BS 12月に放映される名作映画案内 Part4 | アラフォー世代が楽しめる音楽と映画

アラフォー世代が楽しめる音楽と映画

結婚、育児、人間関係、肌や身体の衰え、将来への不安...
ストレスを抱えるアラフォー世代が、聴いて楽しめる音楽、観て楽しめる映画を紹介します。
でも自分が好きな作品だけです!    

 先日、イギリスの名優ピーター・オトゥールが亡くなった。享年81歳。個人的な見解だが、一般男性(彼をそう呼ぶのは相応しいかどうか...。)が80年以上も生き永らえれば充分な生涯だと思う。ネットで第一報が流された時、ボクが真っ先に感じたのは彼の死をとても悼むが、これからもかつての名優達の訃報に接することが多くなるだろうという漠然とした不安だ。考えてみれば、ボクが好きな50~60年代のヨーロッパ映画に出演していた俳優達は軒並み80歳を過ぎている。来年、再来年と...その数は緩やかに増えていくだろう。具体的に名前を挙げたら、本当にそうなりそうで怖い。
 記憶が定かではないが、確かピーター・オトゥールは昨年、俳優業の引退を発表した。その後は長い闘病生活を送っていたようだ。死因は明らかにされていないが、ピーターは70年代半ばに長年のアルコール依存が祟って腹部の腫瘍が悪化し、余命幾許もないと宣告された経験を持つ。『アラビアのロレンス』でのトマス・エドワード・ロレンス役のストイックな生き様をピーター自身に重ねているボク等にとっては信じられない話だ。幸いにもこの時は胃の一部や膵臓を摘出する大手術を受けて奇跡的に回復したが、今回の場合も内臓疾患の悪化ではないかと邪推している。

 ピーター・オトゥールは60~70年代に架けて演技派俳優としての地位を築いたのだが、よく『アラビアのロレンス』のロレンス役を超えるものはなかったと揶揄される。だが『アラビアのロレンス』は作品自体が別格の存在であり、他の主演作品と同じ土俵で論じるには難がある。寧ろ俳優として生涯の嵌り役を一つだけでも得られたことは誇られる事実だ。
 アイルランド生まれのピーターは幼少の頃から演劇に興味を持ち、高校卒業後はジャーナリストになることを夢見て地方の新聞社に入社する。写真部に配属された彼は同時にアマチュア劇団にも入団し、10代後半で既に初舞台を踏む。演技の素晴らしさに魅了された彼だったが、その後2年間は海軍に入隊し兵役義務を全うする。除隊すると奨学金を得て、名門の王立演劇アカデミーに入学する。ここで若き日のアルバート・フィーニー、アラン・ベイツ、リチャード・ハリス等と共に演技を学ぶ。
 舞台ではシェークスピアの劇を中心に活躍していたピーターは、60年にアンソニー・クイン主演の『バレン』で映画デビューを果たすものの、彼は舞台の仕事を優先してようだ。61年の演劇『ヴェニスの商人』ではシャイロックに扮し、その演技が絶賛を浴び、デヴィッド・リーン監督に認知されて『アラビアのロレンス』のロレンス役に抜擢されたのである。アレック・ギネス、アンソニー・クインといった大スターを相手に、ロレンスという稀有の才能を持った将校の複雑な性格を木目細かく露呈させた彼の演技ぶりは、雄大な砂漠の美しさと政治家に利用された将校の悲劇を描いた歴史大作と共に絶賛され、初主演ながらアカデミー主演男優賞にノミネートとなったのだ。

