▲2011 6・25

『桑田佳祐 33回目のデビュー記念日に 勝手に一人で生歌スペシャル』

術後初の公開生歌LIVE

術後初のライブで22曲を歌い切ったことは、われわれに超弩級の衝撃をもたらした。




▲♪願うは東北(遠く)で 生きる人の幸せ♪









④からの続き。




【2011年-<3・11>以後】

「桑田さん、何かやるんですか? やるんだったら是非声をかけて下さい!」


福山雅治の提案を受け桑田佳祐が旗振り役となり、東日本大震災のチャリティー・プロジェクトが誕生した。「チーム・アミューズ!!」、である。芸能プロダクションの垣根をこえることが難儀なのが日本の音楽界の現状ではあるが、アミューズの所属タレントが一丸となり、楽曲『Let's try again 』を完成させた。

震災後、戦前さながらにあらゆる表現活動が上から規制され自粛ムードが蔓延していた中、桑田佳祐も悩みながら答えを出した。こんな時こそ音楽の力が必要なのではないか?、みんなで歌うことが大切ではないだろうか?、と。


4月20日の配信開始前から問い合わせが殺到。前日19日CD&DVDの発売が発表された。


21日付でレコチョクデイリー1位獲得。5月25日、

チーム・アミューズ!!
『Let's try again』

発売、初登場2位、年間12位(31.2万枚)を記録。12月までの限定発売で得た収益2億485万6,336円が寄付された。


レコーディングとPV撮影でサザンオールスターズ5人が揃ったことは、心に留めておく必要があるだろう。サザン再始動のきざしはここから始まった。






5月末、桑田は仙台に向かい、Date fmからラジオの生放送を試みた。おそらく、ここで見た現実が桑田の魂を揺さぶったに違いない。


1ヶ月後、ついに桑田は術後初の生歌ライブにふみきる。



自分にできること・なすべきことは音楽以外ない。「悲しい時こそ歌うんだ!」声なき声、市井の声を形にしたい!-おそらく、このような決心が、震災後、桑田の音楽活動を支える実践的バネとなったに違いない。



<震災以前の音楽は通用しない>-それは桑田にとって聴き手の気持ちを共有し・応えたい、人生の傷み・哀しみに希望を灯したい、という意味ではないのだろうか。桑田佳祐もやがてまた同時に自らの真の再生を決意する。







6月25日
『桑田佳祐 33回目のデビュー記念日に 勝手に一人で生歌スペシャル』





【セットリスト】


01.瞳の中にレインボウ


MC
道端アンジェリカでございます。

去年は「ふとした病」に陥った。声援のおかげで、1年3ヶ月ぶりでステーシに帰って来られました。病気になって良かったと思うのは出会い。
今日は一生懸命、歌います。



02.現代人諸君(イマジン オール ザ ピープル)!!

03.SO WHAT?

04.いいひと ~Do you wanna be loved?~

05.OSAKA LADY BLUES~大阪レディ・ブルース~



MC
やっとみんなの前で『MUSICMAN』から披露できました。ありがとう。

これからも再生のお手伝いしたい。



06.栞(しおり)のテーマ

07.夕陽に別れを告げて

08.ロックン・ロール・スーパーマン ~Rock'n Roll Superman~


MC
メンバー紹介


09.古の風吹く杜

10.グッバイ・ワルツ

※歌詞を中盤全面変更。
広島と長崎と福島と悲劇を二度と繰り返さない、など。
このテイクは記録には残っていないが名演だった。



MC
今日はおかげ様で33年たちました。
33歳以下の方いますか?

うそばっかり。(きみまろ風に)ばばあが1番はねるんです。

キーボードに原由子、ドラマーで松田弘が登場!




11.My Foreplay Music


MC
松田弘が来週娘さんのおじいちゃんになります

原坊
ありがとうございます。
みなさんに応援されてここまで来ました♪




12.夕方 Hold On Me


MC
サザンは家族です。松田弘も含めて今後とも、よろしくお願いします。



13.真夏の果実

14.明日へのマーチ

15.それ行けベイビー!!

