楠勝平先生の短編集は滅多に刊行されず、最近になってようやく山岸涼子先生の選出でちくま文庫から出された短編集を除いては気軽に入手できる代物ではないのですが、誕生日プレゼントとして兄に購入してもらい入手することができました。ありがたい!

 

 『おせん』という、青林堂(いわゆるガロ)に掲載された傑作集の中の一冊を講読した次第ですが、これがまたどえらい傑作ばかりでして、その中から一片取り扱います。

 

 時は江戸時代。庄造という一人の男が実家の団子屋に帰るところから物語は始まります。この庄造という男は働いて独り立ちしてこそいますが、三か月に一度くらいのペースで安らぎを求め、実家に帰省しています。頻繁に顔を出している庄造でしたが、その日はたまたま後の月(中秋の名月の後にあるもう一つの名月の日)で、兄妹一同が顔を出します。

 庄造の後に来た兄妹たちはもれなく伴侶と子どもがいて、独り者は庄造のみです。幼い子供、庄造にとっての甥っ子たちの面倒を見たり、じいじの膝を取り合って喧嘩する姿に癒されたりしながら、庄造一家はこの上なく優しい空気感に包まれます。見ているこちらまでほっこりです。

 

 何気ない会話、何気ない光景ですが、一つのページにめまぐるしく起こる小さな出来事の数々は非常に鮮明に描かれていて、一々目に留まります。そして、幸福感や目まぐるしさと共に、ある種の無常観を覚えます。 そんな読者たる僕と似た思いをひっそりと抱いているのが、他でもない庄造だったりします。

 

 庄造は目の前に広がる光景に癒されながらも、この子どもたちは一体誰なのだろうかという疑問が常に頭の隅によぎり続けます。甥や姪であることは百も承知なのでしょうが、庄造は所帯を持った兄弟たちと同じ空気感にはいられないのかもしれません。実家に帰って得る安らぎと同時に、庄造は時に何だか分からぬ不安を覚えると語ります。それが自分だけ独身という立場から来るものなのかは分かりませんが、庄造はそういう時フッと、自分は32,3歳になったらどこかに消えてしまうのではと思うようになるのです。

 

 こういう未来に対する薄ぼんやりとした不安や虚無感は痛いほど分かります。お金とか所帯とかそういうのでなしに、今この瞬間が少しづつ変わってきているという現実に心が追いついていないのだと自分なりに考えています。庄造は同じようなことを、13歳くらいの頃にも思ったのだと言います。子どもでも大人でもない思春期の時期。変化の歳。30代というのはよもやそういう第二の変化の歳になってくるのかもしれません。あと5年ありますが、何となく今からその心持を思うと安らかになれません。

 

 この本を買ってくれた兄も同じく独身で、この年には30を迎えます。そんな時、兄がどう思うのかは分かりませんが、所帯を持って変わるものなのか、仕事を充実させて金銭に不安が無くなれば変わるものなのか、それすらも分からぬ未来という奴の不安。何だかぞわぞわとくることを再認識させられたお話です。

 

 途中、団子の材料が切れたので、お使いを引き受ける庄造ですが、その帰り道に気まぐれで子どもの縄跳びに混ぜてもらいます。回る縄を飛びながら、うっすらと消えていく庄造の演出が滅茶苦茶に匠です。流石、楠先生。

 変わっていく周囲とは裏腹に、いつまでも停滞している自分という葛藤自体は、頻繁に創作の糧になります。阿部共実先生の名作『ちーちゃんはちょっと足りない』なんかもそれに代表される作品です。しかし、何か事件が起こったり、その葛藤を言葉形にするそれらの作品と、あくまでぼんやりと浮かべるだけで至って穏やかに過ごす本作とはまた違った趣があり、そこが却って僕の胸を打ちました。とんでもない名作だと思います。

 

 

 

★本日の一枚

6.“Understanding” The Gayladds

 

1973(Ballistad)

 

 

 レゲエグループ、ガイラッズの3rdアルバム。非常にノリが良く、ヴォーカルの伸びも気持ちが良い名盤です。名門チャンネルワンとキング・タディーズ・スタジオで収録されていて、後半のダブミックスもステキです。