 ロレンス役で一躍世界的な名声と人気を得たピーター・オトゥールは、その後も64年のヘンリー2世を演じた『ベケット』、同じくヘンリー2世を演じた68年の『冬のライオン』、69年のミュージカル映画『チップス先生さようなら』で其々アカデミー賞の主演男優賞にノミネートされるが受賞には至らなかった。
 シリアスな作品にばかり出演している印象があるピーターだが、その傍らではプレイボーイの雑誌編集者を演じたコメディ映画『何かいいことないか子猫チャン』、オードリー・へップバーンと共演した軽妙な犯罪劇『おしゃれ泥棒』、カメオ出演ながら007シリーズのパロディ映画『カジノロワイヤル』等のコメディ・タッチの作品でも名演技を披露し、その評価を高めている。
 だがボクとしてはライト感覚の映画は馴染めず、やはり冷酷なナチス将校を演じた『将軍たちの夜』がお勧めである。この映画でピーターは再びオマー・シャリフと共演し、精神が病んだ狂気の殺人者タンツ将軍を力むことなく好演している。
 『将軍たちの夜』はあまり知られていない作品だと思うが、監督があのアナトール・リトヴァクである。1942年ワルシャワ、1944年パリと若い女性の猟奇惨殺事件が起きる。事件の場にはいつも赴任してきたばかりのタンツ将軍がいた。容疑者は3人浮かんだが、オマー・シャリフ扮するグラウ中佐はタンツ将軍が犯人と確信する。一方、パリのナチス軍政司令部では戦況悪化に危機感を募らせた容疑者の一人カーレンベルク将軍らがヒトラー暗殺の「ヴァルキューレ」計画を実行に移そうとしていた。
 そして敗戦から20年経った1965年、ハンブルグでまたも若い女性の惨殺事件が発生した。グラウ中佐はかつてのワルシャワ、パリでの連続殺人事件との関連を探っていた。やがて彼はワルシャワ市内で、刑期を終えて出獄したばかりのタンツ将軍を見つけるのであった...。猟奇殺人とヒトラー暗殺計画を交錯させた前半部と、タンツ将軍を追い詰める後半部に分かれる非常に濃厚なサイコ系サスペンス映画である。世の中にはまだこのような秀作が幾つも埋もれていることを認識させる逸品だ。


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 しかしこの頃からピーター・オトゥールは酒に溺れるようになる。『冬のライオン』では酔いが抜けないピーターの為に撮影が大幅に遅れ、製作者側が出演料を出し渋るトラブルを起こしている。
 それでもピーターへのオファーは絶えずに70年代に入ってからも、たった一人でドイツ軍Uボートに復讐を挑む整備兵を演じた戦争映画『マーフィーの戦い』や、年老いたドン・キ・ホーテを演じたミュージカル映画『ラ・マンチャの男』等に出演し、話題を撒いていた。
 だが前述の通り、75年にはアルコール依存症で腹部の腫瘍が悪化し、手術を受ける羽目になる。映画や舞台から暫く遠ざかっていたピーターだが、79年に皇帝ティベリウス役で映画『カリギュラ』に出演して復帰胃を図る。しかしこの映画は彼の知らぬ間に、ペントハウス誌がヌードモデルの情欲シーンの吹替えを挿入してポルノ映画紛いに仕上げ、彼のキャリアに大きな汚点を残してしまう。
 80年、ピーターは『スタントマン』で独裁的な映画監督役を熱演し、またもオスカー賞にノミネートを果たし、多少は名誉を回復した形となった。その後は作品に恵まれない日々が続いたが、ベルナルド・ベルトルッチの歴史大作『ラストエンペラー』では皇帝溥儀の家庭教師ジョンストン役を好演し、存在感を示した。ジョンストン教師の風貌はロレンスのままだった。ボクはロレンスが実はオートバイ事故で亡くならず、その後人知れず転身して溥儀の家庭教師になったのかと錯覚するほどだった。『アラビアのロレンス』の成功はピーターに俳優としての地位を確立させたが、同時に重荷も負わされた気がする。ピーターは必死にロレンス像を払拭しようと、わざと次回作で外見も性格も違う配役を選んできたように思えるのだが、この頃になるとそれさえも全て吹っ切れてしまったのだろう。これも人気絶頂だった時代と円熟を迎えた時期の取組み方の違いなのだろうか?

