伊藤潤二先生の作品の中でも秀でて寓意性、文学的要素の大きい「道のない街」を取り上げます。本作では「プライベートの侵害」という作品全体の主体的なテーマがあり、それにのっとった様々な怪異が主人公の少女(彩子)の前に現れます。ありとあらゆるプライベートを徹底的に侵しつくす描写は「うずまき」というテーマでひたすら話を進めていた作者最大のヒット長編『うずまき』にもつながるものがあるのではないでしょうか。

 

 彩子が第一に侵されたプライベート空間は夢でした。しょっぱなから物凄いデリケートな部分に進行されています。彼女に片思いしている男子、岸本君がやたらと夢に出てくるのです。知らず知らずのうちに好きになっていたのかと思う彩子ですが、どうやら岸本君が枕もとに忍び寄り耳元で声をかけ続けていたようでした。「アリストテレス」と呼ばれているらしい催眠の一種です。当然、拒絶する彩子ですが、「直接思いを打ち明けてくれるなら考えないこともない」とまんざらでもない感じです。「アリストテレス」恐るべし。

 ところがいつのまにやら同じく夢の中に入って来た「切り裂きジャック」を名乗る通り魔に岸本君が殺害されてしまいます。同日岸本君の死体が発見されたことから、あれは夢ではなく自身の枕もとで行われたことなのではと考えます。

 それから数ヶ月後、彩子が次に侵されたプライベートは自室でした。というより部屋のどこにいても家族がこっそり覗き穴を設けてこちらの様子を窺ってくるのです。問い詰めても家族はとぼけます。自室のクローゼットに壁を突き破って侵入しておきながら「サバイバルな一人遊びをしていただけ」と言い切る弟は将来ビックになりそうです。たまらず友達の家に泊まりますが、長居しすぎて今度は友達から「私も自分一人の時間がほしい」と追い出されてしまいます。これ以上当てにする友人もいない彩子は親しかった玉枝叔母さんのもとに家出を決行します。というわけで彩子は玉枝叔母さんの住む小里町を訪れますが、ここから物語は日常的な怪奇から完全な異空間を舞台にしたストーリーに転換します。簡潔に言うなればそこはプライベートというものが完璧に喪失した世界です。

 まず小里町には道が存在しません。タイトルにあった道のない街は小里町の事だったようです。道がないという事は公共の場がない、誰でも自由に出入りできる場がないという事を指します。本来道があるべきである場所は密集した住人たちが違法に立てた家で覆われています。通るにはそれらを通り抜けなければいけないわけです。鍵をかけるなんて非協力的なことをすれば、壁を壊されてしまうため家の中には次から次へと赤の他人が入ってきます。ためらう彩子も同行者に案内され仕方がなくついていきます。町の人々は全員が仮面をかぶってせめてものプライベートを守ろうとします。何とか叔母さんのもとにたどり着いた彩子でしたが、出迎えてくれたのはパンツ一丁で仮面もしていない叔母さんの姿でした。プライベートというものにこだわるのをやめ、ありのままむき出しの生活をする決心をしたようです。

 

 ここから二、三の事件が起きて彩子は命の危機を迎えるのですが、それは今回は置いておき、魅力溢れる小里町の話をしましょう。小里町は先述したようにプライベートがどこにも存在しない空間です。存在しないのはけっしてプライベートが破壊されたからではなく、むしろ逆で守るべきプライベートが増えたからであることがこの話を通して分かります。プライベート空間のキャパシティがオーバーし公共の場を圧迫し始めているのです。

 ですが、当然プライベートの崩壊に一躍買っているのはプライベートを侵略する面々です。現実世界でも有名人のプライベートが知る事だけを趣味にしているような人々もいるわけですから。小里町でも壁に張り付いて家を覗く存在が大勢現れます。奴らは全員顔が歪に膨れ上がり、目が凄まじい量付いている異形として描かれます。どれだけ目を増やしても覗いている家が同じだったら意味がないような気がしますが。この異形の正体は最後までなぞのままですが、ひょっとすると明らかに様子がおかしくなった彩子の家族が最終的にこうなってしまうのかもしれません。異形というより進化形態かもしれないですね。弟は本当に将来ビッグになってしまうのでしょうか

 体調が悪い時の悪夢のような街、小里町。絶対に住みたくない街第一位ですが、私の説が正しいとなると彩子の出身地も直に道のない街になってしまうのかもしれません。

 

(出典:『伊藤潤二傑作集6 路地裏』伊藤潤二 朝日新聞出版 2011年3月)