この記事について
この記事は短編漫画(読切、短期連載)が好きで仕方がない男があくまで主観で選んだ100冊の好きな短編集をご紹介するだけのブログです。私自身何か特殊なプロフィールがあるわけではない本当にただ読むのが好きなだけの人間なので、何一つ優れているという根拠にはならないかと思いますが、それでも短編集を読んでみる上での参考程度になれば幸いです。また、あくまで100冊挙げているだけでランキングではありません。順番はバラバラですが、順序に優劣はありません。以下、あってないような選定基準を記載しますが、あくまで形式によるもののみで、これまた内容による選定漏れなどはありません。また、ネタバレを避けるため紹介文は敢えて作品の内容に触れないことが多いです。抽象的で気取った文章になりますが、ご容赦ください。
選定基準
・短編集は一冊で完結しているものを選ぶため、バックナンバーの無いオムニバス作品であれば連載作品でも選考対象としています。バックナンバーのある短編集もこれと同義です。
・できる限り初収録されたものを中心に選ぶので新装版や再編されたものは挙がらないことが多いです。ただ、絶版などの都合上非常に入手困難な作品に関しては例外とします。作者没後の短編集でも初収のものを多く含んでいる場合は選考対象としています。
・短編集及び作品集には「○○短編集」といった冠が付属していることが多いですが、今回は簡潔にその部分を省略して、表題のみを記入します。『作品名』作者名 出版社名(初版された年)という風に記載します
・極力、偏りを失くすため作者一人につき一冊までとしています。また、作者名に関してもブログ内敬称略です。アンソロジーは今回は除外しています。
・見ていただくだけで恐悦至極ですので、無論強要などはありませんが、可能でしたら他記事同様パソコンのブラウザ上での閲覧を推奨いたします。スマートフォンだと、行間が滅茶苦茶になってしまいますので読みづらいです。
1.『時計仕掛けのりんご』手塚治虫 講談社(1983年)
マンガの神様による大人向けシリアス短編集
漫画の神様とまで言われた手塚治虫の大人向け短編集と言えば、小学館から出された連作『空気の底』になるだろう。だが、単行本一冊の完成度で言うなれば本書をおいて他にないかもしれない。鬱屈とした雰囲気でとことんシリアスに描かれた本作は一口に大人向けと言っても、「息もつけない緊迫感」というある種のコンセプトのようなものまで感じる。画像は秋田文庫のモノだが、個人的には最も連載時に近いタイプの講談社全集版を推したい。「バイパスの夜」や「処刑は3時に終わった…」のようなぴったりとまとまったサスペンス、あるいはヒューマンドラマ仕立ての作品にも、漏れなく社会的問題提起が放り込まれているところが何とも作者らしい。
2.『絶対安全剃刀』高野文子 白泉社(1982年)
高野文子さん ありがとうございます。大好きです。
ニューウェーブを代表する作家高野文子の初単行本作は、高野文子という作家を越え、ニューウェーブという時代を超え、日本の短編漫画界を代表する作品にまで成り上がった。そう言った意味で個人の好みを越えて、リストに挙げなければいけない必読の短編集である。と言っても、デビュー作だけあり、かなりニューウェーブチックな作風の為、徐々に固まってくる高野文子独自の形はあまり見られない。高野文子という作家の色を最大限活かした名作『棒がいっぽん』とどちらを選ぶかで延々と悩んだが、結局、掲載作品の多さと、「ふとん」、「田辺のつる」という名作中の名作に後押しされ前者に決まった。後は強いて言うなればてへぺろをするオジの愛らしさにやられたからである。
3.『腹話術』高橋葉介 朝日ソノラマ(1979年)
メルヘンに描かれる妖しくも美しい奇妙な世界の数々