 さすがに90年代ともなると時代も彼を要求しなくなり、小作品に幾つか出演する程度となった。しかしピーター・オトゥールが出演するだけで、その作品には箔が付く!
 90年代半ば頃からは『ガリバー』や『ヒトラー』といったテレビ映画にも出演するようになる。つい先日もBSスカパー局(241ch)で放映された『ヒトラー』は、独裁者アドルフ・ヒトラーの知られざる幼少期から青年期までのエピソードを盛り込み、その人物像に迫った力作である。ピーターはここで独裁者の暴走を抑えきれなくなるヒンデンブルク大統領役を淡々とこなしていた。心なしかそれが役柄のせいなのか、加齢による衰えなのかは判断付かなかったが、精気がなかったように見えた。
 しかしボクの心配を余所に、2004年には古代ギリシャのトロイ戦争を題材にした『トロイ』にトロイの王プリアモス役で出演し、ブラッド・ピットらの人気俳優と堂々と渡り合う演技を披露した。
 話は前後するが、ピーター・オトゥールはアカデミー賞の主演男優賞に計8回ノミネートされながら、何れも受賞を逃した。ノミネートされるだけでも大変な栄誉なのだが、一度くらいは受賞してほしかった。アカデミー賞では03年、永年の功績を称えて、名誉賞を贈ることを決めた。これに対し、ピーターは「私はまだ現役の俳優だ。名誉賞など貰うわけにはいかない。」と一旦は固辞したのだが、家族に説得されて考え直したという逸話がある。
 そして06年、彼は『ヴィーナス』にて俳優人生最後のアカデミー賞主演男優賞にノミネートされ、気骨のある処を見せたのである。


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 こうして駆け足ながらピーター・オトゥールの出演作を振り返ってみると、俳優人生が長い分だけ実に多くのジャンルで様々な役柄を演じていたのが判る。これは彼にとって栄光でもあり、不幸だったのかも知れないが、『アラビアのロレンス』以降の作品で演技派俳優としての賞賛は惜しまないものの、強烈な印象を残したロレンス役を超えるまでに至らなかったのもまた事実である。
 処でボクは『アラビアのロレンス』をこれまで十数回は観ている。この映画は実在のイギリス陸軍将校のトマス・エドワード・ロレンスがアラブ民族を率い、オスマン=トルコ帝国からのアラブ独立闘争(アラブ反乱)で大勝利を収めながらも、最後は失意のうちにアラビアを離れるまでの2年間の足取りを描いている。
 少なくともまだ20代前半の時は、ヨーロッパ列強国とアラブ諸国の政治的背景を理解していなかった。否、学んでいなかったと言うのが正確だ。確かに高校時代、世界史の授業はあった。教科書は300ページ超の分厚さで、週4時間程度の授業では到底追いつかない。教える側にも個性があり、自分の得意な時代になると異様に詳しい説明となり、授業が進まない。そもそも一年間で教科書全てを終わらせるという考え方が教師側になかったのだ。微かな記憶だが、ボクの世界史はルネサンスの途中で終わり、近現代史などは遥か遠い未来の出来事だったのだ。
 それでも『アラビアのロレンス』に惹かれるのは自然と映像美に圧倒されるからだ。映画の初めの方でロレンスがマッチの火を吹き消した後に広大な砂漠に太陽が昇る場面や、砂漠の地平線の彼方から蜃気楼が現れ、やがてその黒い影が駱駝に乗ったアラブの部族長アリと判るまでの数分間。或いはトルコ軍の要塞アカバを陥落しようと駱駝で疾走する場面等は絵画的にも美しい。

 何度も観た『アラビアのロレンス』の概要を整理してみる。第一次世界大戦勃発以降、ドイツと同盟を結んだオスマン=トルコ帝国の圧力がアラビアに及ぶ。そこでイギリス陸軍は1916年、ドイツに対抗すべくエジプトに駐在しているアラブ事情に詳しい情報部のトマス・エドワード・ロレンス少尉をアラビアに派遣する。
 ロレンスはアラブのファイサル王子の軍事顧問としてゲリラ戦を砂漠に展開し、アラブ独立闘争に大勝利を収める。そしてロレンスはアラブ人から「エル・オレンス」と呼ばれ、英雄として称えられる。だがダマスカスを占領し、オスマン帝国軍から解放されたアラビアは、もはやロレンスを必要とはしていなかった。ファイサル王子はロレンスに「もうここには勇士は必要でなくなった。我々は協定を進める。取引は老人の仕事だ。貴方に対する私の感謝の気持ちは計り知れない。」と語りかける。
 ここでロレンスは初めて自分が狡猾な政治取引を展開するイギリス側と、アラブの権益を守る為にファイサル王子に利用されていたことを悟る。ロレンスは昇進と引換えに砂漠から追放される...。
 今後、幾多の名作に出会おうと『アラビアのロレンス』はボクの生涯ベスト5から外れないだろう。だがボクは何度観ても何故ロレンスがファイサル王子の言葉で自分が利用されたと悟り、傷心のうちに砂漠から去ったのか判らなかった。それを知るには当時の歴史的及び政治的背景を予備知識として覚えておく必要があったのだ。

