1981.06.07 全日本富士500kmレース

 

内田氏がスピードスターレーシングからM1を購入し耐久レースとスーパーシルエットレースに参戦する太っ腹なチャレンジはとても注目されました。カラーリングもカップカー仕様に変更されパドックでは異次元のホンモノ感が漂っていました。

 

このレースではクラス7位に留りましたが翌月の富士1000キロでは優勝し、圧倒的な速さと強さを感じました。

 

No.82 内田 審司/星野 薫   オートビューレック M1

写真の左側で見つめていいたのは太田哲也選手でした。

 

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1981.09.06 富士インター200マイルレース

 

GCの前座に行われたスーパーシルエット・レースでの出走は10台と少ないですが、シルビア/ガゼールとトラストセリカのターボ勢とM1の対決が大人気となったプログラムです。この日は日産勢が不調で2台共に序盤でリタイアとなりこの後にM1がトップで周回する展開となりました。

 

 

 

ヘアピン進入位置で観戦して間もなくM1が立ち上がりでバリアに激突し宙を舞う大クラッシュをして赤旗中止となってしまいました。レース結果は前周にトップを走行した82号車(M1)の優勝。その後は欠場となりましたがシリーズチャンピオンも内田氏(M1)が獲得。貴重な車両が壊れたことのショックが大きい出来事でした。

 

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1982.05.03 富士グラン250キロレース

 

8カ月後に修復されたM1がボディワークもG5仕様に変更してスーパーシルエット・レースに再登場し日産ターボ勢を相手に優勝。富士の耐久レースでは連勝で4年を経過しても第一級のマシンであることが証明されました。

 

No.1 長坂尚樹   オートビューレック M1

 

メインスポンサーによるカラー変更を繰り返して83年末で5年間に渡る参戦を終了。

 

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海外にドナドナ。「佐川急便スピードスターM1」として復元

 

参戦が途絶えたM1は長年の交渉の末、海外の愛好家に引き取られ「M1」のレースで最も活躍した車両として「スピードスター」所有時のG4仕様復元にされたとか。
 

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全てが豪華だったプロカーレース

 
79~80年にF1の前座レース組み込まれたプロカーレースはラウダもピケも参戦した最も豪華なワンメイクレースでした。1台3千万とも言われた車両を20台揃えモナコのコースを競う姿は異次元の迫力でシリーズ優勝賞品は「M1」2位は「633CSi」とか。日本では比べ物にならない「超」太っ腹なシリーズでした。
 

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