ホラー漫画の名手として知られる高橋葉介のデビュー短編集だが、その作風はホラーというよりはファンタジックで、まさに「奇妙な世界」というに相応しい世界観である。幻想的な絵柄でキャリアも長い大先生だが、虚空をつかむようなストーリー展開に投げっぱなしなオチと言った作風は読者を選ぶことだろう。しかし、本書においてはそんな作家のクセもあくまで作品のスパイスの範疇でとどまっており、その完成度は十分伝説的と言える。代表作である「ミルクがネジを回す時」や「追跡行」では膨大な世界を、表題作「腹話術」では粛々とした小さな世界を、共にダークメルヘン味たっぷりに描いている。ブログの構成的にサンコミックスから出されたオリジナルを挙げたが、後に出版された文庫サイズの新装版にはどっさりと短編が新規追加されている。お得である反面、情報量の多さに若干眩暈がする。
4.『ごあいさつ』田島列島 講談社(2019年)
田島列島にしか描けない深刻なのにゆる~い人間ドラマ
2010年のデビューからコツコツと溜められた読切がようやく一冊の単行本になり、早くも令和の時代を代表する名短編集へと成った。本作の、というより田島列島の作風に関しては本書の帯に書かれた「懐かしいのに新しい。尖っているのに柔らかい」という言葉が十二分に説明してくれている。姉が不倫をしていた事実を、「ごあいさつ」に来た不倫相手の嫁から知らされる妹を始め、30万の手切れ金を押し付けられた女性や、体よく別れるための浮気相手代わりに使いまわされている女性など、中々にヘビーな登場人物をあてがっておきながら、その世界を非常にのほほんと構成してしまう。それでいて事態を軽視するような浮ついたシナリオに劣化させることなく、寧ろドライなリアリティさえ感じさせる技量にただただ唸らされる。家庭間のトラブル一つとっても、まるで社会問題かのように騒がれる昨今の風潮とは明らかに独立した作者の感性が、逃げ場を失った現代人の心を癒してくれるのではないだろうか。
5.『死刑執行中脱獄進行中』荒木飛呂彦 集英社(1999年)
奇妙な運命に抗い、熱く吠えてこその荒木節
少年漫画家の短編漫画というものは連載化を視野に入れた読切であることが多く、完璧に短編として完結した作品をまとめてくれる短編集というのは少ない。そんな中で荒木飛呂彦という作家はもはやジャンプ漫画家という枠組を越えているのだなと改めて感じることができる、そんな一冊。しかも、そんな中で収録作の一つが『岸部露伴は動かない』としてシリーズ化しているのだからたまらない。本書には幽霊になった吉良吉影などの露骨なジョジョ味が散りばめられているのだが、読者が最もジョジョを感じるのは全ての作品で繰り広げられる奇妙なくせにロジカルな攻防の数々である。もはやジョジョとは荒木飛呂彦そのものなのだと嫌がおうにも感じざるを得ない。
6.『地上の記憶』白山宣之 双葉社(2013年)
漫画に生涯を捧げた男と盟友たちによる記念碑的名作
生前に出版された短編集は僅か2冊という、その評価のわりに余りにも供給の少ない作家による、死後まとめられた短編集。オリジナルの短編集とは言い難いものの、彼の死後、交流のあった多くの作家が集い、寄稿を寄せた本書はもはや短編集の垣根を越えた大作家、白山宜之の一周忌であり、漫画界に悠然とそびえる金字塔である。時代劇、南海アクションを躍動感たっぷりに描く傍ら、ある街角のある風景をしみじみと描く作者の描写力にはただただ圧倒される。カバーは盟友、大友克洋のデザインである。
7.『渚』河野別荘地 小学館(2021年)
「ありふれている非日常」を表現した傑作作品集
いわゆる「人外」という存在が一般的なミームと化し、それとの交流ももはや属性の一言で済むほどお手軽になった現代で、息をのむほど丁寧な人外交流を描いてくれたのが本書である。明らかにAIを越えた対応力を見せるスマートアシスト、「生水」なる謎のスライム、そして人間の足を得るために手術費を貯める人魚。そのどれもが作品世界内で当たり前のように傍にいる存在として描かれながらも、その交流をやはり特殊なものとして描いている。唯一、正真正銘の人間同士が交流する作品「旬」での生々しくドロドロした恋愛劇も何か特殊なものに見えてきそうである。
8.『地獄』西岡兄妹 青林工藝舎(2000年)