16.スキップ・ビート(SKIPPED BEAT)

17.銀河の星屑

18.悲しい気持ち(JUST A MAN IN LOVE)

19.本当は怖い愛とロマンス

※ラストでビートルズの『A Hard Days Night』 を口ずさむ


20.月光の聖者達(ミスター・ムーンライト)




【ENCORE】

EN1.明日晴れるかな

EN2.希望の轍






術後初のライブで22曲を歌い切ったことは、われわれに超弩級の衝撃をもたらした。
妻の原由子でさえ、「今回は肩慣らし的に10曲前後じゃないかと思っていた」、らしい。

「やはり音楽の力ってすごいです! 体力的にはまだ100%復活とは言えないかもしれませんが、音楽の神様から力を頂いて、また一段階パワーアップしたと確信しました。今回はアコースティックのアレンジで生歌という形でしたが、本格的なライブ復帰への手ごたえをつかんだと思います」(原由子)。






さらに、8月2日術後1年の検査でむしろ術前より健康であることが確定すると、8月5日、桑田はトリプルA面シングル発売ならびに『宮城ライブ~明日へのマーチ!!~』2デイズ開催を大々的に発表した。


『読売新聞』全面広告で

「東日本大震災から半年の節目に東北の地でのライブを開催」

のスローガンを掲げて。


1年後にライブをすることを目標としてきた桑田は、震災から丁度半年後の9月10日と11日に宮城のセキスイハイムスーパーアリーナ(グランディ・21)を選んだ。


東北の音楽の聖地としてサザンでもソロでもライブをしてきたこの会場は、震災直後、遺体安置所として使用された。桑田はここから再"出発"する決意を打ち固めたのだ!




「昨年のふとした病の間にもたくさんの応援を頂き、私自身すごく勇気づけられました。今度は私からの恩返しの気持ちを込めて、東北の地に歌を届けたいと思います」(桑田)、と。




次いで、2日後の8月7日、大阪FM802のオファーに応え、桑田は大阪・道頓堀に突如登場。6千人を前に、浴衣姿で、船上サプライズライブを敢行。大先輩・和田アキ子にエールを贈る『OSAKA LADY BLUES~大阪レディ・ブルース~』と、『希望の轍』を披露した。





さらに、3週連続Mステ出演と「SONGS」出演も発表されると、宮城ライブに向けた機運がいやましに高まっていった。




8月17日、桑田佳祐14thトリプルA面シングル

『明日へのマーチ /Let's try again ~Kuwata Keisuke ver.~ /ハダカ DE 音頭 ~祭りだ!! Naked~』

が発売。週間2位を獲得した。この3曲は本質的に宮城ライブのために作られたのであった。

故郷をテーマに東北で生きる人の幸せを願った弾き語り。現代技術文明への批判精神にあふれた団結と希望のROCK。上からの自粛ムードに真っ向から切りこんだクレイジー・キャツばりのジャズ音頭。3曲ともまさに東北のステージで「元気になろうぜ!の会」を実現するために具体化されたのだ。


こうして、9月10日-11日


『宮城ライブ ~明日へのマーチ!!~』




が宮城・セキスイハイムスーパーアリーナ(グランディ・21)で開催された。


会場前には櫓が組まれ、提灯が灯り、被災地の出店が盆踊りの祭りの雰囲気を醸し出した。地元のオーケストラやダンサーもライブ出演を快諾された。




4年ぶりのライブは鎮魂と再生の宴となった。




『青葉城恋唄』のカヴァーと黙祷から始まり、ニューアルバム『MUSICMAN』メドレーへ。続いて KUWATA BANDメドレーと深遠な鎮魂歌をはさみ、サザン・メドレーを披露。さらに終盤、「不謹慎なこともやっていい?」とうそぶきつつ桑田佳祐は、いっしょに「元気になろうぜ!」とばかりに一気にたたみかけた。

術後復帰した桑田佳祐の完全復活を疑う者はもはや誰もいなかったばかりではない。いや、むしろ再生と再起を賭けた桑田の気迫に誰もが息を飲んだ。会場は熱気に溢れ激震した。そして、バンドとオーディエンスは歌を介して通じ合い、やがてまた同時に会場は一つになった。


アンコールでは『それ行けベイビー!!』がややバラード的に解釈されてしまったものの、書き下ろしのoverture『約束』を挟み、桑田がまたこのステージに帰ってくることを誓うと、会場のボルテージは最高潮へ。ラストの『希望の轍』まで熱狂の嵐に叩きこんだ(全27曲)。








「もうお別れはたくさんだ」って言うなら

またこの場所で

逢う約束をしよう



泣きたいことは

誰にもあるだろう


また逢う日まで

元気でいてね








また帰ってくるぞ!




