『純と愛』その47 | 日本の未来を考える

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旧ブログ名:NHK朝ドラ『梅ちゃん先生』、『純と愛』批判をメインにしたブログ。リンクはご自由にどうぞ。

更新遅れてスミマセン。

今日の内容も、えみりーさんにお任せ m(_ _;)m ⇒「純と愛」ドラマ。


相変わらずツッコミ処満載。さて、どうしたものか。

正直、真面目にレビューするほどの価値もないほど壊れてしまっている『純愛』。

整合性のなさ、絆を感じさせない点では前作と同じだが、不快さの程度が違う。

今となっては、「こぶ」が懐かしいとさえ思える。( ̄□ ̄;)!!


『梅』は、ホマキファンや年配者(特に男性)が、視聴者のターゲットだった。

ある記事で、”ほんわか、癒される”、”朝から(下半身が)元気になる”と紹介されたように、

制作者側の目論み通りだったかもしれない。


「苦労話より色恋沙汰」 が隠れキーワードだった。


そういう人達が、『梅』を支持していたのは間違いない。

ホマキをはじめ美人役者を並べ、男性陣もイケメン揃い。音声ナシでも楽しめる。

”内容よりもイメージ重視の関東”では、特にその傾向が顕著だった。


『純愛』は・・・ジャニヲタと家事に疲れた主婦辺りがターゲットか?(・∀・;)

朝ドラの中心層や、前作のファン層に嫌悪感を抱かせているのは確か。

ヒロインは無名、さらに相手役は気持ち悪いうえに内容も最悪レベル。

”内容重視の関西”では、特に拒否感が強いのは当然だろう。。。


「朝ドラ破壊」 がキーワードであることは、もはや誰の目にも明らか。


アットホームな場所に、イトシが存在する事はあり得ない。


省略されているが、純と愛の会話、実はかなり不自然なもの。

なぜなら、全てイトシに先読みされてしまうので、「普通の会話が成り立たない」から。
つまり、日常会話すら出来なくなるのが、イトシの超能力なのだ。


狩野一家が鉄矢の家に集合する・・・この時点でドラマが破綻している。

なぜ、純母も鉄矢も「心を読まれること」を気にかけないのか?

隠していることがあっても、イトシにはバレバレになるという設定なのに・・・


ところが、イトシの能力は脚本家の「都合良い時」にしか働かない。

もしイトシが設定どおり、この場面で”本性を暴く”とネタバレになってしまい、次のエピに使えなくなるから。


まさに「ご都合主義」の典型。素人脚本の見本。


さらに、ヒロインの性格もかなり歪んでいること。


「夜泣きが酷くて眠れなかった」

スーパーイトシがそばに付いていたのに泣き止まない赤ん坊。

ならば、前日、里やでも同様だったはずで、周囲の客や従業員にも迷惑を掛けていただろう。


自分だけ迷惑したように振る舞う身勝手なヒロイン。


「そのままでいて」いいはずがない、と誰でも思う。


周囲の人間達が、酷いやつら、冷血漢だらけでもいい。

世の中の理不尽に、ヒロイン達が苦しめられるのもいいだろう。


しかし、主役二人が「どうしようもない奴ら」で努力も成長もしないのなら、

視聴者はとてもついていけない。応援する気にもならない。当たり前。


取り上げるエピも下劣過ぎる。


精神障害(サイコパス)、自殺(未遂)、ストーカー、心臓病、アルツハイマー、中絶、賭け麻雀、

浮気、アルコール依存症、乗っ取り、嘘・・・


局の言う「必然性のあるギリギリの表現」からは、とっくに外れている。


ちょうど世間を騒がしている最中、まさに時事問題化している時に、そのネタが放映されるという怪現象。民放でも、放送内容を差し替えるとか、何らかの対処をすると思うが・・・


また、どのテーマも深く掘り下げるわけでもなく、単に「ネタ扱い」したのは許しがたい。

病気や時事を軽んじた『梅』と同じ轍を踏んでいる・・・公共放送・NHK。


これを恐れていたのだ。


「視聴者からの真摯な意見、感想を、適切に処理しなければならない」~放送法より


結局のところ、私たち視聴者の意見を軽視する、あるいは、無視するNHKの姿勢が、

『純愛』という作品を生んだと考える。


もう、NHKのドラマ部門(特に朝ドラ)は要らないのではないだろうか。