 19世紀から20世紀初頭にかけてヨーロッパの列強はアジア、中東に相次いで進出し、その勢力圏の拡大を競っていた。やがてそれが第一次世界大戦の一因ともなる。当時のアラビアはドイツと同盟関係にあるオスマン=トルコ帝国がメッカからダマスカスに至る紅海沿岸を勢力圏として確保していた。しかしこの頃、アラブ人独立の気運が芽生えつつあった。
 一方、イギリスはエジプトを保護領にし、スエズ運河を押さえてアラビアに進出する。オスマン帝国と対峙する形となったが、イギリス軍の前線は手薄だった。そこでイギリスの情報部は、オスマン帝国の圧制を牽制する意味でアラブの反乱は重要だと判断し、アラビア語を習得し歴史にも詳しく謀略家としても優れたT・E・ロレンス少尉に特別任務を与え、アラブの反乱を指導させるのである。
 こうしてロレンスがアラビア半島に渡って活躍するのは、第一次大戦勃発後3年目の1916年10月である。アラビアに着いたロレンスはアラブ民族の正統な血筋を継ぎ、オスマン=トルコ帝国からの独立闘争を指揮するスンナ派のハーシム家のファイサル王子と接触し、共闘を申し出た。これはロレンスが所属するイギリスのカイロ領事の意向であった。
 処がイギリスは悠然と二面外交を展開し、当時植民地に置いたインド総督府はもう一方の雄ワッハーブ派のサウード家を支援していたのである。これは敵国オスマン=トルコがアラブ民族の独立によって弱体化すれば、次はアラブ民族間で対立が起こると見越していたのである。イギリス政府は両部族の趨勢を見守り、優位な方に付く腹積もりだったのだろう。

 そうとも知らずロレンスは軍から武器と資金を調達し、民族独立を鼓舞しながらアラブ民族の団結を固め、遂にはオスマン帝国が占拠する港湾都市アカバを陥落する。
 次にロレンスは新たなゲリラ戦の任務を与えられる。それはオスマン帝国のヒジャーズ鉄道の線路に爆弾を仕掛けて機関車を爆破し、猛襲するという戦法(ワジ・ムサの戦い)であった。破壊活動を続ければ、オスマン帝国軍の兵力が鉄道防衛に釘付けにされて必然的にスエズ運河の攻撃隊が手薄になり、対峙していたイギリス軍のスエズ運河防衛とシリア・パレスチナ進攻が容易になるという算段だった。この戦法は大成功を収め、ロレンスの活躍は新聞にも載り、彼は英雄視されていく。しかしその背後にはロレンスを出来る限り利用しようとするイギリス軍部の狡猾な考えがあったのだ。
 ロレンスはアラブ民族間の争いには神経を尖らせ、大きな理想を掲げていた。それはこのオスマン帝国へのアラブ反乱は“アラブ人にアラブを与える聖戦”であるという大義があり、決してイギリスの国益の為の闘争ではないと信じていたのである。ロレンスがアラビアでアラブ人の独立を説いて戦っている時、母国イギリスは目先の情勢を有利にする為に相矛盾する3つの秘密協定を結んでいた。これがロレンスを苦悩させ、今日に至るイスラエルとアラブ・パレスチナの国境紛争の遠因にもなっている。一つずつ説明する。

