親ガチャという言葉があります。あるというよりかは生まれたと言った方が適している新参者ですが、何となく軽はずみに用いりたくない不謹慎さとチャラチャラした軽さを併せ持っている嫌な言葉です。

 しかし実際問題子どもにとってどんな親元に生まれるかというのは非常に大切です。どんな才能があっても虐待されて殺されてしまっては開花するはずがありません。前々回に取り上げた「パパの歌」の隆のように親になるにはある程度の準備と覚悟が必要です。軽はずみにそれこそガチャのようにポンポン産む家庭が絶えない限りは「親ガチャ」という言葉を子供が使うことも仕方がないのかもしれません。ガチャをするのは子どもではなく親であるあたり、ある意味で非常に重苦しい言葉と言えるでしょう。どちらにせよ安易に使うことがためらわれる言葉です。

 

 今回取り上げる丸尾先生の「かわいそうな姉」はバッドエンドばかりの丸尾作品の中でも随一の後味が悪いお話です。大外れの親に引き当てられてしまった姉弟が主人公です。1933年、日本が国連を脱退したあたりの中々に切羽詰まった東京が舞台となっています。姉弟はそれぞれ腹違い、姉の母親は30という若さで亡くなってしまい、父親が新たに迎えた後妻も弟を生んでしばらくすると出ていってしまいました。

 弟は発達障害で、両親からは化け物扱いされていました。しかし後妻に逃げられるや否や姉を学校に行かせずに家事をさせ、弟を踏みつけて憂さ晴らししようとする父親の方がよっぽど化け物じみています。

 ついには金のために弟の手足を切り落とし、見世物小屋に売り飛ばそうとすらします。劣悪すぎる環境ではより固いきずなが芽生えるもので、姉はそんな弟を唯一の家族として大切にしていました。見世物小屋の話を盗み聞いた姉はすぐさま家を飛び出します。単に売るのではなく見世物小屋に飛ばすというのがアングラを突っ走る作者らしい展開です。

 その後、姉は体を売って生計を立てて弟と幸せに暮らします。事前に後味が悪いと言ってしまっているため元も子もないとは思いますが、この後非常に衝撃的な展開が姉弟を襲います。丸尾作品の醍醐味はつげ作品にも通じる街の描写です。作中に出てくる看板や雑誌の表紙など調べればきりがないほどちりばめられた昭和の世界観を見つけてみるのも本作の楽しみ方の一つではないかと思います。

(出典:『瓶詰の地獄』丸尾末広 エンターブレイン 2012年6月)