「鏡に映る自分に喋りかける」「何もない真っ白な部屋に閉じ込められる」……。やってしまうと自我が崩壊すると言われている行為は幾つかありますが、一説では「夢の中の出来事を日記に記す」というのも危険な行為であると、どこかで聞いた覚えがあります。ですが、今回取り上げる安部公房の『笑う月』という単行本は、作者の夢についてまとめた内容になっていて、夢の出来事が他多数まとめられている…日記に記しているも同然という作品なのです。

 そもそも夢日記がいけない理由は「夢と現実の境界があいまいになり、区別がつかなくなるから」ということなので、安部公房ほどの鋭い洞察力があれば、問題はないのかもしれません。タイトルの『笑う月』はそんな安部公房が悪夢でよく見るイメージから来ています。直径1メートル半ほどの満月に追いかけられる悪夢をよく見ていたらしく、公房はこれを最も恐ろしい悪夢、「自分の中の恐怖の象徴」としていました。マリオにもそんな敵いましたよね。

 

 一部の方には教科書でおなじみの「鞄」も収録されている大変な名著なのですが、今回はそんな夢のお話したちの序盤を飾った睡眠に関する話を取り扱いたいと思います。近頃は睡活という言葉も生まれ、睡眠の質を向上させることがトレンドの一種となっています。まだヤクルト1000もGABA100も無い時代に、公房が編み出した睡眠導入法とは何か、ぜひ見てみましょう。

 

 まず西部劇に登場するような広大な荒野をイメージします。続けて、あなたはそこを馬で駆け抜けるネイティブアメリカンだとイメージします。グングンと突き進むあなたでしたが、途中で深く深く切り立った崖に直面し、立ち往生します。仕方なく岩の木陰で休んでいると、崖を挟んだ対面に白人の保安官が大勢現れます。さあ、ここからが本番です。

 あなたは腰を上げ、突如現れた敵対勢力を打倒するべく弓をつがいます。矢筒から取り出し、弦にあてがい、引き、狙いを定めて放つ!……あなたは弓の名手であり、狙いを外すことは絶対にありません。百発百中。矢は保安官の体のどこそこに突き刺さり、彼らは一人また一人と倒れていきます。このイメージを眠るまで続けるというのが、公房直伝の睡眠導入法になります。要するに羊を数えるイメージをより鮮明に、自分自身のアクションとして行う感覚でしょうが、これが公房が試行錯誤した中で、一番スッと眠りにつける方法らしいです。天才が考えることは睡眠一つとっても違いますね。

 

 ただ、この方法もあくまでイメージですから、ひょんなことで損なわれてしまうと一気に効力を無くしてしまいます。公房の場合は、ある日うっかり(というか無意識に)矢の先端が曲がり、こちら側を向くというイメージをしてしまったことから、先端恐怖症である彼はこの先、矢のイメージができなくなってしまいました。よって、画期的かと思われたこの方法はおくらとなってしまいます。

 

 「なんか丸い武器ってないだろうか?」とお茶目な質問をしてくる公房でしたが、彼は眠れないよりも、覚めないことの方が実は厄介なのだと、また違う夢の話を持ち出します。ホテルのロビーで人を待っている公房は、ロビーの椅子でひと眠りすることになります。そして、いつも悪夢に出てくる常連のバケモノに追いかけられる夢を見てしまいます。あちこち逃げ回りながらも、これは夢であると気づく公房は手の甲をつねってみますが、ゴム人間のようにみょーんと伸びるだけで痛みもなく、夢も覚めません。

 逃げ続けた折に橋まで来た公房は、再度これが夢であると確認すると、水が引いて砂利の身となっている川に身を投げます。これで覚めてくれるかと思っていた公房でしたが、未だ夢は続き、公房の体は橋の下でゴムまりのようにバウンドし、橋の上の怪物や川で遊んでいたガキンチョどもに笑われてしまいます。公房はムスッとしながら、そこを離れ、ホテルのロビーに戻って改めて人を待ちます。で、予定通り人と会って床につきます。その間、手の甲をつねると痛みがありました。公房は、夢と現実の境も分からない間に、悪夢から覚めていたのです。

 

 「夢日記を書くと夢と現実が~」と言った手前、さっそくその境が分からなくなっている公房でした。僕は子どもの頃は悪夢を見ても、夢と気付いて瞬きすれば必ず目が覚めていたのですが、最近は夢の中で必ず同級生や家族が登場するせいで中々夢であるという前提に気づけません。夢ってやつは眠りが浅いと見てしまうものらしいので、やはり睡眠の質を上げるってのは大切なことなのかもしれません。僕の場合は、枕元にオーディオを置いて超小さい音で音楽をかけるとよく眠れるのですが、それ以前に食生活が悪く血糖値が上がって寝落ちすることがしょっちゅうです。睡眠の質の前にまず、生活の質をあげねばいけませんね。

 

出典:『笑う月』安部公房 新潮文庫 1984.7