まだまだ尽きることが無い伊藤潤二先生のストックを埋めたいと思います。というわけで作者代表作の一つ「うめく排水管」です。水の通りの悪くなった排水管は確かにズゾゾ…と不気味な呻き声を上げますが、別に本当に呻いているわけではありません。が、そんな比喩や言葉遊びをマジで実行してしまうのが、伊藤潤二先生の素敵なところです。ホラー漫画界のプリンスは一体何を詰まらせてしまったのでしょうか。

 

 本作はとびっきりの美人姉妹が主人公です。病的なまでに潔癖症の母親に育てられた二人は同じく潔癖で神経質です。わがままできつめの美人は潤二先生の十八番ですから、本作の二人ももれなく魅力的。姉貴に至っては粘着質なストーカーに纏わりつかれているほどです。古今東西ストーカーという輩は不潔で醜く描かれがちですが、本作のストーカー滑井くんは流石にやりすぎです。名前の付け方がもう妖怪と同じノリなことは良しとしても、彼の周囲の空気を明らかによどんだ感じにしているのはもはや不潔というレベルではないと思います。しまいにはプ~ンというおおよそ人間から出ていいとは思えない効果音が付く始末。とにもかくにも滑井くんは不潔だという事が嫌がおうにも伝わります。不潔・臭い・不細工の究極のマイナス要素三角形で出来上がっている滑井くんは当然、長女の令奈から毛嫌いされています。普通、バレないようこっそりつけたりするのがストーカーですが、滑井くんは堂々と彼女にアプローチを仕掛け玉砕してもしつこく絡んでくる相当なメンタルを持っています。おまけに「俺のどこが不潔なんだ?」と真顔で言う始末です。無自覚も合わさっていよいよ滑井くんはマイナス要素の黄金比を成してしまいました。平然と令奈の髪の毛を触ってくる彼はもはや単なる変質者です。よく警察に突き出されないもんですね。ひょっとしたら長女はいい人なのかもしれません。

 

 そんな滑井くんを面白がったのが妹の真理です。彼に好意的な態度で近づいて家まで誘導し、ヒステリックで暴力的な母親に引き合わせます。のこのこ付いていった滑井くんは待望のお宅訪問かと胸を弾ませますが、待っていたのは生卵の飛礫と罵詈雑言の嵐でした。「悪い夢見そう」「家が汚れる」「つべこべ言わず消えろ」とひどい扱いです。期待と緊張にわくわくしていた彼の純真を踏みにじったのはいくら滑井くんとはいえ、同じ男として許せませんが、「ナイスコントロール!」と言いながらウキウキで卵を渡す真理ちゃんに悔しくも胸がときめいてしまいます。しかし滑井くんも滑井くんで「あの妹もいいなぁ」なんて耳を疑うセリフを平然と呟いていたのでやっぱり自業自得ですね。どこにも純真なんて無かったわけです。

 

 ここで一旦滑井くんはフェードアウトします。その間、離婚した父親が娘会いたさに家に忍び込み、泥棒と間違えた母親に撲殺されるというショッキングな展開が挟まりますが、ここはスルーします。ここまで読者の恐怖は明らかに異常な母親の暴力性に引き寄せられますが、殺人を機に恐怖の攻守が交代し、遂に我侭潔癖一家が恐怖のズンドコに叩き落されます。業者に綺麗にさせたはずの排水管がまた詰まり、水の流れが悪くなる上に何だか奇妙な呻き声や悪臭が漂ってきます。父親を殺した時にべったりついた血痕も落ちず、遂に無敵だった母親は精神を病み入院します。そして、妹の真理が聞こえてくる呻き声に聞き覚えを、漂う悪臭に嗅ぎ覚えを持ったところで物語は潤二ホラーの世界に急ピッチでインします。

 

 好きな娘の排水管に入り込み、彼女の排水をぐびぐび飲むおぞましいモンスターに変貌した滑井くん。もはや臭いとか不潔だとかのレベルではなくなりました。流石に自分が人外であるという自覚ぐらいはあってほしいものですね。

 

(出典:『伊藤潤二傑作集 うめく排水管』伊藤潤二 朝日新聞出版 2013年4月)