「わたしのお父さん」という言葉と言えば、連想するものは小学生の作文です。小学生が主人公の作品なら、まず描写されるシーンです。印象的なのは『じゃりン子チエ』でしょうか。例に漏れずこの作品も小学生女子が自分のお父さんについて書いた作文のお話です。作者は『フリージア』の松本次郎先生。つまり小学生が主人公ですが、暴力とSEXにまみれた作品です。

 冒頭でも述べましたが、この作品は小学生女子の作文で構成されています。何だか最近、そういった作品ばかり取り上げているような気がしますが、本作は子どもでありながら大人顔負けの内容で、無邪気な口からドラッグやらおやじ狩りやら物騒な言葉が飛び出てきます。平凡なサラリーマンであるお父さんの家庭は荒み切っていて、新興宗教にハマり家のお金をバンバン使い込むお母さん。万引き常習犯の不良で、同じくガラの悪い彼氏と未成年でありながら性行為をしているお姉ちゃん。小学生女子にはあまりにも教育に悪すぎる家庭環境です。淡々と作文に書き込まれた家庭環境が担任の先生を絶句させます。


 そんな家庭を支えるべく会社にせっせと通うお父さんは度々おやじ狩りに会い負傷して帰ってきます。この世に神はいないのでしょうか。小学生の娘は家庭の為にありとあらゆることを我慢して、我慢して、我慢して毎日を過ごす父親を大好きなようです。絶句していた担当の先生も父親と娘の家族愛に涙を流します。しかし少し前に取り扱った仁吉さんでもない限り、我慢が続くことはありません。どこかで発散しないとお父さんだって壊れてしまいます。一体どのようにしてお父さんはストレスを発散させているのでしょうか。娘も母も姉も、その衝撃的な解消法を知るものは一人もいません。ネタバレになる為、ここでは明かせませんが、家庭にストレスを持ち込まないお父さんは確かに扶養者の鏡と言えるでしょう。


(出典:『善良なる異端の街』松本次郎 Bbmfマガジン 2010年1月)