報道の自由 その1
メディアは、「偏った報道」、あるいは「報道しない」自由を行使するのです。
例えば、今なら「FIFAワールドカップ」。
開幕前から連日、好むと好まざるとに関わらず、「これでも食らえ!」とばかりに視聴者に投げつけられます。
その結果どうなるか
「世相を斬る」 あいば達也ブログより引用、加筆~
http://blog.goo.ne.jp/aibatatuya/e/802e596a8435e68b016aa80b61b7abfd
マイナビ調査によると、SNS(ソーシャルメディア)上で発信された「サッカー関連」比率は、全体の37%にのぼった。
世界230カ国中、日本はダントツの1位(笑)。
ちなみに、2位・英国11%、3位・ブラジル9%、4位・ドイツ8%、5位・米国8%とつづく。
NHKなんてのはサッカー専門チャンネル状態だから、嫌でも日本代表のサッカー話を根掘り葉掘り聞かされる。しまいには、「今日穿いてるパンツの色は?」と訊いてしまうのではと心配になるほど国民をサッカー漬けにしている。
放映権料(400億と言われる)に見合う視聴率を取らないと幹部の首でも飛ぶのだろうか。
どの国でも、メディアは大衆を一定の方向に向かわせておく習性があるが、わが国の場合、異常な形で、大衆を一体化させる民族性があるのかもしれない。
(現在の世界には)WCサッカーどころではない深刻な情勢がある。
ウクライナ情勢、中東、東欧、アフリカなど深刻な問題を抱えており、サッカーに浮かれる気分ではないのだろう。
にもかかわらず、わが国だけがダントツの異常値(37%)を出している事実をどう受け止めるべきか。
民族的に、「空気」にあらがうのが困難な国民である、と免罪するのは容易い。
しかし、外交防衛、国家安全保障への意識が、同じ調子で「空気」によって簡単に左右されることは何を意味するのか。
「世間の空気にあらがう勇気はなかった」と戦後、日本人の多くが口にしたが、その反省の影もなく、今後も繰り返されるかもしれない。そうなれば、「げに恐ろしき民族性かな」と世界から見られるだろう。
「福島原発の放射能は、私のコントロール下にある」
安倍晋三が五輪招致演説で述べた言葉が2020年夏季五輪を決定づけたが、同時に、「嘘つき国家」をも決定づけた。
五輪はたった一ヶ月程度のお祭りだが、「嘘つき国家」の汚名は永遠に残る。
世界秩序が危うく、各地域でやばい状況が起きている。
サッカーの話題なんて、試合放送中だけで良いじゃないか。
世界全体の状況を見つめ、今、何が起きているのか真剣に考えないと・・・
後になって「青天の霹靂」なんて言い訳にもならない。
~~~以上、引用終わり。
メディア全体(特にNHK)の「偏った報道」により、「考える力」を奪われてしまう日本人。
まあ、戦後の「3S政策」を忠実に実行しているとも言えますが。
次、「報道しない」自由について
先日紹介した、「集団的自衛権反対デモ」。
全国各地で多くの参加者があったようです。
(6月17日、東京、日比谷野外音楽堂)
約5000人の参加者は、この後、国会へ向けてデモ行進した。
元自衛隊員の井筒さんは語った。
「国会を解散して、選挙で国民の審判を仰いだうえで、正々堂々と憲法改正すべきだ」
(毎日新聞記事より)
6月6日、東京銀座の目抜き通りを、約200人がデモ行進した。
「4歳の長男が、将来、戦争に行かされて、人を殺したり殺されたりしたくないので参加した」
他にも、全国各地で反対デモが行われましたが、これらの様子をしっかりと伝えたのは、毎日、朝日、東京新聞です。NHKは、1分程度(アリバイ作り?)流していましたね。
「原発再稼動」も賛成、「集団的自衛権」にも一貫して賛成のスタンス。
アベ政権の目下のアキレス腱は、「集団的自衛権」です。
もし反対デモを報道すれば、国民が「おや?」と思うかもしれない。
やがて大きな国民運動になってしまうと、困るのはアベ政権です。
読売は、「報道しない自由」を行使して、不都合な情報を遮断し、国民から「考える力」を奪う。
”アベの応援団”として、役目をきっちり果たしているのでしょう。
分かりやすい構図ですね。(^∇^)アハハハハ!
メディアとしては、「失格」ですが。(´・ω・`)
中国政府は、6月5日の「天安門事件」に関する報道を規制しました。
ネトウヨたちは、こぞって中国の閉鎖性を批判しました。
だったら、「読売」も批判しなきゃ。
え?中韓に強硬姿勢の「読売」「産経」は批判しちゃダメなの?
なんで?中国の「新華社通信」と一緒ジャン、「読売」なんて・・・。
( ̄ヘ ̄;)ウーン
「読売・産経」が、”ネトウヨ御用達”と呼ばれるわけですね。
ちなみに「読売新聞」は、昨年から50万部も部数を減らしています。
”政府は絶対擁護”、”政府に都合の悪いことは報道せず”というスタンスゆえに”ゴミ売り”などと揶揄されてしまうのでしょう。
渡辺会長をはじめ、報道部長らがアベ首相との会食を繰り返している時点で、
「メディアとしての役割を放棄している」と見なすには十分でしょう。
かつては最大部数を誇った政府の御用機関紙・「読売」。
”大本営報道部”が、国民から見限られる日はそう遠くないと確信します。