35歳で事故死してしまった短編小説の名手、山川方夫の小説から「待っている女」を取り上げます。芥川賞候補にまで上り詰めた人ながら、早々に亡くなってしまったのが悔やまれるほど、彼の小説はストレートな魅力に溢れています。なじみやすい文体に、緩急の利いたショートショート的ストーリーは、現代を生きる私たちが呼んでも遜色なく楽しめるものばかりです。作者の名前ではなじみがなくとも、彼の代表作である「夏の葬列」はご存じだという方も多いのではないでしょうか。僕の使用していたモノには掲載されていませんでしたが、国語の教科書に掲載されている有名な作品です。

 

 ある男が休日に惰眠をむさぼっていると、妻が小言を投げかけてきます。それがきっかけで些細なケンカに発展し、妻は家を飛び出してしまいます。と、言っても夫婦間での日常風景のようで、男はどうせ半日もすれば帰ってくると、引き続き睡眠を優先させます。そのままお昼までダラダラした男は昼食の出前を取る為、近所のタバコ屋に電話を借りに行きます。現代人にはなじみがない文化ですが、『サザエさん』だとか『じゃりン子チエ』だとかを読んでいると時々、出くわす場面ですね。

 そこで男は自宅からも見える道路の端で、美女が突っ立ているのを目撃します。雰囲気的に誰か人…おそらくはオトコを待っているような様子です。その時、タバコやのおばさんが「彼女はもう2時間もああしている」と彼に耳打ちします。美女が待ちぼうけをくらわされている事実に男は大いに動揺しますが、さらに1時間経っても尚も待っているものですから、男の頭はもうその美女のコトでいっぱいになります。喧嘩している妻のことを忘れて他の女の事ばかり考えるとは、ふてえ野郎です。

 男はどうにも彼女が気にかかり、煙草を買うふりをして辺りをウロチョロします。流石に声をかけてはいけないと理性を働かせてもいますが、それでも煙草は増える一方です。したがって美女の待ち時間もメキメキ伸びていきます。結局、耐えかねて男は美女に声をかけます。ですが、彼が予想した通り、美女の反応は淡白で男を毛ほども意識しません。彼女が懸命に、不器用ながらも懸命に掲げている「愛」を軽んじた行為をしてしまったと、男は激しく自分を恥じます。

 

 美女にないがしろにされ、何となく場酔いしたような感傷に浸った時、男はようやく妻の帰りを待つようになります。そしていざ、帰って来た妻に今までどこで何をしていたか聞きます。そこで妻は寒空の中、永遠に道に立っていたと語ります。あの美女とほぼ同じ時間、同じことをしていたわけです。男は一体何のためにそんなことをしていたのか問うと、妻は「貴方との関係を続けられる心もちになるのを待っていた」というのです。

 混乱する男の気持ちを(当然ですが)察することが出来ずに妻はとどめを刺します。妻が言うには、ただ待っているだけの時間というのは、女にとって何の苦もなくむしろ心をリフレッシュさせるに相応しい行為のようです。ですが、世の野郎どもはそれを理解できないようで、丁度、何時間も待ち続けている妻に「こんなに長い時間誰を待っているんですか?」なんて聞いてくる暇人がいたようです。

 

出典:『夏の葬列』山川方夫 集英社文庫 1991年5月