   ◇「サイクス・ピコ協定」

 第一次世界大戦中の1916年5月、つまりアラブの反乱が始まる前にイギリスがフランス、ロシアとの間で結んだ秘密
協定。その要点はシリア・パレスチナとメソポタミアというアラブ地域の中で最も重要な地域をイギリスとフランスが分割・
統治するというもの。またエルサレムを中心とするパレスチナだけは国際管理される。だがこの秘密協定がロシア革命成就直後にボルシェヴィキ政権により暴露され、アラブ人を大いに憤慨させる。

   ◇「フセイン=マクマホン協定」

 第一次大戦中、メッカのシャリーフ(守護職)フサインとイギリスの高官マクマホンの間で結ばれた協定。イギリス政府
はドイツ・オーストリア側と組んで参戦していたオスマン=トルコを切り崩す為、アラブ勢力がオスマン=トルコに対して
反乱を起こすことを支持する。その見返りに「アラブ人の独立を承認し、支持する用意がある。」との約束を取り付けてい
た。アラブ人はこの協定に基づき、1916年6月からトルコに対して反乱を立ち上げた。

   ◇「パルフォア宣言」

 同じく第一次大戦中、当時のイギリス外相バルフォアの名義で、イギリス・シオニスト連盟会長ロスチャイルドに送った書簡。その中では「パレスチナにユダヤ人の民族的郷土を建設する。」ことに同意していた。この背景にはイギリスが第一次大戦の戦局を有利に進める為、欧米各国のユダヤ人の支持を獲得し、またユダヤ系財閥の財政的支援を取り付ける目的があった。処でこの書簡は明らかに「フセイン・マクマホン協定」とは矛盾する。

 一通りの任務を終えたロレンスはカイロに戻った。その表情は憔悴し切っていた。多くの仲間を失い、敵軍に捕まり拷問を受けたロレンスは失意に陥っていた。司令官である将軍に転職願いを申し出るも断られる。そこでロレンスは既にイギリス、フランス両国間で戦後処理について「サイクス・ピコ条約」が結ばれているのを知り、愕然とした。それは両国間でトルコとアラブの領地を二等分するというもので、アラブ人の独立の為に奔走したロレンスの理想像とは大きくかけ離れるものだった。
 将軍の命令は非情だった。結局、ロレンスはアラビアに送り戻され、ダマスカス侵攻を指揮する他なかった。だがせめてもの抵抗と、“アラブ人にアラブを与える”という大義の下、イギリス陸軍正規部隊より一足早くダマスカスに到着しようとした。進軍の途中、ロレンスの部隊はタファス村を大量虐殺したばかりの退却中のオスマン帝国軍と遭遇した。逃走して来た村人から復讐を懇願されると、凄惨な大量虐殺(メギドの戦い)を行ってしまう。
 思惑通り、ロレンスの部隊はイギリス陸軍正規部隊より一足早くダマスカスをオスマン帝国軍から解放すること(ダマスカス占領)に成功した。早速アラブ国民会議が開かれた。しかしハリト族の首長アリとハウェイタット族の首長アウダの主張は平行線を辿り、互いにエゴをぶつけるだけだった。アラブの団結を理想に掲げていたロレンスは、アラブ民族会議に失望する。

 オスマン=トルコ帝国軍から解放されたアラビアは、もはやロレンスを必要とはしていなかった。「フサイン=マクマホン協定」を口実に、イラク・シリア・アラビア半島を含む大アラブ王国(汎アラブ主義)を構想する老練な族長ファイサル王子から見れば、アラブ反乱を指揮した英雄が白人のロレンスであっては都合が悪かった。
 また「サイクス・ピコ協定」を楯にアラブをフランスと共に分割する方針を決めていたイギリス政府にとっても、大アラブ王国を支持し奔走するロレンスの姿は政治的に厄介な存在になっていた。つまりロレンスはイギリス側、及びファイサル王子の双方からお役払いとなったのだ。そこで老獪な操縦士ファイサル王子が先の言葉をロレンスに語りかける。
 去り行くロレンスにその言葉は虚しく響き、初めて彼の心に孤独感が染み渡っていく...。

