『団地ともお』で僕の心を掴んで離さない漫画家、小田扉先生の最新短編集『ぐるぐるゴロー』より「世界の軸」を取り扱います。……と、いつもの調子で始める前に、10日間ほどブログ更新をサボってしまい申し訳ありませんでした。そもそも個人でやってることだし…と醜い言い訳をして逃げてもいいのかもしれませんが、前々から何の挨拶も抜きに長々と休むのはどうかと懸念していましたので。過去の記事を引っ張ってきて再開の目途も立ててと、これからも有事の際はこの形で対応させていただきます。小規模かつ非生産的なブログですが、そこが良さでもあると勝手に割り切っていますので今後ともよろしければお立ち寄りください。

 

 それにプラスで、新たな試み…というかまた新たに自身の欲求を埋めるため、少し記事をアップグレートしたいと思います。ちょいちょいこのブログでも言ってきましたが、漫画と同じくらい好きな音楽のお話をしていけたらと思います。ただ、もちろん主体は今まで通り短編です。その末尾に付属する形で、記事を書くときにBGMとして流しているアルバムを一枚上げれたらと思っております。丁度、この記事を書くために費やす時間が一時間前後なのでアルバム一枚という時間がぴったり合うのです。従って、記事のサムネイルも音楽アルバムのジャケットになりますが、内容はほぼ漫画です。音楽アルバムはジャケット画像に合わせて最低限の情報と、メモ程度の雑感を交えてお送りします。

 まあ、今回から早速末尾に追加しておきますので、詳細は実際に読んでお確かめください。くどいようですが、追加するだけで短編作品紹介は従来通りやっていきます。また、アルバムと作品の関連も無いとは言い切りませんが、別に意識しないつもりです。

 

 長くブログのことを語ってしまいましたが、今回の本題はあくまで『ぐるぐるゴロー』です。今まで通り、若干デフォルメが増した絵柄の小田扉ワールドです。漫画の雰囲気も幾つかの連載を経て若干異なっている気がしますが、反対に方々で見受けられるグロテスクでナンセンスなディティールは初期の名残を感じます。最後の辺りで作品同士がリンクし、シリアス度合いが増していったことはちょっと引っかかりましたが、全編通して小田扉ワールド初心者でも玄人でも楽しめる上質な一冊に仕上がっていると思います。

 今回はそんな中の一話、「突撃!次の家庭訪問先!!」を取り扱います。「突撃!」の後に何が続くのかは人それぞれ様々かと思いますが、大抵の人が「隣の晩御飯」を連想すると思います。ヨネスケがでっけえしゃもじ持って民家の晩飯を喰らうあのコーナーです。ちなみに僕が連想するのは「カネオくん」の方です。すいませんね。NHKが好きなもんで。

 

 ヨネスケの話をしましたが、今回突撃するのは題にある通り次の家庭訪問先です。だからと言って、ヨネスケの番組が無関係化と言われればそんなことは無く、反対に大いに関係しているのが本作の肝です。

 色々と要領の得ない話をしましたが、一旦全部置いておいてください。なぜなら、隕石が降って我々のよく知る世界は終わりを迎えるからです。さらばヨネスケ。さようなら皆さん。

 文明は一巡して、再び人類が栄え、同じように人間社会を築きます。そんな折、旧人類(つまり我々)が残した文明の利器たちが発掘されます。新人類はそれらを現在の自分たちの生活にも用いろうとしますが、惜しいところをついてこそいますがそれらがことごとくズレています。バトンを吹き矢と勘違いして、吹き矢レースなる競技を考案したり、ライン引きを競技に使う道具だと勘違いしたり、運動会グッズ一つとってもてんやわんやです。

 

 さて、そんな新人類はしゃもじも勘違いします。厳密には、白ご飯を掬う道具をしゃもじと呼んでこそいますが、それをアイスクリームとかポテサラとか救うあのおたまみたいなトングと勘違いしているのです。そのため彼らのご飯はお茶碗ではなくお皿に盛られ、ポコポコとラクダのこぶみたいに白米の丘を連ねているという始末。おたまの隙間に米がへばりついてあっという間にダメになってしまいそうですね。

 となると反対にお役御免となってしまう私たちにとってのしゃもじ。「これ何に使うんだろう?」と識者たちが考えている傍らで、研究員の一人がその研究対象でご飯をよそいます。「何かこれご飯掬うのにちょうど良くてさ」と笑う研究員。意図せず真実にたどり着いたわけですが、その場は笑い合うだけで終わってしまいます。

 

 さてさて、そんな新人類もやがては終わりを迎え、また長い歳月をかけ、新たな人類が繫栄します。もうめんどくさいのでしゃもじのみに焦点を当てますが、今回は見事、用途を的中させ、アイス掬う奴をしゃもじと呼んでいた旧人類を笑います。しかし、彼らのしゃもじ解釈には続きがあり、彼ら曰くしゃもじはサイズによって用途が異なると言うのです。ここまでくれば、分かってしまうでしょうか?

 彼らはでかいしゃもじは「家庭訪問の時、先生が次の家に移る際、子どもがリレーのバトンのように次の家の子どもに繋ぐもの」として扱います。文ではややこしいですが、要するに先生が家庭訪問に来たら、その家の生徒はでかいしゃもじを持って、先生と共に次の訪問先まで付いて行かねばいけないと言うことです。そして、バトンのようにその家の子どもにしゃもじは移ります。旧人類を笑っていた三代目の人類ですが、今までで最も飛びぬけた解釈をかましてしまいました。

 

 本作の面白さはシュールギャグですが、テーマとして文明の発展というモノの複雑さがあります。作中、ライン引きをレースで使うものと勘違いした二代目人類は白線を引きながら競争する子どもたちを見て「何かしっくりこない」と首をかしげます。運動場に運動会の時に、線を引いて使うと用途はかなり惜しいところまで絞れているのに、しっくり来ないのは、線を引く行為が無い義だからです。

 同じように、三代目人類の生徒はわざわざしゃもじを持って先生と共に次のこの家まで行くことに疑問を抱きます。言うまでもなく無意味です。ついて行く必要も無ければ、形がしゃもじである必要も、でかい必要もありません。ですが、生徒はこれをもって他の人の家に訪問することにすごくしっくり感じるのです。意味がないことでもしっくり来るのは、ヨネスケのあの番組のイメージが遺伝子レベルで届いているから。もっと言えば、ヨネスケがでかいしゃもじを持っている意味も問い詰めれば無しに等しいです。テレビ番組ゆえのポーズという無意味な意義がどんどん単純で機能的だった文化を複雑にしていくのです。

※本記事では語感の兼ね合いでヨネスケさんの敬称をひたすら省略させていただきました。すいません。

 

出典:『ぐるぐるゴロー』小田扉 双葉社(アクションコミックス) 2023.9

初出は同社のWEBマガジン 2021.9

 

☆これ聞いて書いてました.1

『エキサイティングフラッシュ』トリプルファイヤー(2012)

脱力系ロックバンドのデビューアルバム。ボーカル吉田はタモリ俱楽部に出演してちょっとだけ話題。

Spotify有

「次やったら殴る」は誰が何といおうと名曲。陰気だけど陰キャには書けないセンスです。