前回の「ハイウェイスター」の記事で丸尾末広先生の「電気蟻」を再読する為引っ張って来た『HOLY』からせっかくなので続けて取り上げます。内田春菊先生の「雨の日は嫌い」です。私も嫌いですが、それは外出時や日中だけですね。ムシムシジメジメしにくい夜の雨は好きです。家で音楽なんか聴きながらフリーダ・カーロの絵でもしばきたくなってきます。

 

 タイトルででかでかと「雨の日は嫌い」と書いて主人公のモノローグ「だってそうでしょう?表に出るのは億劫だし…」と続くメタな演出がたまりません。そんな彼女を嘲笑うように今日も雨、コマを窓枠に見立てる演出は『それ町』や『チェンソーマン』でもやっていた半王道的な表現ですが、どうせやるなら雨でやるのが雰囲気出ていいと思います。これのオリジナルって誰が何でやったんでしょう。

 

 片思い中の主人公、ソノコちゃんでしたが片思い相手の篠原君は友人の康子ちゃんと付き合っていました。その悲しい事実が発覚したのも、雨の日です。初恋の相手も事故で死んでますし、つくづく色恋に幸がないソノコちゃん。事故の時から留め具が壊れクルクル不安定な安全太郎がその初恋相手に見えてきます。そんな霊的なことを考えたり、どこかしらか霊的視線を感じてしまうのも雨の日だけです。そんな憂鬱な気持ちをノートにしたためますが、そのノートすら雨の湿気で書きにくくなっています。このようにありとあらゆる陰気な感情に雨がまとわりつき、余計湿っぽく、物語を湿気させています。そこにさらに生理だとか色恋だとか生々しい要素も加わり、本作の不快指数を高めます。

 

 初恋相手の霊が見えた気がすると不吉なことを康子ちゃんに言われたことで、本作は単なるしめっけの多い作品からしめっけの多いホラー漫画へと昇華していきます。水泳の授業中に何者からかパンツを盗まれ、そのパンツが例の安全太郎にかぶせられていたシーンの気持ち悪さは以上です。どうやったらこんな展開考えつくんでしょう。陰気な怪現象や生々しい生理現象が大嫌いな雨と共にソノコの精神をむしばんでいく様は圧巻です。そしてそして単なる霊現象で終わらないところも、春菊作品の魅力です。この世で最も生々しく陰気なもの、それは人間の悪意である。そんな教訓じみた物を胸に秘めながらこの梅雨ぜひ読んで欲しい作品です。

 

(出典:『HOLY』 角川書店 1993年12月)