声優の大谷育江さんのプリティーな声は無限の可能性を秘めているかもしれません。そう思わせるエピソードは彼女の代表キャラの数だけ存在しています。例えば『名探偵コナン』の円谷光彦。彼は当初は知識をひけらかすいけ好かないキャラクターとして展開される予定だったのですが、大谷さんの演技によりとても憎むような存在ではなくなってしまい現在の普通の性格に変更されたと聞きます。また、『ワンピース』のチョッパーにもこれによく似たエピソードが存在しています。

 彼は当初、原作でもアニメでも何だかもさっとしたビジュアルをしていました。これは尾田先生が媚びるようなタイプのマスコットキャラを毛嫌いしていたため、敢えて可愛さを抑えていたためなのですが、アニメデザインと大谷さんの演技が可愛すぎたために、一人でに折れた尾田先生がマスコットとしてのチョッパーを開放させたと言います。今でのチョッパーマスコット路線はむしろ原作側が率先してやってるような気もしますし、大谷育江さんの表現力はえげつないです。

 

 そして、もう一つ代表キャラとして有名な『ポケットモンスター』シリーズのアニメ、通称アニポケ内のサトシのピカチュウにも他二つとは比べ物にならない程の凄いエピソードがあります。というのも、元々ピカチュウは主人公の相棒ということもあり、ロケット団のニャースのように言語を合する予定だったのですが、大谷育江さんがあまりにも高い表現力を持っており、鳴き声だけで感情の全てを表現したために、お馴染みの自分の名前しか言語を持たないピカチュウが誕生しました。

 ただ、この神がかり的なエピソードの中にも一つだけ例外がありまして。劇場版で公開されたアニメでサトシとピカチュウの出会いを描いたエピソードの佳境のシーンで、何とピカチュウが「ずっと一緒にいたいから……」と喋るのです。サトシにだけ、絞り出すようにですが確かに伝えたそのメッセージ。どれだけ感情を表現できても、やはり言葉にしなければ伝わらない事もあるのです。

 

 というわけで、今までの前置き史上もっとも関係ないお話をしたうえで、加藤伸吉先生の短編マンガを取り扱いたいと思います。先生の作品はどこかでカネコアツシ先生を彷彿とさせるような奇抜で楽しい世界観と書き込み豊かなインパクトある描写で成り立っています。本作もお話自体も良いですが、何より町や自然の描き方が非常に映えています。

 本作の舞台は日本ですが、顔を照らすだけで個人情報が分かるレーザーポインターや空を飛ぶバスなど優れた科学技術を誇っている辺りを見るに近未来のようです。本作は決してSFに重きを置いた設定で無いので、これらが作品のメインになることはありませんが、主人公はこれらの技術を目の敵にしてるような節もあり、どこか作品の根幹部分に絡んでいるような気を感じます。そんな偏屈な主人公の少年はシャンと言い、歳の離れた姉とその姉の子ども・たま子と3人暮らしをしています。…が、姉は連日連夜行きずりの男と遊んだり、売春に明け暮れ、たま子の世話は一切やっていません。シャンは学校にも行かず、懸命に家事やたま子の世話をこなしています。泣きじゃくるたま子に手を出そうとする姉を睨み、代わりにひっぱたかれ、「お前なんでこの家に生まれてきたんだよ」と悲しい質問をたま子に投げかけています。ですが、たま子は彼の腕の中でミルクを飲むだけで当然応えはありません。

 

 これだけ書くと悲しいお話に思えるでしょうが、本作は劣悪な環境でも元気に飄々と生きているシャンをエネルギッシュに描いている為、展開は終始明るいです。シャンのエネルギーの根っこにはたま子への深い深い愛がありました。警察に補導されかけた際にたま子を「俺の恋人」と断言していたことから、親愛以上の感情を抱いていることが分かります。なかなか無い展開ですが、懸命に育児をこなすシャンを見て「ロリコン」と揶揄できるような人はいないと思います。

 

 シャンの両親は既に他界しているのですが、シャンはそんな少ない母親との記憶の中で、彼女が「どこか遠くに行きたい」と口にしていたのをイヤに鮮明に覚えていて、深くこびりついていました。その遠くとは単に距離の問題ではないのだと漠然と考えていたシャンですが、どちらにしてもその時の母親の顔が他人のようで、すごく怖かったようです。それからシャンは母親が言っていた遠くとはどういう場所を指しているのか延々と考えるようになります。

 

 警察官から逃げ、たま子が大をしておむつを替えなくてはいけなくなり、姉に金をせびって無碍にされ…追い立てられるように夜の公園の池の近くで自分の服をおしめ代わりにしていると突然池で鯉が跳ね、突然たま子が「出会えてよかった」と喋ります。今までおぎゃおぎゃとしか言えなかったたま子が突然、ハッキリ喋ります。そして、呆然とする主人公の髪を引っ張り寄せ付けるようにキスをします。「なんでこの家に生まれてきたのか」という問いに対する最高のアンサーです。

 何故突然喋ったのかも、鯉がどう関係したのかも、「遠く」がどこなのかも分からずじまいですが、ともかくこれにシャンの心は大いに沸き立ちます。そして、二人ならどこかも分からない遠くに行ける気がすると力強く宣言します。ピカチュウの件もそうですが、言葉にしないと伝わらない思いというのはあるのです。シャンの苦労を少しでも報いるために、たま子がいずれするであろう愛の告白をフライングさせただけなのかもしれません。

 

 そんなお話ですが、先述したように演出の一つ一つやシーンの強調が力強く非常に読みごたえがあります。例えば、冒頭の質問のシーンですが、この質問を愚痴とみなし冷笑しながら家を出る姉の扉を閉める音が、主人公が写っている鏡のヒビに響いて、音を立てます。何気ないシーンですが、コマの移動だけでなく効果音でもスピード感と姉が慌ただしく出て行った後の静寂を表現できているのです。読み応え十分の本作、良ければご一読してみてください。

 

出典:『オブリガード!』加藤伸吉 太田出版 2003.4

初出は秋田書店のヤングチャンピオン 2001.5

 

☆これ聞いて書いてました:19

『プロミス』シャーデー (1985)

イギリスのファンクポップバンド2作目 シャーデー・アドゥが愛したR&Bの影響が色濃く出た名盤

 

Spotify有

全米ヒットの「スウィーテスト・タブー」収録 「ター・ベイビー」のメロディックなサウンドはものすごく深夜向きです