日本無責任時代 | 日本の未来を考える

日本の未来を考える

旧ブログ名:NHK朝ドラ『梅ちゃん先生』、『純と愛』批判をメインにしたブログ。リンクはご自由にどうぞ。

喪中なので新年の祝いは控えさせていただきますが、

今年もよろしくお願いします。m(_ _)m


私が読者登録しているエボニー様のブログに、拙ブログが紹介されていてビックリ!Σ(゚ ロ ゚ ; )


参照:♥マイケルは愛のメッセンジャー♥


むしろエボニー様のブログがおススメです!いろんな情報がありますヾ(・∀・)ノ


私は昨今の社会情勢を観て、「日本が危ない、変な方向に向かっている」と本能的に感じました。

自分でいろいろ調べ、意見や感想を述べています。もちろん異なる意見も参考にしています。

神様でない以上、間違いがあるのは当然ですから。(注:HNは神様です。すみません)。

そういうわけで・・・


今年も、謙虚に自己反省しつつ、堂々と意見を書いていくつもりです ( ̄ー ̄)


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さて、面白い記事を見つけたので紹介させていただきます。

少し古いエントリーですが、なかなか興味深いです。


参照:日本無責任時代

http://blogs.yahoo.co.jp/dricamenenguetti/50959714.html


『歴史を改ざんし日本の都合のいい日本の近代史に作り上げる「歴史修正主義者」という名の国粋主義者』より引用


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歴史は動かない巨大な岩みたいなものだ。しかし人間は有史以来、この歴史を散々いじくりまわしてきた。世界史も日本史も動かぬはずの岩を人間は勝手に空想で動かしてきた、まさに歴史とは人間が作ったもので現実にあったこととは別の次元の空想の産物かもしれない

日本の近代史は特にその傾向が躊躇で、まず歴史が動いた瞬間に熱烈な愛国者が後世の人間のために事実を全てを日本有利に解釈して書物に書きとめた。書く人間はそれは事実とは異なるという意識は毛頭無い、日本から見て正しいと信じたことを書いただけである。でも相手から見れば日本人とは同じメンタリティは持たないからそれは違うと呆れてしまう、日中戦争などは特に書く人間に日本人慰留民保護という固定観念があれば、どちらが先に攻撃したかというステレオタイプの解釈しか出ない。

なぜ日本人が満州を出て一般民間人が中国大陸にいたのか、その背後に控える巨大な日本軍の目的は何かという疑問がそっくり抜け落ちている。この事実を当たり前だと考えるのは典型的な歴史修正主義の右翼である、中国の権益は日本のもので欧米が口を出すのは泥棒と同じ、これは日本軍が大挙して東南アジアに軍を進めた理由とまったく同じである。歴史とは当事者が書けば多くの場合、事実ではないのはそのせいである。

歴史はどこの国でもその国を中心に書かれている。民族の持つ特有の思想で書かれるのが普通だ、したがって事実でもあり反面嘘でもある。おいしそうな食べ物が突然消えた、誰が取ったのか分からない、みんなオレじゃないと否定した。それが国の歴史だ、自己弁護は人間の本能で盗んだ本人でも、ばれたらただではすまないから100回でもオレじゃないと抗弁する。日本の歴史修正主義者はこの100回組で嘘も100回違うと言えばそれは正となると信じている。いや、元々正しいと信じているからもっと始末が悪い


~~~引用終わり


この方は、左翼ではありません。

サブタイトルにあるように、右翼も左翼もぶった切っています

歴史的事実を直視せよ!というスタンスだと解釈しています。


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自分たちを美化し、正当化するのは、古来より、どの国や民族でも行われてきました。

ナショナリズムは、国家形成上の必要条件です。記紀(古事記、日本書紀)などの神話は、国家の正当性を主張するために作られたものです。


ですが、歴史に学ばない国は必ず滅びます。


・歴史的事実を歪曲すれば、歴史の教訓が分からなくなる。

・過去の失敗を知らなければ、同じ過ちを繰り返すことになる。

・同じ過ちを繰り返すのは、愚かなことである。


私はそう考えています。


多くの英霊の犠牲の上に、今の平和があると言うのならば、教訓を学ばねばなりません。

「臭いものにフタ」、「敬えばそれでいいだろ」的な行為が、先人達の死に報いることだとは思いません。


靖国参拝問題も同じです。

「お墓参りするのに、外国からとやかく言われる筋合いはない!」という単なる精神論で片付く問題ではありません。参拝の裏に、誰かの思惑があるのではないか?と疑ってみる視点が必要だと考えています。


長くなったので、続きはまた次回に!(・∀・)