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本についてブログを書いていたら、
ふと思い出したことがあり、
前回の関連記事となります。
学生の頃、「国語」という授業がありましたよね?
現代文・小説・古典という3つの区分分けがされていたかと思うのですが、私は苦手でした😂
苦手、というか点数が他の教科と比べて低かった、のもありますが
その分、暗記分野は得意
(なぜなら、覚えるだけだから)
点数をあげるために、
”現代文読解マニュアル”のような参考書を買って、数学の方程式のように、分解して解くようになってからは
まぁまぁ点は取れる ようになったのですが・・・
テストの時は、教科書の該当ページから・もしくはテスト用の文章がばーっと書いてありますよね?
Q1,以下の選択肢のうち、Aの棒線部分が表すことは何か。
Q2,以下の選択肢のうち、B部分で筆者が伝えたい思いは何か。
Q3,以下の選択肢のうち、主人公が抱く思いは何か。
と、いうような問題があれど、
私が考えた答えと、「正解」の答えが違ったからです。シンプルに笑
科目、になって「テスト」があり
〇か×かに変わり
×は、バツ。
〇は、正解。←正しい「答え」
だから国語で正しい答え、を導き出すことが苦手でした。笑
が、冒頭に書いたマニュアルを元に、
方程式のように分野分けしてからは「現代文」に関しては”正解”を
汲み取れるようになりましたが、
「小説」はちーん、という結果のままで
解説を読んでもよくわからず・・・
筆者が直接これが答えだよ!と本文に書いていないことを推測して「本当に正解なのか?」と思っていました。笑
同じように思っていた方、いますか?😂
が、学生の頃の思考のクセで「正解」を探したくなることが大人になってからも続きまして
・何を選べば正解なのか
・この会話の中での正解、は何だ?
・今後私はどのような生き方をすれば正解なのだ?とか。
なぜ正解を求めたくなるか、というと
「安心」「ほっ」としたいからだと思うのです♡
・それであってるよ
・それでいいよ という
👆これもいいのだけど、
感じたいのは内側からの、
私からの「それでいいよ、あってるよ、という感覚」
ほっとする、感覚♡
これは小説に限らず、ブログも同じで
話していること・書いていることに、「正解」はなくって
人それぞれの背景や言葉の設定により捉え方や印象が変わるものだから
誰かにとっての正解、と思われるものが
自分にとっての正解、ではない。
だからこそ、
誰かがあーやって言ったことが正解だから、
私が思ったことは不正解なんだ・・・・
ということはない、ということが伝えたいです🥰
感じる心地よさ・いい感じ♡も人によって違うから
誰かのいい感じ♡と自分のいい感じ♡が違ってもいい。
だからこそ、自分の感じた・考えたことが自分にとって唯一の「答え」
👆️そして、時に疑う。
その上で、意見が違うなぁと思ったときは
・それってどんな感じ?
・なんでそう思ったの?と興味をもって聞く、知りたいという姿勢でありたいと
思いました🥰
だから私のブログを読んで
私はそうは思わないな~や、
同じこと考えてた😂!!
という意見があって当然なんです。
そうしたら、
じゃあ私はどうしてそう思ったの?
とさらに自分に問えるからこそ、
全ての物事は、自分自身を育むきっかけなんだなあ、と実感します♡
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