『純と愛』その55 | 日本の未来を考える

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今日のツッコミは、えみりーさんにお任せしますm(_ _;)m ⇒「純と愛」ドラマ仕立て。


昨日の記事で、『純愛』を、「吉本新喜劇」に例えてみた。

里やで繰り広げられるドタバタ劇は、まさに新喜劇そのものだから(面白くないけど)。


新喜劇の場合、一話完結の舞台なので、必然的に”取ってつけた”設定になる。

登場人物が自分や状況を説明したり、全体の仕切り役が話をまとめてくれるのはお約束。

全員がボケをかますのも当然”お約束”。


きちんと「脚本」があり、ドラマ仕立てになっているのも特徴。

舞台の場所と主人公が存在し、そこに困った人、問題を抱えた人が登場する。

そんな彼らを、主人公達がドタバタしながら助けるのが基本形。


芸人たちのギャグと、大阪人独特の軽妙なやり取りと人情を織り交ぜつつ、

最後の大団円に向けて一致団結するというお決まりのオチ。


『純と愛』を観て、「コント(コメディ)として見れば何とか・・・」という言い訳するくらいなら、それこそ、


「吉本新喜劇」の方が、よほどマシ! (゚ ロ ゚ ; ) 面白いし。


『純と愛』で感動できるほど豊かな感性があるのなら、「吉本」を見れば、涙が止まらないはずだ。

同様に、このドラマを絶賛するほどの文才があるなら、「吉本」の絶賛レビューくらい朝飯前だろう。


先週の「天岩戸・自殺エピ」、今週の「DV夫・放火エピ」。

あれほど下らなかったのは、制作者が関東人だから(制作局は大阪でも中身は違う)。

純やイトシの発想(考え方)や台詞が、関東人ベースになっているのが面白みに欠ける要因。

もし「吉本新喜劇」だったら、大阪人ならではの笑いや人情で、もっと後味の良いものになっただろう。


大阪の良さが全く表現されていない。だからつまらない。


「NHKの朝ドラでなければ打ち切りではないか」という意見がある。


確かにその可能性は十分あるし、否定できない。

朝ドラは番組特性上、視聴率換算で15%程度(放送時間変更後)の視聴者を抱えている。

つまり、どんな”駄作”であろうと、その最低ラインを大きく下回ることはないのだ。


民放と競合がない時間帯のNHKの看板番組という特別な存在・・・それが「朝ドラ」。


自分のような”朝ドラ初心者”には、比較対照する番組がそれほど多くない。

前作(過去数年以内)や、他のドラマや映画と比較するしかない。

だが、朝ドラに限らず、ここまで破滅的で説得力のないドラマは記憶にない。


番組中に度々登場する、「女将のつぶやき」と「子供の落書き」。

脚本家・YU川の自虐的台詞、表現だと過去に説明した。


「悲しい音楽で泣かせようとする・・・」

「子役を泣かせればいいってもんじゃない・・・」

「噓くさい」


女将や子供にそう言わせながら、番組内でまさにそれを再現してみせる手法。
これは、「朝ドラ嫌い」を公言する脚本家の自虐・自嘲であると同時に、

視聴者へのあてつけ、朝ドラファンを小ばかにしたメッセージだと確信している。


ホラ見てみろ!

こんな噓くさいドラマでも、感動したっていう視聴者がいるんだぜ?(笑)

赤ん坊や親子のエピをテキトーに入れてるだけなんだけどな~(笑)

オレの言ったとおりだろ。朝ドラ視聴者なんて所詮この程度だよっ!(笑)


と高笑いしている脚本家の姿が見えるワテは、イトシ以上か?(・∀・;)



追記:


後半の舞台、「里や」についてふれる。


沖縄出身の上原サトの主人が生前に”愛情の証”として名前をつけたという大正区のホテル。

これも、ホテルサザンアイランド同様に”噓くさい”。

参照:ホテルサザンアイランド『純と愛』その11


沖縄が本土復帰したのが約40年前なので、サトの主人はそれ以降に上阪したと考えられる。

大阪でサトと出会い、結婚し、ホテル建設、とすれば、「里や」は築30年程度だろう。


その時代に、里やのような簡易宿所を建てられたかどうか?

さらに、「ホテル業」として府知事の認可を得られたのかどうか?


結論を言えば、不可能。


1980年前半は、バブル期に差し掛かる直前。

高度成長期に見られた地方からの出稼ぎ労働者のための”ドヤ街”の需要は減っていた。

そんな状況で、部屋に風呂・トイレなしの簡易宿所を「新築する」意味がない。

建築基準も変わっており、「ホテル業」としての認可は下りない。


里やは、内装を見れば分かるように、実際はおそらく築50年程度。

ならば、サトの主人はそれ以前に上阪していたことになり、年齢的に無理が出る。


戦後、沖縄は米国の占領下にあったという事実を忘れてはならない。


仮に戦前から大阪(本土)にいたとすれば、主人の年齢は90歳以上になる(『梅』ドラ参照)。

サトの設定が50歳前後なので、かなりの年齢差が生じてしまう。


これらの矛盾は、原作にあった普通のホテル・「グランド大阪」を、

簡易宿所・「ホテル里や」に強引に変更したのが原因だ。

(民宿・「かりゆし」を、ホテル・「サザンアイランド」にしたのと同じ構図)。


この番組が、いかにテキトーに作られたかの証左だろう。


里やもいずれ、サザンアイランド同様に、「何かの理由をつけて」取り壊すつもり(予想)なので、

「いい加減でいいや!」と思ってる制作者達の本音が見えます ( ゚ ρ ゚ ) イトシ