芥川賞作家、川上弘美さんによる大好きな短編集『パスタマシーンの幽霊』から「すき・きらい・らーめん」です。のほほんと、しかし生き生きと、そんな世界観というか、空気感がとにかく魅力の短編小説です。また、登場人物通しのコミュニケーションや本文の語り部でもある主人公の一挙手一投足が非常にユーモラスながら鮮明な表現で描かれていて、漫画を読んでいるようなほどスムーズに脳内に映像を描写できます。どうでもいいかもですが、僕がイメージした絵柄は田島列島先生です。

 

 タイトルに「らーめん」とありますが、年の瀬が舞台の本編中で出てくる料理はお雑煮やおせちです。山下達郎さんは矢野顕子さんの歌について「歌詞によく食べ物が出てくる」とコメントされたことがありますが、川上弘美さんの小説も然り、結構な頻度で食べ物が登場する気がします。

 完璧なまでに余談でした。本編のストーリーは年の瀬に主人公の姪が家出しに来るというものです。姪の一子ちゃんは中学生ながら、すごくしっかり者で、叔母と姪という関係ながら年の近い主人公とはお互いにちゃん付けで呼び合う仲です。また二人は文通する仲、ペンフレンドでもあります。一子ちゃんの趣味は少し独特なクロスワード作りで、主人公に送る手紙には毎度自作のクロスワードパズルが付属しています。一緒にお雑煮を作ったり、一人でするすると着物を着付けてしまう一子ちゃんに主人公が舌を巻いたりしているうちに、主人公宅はすっかりのほほんとした元旦ムードに包まれます。

 そのムードに乗っかって、主人公は一子ちゃんの家での理由を聞きます。その理由というのが、シングルファーザーだった父親、つまり主人公の兄の再婚でした。ありがちといえば聞こえが悪いですが、中学生辺りは確かにそういう家庭の問題に一番まいりそうな年だと思います。多感な時期って言いますからね。

 

 主人公は新しく母親になる女性に難があるのか質問しますが、どうもそんなことは無く、関係性は良好なようです。先程主人公を感心させた着付けの方法も、その母親予定の女性から教わっていることからもそれは嘘ではなさそうです。では、なぜ家出までしたのか?それは「父親がセックスするのが嫌」という事でした。「な、なるほど」としか言えなくなりそうな生々しい理由ですが、確かに己が中学生の時分に親がそういう事情になってそういう関係の人とそういうコトに励んでいたら、いえ何歳になっても考えたくは無いですね。ただ、それが仕方がないことであること、自身が関与してはいけないことであることは理解しているようで、そういう言わば「見て見ぬ振りすべきこと」をどうしても意識している一子ちゃん自身の至らなさ(幼さ)に嫌気がさしているようです。    

 今回の家出もセックスという行為を忌避したゆえの逃避行ではなく、冷静になるため、いわゆる「一人になりたかった」って奴なのかもしれません。中学生にしてそこまで気持ちの整理をつけられるなんて、やっぱり一子ちゃんは大人っぽいですね。

 

 タイトルにある「すき・きらい・らーめん」という言葉は家出から帰った一子ちゃんが主人公に送ったクロスワード内の解です。僕は頭が悪いのでクロスワードがどういう羅列になっているのか不明ですが、中にはこの3つの言葉が含まれていました。それを解き終わった主人公は一子ちゃんに心の中でエールを送ります。「がんばれよ。ていうかあんまがんばるなよ」というエール。なんだか心にすっげえジーンとくるものがありました。大人っぽいがために気を張りすぎる性格の一子ちゃんは自分が時折年相応に思春期であることが嫌で仕方がない様子、それに対して「深く考えすぎるなよ」と檄を送ります。本文中では思春期の少女の悩みに与える薬は存在しないといった内容の一節もありました。この言葉の通り、主人公は心の中で送ったエールを一子ちゃん本人には伝えません。だけどそれでも、肩の力を抜いてがんばれ!という一子ちゃんを支えたい一心が強く出て、せめて心の中で、余計なお世話を焼いてしまう。思いやりに溢れたすごく温かいシーンだと思います。

 もう一つ、一子ちゃんが主人公宅から実家まで帰る間際に、主人公に言った「いつまでもこのままでいてくださいね。決して変に大人じみた人にはならないでください」という言葉についてですが、これも恐らくは、一子ちゃんにとって主人公は「一人になりたい」時にうってつけの、肩の力を抜ける場所であり、一子ちゃんが思う正しい大人の姿なのかもしれません。あるいは、自分とは違い、正しく成長している子ども。どちらにしても主人公が一子ちゃんを「すげえ」と思うように一子ちゃんも主人公に何か特別な思い入れをしているのは確かです。何だかとってもでっけえ関係ですね。

 

出典:『パスタマシーンの幽霊』川上弘美 新潮文庫(2013.5) 

初出:マガジンハウスより2010年刊行