多様性の時代の中でもしかすると、

優しい人ほど自分とは感覚の異なる

人でも受け入れなければいけないと

感じることがあるかもしれませんね。

 

今日の記事は私の感覚の話にもなるかな

と思いますので、ぜひみなさんの感覚も

教えていただけたらと思います。

 

 

 

結論から言えば、感覚が合わない

人とは自分が無理をしてまで

付き合う必要はないと思います

 

 

 

昔の話ではありますが、私の知人は

ある業界の営業職に就いていました。

その業界は仕事のためには人脈を

とにかく作れ。という業界だった

ようで、当時の若かった知人は指示

通り毎日人脈作りのために接待に

飲み歩いていたそうです。

 

私の知人女性はある接待の席で

紹介された中年男性にいきなり

キスをされたそうです。

そしてその中年男性を仲介した

紹介者は、私の知人にお金を握らし、

謝罪することもなくそそくさと

その場を去ったそうです。

 

 

ハラスメント行為であることはもち

ろんですが、これもある意味では

感覚の違いの問題です。

 

お金を掴ませて逃げた仲介人も、

キスをしてきた最低中年おやじも

(口が悪くてすいませんw)、どこか

許される。大丈夫。という感覚が

あるからやっていることです。

 

 

ですから多様性といわれるからと、

すべてを受け入れる必要はないと

私は思います。

 

 

例えば傾聴において、「受け止める」

と「受け入れる」と表現があります。

 

「受け止める」とは、「あなたはそう

思うのですね」と相手の思いをキャッチ

することです。

「受け入れる」同意とは異なります。

つまり否定はしませんが、「あなたは」

という客観的視点をもって関わるのが

受け止めるということです。

 

 

感覚が違う人との付き合いにおいては、

この「受け止める」ことが大切だと

思います。

 

多岐に渡る多様性すべてがフィットする

ことなんてまずないでしょうから、

無理なら受け止める。それでも嫌なら

物理的に距離をとる。

 

そういった自分なりの多様性に対する

処世術も必要なのではないでしょうか。

 

また明日!

 

  質問

あなたにとって処世術とはなんの

ためのものでしょう。

 

あなたの世界を1mm広げるには

どんなことをするのがいいでしょうか。

 

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