-書き下ろしoverture『約束』(桑田佳祐)








ステージの直後、桑田はスタッフに語った。


追加公演をやろう、会場をおさえてくれ、と。

始まる前はくよくよしたが、やったら手応えがあったとのちに語った桑田佳祐もまたグランディ・21で、音楽家として完全復活を遂げたのである。





2ヶ月後の11月23日、最速でDVDとBlu-rayが発売された。



また、12月8日には、オノ・ヨーコが呼びかける11回目の

『Dream Power ジョンレノン スーパー・ライヴ2011』

に初参加した桑田佳祐・斎藤誠・角田俊介・河村 "カースケ" 智康・深町栄は、ビートルズ・メドレー7曲を披露した。ヨーコが直前に桑田に送った手紙には「あなたのジョンの歌をずっと待っていました」と書き添えられていた。



そして、11年の締めくくりに追加公演



『マウントトレーニアダブル presents 桑田佳祐 ライブ in 神戸 & 横浜 2011 ~年忘れ!! みんなで元気になろうぜ!!の会~』



が、12月24日と25日は神戸ワールド記念ホールで、12月30日と31日が横浜アリーナで、開催された。




ライヴのもう一つの眼目は『MUSICMAN』に収録された全17曲を披露することでもあった(未映像化)。


大晦日公演は WOWOWと全国劇場で生中継された。特に台湾・香港・韓国の劇場でも中継された。



こうして、4th album『MUSICMAN』は真に完成を遂げた。







【Set list】

01.それ行けベイビー!!

02.現代人諸君(イマジン オール ザ ピープル)

03.いいひと ~Do you wanna be loved?~

04.ベガ

05.悲しみよこんにちは

06.グッバイ・ワルツ

07.SO WHAT?

08.古の風吹く杜

09.OSAKA LADY BLUES~大阪レディ・ブルース~

10.『そして、神戸』(横浜公演では替え歌『そして、ヨコーベ』 )

11.恋の大泥棒

12.本当は怖い愛とロマンス

13.傷だらけの天使

14.ダーリン

15.白い恋人達

16.シャ・ラ・ラ

17.狂った女

18.EARLY IN THE MORNING~旅立ちの朝~

19.私の世紀末カルテ 2013 ver.

20.明日へのマーチ

21.銀河の星屑

22.悲しい気持ち(JUST A MAN IN LOVE)

23.波乗りジョニー

24.Let's try again ~Kuwata Keisuke ver.~



【ENCORE】

EN1.こんな僕で良かったら

EN2.君にサヨナラを

EN3.月光の聖者達(ミスター・ムーンライト)

EN4.希望の轍(31日横浜公演のみ)






【12年】

桑田が術後から1年、一定のペースを保ちながら、ライブ活動を進められる目処が立ったのが2011年最大の収穫となった。


<3・11>以後、サザンそれぞれのメンバーに、桑田の復帰が刺激となった。


桑田を心身共に支え続けてきた原は、桑田と共に「宮城ライブ」のステージに立ち、デュエットでサポートした。


年末にアルバムを発売する関口も宮城会場で観覧し、サザン再始動がそう遠くないことを直観したのではないか。


松田も、みずからプロデュースするBEATCLUB NIGHTをはじめセッションやライヴ活動を進めた。2012年の途中には『新堂本兄弟』のバックでドラムを叩き刺激を得た。桑田復帰後初のアコースティックライブ以来、しびれを切らしていた。


野沢"毛ガニ"はヘルニア治療チームとリハビリに励みながら、桑田の病克服に一方ならぬ刺激を受けていた。11年3月に『ひかり』を録った杉本篤彦のライブにこの年1月20日、参加している。


機が熟しつつあった中で、原由子も『あじわい夕日新聞』の連載と同時にシンガー・ソング・ライターの活動を推進する。

11年1月にCMで『故郷』を歌ったことが貴重な経験となった。沖浦啓之監督の長編アニメーション映画

ももへの手紙

の主題歌

ウルワシマホロバ ~美しき場所~ 

を書き下ろした。震災以後に詞が完成した美しい曲で12年4月に映画が公開された。





2月26日の誕生日、20曲もの生歌をラジオの特番で演った桑田は、「俺は死ぬまで生きる!」と断言した。『100万年の幸せ!!』という曲が完成した。『ちびまる子ちゃん』の原作者さくらももこさん(2018年逝去)の詞に桑田が曲をつけたのだった。





⑥に続く。










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