「ぶっ殺すと心の中で思ったならその時スデニ行動は終わっているんだ!」

 『ジョジョの奇妙な冒険』第5部でちょいキャラとは思えない濃いい活躍を見せたプロシュート兄貴の名セリフです。殺す殺すと口に出すだけ出して何もしないよりも、殺意を抱いた瞬間にその相手は既に亡き者と化している方が確かに男らしくてカッコいいです。ですが、それはあくまでフィクション内のギャングだけに通用する価値観です。現実世界でそんな危ないやつがいたら困ります。殺すなんて思わないに越したことはありませんが、こんな世の中ですし、憎たらしい人ってのは本当に憎たらしいですし、思っちゃうのは仕方がありません。思想の自由です。

 

 「死ねばいいのに」…嫌~な言葉です。この世の陰気さを一遍に担っているような重い言葉です。こんな言葉を使いたくはないですが、何度も言うように子憎たらしい人間なんてのはもうちょっと接客業のバイトなんかすれば、掃いて捨てる程いまくりますから、思っちゃいます仕方ありません。

 ですが、そういう一期一会な相手に瞬発的に抱くだけならともかく、こんな負のオーラをずっと近くにいる相手に抱くのは、ストレスが半端ではなさそうです。今回取り上げるるーみっくワールドの主人公も長年寄り添い続けた妻に上記の感情を抱いてしまいます。るーみっくワールドらしからぬ不穏な雰囲気です。

 

 何故主人公の男はここまで妻への愛想をつかしているのでしょうか。彼が小説家志望、彼女がアットホームなカフェのオーナーなんて互いに夢を追い求めるカップルから何でこうなってしまったのか。

 答えは全て、2人が結ばれ歩んだ長い年月の末にありました。妻は小さなカフェどころか何件ものチェーンカフェのオーナーとなり、億万長者。一方の旦那は夢を諦めてサラリーマンになった後、暮らしに余裕ができた(言うまでもなく妻の収入)ので脱サラし、再び小説家としての道を歩もうとしています。再び小説家としての道~なんていえば聞こえがいいですが、平たく言えば妻のヒモになり、やりたいことして過ごしているようです。肝心の小説は全く進まず、妻からも冷たくいい加減働けと言われてしまいます。

 夫の動機を雑にまとめるなら「自分は夢をかなえておきながら人の夢をコケにするな」です。逆恨みもいいとこですが、同じ土台に立っておきながら自分よりも遥かに上の実力・肩書を揃えている相手から好き勝手正論言われるほど不愉快に感じることもないので、何となく旦那の殺意も分かる気がします。

 

 そんな旦那でしたが妻が経営しているカフェで働く美人店長に夢を応援され、一気に燃えてしまいます。折れかかっていた筆もぐんぐん捗り、小説家の道は急に縮まっていきます。内容も旦那と店長を題材にしていますから、2人が合うだけネタが広がるのも必然でしょう。

 ですが、そんなこんなで書き上げた小説を妻に見せたところ「つまらない」と細かく駄目だしされてしまいます。ここで主人公の殺意が降り切れてしまい、小説内で使用しようとしていたトリックを用いて妻の暗殺を企てます。それがどういったもので、どういった結果になるかは置いておくとして、この場面で読者は主人公の殺意を後押ししていたものがやっぱり自尊心だったことが分かります。


 るーみっくワールドにおいて倦怠期を迎えている夫婦は滅茶苦茶でてきますが、最終的には夫婦の愛を再認識したり、旦那の勝手に盛り上がっていた気持ち(主に女関係)が急速に萎んだりで、事なきを得るのがほとんどです。そんな中、本作の凄いところは前者にあたるそういった家族愛的な描写が薄かったところです。強キャラすぎて可愛げがなく最後まで太々しかった妻は妻のまま、情けない旦那は旦那のまま、物語は殺人を題材にしているとは思えない程、のほほんと進んでいきます。

 

(出典:『高橋留美子傑作集 魔女とディナー』高橋留美子 小学館 2019年9月)