右も左も無い美の世界に放たれる。異才兄妹による無間地獄
兄が文章を、妹が絵を担当し紡がれた世界観は正しく唯一無二のモノである。文字だけで上等な詩になり、イラストだけで個展を開けるほど注目を浴びれることだろう。そんな偉大な才能同士が混ざり合い、漫画というメディアに腰を下ろしてくれたことを一人のマンガ好きとしてただただ感謝したい。西岡兄妹のマンガにおける文章に万人が理解できるような物語はない。ただ、代わりに無限の世界への扉を設けてくれている。また西岡兄妹の描く漫画内の道や崖に果てもない。本書のラストに収録されている「林檎売りの唄」を読んでその世界観に突き落とされてから今まで、僕は未だにその世界で落下し続けている。
9.『シスタージェネレーター』沙村広明 講談社(2009年)
沙村広明の漫画が如何に面白いかを具現化した極上の一冊
優れた短編集というものは、何も話が面白い絵や構成が凄いと言った中身だけの問題ではなく、如何にその作者の個性が一冊に詰め込まれているかが大きいのではと思う時がある。その点、この『シスタージェネレーター』はカリスマ漫画家である沙村広明の作風を見事に一冊に詰め込んでいるだろう。作品一つ一つとっても粒ぞろいだが、それ以上に短編集としてのまとまりが非常に良い。軽いノリながらも大真面目な話の合間合間に、寄席の中入のように挟まる女子高生が駄弁るだけのTHE沙村コメディ「制服は脱げない」に加え、謎の麻雀コラム漫画まで挟まる自由度の高さは痛快さすら感じる。そして最後にドンと居座る完璧なシリアスストーリー「エメラルド」。短編集のおすすめを語る上でまず間違いなく名前が挙がるほど名作である背景には、天才沙村広明を最大限に反映させているバイタリティの高さが深くかかわっているのではないだろうか。
10.『ねこぢるだんご』ねこぢる 朝日ソノラマ(1997年)
喋って騒いでよく遊ぶ畜生たちによる世界一可愛い残酷童話
不条理の奥には必ず滑稽が眠っている。そう信じていないと正気で読んでいられなくなるねこぢるシリーズ。若干これを短編集として扱うことに疑問はあったが、本書にはねこぢるでお馴染みの登場人物がまるで出てこない読切「つなみ」も掲載されているので無問題である。自分が生まれる前のブームだったこともあり、これが一世を風靡し、アニメ化までした事実をどこか仮想世界でのことだと認識していたが、昨今の『ちいかわ』ブームを見ていると案外いつの時代も、飾り気のない現実をカワイイマスコットで表面だけは包んだようなものを求めているのかもしれない。それにしたって余りにもリアリズムなねこぢるわーるど。現実の社会での疲れを癒してくれるようなホスピタリティは感じられないが、この突き抜けた「あるがままの世界」にどこかで救済される人間もいるのかもしれない。
11.『電話・睡眠・音楽』川勝徳重 リイド社(2018年)
新世代が紡ぐ、後世に語り継がれるべきもう一つの劇画世界
作者の性別を誤解していたパターンは今まで幾度となく経験してきたが、年齢を誤解していた経験は本書の作者、川勝徳重一人のみである。ちくま文庫のシリーズ『現代漫画選集』においてすこぶる熟れたラインナップを揃えておきながら、自分は藤本タツキの『ルックバック』のアシスタントを務めているのだから驚きだ。そんな若き熟練者が描く劇画の世界はやはり6,70年代的であるが、そのどこかでとっつきやすい俗っぽさ、貸本作家はまず持ち要らないであろう題材の昇華を兼ね備えている。この現代においてまさか新たに劇画の歴史が紡がれることになるとは、いくら漫画新参者のZ世代とはいえ全く読めなかった。本書にはいくつか原作付きのモノが収録されているが、その小説のチョイスもまた、何ともよく熟れた選定で御見逸れする次第である。
12.『犬木加奈子の血まみれ絵本』犬木加奈子 講談社(1996年)
悪い子を懲らしめ血に沈める良い子のための血まみれ絵本
