信になっています。結果や目に見える実績ばかりに囚われず、がむしゃらにやっていくだけでも何かしら残るものはあるのかもしれませんね。

 

典:『スピカ』羽海野チカ 白泉社(HC SPECIAL) 2011.7.25

※初出は小学館の『フラワーズ』2002.10

 

作品の予告カット時のイラストです。ジャージに下がバレエ衣装のチュチュという女の子の絵が描きたくて生まれたストーリーのようです。可愛いですが、やっぱり美園ちゃんは本編のストレートが素敵です。