 イギリス陸軍情報部が予測した通り、その後アラブはスンナ派のハーシム家対ワッハーブ派のサウード家の部族間対立へと移った。ロレンス達が支援したスンナ派のハーシム家は1916年にヒジャーズ王国を建国する。
 一方、ワッハーブ派のサウード家のアブドゥルアズィーズ・イブン=サウード首長はイギリスの支援を背景に、リャド周辺一帯のナジュドを支配下に置き、自らはスルタン(国王)となった。アブドゥルアズィーズは長年の宿敵であるハーシム家が建てたヒジャーズ王国襲撃を虎視眈々と狙っていた。そして1925年、ヒジャーズ王国を侵攻し、ハーシム家の統治を終焉させる。
 その後、サウード家によるナジュド及びヒジャーズ王国の治世が始まるが、やがて国名をサウジアラビア(サウード家によるアラビアの王国)に改める。

 映画『アラビアのロレンス』ではロレンスが軍用車に乗せられ、失意のうちにイギリスへの帰還船へ向かう場面で終わりとなるが、実際のT・E・ロレンスは戦争終結後、戴冠したファイサル1世の調査団の一員としてパリ講和会議に出席する。その後1921年からは植民地省中東局・アラブ問題の顧問として同省大臣のウィンストン・チャーチルの下で働き、1935年に退官した。


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 それではいつも同様に、『BS映画の放送カレンダー』が掲載する放映予定リストの中から、作品の優劣は問わずにあくまでボクの嗜好に沿った映画をピックアップしてみた。従って下記に羅列した作品集は所謂お勧め映画の紹介ではなく、個人的な確認メモという位置付けであることをお断りしておく。
 尚、何処のBSデジタル放送局で放映されているか判り易くする為、作品名の接頭部に各放送局の略語を表記した。解説文は下記の各ホームページからの抜粋である。
         ・(N)=『NHK-BS』
         ・(日)=『BS日テレ』           ・(A)=『BS朝日』
         ・(T)=『BS-TBS』           ・(J)=『BSジャパン』
         ・(F)=『BSフジ』             ・(E)=『BSイレブン』
         ・(S)=『BSスカパー!』        ・(D)=『Dlife』
 去年の大晦日は実家に帰っていた。夜、NHK-BSでは高倉 健の主演映画を6作品リレー放映していた。ボクがまだ中高生だった頃は「日本レコード大賞」を誰が獲るかで緊張し、その後の「NHK紅白歌合戦」に出演する歌手の曲を聴きながら、「あぁ、この曲、よく流行ったなぁ~。」と思いながら一年を締めていた。家族4人、トランプ遊びに興じたこともあった。
 父は既に他界し、妹も嫁いで20余年経つ。老いた母は正月料理に備える為、早めに就寝した。ボクは炬燵に入りながら、ずっと高倉 健の映画を観ていた。『幸福の黄色いハンカチ』『駅 STATION』と続き、『居酒屋兆治』の途中で新年を跨いだ。
 その後も『野生の証明』『昭和残侠伝 唐獅子牡丹』『遥かなる山の呼び声』と映画は朝まで続くのだが、さすがに睡魔には勝てない。かつて自分が使っていた勉強部屋に布団を敷き、眠りに入った。
 朝、台所が騒がしくなって、目を覚ました。まだ眠気はあったが、我慢して起きた。既に御膳台の上には料理が並べられていた。寒気のある台所と冷たい水...いつもながらよく作れるものだと感心する。
 テレビを点けた。チャンネルは変わっておらず、これからチャップリンの『モダン・タイムス』が始まろうとしていた。これが今年初めて観る映画となる。早い! 一年の経つのが本当に早く感じる。このまま取り止めのない日々を送っていたなら、ボクはあっという間に年寄りになってしまうだろう。
 今年の大晦日も去年と同じ愚行を試みれば、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズで新年を迎えることになる。だがそれでは味気がない! 溝口健二か小津安二郎作品のDVDを幾つか抱えて、実家に帰ろうかと考えている。

 ・(N)『エル・シド』              12月25日(水) 13:00~16:01

   11世紀、スペインはムーア人の侵略に脅かされていた。若き勇将エル・シドはムーア人の大公達を助命
  したことにより王から非難され、それが元で恋人シメンの父親を死に至らしめてしまう。シメンは復讐しようと
  するが、エル・シドの願いにより結婚を承諾する。また王の急逝により政権争いに巻き込まれたエル・シドは
  追放の身となるが、やがてスペインに存亡の危機が訪れ、彼は国を救う為に立ち上がる...。