今はどうかは分からないが、昔の少女たちは何とも血に飢えていたようである。それはひばり書房だとかハロウィンだとか言ったホラー全盛期の作品たちを見ていれば容易に分かることだ。そんな中、その第一線で活躍していた犬木加奈子がかつてのホラーマニアたちに再度、恵の血の雨をもたらしてくれた。絵本のような見開き連続の漫画は、表紙からお察しの通り、グチャグチャに少女たちの身体を破壊する。おまけにオールカラーである。巻末には着せ替えページまで付いて至れり尽くせりのコンセプトブックである本書は、ワンパク男子たちとは比べ物にならない程、残酷や刺激を求めていた少女たちの血の気の多さを、現代に生きるもやしっ子な我々に嫌というほど教えてくれることだろう。
13.『残暑』鬼頭莫宏 小学館(2004年)
爽快感と湿っぽさを併せ持つ複雑で味わい深い短編集
『なるたる』『ぼくらの』はまごうこと無き名作なのだが、メディアイメージのせいでその絶望的なまでに陰鬱な世界観ばかりが話題になってしまう。そんな鬱漫画家なんて奇妙な代名詞を吹き飛ばしてくれる名短編集がこの『残暑』である。SF、バイク、ロリータ。確かにそれらも鬼頭莫宏の醍醐味なのかもしれないが、作者の真価は青春ではないかと思う。『ぼくらの』も『なるたる』も偏に少年少女たちの姿を丁寧に描いたからこそあそこまで胸を打つのだ。
14.『魔法はつづく』オガツカヅオ リイド社(2018年)
読み終わって、かけられているのは魔法か呪いか
純ホラー作品だと思えば痛い目を見る。というより、ホラーだと思って読んではいけない。かといって普通の、一般的なストーリーを詰め合わせた短編集を期待して読んでもいけないし、裏表紙のポップさを信じてキュートな雰囲気だと思うのも、誤解というほど見当違いではないが、ズレている。しかしけっして厳粛な内容でもない。とにかく掴みどころのない本書に、初見は凡作だと感じてしまった。だが、奇妙な読後感が妙に尾を引き、思い出しては読み返す。そして徐々にその魅力に取りつかれていく。そして魅力に気づいて初めて、尾を引いていたモノの正体が、本作の最後に収録された、真夏の夜のような湿度の表題作であることに気付く。たった一作のみが強烈なのだと言いたいわけではない。ただ、印象的すぎて読み終わるころにはその他の感想を置いてけぼりにして、もやりとした奇妙な読後感が押し寄せてくる。そして本を閉じると表紙の少女が意味深げに指をさしてくるのだ。
15.『桜の花咲くころ』北条司 集英社(1993年)
繊細で懐深い素敵な思いやりに溢れた愛情たっぷりの短編集
作者の代表作『CITY HUNTER』はエンタメ作品としても超一級品だが、主人公冴羽遼とヒロイン槇村香の関係性を非常に繊細に設定していることが読んでいると分かる。一見、単なるやきもち焼きと女好きのドタバタ劇に見えて、2人はまるで初心な少女のように互いを、あるいは自分を推しはかっているのである。だからこそ、ストーリー自体は大いに時代を反映させているはずなのに、北条司の作品は現代でも容易に通用できるのだ。同じく優しく繊細な本書の表題作は後に『こもれ陽の下で…』と題を変え、10年後の世界を舞台に連載化する。本作にかかわらず、北条司はキャラクターの名前や雰囲気を使いまわす所謂カメオ出演をさせることが多いのだが、本書収録の何作かは『CITY HUNTER』連載時にジャンプで掲載されたものだからか、カメオどころか本人役で遼や香がモブ出演をしている。
16.『あのころ、白く溶けてく』安永知澄 エンターブレイン(2005年)
才能あふれる作者がその感性を自由に走らせて描いた傑作集
呉智英が務めた本書の序文では作者の「若い過敏なまでの感受性とそれを見事なまでにドラマに仕立てる構成力」を絶賛している。事実、その通りである。しかし、その鋭敏すぎる感受性により紡がれる繊細なストーリーや登場人物の心境は私以外の愚鈍な人間には理解できないだろう。これは私だけに寄り添ってくれる物語だ。……と、本書に胸を打たれた読者は皆、思うのではないだろうか。言葉にできない、まさしく彼女の漫画でないと表現できない感情が確かに本書に溢れている。だが、呉の言う「見事な構成力」によって、本来伝えることのできないもどかしい感覚が、恐ろしいほど万人の傍に寄り添うのである。これを才能と言わずして、何というのか。名作、面白い、読んだ方がいい。そんな稚拙極まりない表現でしか本書を勧められない己が恥ずかしい。
