サンダーLM39のデビューと同時期に

 

1979年からの富士GCレースがシングルシーター化へのレギュレーション変更に合わせてマツダ・オート山梨から設計を依頼された「KIBOU・T-80-1」はグリップ力の増大による100Rと最終コーナーを全開で走れるマシンを目標に開発されたことがモーター誌で紹介されていました。

 

 

 

世界初のサイドウイングスポーツカー

 

構造はこのように解説されていて4ウイングマシーンとも言われていました。

製作期間は約8ケ月。9月のGCレースに臨んで走らせてみると…。

 

空気の流入と排出する量の釣り合いがとれずフロントが浮き上がりドライバーから前方が見えなくなるほどのリフトが発生したとか。ノーズのダクトを塞いだりフロントカウルを外して走行してみても良い結果は得られず、赤池選手は従来のLOLAT290で参戦することになりました。

 

プロジェクトは中止され、オリジナルの「KIBOU・T-80-1」は石和グランドホテルの発表会とテスト走行の時だけ観ることが出来た幻の車両となってしまいました。

 

 

 

翌年はボディを換装して再デビュー

 

80年の3月にムーンクラフト製のボディ形状に全面換装して再デビューした際は予選タイムは18秒台までに改善。車名も「希望T80B」に変更され、洗練されたボディに「BENIHANA」のロゴと大協石油のマークが特徴でした。

 

その後はシャシーの剛性不足が問題となったとかで参戦は3回で終了。当初は強度/剛性不足にならないよう十分に注意を払っていると説明もありましたが…。

 

予戦12位/決勝8位が最高のリザルトでした。 残念…。

 

オリジナル車両だけでも当時300万円(現在では600万相当)と言われた製作費の建て替えはどうしたのだろう?

 

 

1980.03.30 富士300キロスピードレース:赤池卓 選手

 

「BENIHANA」と言えば当時のF1レースでロッキー青木氏のスポンサードが話題になったのもこの頃でした。
 
 

写真はこちらの「全ページプレビュー」から。 開発時はG680Lでした。