7月に入って急激に熱くなってまいりましたが、同時にイタチの最後っ屁と言わんばかりに増しているのがコロナ感染です。最後っ屁……になればいいのですが、今のところ収束して再燃してを繰り返し続け、何年もの間経済だとか生活だとかを停滞させています。危機感を感じなければいけないというのが、世論である一方、もういい加減どうだっていい。感染すればそれまでじゃないかといったような投げやりな考えも浸透しつつある現状です。


 コロナに対する向き合い方はもう、各々の自由としても、少なくともマスクに関しては外して往来を歩くことができるようです。屋内や人込みの中はまだ容易に外せないでしょうが、こんなに暑いんですから、人通りの少ないところを歩く分には存分に外そうじゃないですか! と、いっても人混みがどのくらいの人口密度から決まるのかも人それぞれですし、そもそも人によればまだまだマスクを外していい状況ではないと見ている人もいるかもしれませんし、まだまだ気軽に外して歩けるという状況ではありません。実際、私もマスクをしないで出歩くのにはまだ、抵抗感を覚えてしまいます。

 

 そんな微妙な気分の時こそ、読んでいただきたいのが菊池寛の自伝小説「マスク」です。コロナ化の今だからこそ読んでいただきたいと文春も言っているので、まず間違いなくタイムリーな作品です。

 全く違うタイムをリードしている文豪の小説が何故今になって掘り起こされたのかは、その内容を読めば自ずと理解できると思います。小説の舞台、というかこのエッセイを書くに至った経緯は、スペイン風邪の流行と菊池寛が医師から「心臓が弱っているから絶対に体を悪くするな」と念押しされたことです。勘のいい人間ならここらで作品の本幹が見えてくるのではないでしょうか。

 

 政府がバカ丁寧にマスクを配布したり、店側が原則着用を推奨したりといった強制力じみた圧は無いにしても、この時代、鋭敏に感染予防をする人間はチラホラ見受けられたようです。死んでもスペイン風邪になってはいけない、というかスペイン風邪になれば死んでしまう菊池寛もマスクは勿論、家族や使用人に不要不急の外出を制限するようにし、手洗い消毒を徹底させます。念のため言っておきますが、緊急事態宣言のマニュアルではなく、菊池寛が独自にやっていた感染対策です。

 

 さて、そんなマスク必須で窮屈な思いをしている菊池寛は街中でマスクをしていない人間を見ると、彼らの危機感のなさに苛立ちを覚えます。

 当時はマスクをする運動も活発でなく、スペイン風邪に過度におびえる小心者として見られることも少なくなかった菊池ですが、自分はいち早く状況を鑑み、対応しているインテリであると逆に胸を張ります。そして街中でマスクをする同士を見かけると密かに親愛の情を綻ばせたりしていました。


 対策の甲斐あってか、スペイン風邪にかかることなくパンデミックは収束の一途をたどります。まだチラホラ感染者はいるようですが、危機は下火。菊池寛もそろそろいいだろうとマスクを取ります。するとどうでしょう。今まで同士だと感じていたマスクをする通行人が途端に、子憎たらしい、時代遅れの小心者に感じられるのです。

 

 何というか…「あるある」ですね。世間体と自身の欲求にはさまれた結果、自分と同じ方向に傾かなかった存在に対し反感を抱いてしまう。浅ましさというか人間の弱さ。菊池寛もそれを恥じます。しかし「あるある」なのはマスクをつけることが当たり前の世の中になったり、ならなかったりを繰り返しているこの微妙なコロナ渦だからこそです。

 スペイン風邪流行時にはおそらく誰も「その気持ち分かるぜ」とは言ってくれないでしょう。まあ、菊池寛の友人と言えば名だたる文豪だとかインテリぞろいなのでマスク抜きにしてもそういった人間の感情の細かな変化を読み取ってくれそうではありますが、それでも多くの人間が共感することはないでしょう。時代を超えて、不本意な形ではありますが、ようやく菊池寛の感性に我々が追いついたようですね。

 

(出典:『マスク スペイン風邪をめぐる小説集』菊池寛 文春文庫 2020年12月)