17.『青い春』松本大洋 小学館(1998年)
これを読まないまま死ぬか、これを読んだ後に死んでいくか
日本人が最も容易く得ることができるトリップ体験が松本大洋のマンガを読むことである。抜群にイカしていて抜群にイカれているようで、しっかりとまとまっているので意味不明な世界に投げっぱなしになることは無い。ちゃんと帰ってこれる。安心安全かつ最高のトリップを味わえる。「しあわせなら手をたたこう」で飛び降りて、浮遊の果てに「だみだこりゃ」でしっかり殺されるのだ。死んで、あとは本を閉じて息を吐くだけでいい。漫画というメディアの価値を存分に高めてくれる至高の一冊である。
18.『放浪世界』水上悟志 マッグガーデン(2018年)
ジャパニーズエンターテイメントここにあり!
難しいこと言いっこ抜きである。面白いし、読みごたえがある。変に高尚なものを求めたり、文学というものだとか芸術だとかいうものに無駄に可能性を感じていると、この傑作を凡作と見過ごしてしまうかもしれない。漫画という最高の娯楽。「短編なのだから簡潔な作品を」という作者の計算は本書には一切見受けられない。後半部の長編以外全てが第一話。おまけに傑作である。己の出せる全力スイングを行っている。実際に作者がどれだけ一編一編に打ち込んだかはとても分からないが、そんな気がする。
19.『魔都の群盲』湊谷夢吉 北冬書房(1997年)
荒々しい時代の中で活き活きと暴れまわる野郎共の痛快活劇
胸焼けする程、戦時中である。あるいは戦後まもなくである。どちらにしろ大きく深呼吸できるほど軟な空気ではない。そんな世界でフンフンと鼻息荒げて生きている人間を湊谷夢吉という男は何とも明朗快活に描いている。しかし大騒ぎしながら酔い散らかしている老人連中が突然しんみりと語りだすように、本書の近現代活劇はドラマで湿っている。過剰なまでに懐古的なその物語は鼻をつまみたくなるほど我々をやっかんでくるが、味わってみると意外に人懐っこかったりして、愛おしく思えてしまうのだ。
20.『黄色い円盤』黄島点心 リイド社(2018年)
奇想漫画という名のコンピレーションアルバム
黄島というペンネームの漫画家が出す短編集の名前が『黄色い円盤』に『黄色い悪夢』。これだけで何だか注目せずにはいられない作家だが、ふたを開ければ、成程、黄才というに相応しい素晴らしい作品群である。奇妙な発想やそれをど派手にまとめている構成力も見事だが、何より本書は非常に「お楽しみ」的要素に富んだ短編集である。単行本を音楽アルバムに見立て、目次の前にintro漫画を設け、奥付の後に続きのoutro漫画を設ける。おまけにその内容は実質的な表題作であるハイテンション社会派ホラーコメディ「円盤」とリンクしており、それでいて強烈なインパクトを持った一つの短編作品として独立できているのである。作品一つ一つというよりも、短編集一冊で存分に楽しませてくれるのだ。何より黄島点心自身が本書を大いに楽しんで描いていることが伝わってくるのが良い。
21.『こさめちゃん』小田扉 講談社(2001年)
ハローサンキューナイスチュミーチュー小田扉
小田扉の世界観を表現するためにシュールという言葉は存在しているのかもしれないが、それはそれとして彼の作品をシュールなんて言葉で終わらせたくはない。そんな彼の初単行本は、長編から一般的な読切サイズ、果てにはチラシの裏にでも書いてありそうなミニ漫画まで余すことなく収録され、非常にバラエティに富んだ一冊である。そのどれもが僕の体のどこかに引っ掛かり、何かしらの痕跡を残して去っていく。それはとても小さかったり、深かったりして一々愛おしい。あまりにも具体的な評価は下せずじまいだが、僕は最後に出会ったスミ子という少女とこの本を、生涯忘れることは無いだろう。
