短編漫画を読んでいると、時々非常に似たテイストのお話に出会うことがあります。といっても当然それが同じような展開になるわけではなく、同じようなテーマでも作者によって強調するポイントや問題の解釈などが、がらりと異なります。ものによってはちょうど光と闇のように話の印象自体が大きく異なるものがあったりしていて、そんな作品を比べたりしてみるとまた面白いです。今回取り上げる高橋由美子先生の短編「ポイの家」は家族の思い出と物品を背景にヒューマンドラマを描いています。るーみっく全開のコメディ作品ですが、同じテーマをホラータッチで描いているものを以前、このブログでも取り扱いました。

 カラスヤサトシ先生のホラーオムニバス『おとろし』の中の一作「知らない皿」です。このエピソードはある一般家庭の主婦の家の中に全く買った覚えのない皿が増え続けるお話でした。この話の肝は以前述べたように、皿が増えることではなく、たかが皿だと気にも留めない家族とお皿を一つ一つ回想しながら、問題に執着する主婦にあります。主婦にとってお皿を手に入れた経緯はそのまま、家族との思い出だったのです。私は知らない皿が増えているのではなく、思い出の皿が消えていっているのではないかと推測しました。娘が最後に呟く「お母さんが知らないお母さんになっちゃった」というセリフからも本作はひょっとするとアルツハイマーを揶揄した作品なのではとも考えました。何にせよ、本作では家具が家族の象徴として描かれています。

 

 高橋留美子先生の「ポイの家」ではお皿ではなく、旦那が旅先で集めている奇妙な民芸品の数々こそ思い出の象徴です。「タイガーバームガーデン」が大好きな旦那様は非常に私と気が合います。私も旅先で必ず一点は小物を購入するのですが、必ずと言っていいほど置き場に困ります。旦那様も大量に購入するのはいいのですが、お面や人形のような小物とは言い難いものばかりで置き場に困り、しょっちゅう奥さんに捨てられています。捨てられるたびに部長さんは拾ってきての繰り返しです。少し前にコレクションを捨てられることのつらさを語りましたが、るーみっくコメディではそれほど悲壮的な問題ではないみたいです。


 このお話はそんな旦那様に家の前をゴミ捨て場だと勘違いされた哀れな夫婦を描いたお話です。しかも旦那様は夫の上司、部長なのですからたまりません。ゴミ捨て場であることを言うに言えず、奥さんが捨てて、部長が回収してを繰り返し、夫婦は宝(ゴミ)を一時的に預かる中継ポジションについてしまいます。とことん不運ですが、遂に事態は最悪なことになります。同居している義父が気を利かして宝(ゴミ)を全て業者に持って行かせてしまったのです。夫婦は無謀だと分かっていながらも、ゴミが集まる東京の「夢の島」に向かいます。

 そこで目にしたのは、漁り慣れた手つきで宝を見つける部長と奥さんの姿でした。見つけるたびに夫婦で旅行した思い出を回想しますが、いまいち記憶が定かでない部長と正確に記憶している奥さんが対照的に描かれています。妻との思い出をものに託し、大切にする部長と大切な思い出として胸の中にはっきりと留めている奥さんは形は違えど、どちらも愛にあふれています。誤解は解け、問題は解決し、宝(ゴミ)の回収も全て行い物語は無事ハッピーエンドへと舵を切ります。

 家族の思い出を物で示すというテーマや家族はまったくその物に愛着を湧かせていない点は共通する2作ですが、家族とどのように向き合っているかによって大きく話の展開が異なりました。思い出というものは何より一緒に紡いだ相手とデバイスが繋がっていればいくらでも再生できるのかもしれません。


(出典:『高橋留美子傑作集 Pの悲劇』高橋留美子 1994年3月)