 ・(N)『沓掛時次郎』            12月26日(木) 13:00~14:28

   信州沓掛生まれの時次郎は渡世の義理から止むなく六ツ田の三蔵に一太刀浴びせるが、その原因が三
  蔵の妻おきぬへの溜田の助五郎の横恋慕であることを知り憤慨する。死に際の三蔵におきぬと幼い息子太
  郎吉を託された時次郎は追っ手から二人を庇い、一緒に熊谷宿まで逃げ延びるが、おきぬが病に倒れてし
  まう。二人の面倒をみる為に堅気になろうとする時次郎だったが...。
   池広一夫監督のシャープな演出の中、市川雷蔵が快演。

 ・(N)『最後の忠臣蔵』           12月27日(金) 19:30~21:44

   吉良邸討ち入り後、切腹を許されず、大石内蔵助から「真実を後世に伝え、浪士の遺族達を援助せよ。」
  との密命を受けた寺坂吉右衛門。それから16年後、吉右衛門は討ち入り前夜に姿を消したかつての友、瀬
  尾孫左衛門と再会する。彼もまた内蔵助からの極秘の使命により忠義を果たす為、ひたすら身を隠し生き
  ていた。

 ・(T)『陰陽師』                12月28日(土) 15:00~16:48

   まだ闇が闇として残っていた京の都・平安京。当代きっての陰陽師・安倍晴明は最近、都のあちこちで物
  の怪達が蠢き出したことを感じ始めていた。
   ある夜、帝と左大臣・藤原師輔の娘・任子の間に生まれた親王・敦平の身に異変が起こった。晴明は右近
  衛府中将・源 博雅からその話を聞くやすぐに、親王に強い“呪”がかけられていることを察知。晴明はこの
  謎と呪を解く為に不思議な過去を持つ女・青音を呼び寄せ、帝がいる内裏に向かう。しかし親王に込められ
  た呪の意味は、これから晴明達の前に巻き起こる想像を越える事件の前触れを告げたに過ぎなかった。そ
  の事件は長岡京が十年で遷都を強いられた「大いなる謎」と絡み、避けることの出来ない宿命として晴明達
  を襲い始めた...。
   神と鬼を自在に繰りし男、安倍晴明。 今、千年の時を超え、甦る。

 ・(T)『シティ・オブ・エンジェル』     12月28日(土) 18:30~20:42

   ニコラス・ケイジ&メグ・エアイアンが贈る切ないラブ・ストーリー。
   セス(ニコラス・ケイジ)は天使。翼もなく白い服も着ていないけれど、永遠の命を持っている。彼の役割は
  人間達の営みを見つめ、生きていくのに疲れた人にそっと寄り添うこと。殆どの人は彼の存在に気付かな
  い。そんな彼が人間の女性に恋をした。セスは考える。「彼女の髪、指、唇...“"触れる”ってどんなこと
  だろう?」それを知る為には彼は天使であることを辞め、永遠の命を捨てなければならなかった。

 ・(A)『忍者武芸帖 百地三太夫』   12月28日(土) 21:01~22:58

   戦国時代。一族の再建を誓った一人の忍者の戦いを豊臣秀吉、石川五右衛門、服部半蔵等、歴史的に
  も有名な人物達との人間模様を折り込みながら描いたアクション時代劇。
   天下統一を賭けた戦い、その裏側で激突する伊賀と甲賀の両忍者達、そして隠された財宝の秘密...そ
  の結末とは?

