人間には気が長い人と、気が短い人がいますが、そのどちらも結局は心の中にストレスを入れておく樽を持っているのです。ようはそれが大きいかとか、一度のストレスで入る量の水が違うだけで、いつか溢れることは変わりません。しかし今回取り上げる作品に登場する仁吉さんはタイトルが表しているようにその底が抜けているのです。入っていく水は川が大河に流れていくように、するすると流れていき、ストレスとしてほんの少しの間にも、心の樽には残りません。

 社会や人間を皮肉った内容の多い異色短編集はその特色もあって、見ていてもやッとするする作品も多いですが、本作のそれはぶっちぎりだと思っています。もやッとするを通り越して、何だか不気味な感覚を覚える程です。仁吉さんの代わりに読者の方にストレスが溜まっていきます。


 仁吉さんが受けた理不尽の数々は、場合によっては民事裁判にもつれ込んでもいいほど、ひどいものばかりです。貸したお金は返ってこない、麻雀の為に定時で上がりたい同僚に残業を押し付けられる、挙句の果てには浮気女に間男代理にされ、怒り狂った彼氏にボコボコにされるという理不尽っぷりです。彼の務める会社は性悪しかいないのでしょうか。仁吉さんの度が過ぎているお人好しっぷりに最初は呆れていた後輩も、途中からは逆に高貴なものを感じ、仁吉さんを神格化します。屋台の親父、街娼の女、その連れのチンピラと一緒に仁吉さんに手を合わせる場面は泥酔しているとはいえかなり異常です。


 その際、仁吉さんはこの世は遺伝子と環境によって万物がなるようになった結果の為、誰かに怒ったりするのは間違っていると哲学的な持論を展開させます。その手の話は苦手なのでよく分かりませんが、ソクラテスのイデア論みたいな感じでしょうか。私と同じく頭の悪い面々はこの説にいまいちピンと来ていませんでしたが、とどのつまりは仁吉さんは寛大なのではなく、全てを肯定しているのでそもそも腹を立てる道理が分からないという事でしょうか。確かに何だかとてつもなく立派な人に思えてきました。

 仁吉大明神のお人好しエピソードはどれも凄まじいですが、中でもすごいのは例のボコボコにしてきた彼氏に、間男でもないのに月一で慰謝料を払っていることです。その結果、今でも彼氏と交流のある仁吉さん。この奇妙過ぎる縁が本作に壮絶に皮肉が聞いたオチを持ってきてくれます。もはやどこにメッセージ性を感じればいいのか、そこらかしこに問題提起をしているようで眩暈がしてきます。とにかく読んでまずは一つのマンガとして気味の悪すぎる雰囲気を浴びてほしい作品です。


(出典:『ビッグコミック×藤子・F・不二雄 SF短編集 上巻』藤子・F・不二雄 小学館 2009年4月)