伊藤潤二先生のホラー漫画と言えば、ファンとしてはそれこそピンからキリまで挙げたい僕ですが、一つに絞るなら間違いなく富江でしょう。処女作にして大ヒット作、楳図かずお賞唯一の受賞作品、おそらく作者最大数のシリーズ化された連作短編集であり、初の映像化作品でもあります。そんな富江をようやく取り扱いうのかと思いきや、よく見れば富夫、別人です。しかも男です。名作短編集『魔の断片』の表紙にて、ムンクの「叫び」みたいなポーズしてる奴です。良くモテる割に女運のないこと以外、これといって特徴のないキャラクターですが、何故かサブタイトルの冠を飾っています。富江を意識していると思われるネーミングと言い、ひょっとすると富夫シリーズを作成する予定だったのかもしれません。それを裏付けるわけではないですが、『魔の断片』の冒頭を飾るエピソード「布団」にも富夫が登場し、またもや(マジの意味で)魔性の女に翻弄され怪奇に巻き込まれています。男を惹きつける魔性の女富江の反対にも思えるキャラクターと言い、もしかすると連作短編集を構成されていたのかもしれません。

 

 「赤いハイネック」編で富夫が巻き込まれる怪奇を説明する前に、富江が超尻軽女なのと同じで富夫が超プレイボーイであることにも触れなくてはいけません。そして『富江』には田島という彼女に狂わされたストーカーが出てきますが、富夫には怪異に巻き込まれた彼に巻き込まれる不憫な彼女、まどかちゃんがいます。本作でもすぐに他の女と関係を持つ富夫に怒り、別れたはずでしたが、ホラーな目に遭った富夫に泣きつかれたことで巻き込まれます。ある種、本作の一番の被害者です。

 いえ、いざ富夫の惨状を見るとやはり彼をおいて一番の被害者は語れません。まずはそんなおっかない目に合わせた魔性の女とのなれそめを説明しましょう。

 相手の女の職業、というか表向きの姿は占い師です。富夫はまだ、まどかちゃんと付き合っていた頃に女のもとに訪れ、カップルの愛称を占います。そこでまさかの「お二人の相性は最悪です」と驚異の宣言をし、まんまと富夫を寝取ります。富夫の方は美しい占い師に一目ぼれですが、女の方はどうも富夫の首に恋をしたようです。「とってもセクシーだから取ってもいいでしょう?」と生首を頂戴しようとする女の頼みに、ピロートーク中の比喩か何かだと思った富夫は快く了承します。

 

 大方の予想通り、富夫は本当に魔女に首を狙われます。おまけに『地獄先生ぬ~べ~』での玉藻と違い、かなりねちっこく残忍な方法で首を奪いにかかります。その方法と、その攻撃を必死に耐える富夫の様こそ、本作の最大の魅力です。これまた大方の予想通り人外の存在だった女の方法は、魔法というか呪術に近いもので、富夫が丁度、魔女からプレゼントされていたハイネックを境界に、髪の毛で首を切断されます。しかし、切った瞬間こそあっという間でしたが、魔女の攻めは『名探偵コナン』の初めての殺人事件のようにあっさり終わるものではありません。何と首が斬れているのに富夫が生きているのです。細部がどうなっているのかは分かりませんが、富夫は腕で首が離れないように押さえつけている間は、まだ一命をとりとめている状態なのです。表紙で見せていた「叫び」のようなポーズは首が離れないように押さえている姿で、タイトルにある「赤いハイネック」は首から流れる血で染まったものだったのです。

 このシーンはかなり衝撃です。首を抑えて、泣きながら自分を鼓舞している富夫の無我夢中な雰囲気と緊迫感は潤二作品の中でも一二を争います。ただ、割とすぐに潤二作品特有のカオスな展開に早変わりします。元凶である女が現れて、首の隙間にゴキブリやタロットカードを入れるという危機が増した状態でありながら、逆に読者の緊迫感は薄れ、ホッと肩をなでおろすことができます。そして謎の子どもたちが現れたり、まどかに刺された魔女があっさり倒れたりする頃には、これまた潤二作品特有のシュールな笑いすら起こってきます。

 印象的なシーンと残酷で奇抜な発想に加え、先生の癖まで味わえるというかなり美味しい短編になっています。

 

出典:『魔の断片』伊藤潤二 朝日新聞出版(朝日コミックス文庫) 2017年1月