ひうち棚先生のマンガは平たく言えば幼少期から徐々に大人になり、妻子を持つようになるまでの作者自身の日常を描いた漫画です。ですが、いわゆるエッセイ漫画というには少しだけ、個人的に引っかかるだけですが違和感があります。エッセイというよりは当時の情景をドラマのように展開する…太宰治の「富岳百景」とか井伏鱒二の「岬の風景」のような私小説じみた雰囲気があります。一般的なエッセイ漫画は「家族が何かしらのトラブルや病気に遭ってしまった」ことや「奥さんが外国人だったり、ちょっと特殊な環境に身を置いていたり」とそもそもの描く自分自身が特殊なケースが多いですが、本書で描かれる日常の数々はとても普遍的です。今回のお話も、僕自身が幼少期に体験していてもおかしくないありふれた素晴らしい内容になっています。

 

 タイトル通り、小学校低学年程の主人公(ひうち先生)が友達と映画を見に行く話なのですが、映画館に行くわけではありません。市民会館で上映するモノを見に行くそうです。僕も子どものころは学童で定期的にやる映画上映に行っていたのを思い出します。といっても、狭い体育館的なところでひっそりとやっていた僕のシネマと、市民会館の大ホールで大々的に上映する主人公たちの映画とでは特別感が違うかもしれませんが。

 主人公は友人の正男くんに誘われる形で映画に行くことになったのですが、そのことを前日になって知った主人公のお母さんが慌てて先方の親に電話したり、襟付きのシャツを着させたり、軽食用のお金を握らせたりといそいそ準備し始めるのがあるあるで面白いです。正男くんに失礼が無いよう…というのもあるでしょうが、何より正男くんの家が若干主人公宅よりリッチというのもあるのかもしれません。子ども同士には他愛のない遊びなのでしょうが、大人には守らなければいけない体裁がある程度あるのです。

 

 そして当日ですが、正男くんはお金ではなくバスケットを持ってきました。軽食は既に母親が用意してくれているようです。300円を握る主人公は「正男くんはお母さんにお金を貰えなかったんだな」と勝手に同情っぽい感情を抱きます。中学校の時、お弁当よりもコンビニおにぎりに憧れていたように、お金で自分で選んで食べるというのは子どもにとっては魅力的なのかもしれません。今となっては弁当の方が何倍も有難いですけどね。

 しかし、いざお昼になり軽食を食べるようになり、主人公は静かに驚きます。何と、正男くんのバスケットには主人公の分のパンとジュースまで用意されてあったのです。「この中にクリーム入ってる奴好きやねん」と無邪気にほおばる正男くんを横目に主人公も無言でパンを食べます。知らず知らずのうちにマウントを取っていた自身を恥じているのでしょうか?

 

 もちろんそんなわけではなく、主人公が黙っていたのは「これ300円で足りるんかなぁ」でした。おずおずと正男くんに300円を差し出す主人公ですが、正男くんはこれを笑顔で断ります。正男くんのご両親のご厚意みたいですね。パンは美味しかったみたいですが、何を考えこんでいるのか、主人公は親から映画の感想を聞かれても答えず黙っています。それでこのお話は終わりです。映画の思い出というより、パンの思い出ですね。ちなみに後日談として、この漫画を読んだひうち先生のお母様が数十年越しの後悔をする羽目になったそうです。お金を握らせるだけでも十分息子思いだと思いますが、まあ、正男くん側は本人もお母さんも何か気品があるし、敗北感に近い感情を抱くのも致し方ないのかもしれません。子どもの時の他愛ない思い出ですね。

 

出典:『急がなくてもよいことを』ひうち棚 エンターブレイン社(ビームコミックス) 2021.6

 

 

☆これ聞いて書いてました:18

『僕の中の少年』山下達郎 (1988)

山下達郎公私ともに多忙な時期の8作目 「踊ろよフィッシュ」「蒼氓」「新・東京ラプソディ」収録 

 

Spotify有

「ライド・オン・タイム」のヒットからの葛藤などもありますが、父になった達郎の思いが込められてる気もします