2座席オープンのレーシングカーであるシェブロンは1972年に田中弘氏がGCレースに初めてB19を導入して以来、後継モデルを含め国内では10年間にわたり延べ300台余りが出走したロングライフな車両です。当時の写真がありましたので数回に分けてご紹介いたします。

 

アンダーステアの操縦性を修正

 

76年からリリースされたB36はサスペンションジオメトリとボディの変更による前後のダウンフォースを改善したアップグレード版でした。GCレースではさらにワイドトレッド化やサブフレームの強化で操縦性の向上を図りマーチ勢とのタイム差が拮抗するようになりました。77年以降は車両をB36にスイッチするチームが増え6台が日本に輸入されました。

 

GCレースで初のポールポジションを獲得

 

最速のシェブロンユーザーは藤田氏でした。トップでゴールしながら優勝を逃す不運な展開もありましたが79年の第1戦で獲得したポールポジションはシェブロン車がGCレース開始から40戦目にして初めて成し遂げた出来事でした。

 

 

 

 

B36に変更した藤田車。フロントフェンダーのスリットとリアカウルが外観上の変更点でフロントのスポイラーは各チームで追加していたようです。78年はニッコーレーシングチームの黄/紺のカラーに変更して参戦となりました。

 

1977.09.03

 

 

 

77年第3戦には「紫電」に替えてシェブロンB36で出走した高原選手。

 

 

 

 

マーチ74SからシェブロンB36に変更した「チームコンバット」の三橋選手+BMW

 

 

 

 

鮒子田選手もマーチ75Sからチェンジ。79年にはエンジンをBMWからマツダ13Bに換装。シェブロン車でGCと国内耐久レースで優勝したドライバーです。

 

 

 

 

ムーンクラフトのボディに換装した漆原車。とてもカッコよかったです。

 

 

 

B23のシャーシにB36のボディのを組合わせた長谷見車。パーツの互換性もシェブロン車が長期にわたって活躍する要因となったようです。

 

 

 

シグマGC73+マツダ12A・13Bを搭載して出場していたオート東京もついにB36に変更。

13Bの熟成の効果もあり78年には5戦中4回にわたって3位を獲得することになりました。

 

 

 

レギュレーションの変更でシングルシーターとの混走となった79年でもB36は健闘。フロントをさらにワイドトレッド化した改造が行われました。

 

 

 

 

シェブロンはGCレースで通算優勝2回(風戸氏/鮒子田氏)、ポールポジション1回(藤田氏)の成績でした。

 

シングルシーターの車両が増えると徐々に台数が減りましたが、耐久レースでは82年まで出走し、数回の優勝を含めていつも上位入賞をもたらすタフな2座席スポーツカーでした。

 

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海外ではヒストリックイベントに出走することが多く、ファンは世界中にいるようです。

 

 

ご参考