 ・(D)『天使にラブ・ソングを2』      12月29日(日)  0:00~1:58

   修道院のシスター達は社会奉仕先の高校の生徒にお手上げ状態。そこで今やラスベガスの二流スターと
  して忙しいデロリスに懇願。そこには予想以上の悪童達が...。

 ・(N)『東京オリンピック』          12月30日(月) 13:00~15:40

   1964年、東京で開催されたオリンピックの全貌を描いた長編ドキュメンタリー映画。総監督を勤めた市川
  崑監督は望遠レンズを駆使し、競技に挑む選手の汗や鼓動を感動的に映し出した。
   完成後、勝敗を重視せず、人間の精神を捉えた芸術性の高い内容に「記録か芸術か?」と論議も呼んだ
  が、カンヌ映画祭では国際批評家賞を受賞。国内でも大ヒットとなった。東洋の魔女、チャスラフスカ、マラ
  ソンのアベベらが甦る。

 ・(S)『ブロンテ姉妹』            12月30日(月) 20:00~22:00

   「嵐が丘」や「アグネス・グレイ」等、数々の文学史に名を残す傑作を発表したブロンテ姉妹の生涯を描く人
  間ドラマ。
   19世紀の中頃。英国のヨークシャー州でシャーロット、エミリー、アンのブロンテ三姉妹が暮らしていた。
  姉妹は誰も知られぬよう密かに小説を書き、シャーロットの執筆した「ジェーン・エア」が出版され、大きな評
  判を呼ぶ。続いてエミリーが「嵐が丘」を、アンが「アグネス・グレイ」を発表し高い評価を得るも、女性の権利
  が認められていなかった当時の社会で彼女たちは大きな混乱に巻き込まれる。それでも姉妹は執筆を続
  け...。

 ・(N)『南極物語 公開30周年記念リマスター版』  12月31日(火) 11:03~13:27

   昭和33年第一次越冬隊員として15匹の犬と共に南極で過ごしていた潮田達は任務を終え、昭和基地か
  ら観測船「宗谷」に向かう。処が悪天候の為に交代要員は送られず、そのまま全員で南極から撤退するこ
  とに。鎖に繋がれたまま基地に取り残されてしまった犬達は...。
   タロ・ジロの実話を元に南極ロケを敢行した大作で、ヴァンゲリスのテーマ曲と共に大ヒットした。出演は高
  倉 健、渡瀬恒彦、夏目雅子。

 ・(N)『風と共に去りぬ』           12月31日(火) 13:30~17:17

   マーガレット・ミッチェルの大ベストセラーを原作に、空前のスケールで製作された映画史上に輝く不朽の
  名作。
   南北戦争を背景に、ジョージア州アトランタの大地主の長女スカーレットの波乱万丈の生き方をダイナミッ
  クに描き、アカデミー作品賞、監督賞、主演女優賞、助演女優賞、脚色賞、美術賞、編集賞、撮影賞、特別
  賞、そして製作のセルズニックが映画への貢献を讃えるアービング・サルバーグ賞を受賞した。

 ・(N)『バック・トゥ・ザ・フューチャー』  12月31日(火) 18:20~20:17

   時は現代の1985年。高校生のマーティは友人の科学者ドクが開発したタイムマシンに乗って、30年前
  の世界へとタイムスリップする。そこで彼は若き日の自分の母親ロレーンと遭遇し、彼女に一目惚れされて
  しまう。マーティは将来自分の父親となる筈の気の弱い青年ジョージを励ましながら、二人の恋を成就させ
  ようと大奮闘。
   主役のマイケル・J・フォックスはこの作品でスターの仲間入りを果たした。

 ・(N)『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』  12月31日(火) 20:20~22:09

   1985年の世界へ無事に帰ってきたマーティの前に再びドクが現れる。今度は「未来の息子の身が危な
  い。」と知らされたマーティは、恋人ジェニファーと共に30年先の2015年へと時空を越える。しかし問題を
  解決して戻ってきたマーティは、元の世界が自分の知らない世界と化していたことに愕然とする...。
   1作目と同じ状況が別の視点で登場し、両作を見比べるとより面白い仕掛けとなっている。

 ・(N)『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART3』  12月31日(火) 22:10~24:09

   19世紀にタイムスリップしてしまったドクを救う為、マーティは再びタイムマシンに乗り西部開拓時代にや
  ってくる。彼は何とかドクと再会できたが、タイムマシンの燃料が無くなり、2人は元の世界へ戻れなくなって
  しまう。そんな中、ドクは当地の新任教師クララの命を救い、彼女と恋に落ちる...。
   ラブロマンスあり、西部劇やマカロニ・ウエスタンのパロディーありと盛り沢山の内容で楽しませる。


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