無邪気というものは時として恐ろしいものとして描かれがちです。好奇心の赴くままやりたいようにとんでもないことを働く子どもたちを描いた恐怖は、古くはやっぱり「禁じられた遊び」でしょうか。ですが、あれは無邪気が転じて悪意や悪行に変わってしまった例であり、真の無邪気というものは悪意に転じてしまってもいけないものだと私は思います。「悪気がなければ無邪気である」というより「大人だけがその行為に邪気を見出すような行動」で恐怖を描いてこそ、無邪気というものの本領発揮です。

 

 無邪気というものは言い換えれば無知であり、世俗に疎いことが起因です。ひいてはそれが空気を読まない、気の利かない態度としてダイレクトにぶつかってきます。というわけで今回は子ども特有の疎さが巻き起こしたゾッとする短編小説、「人の顔」を取り扱います。作者はおぞましい話を描くエキスパート、夢Qこと夢野久作です。

 

 幼いチエ子ちゃんは朝寝坊の癖があり、なおかつあまり活発でない内気な子どもですが、それでも両親に可愛がられて過ごしました。仕事で父親が国を出ても、母親がその分、可愛がり、上等な着物を着せてやったり絵本を買ってやったり、活動写真にまで連れて行ってくれます。

 お金持ちだからというのもありますが、それを差し引いても恵まれた環境です。そんなチエ子ちゃんがある時、活動写真を見に行った帰り、母親に夜空に父親の顔が浮かんでいると言います。

 夜空に顔が浮かんでいるなんて、縁起でもない話ですが、どうやらチエちゃんは昔から暗闇に人の顔が見える性質らしく、壁の隙間だとか路地の暗がりだとかからも人の顔が見えるそうです。不気味がる母親でしたが、チエちゃんの口から「お母様と仲良しの保険会社のおじさんの顔が見える」と言った途端に凍り付き、チエちゃんをほっぽって走り出します。保険会社のおじさんとはただならぬ関係だったのでしょうが、そんなことチエちゃんには分かりません。

 

 哀れにもチエちゃんはそれ以降、母親から冷遇されるようになり、朝寝坊も相まって、いそいそと連日おめかししてどこかに行く母親とはもう会えません。チエちゃんが朝寝坊なのも、夜の闇から父親の顔が現れて起きてしまうからです。それを聞いた母親はチエちゃんに睡眠薬を導入し、さっさと寝かしつけてしまいます。薬の副作用で体がガリガリになるチエちゃんが不憫でなりません。多くの読者はここで母親が娘を薬で眠らせて間男を家に連れ込んでいるという事に気が付きますが、そんなことはチエちゃんは知りません。さあ、遂に父親が帰ってきます。

 

 帰って来た父親は久しぶりに家族と団らんしようと活動写真に誘いますが、母親は誘いに乗らず、チエ子ちゃんと2人で行くことになりました。読者の心に浮かぶいや~な予感は的中し、その夜、チエちゃんは母親と男がキスをしている様子を夜空から見てしまいます。多くの読者が尋常でない事態に気が付くでしょうが、チエちゃんにそれが何を意味しているのかが分かるはずもなく。男親だけあってか、不気味がった母親とは対照的に顔が見えるという話に好意的に付き合っていた父親も、キスの下りで一気に態度が変わります。ここでの豹変ぶりは読者ごしからも子ども目線で描いていて、見事な描写です。チエちゃんは父親が尋常でない怒りに包まれていることを察することはできますが、その怒りが何由来なのかは分かりません。無邪気さゆえにチエちゃんが放った最後の一言が強烈です。

 

(出典:『死後の恋』夢野久作 新潮社 2016年11月)