22.『ガンジョリ』いがらしみきお 小学館(2007年)
ガンジョリという漫画を読むな読めば怖くて泣いてしまう
『ぼのぼの』の作者であることを承知の上で失礼極まりないことを言うが、いがらしみきおの漫画には仄暗い不気味さがあるような気がする。その原因こそ掴めないが、その一片はおそらく本来漫画では描くべきでない顔の皴までしっかりと描写しているところではないだろうか。くたびれた顔は一層やつれて見え、泣き喚く顔は一層悲痛に映る。ことホラーに置いてはシナリオも相まって、登場人物一人一人がキューブリックとニコルソンに追い詰められたシェリー・デュヴァルのように迫真のおっかなさを誇っているのである。作品一つ一つ取っても細かにテイストを変えていて、どれも抜群に面白い。十何年も前の作品ながら未だにヴィレッジヴァンガードで面展されている事実こそ本作の多大なる評価の現れである。
23.『散歩しながらうたう唄』森雅之 Fusion Product(1986年)
物語が…芸術が…幾星霜にも重なったアルバムのような一冊
連載されていて、複数の話数がある漫画を収録している短編集は表題に『作品集』と付属する傾向にあるのだが、本書に関しては特に、作品集という言葉が相応しい気がする。「フルーツバスケット」や「キャラメルストーリー」などの掌編をまとめた作品やイラストに詩を挿し込んだような作品。中には漫画では珍しい版画で描かれたものもある。それらが喉かでノスタルジーという本作のコンセプトに沿って、とても鮮やかに展開されている。いっぱい寄り道しているように見えて全く無駄のない素晴らしい散歩であると言えよう。
24.『恐之本』高港基介 少年画報社(2014年)
一番怖いのは幽霊と人間の両方で怪談を生む漫画家である
コンビニ本をメインに活躍していた高港基介のホラー短編集であるが、その一部は初単行本『顔をみるな』と重複している。その上『恐之本』は後に10巻まで続くホラーオムニバスとなるのだから本来こうしてリストアップするべきではないのかもしれないが、一巻にはナンバリングが無く、代わりに「ホラー傑作選集」という冠がついていたことから短編集として扱っても問題ないものとする。というより、そこまでしてこじつけたくなるほど本書はホラー短編集として非常に高いクオリティを誇っているのである。おまけに過度に奇想に寄らず、オリジナリティを備えつつ都市伝説的テイストを強くしているところが何ともホラーファンの胸を打つ。
25.『あまなつ』新井英樹 エンターブレイン(2000年)
暴力的なまでに熱く熱く愛される覚悟はあるか
新井英樹の描く登場人物は汗ばかりかいている。おそらくこれを描いている新井英樹自身もダラダラと汗をかいているのだろうなと思う。本書の大半を占める短期連載作品「ひな」の凄さは読まなければわからないだろうが、単に魔性の女に振り回される男たちの物語では終わらないような凄味を感じる。大げさなことは言えない。いくら登場人物が汗だくでも読んでいるこちらまでその熱量で汗っかきになることはできない。しかし、居ても立っても居られない己の中の何かを思いっきりシバかれるような、そんな激しいパワーに確実に襲われるだろう。また、汗こそ搔かなかったが本書の最後に収録されている「子どもができたよ」では嗚咽を漏らすほど泣かされてしまった。
26.『おとろし』カラスヤサトシ 秋田書店(2015年)
浮世の怪奇と深く悲しい人の業を描いた傑作オムニバス
『ちーちゃんはちょっと足りない』という漫画史に名を残すべき名作が連載されていた伝説の雑誌、mott!にて連載されていた、同じくホラー漫画史に刻むべき名作オムニバス『おとろし』。完成度と結び付けるには少々無礼だが、この作者がエッセイ漫画を活動の主としているカラスヤサトシなのだから驚きである。しかし、この本を読めば彼が民話語りのホラーを描く上で単なる昔ばなしや都市伝説に留めないすべを完璧に身に着けていることが分かるだろう。収録されている多くの作品で恐怖と共に人間の非業や神経質なほど繊細な感情にフォーカスしている。その中でも「知らない皿」という作品の完成度は、たった6ページで単行本一冊分の『ちーちゃんはちょっと足りない』に迫る程のものである。
