吾妻ひでお先生は私が思う数ある漫画家の中でも随一にカワイイ女の子を描く漫画家さんです。

 快活さの中に華やかでどこか切ない感じの美少女を描く須藤真澄先生のカワイさも、おまけにもう一つ大が付くほど大好きですが、同じカワイイでも吾妻先生のそれは若干毛色が違います。

 何というかポップな可愛さの中に、女性らしいやわっこさが耽美的にある、という感じですね。それだけ好きな作家でありながら今まで何故フォーカスされなかったのか。須藤先生はもう4回くらい出てるのに。

 答えは簡単。ここで取り上げるような作風ではないからです。何というか自由な脳内をそのままコミカライズしたような破天荒なギャグマンガです。いくら奇想天外社をメインに活動してたからってキテレツにもほどがある作風です。そのため女の子が可愛くなけりゃあ読めんという意見もけっして悪口にはならないと思います。それはそれで魅力的なんですが、今回取り上げる作品は打って変わってシリアスな耽美でカワイイけども残酷な内容になっています。滅茶苦茶好きな作品です。

 

 ちなみにこの作品。古屋兎丸先生にカバーされています。漫画のカバーってなんじゃそりゃって思ってた時期が私にもありますが、最近大人気漫画の『ワンピース』がそれをやっていましたね。

 して、カバー作品ですが、オリジナルとはまた違った味わいがあり比べてみると面白いです。古屋兎丸先生のカバーは短編集『禁じられた遊び』に収録されています。ちなみに私が先に触れたのは古屋先生の方でした。

 

 少女が海からやって来た謎の機械を家に持って帰るのですが、どうもその機械は少女の欲望によって姿を変えるようです。夜食が食べたいと思ったらラーメンになってくれました。が、ボディは機械のままなので食べれません。同じく機械の高価なラジカセに化けてくれましたが、肝心の音は出せないようです。

 どうにもポンコツなロボットに少女が呆れ、もっとマシな物にはなれないのかと聞くと、ロボットは突然2人分の人型に化け性行為の真似事をします。これが少女の欲望の具現化なんでしょうか。少女はそれを見てそんなこと考えていないと激昂し、ロボットに椅子をぶつけます。

 

 少女は担任の教師に思いを馳せています。その思いを物凄くあけっぴろげに具現化されてしまったのです。その後、少女が先生を思う回想カットが入るのですが、ここがオリジナルとカバー版とで大きく異なる点の一つ目です。吾妻版は授業中にぼんやりしているところを叱られているカット。古屋版は先生が結婚するという話を聞くというカット。

 その後、今までのお粗末な変形とは打って変わり、少女そのものに変化した機械が、ナイフを手に先生を刺しに行くという展開は同じなのですが、ここでの回想だと動機が分かりやすいのは古屋版の方です。吾妻版は具体的には明らかにされていませんが、けっして叱られて腹を立てたわけではなくその欲望の源が先生への恋慕にあると察することはできます。あくまで推測ですが、いつまでも教師と生徒という関係のまま、気持ちに気付いてくれない先生にやきもきしているのではないでしょうか。

 

 で、大きく異なる点の二つ目です。古屋版はナイフを刺すと見せかけて壁に当て、先生には代わりにキッスの攻撃です。ならぬ、これじゃ口撃なんてくだらないことを言えば刺されてしまいそうなので、吾妻版の話に移りますと、こちらはしっかり先生を刺しに向かいますが、ナイフを叩き落とされてしまいます。殺意があったか、なかったか。これは大きな違いです。異なる点はこれだけではなく、自ら(というか機械から)唇を奪った古屋版に対し、吾妻版はナイフを叩き落した先生が、機械(少女)を押し倒し、迫ります。   

 その後、機械と先生が肉体関係を築くという展開は同じですが、矢印の方角というか、お互いの感情が随分変わってきます。古屋版が一貫して少女の恋慕を軸にしていることと異なり、吾妻版は複雑です。私の推測のままで失礼しますが、先生の方にも少女への気があったとなると、踏み出す勇気が足りなかった少女が機械に機会を奪われたという事になります。

 そんなことをひたすらに考えられるので、個人的に好みなのはオリジナルの方ですが、機械の描写が複雑で妖しさに拍車をかけているのは古屋版です。そもそも絵柄が全く違いますので、それだけ味わいも変わります。まあ、とにかくどっちも読んでみていただきたいですね。

 

(出典:『海から来た機械』吾妻ひでお 奇想天外社 1982年3月)