「玉音放送」について | 日本の未来を考える

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昭和20年8月15日、いわゆる「終戦の日」にラジオ放送で流された「玉音放送」。昭和天皇の声(レコード盤録音なので玉音と呼ばれる)で、終戦の詔が発せられました。

正式名は、「大東亜戦争終結ノ詔書」(終戦詔書)です。

参照:「玉音放送」Wiki
http://www.weblio.jp/wkpja/content/%E7%8E%89%E9%9F%B3%E6%94%BE%E9%80%81_%E7%8E%89%E9%9F%B3%E6%94%BE%E9%80%81%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81


「朕深く世界の大勢と・・・」で始まります。
漢語調なので、一般国民には理解しづらかったかも。

玉音放送1

最後までこまかく修正していたようです。

玉音放送2

昭和天皇(裕仁)の署名と御璽。

玉音放送3

内閣総理大臣・鈴木貫太郎以下、各大臣の署名。

玉音放送4



この詔書の主題は、
日本がポツダム宣言を受諾し、連合国に降伏すること」です。

ところがそれ以外の部分に、かなりの分量が割かれています。
これはどういうことなのでしょうか?

主語が「朕」なので、つい天皇陛下ご自身の筆だと思いがちですが、

実は、この詔書を作成したのは、昭和天皇ではありません。

大筋を決めたのは、内閣書記官長・迫水久常。
それを元に起草したのは、漢学者・川田瑞穂(内閣嘱託)。
添削したのが、安岡正篤(大東亜省顧問)。

こんな感じです。

玉音放送5


どこの赤ペン先生だ!?(゚ ロ ゚ ; )

というほど壮絶な添削が行われていたのが分かります。

彼らが書きあげたものを昭和天皇が裁可され、
その内容を最終チェックする閣議(第七案まであった)が行われました。
そうした過程を経て完成したのが「終戦詔書」です。

つまり、政府(軍部)の都合が良いことを書いているわけです。

ああ、なるほど

と思いますよね。

一部のネトウヨたちは、この終戦詔書を引き合いに出し、大東亜戦争を正当化しますが、とんでもない。

だって、戦争指導者たちの「言い訳」を並べただけですよ。(´・ω・`)

もちろん、昭和天皇の裁可があったことは事実です。
ですが、当時、統帥権干犯(天皇形骸化)され、政府が権力を握っていた状況であったことも事実です。

戦争指導者たちがどんな人間だったか

参照:

戦争の証拠隠滅


政府は、戦争終結直前、全国に「戦争関連書類」の焼却を命じています。
要するに、「
不都合な事実を隠せ」と。

何ということを・・・・(゚ ロ ゚ ; )

これ、国家的犯罪ですよ。
米国は公文書を厳重に保管(50年後に公開)しているからこそ、当時の状況を検証できるのですが、日本では、その貴重な公文書を焼却したのです・・・政府の「保身」のために。

言い換えれば、「日本の歴史を消してしまった」のです。

さらに、こんな通達を出しています。

戦後社会の世論の取り締まりを厳重にすること
国体を護持し、臥薪嘗胆の志で処すること
敗戦の責任は国民全体にて負うこと
軍および政府に対する戦争責任追求の論議は取り締まること


「終戦詔書」と同じ思想です。

つじつまが合いますね。(´・ω・`)

つまり、「玉音放送」とは、「敗戦のお知らせ」と同時に、

政府の責任回避の目的もあったのです。


当時の戦争指導者たちにとって、いかに己の保身が優先だったのか・・。
情けないですが、

これが「事実」なんです。

こういう事実を見ても、

・あれは自衛戦争だった
・戦争指導者達は悪くない
・「従軍慰安婦」は存在しない(証拠書類がない)

などと堂々と言う人がいますよね。


・・・・・
・・・・・
・・・・・

まあ、「都合が悪いモノ」は全部燃やしちゃったからね (´・ω・`)
昭和天皇に「自分達に都合の良い話」をさせちゃったからね (´・ω・`)


ちなみに、アベ総理の祖父・岸信介元総理はこう語っています。

参照:YUTUBE動画
http://youtu.be/Pp-ocj8TrDU

(先の大戦は)当時の状況から言っても、”侵略”でしょ」

岸信介は、開戦時の東条内閣の閣僚でした。
その当事者が「侵略だ」と証言しているわけです。

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歴史に学ばない国は必ず滅びる」 と言います。

先の大戦を「美化」し、歴史の真実を覆い隠してしまえば、「教訓」は得られません。

「日本は悪くない

「日本は正義の国だ

「祖先の名誉を貶めるのは許さない


彼らは事実から目を背け、仮想的自己満足を得るのが望みなのでしょうか?(´・ω・`)

同じ過ちを繰り返さないこと。


それこそが、戦争で亡くなった祖先に報いる道だと私は思います。