27.『ミノタウロスの皿』藤子・F・不二雄 小学館(1977年)
漫画界が誇る名短編製造機による異色短編集
年代的に画像では藤子不二雄名義であるが、一般的に知られているようにFによる短編集である。異色という言葉が示している通り、「少し不思議」という本質的な部分以外は全てが大人向けにアレンジされている。日本一有名なキャラクターを生み出した作者は、同時に世界一有名な短編漫画家であると言っても決して過言ではない。作者一人につき一冊のみというルールはこういう突出した天才の為に用意したものである。本書も例に漏れず、どこをとっても一級品の短編漫画群であるが、「間引き」「自分会議」などのストレートな社会派作品から「劇画・オバQ」「ドジ田ドジ郎の幸運」など従来のF作品の人気キャラクターを垣間見ることができる作品まで、非常にバラエティに富んでいる。しかし、それすらも過去にするほどのラストに収録された表題作は、もはや美しさを感じるほどに洗練された完成度を誇っている。
28.『赤タイツ男』逆柱いみり 青林工藝舎(2004年)
眺めて楽しいキワモノの街に、伸ばして愛しい赤タイツ
2019年に増訂版が出版されぐっと身近な存在になってくれた本書だが、他の逆柱いみり作品(『はたらくカッパ』除く)は相も変わらずプレミア価格で高騰中である。早いところバンバン復刻してくれることを切に願う。と、関係ないところでくだを巻いたが、本書は気軽に手に入り、尚且つ作者の最大限な魅力を映している名作中の名作である。入門編というより下手をすればこの一冊で、作者にぐっと近づけすぎて満足してしまうかもしれない。妙な話だが、熟れ切った果実を食べるような、そんな感覚である。アングラ世界というのは触れても馴染みがたくそれ故に敬遠されてしまう事が多いものだが、本書に関しては理解できないにしろ、何かしらの愛着は抱けるのではないだろうか。絵本のように眺めるだけで楽しい魅力がある。
29.『推しの肌が荒れた』もぐこん 新潮社(2022年)
推しは神様じゃないし、肌の荒れは個性なんかじゃない
推しという言葉がタイトルについた小説が芥川賞に輝き、もはやこの言葉は単なる好きなモノを指した言葉ではなくなっている節がある。上手くは言えないが、推している対象以上に推している自分自身を強く主張しているような歪さがある。そう言った歪さとは無縁だが、本書の表題作かつもぐこんの初連載作はそんな同じように「推し」という言葉に囚われる少女の姿を「肌荒れ」と重ねて丁寧に描いている。収録されているその他の短編にも言えることだが、どこかしらで荒んでいる少女たちの心情を、寄り添いこそすれ誰も理解はできていない所が非常に良かった。それこそ己の推しにだって、「推している自身の心情」は理解できないのだ。
30.『月的愛人』丸尾末広 青林工藝舎(1999年)
タブーとレトロで彩られた、ただあるがままの美しい世界
掲載順だけ入れ替えた新装版も出されている名短編集。アングラ界の帝王丸尾末広の世界観として挙げるべきポイントを全て押さえた満足感に加え、割と理解しやすく馴染みやすい作品が多い。馴染みやすいアングラ作品などと眉をひそめそうな堅物でも認めざるを得ない程の超大作「無抵抗都市」が収録されていることも本書の素晴らしさを高めている。上を目指せの競争社会、右に倣えの適応社会、敗戦国としての隷従社会。それら生きにくき社会において弾かれた者たちの絶叫や抵抗、あるいは擬態を、感嘆するほど耽美に描いている。小人症や胎児と言った登場人物はそれらの世界観をストレートに映す為の舞台装置なのである。
漫画短編集を読むことが好きなだけの男が選ぶ漫画短編集100選② | SSは素晴らしいものだ
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