②からのつづき。






【09年】

桑田佳祐のソロ活動と機を一にして、原由子もまた母なるミュージシャンとして等身大のソロ活動を進めた。

4月3日から朝日新聞の夕刊で『あじわい夕日新聞』という隔週金曜日に連載されるコラムが始まった。4年後の2013年3月29日に連載は終了し、同名の単行本が発売された。


結果的に、コラム終了はサザン復活★=再始動の号砲となった。原由子は4年もの間、音楽とサザンオールスターズの素晴らしさを語り続けてくれた。




けれども、この4年間、決して順風満帆ではなかった。原由子は以下のようにふり返っている。




連載を開始した時、
「実は同月、実家では母と義姉が相次いで脳疾患で倒れ入院。母は徐々に回復しましたが、義姉は厳しい状況が続きました。合間に病院に通いながらレコーディングした曲が、図らずも病院を舞台にしたドラマ『赤鼻のセンセイ』の主題歌『夢をアリガトウ』。桑田が作ってくれた曲に、私自身励まされた日々。7月、義姉の意識が戻り、初めて笑ってくれた時には兄と抱き合って泣き笑いしました。」

(原由子著『あじわい夕日新聞~夢をアリガトウ~』朝日新聞出版 206頁)




もし意識が戻っても一生寝たきりと言われた原の義姉は、当時、家業の手伝いやジャズ・シンガーのバイトも再開されたそうだ。




二人の入院中、暗中模索だった原を励ましたのが、夫・桑田佳祐が彼女に贈った楽曲『夢をアリガトウ』だった。






飛べない時には翼休めてよ

朝は……また来るから






「久しぶりのソロ・シングル曲として歌ったこの曲で、音楽には人を元気にする力があるのだとまさに体感しました。」(『同上』 9頁)








ひとつひとつ大切な生命は

どんな未来を描くの?



いつか旅立ち「サヨナラ」する時も


君は笑顔でいてね




飛べない時には翼休めてよ

朝は…また来るから






二度とない!! 波!!

夏 ヒカリの La Saison

終わらない!! 旅!!

だから Make your dreams come true.





夜空舞い!! 散る!!

夏かがりは 花火

そして窓を開けて Ole!!

みんなの愛言葉「Oh Yeah!!」…Ah






I'm gonna get you!!…

愛したらエエっチュウ!!…





止まらない!! 愛!!

夏 ココロに Oxygen

めぐり逢う!! 恋!!

君も Make your dreams come true.





変わらない!! 愛!!

夏 カラダに Love-Ozone

そして希望の歌を Refrain

太陽に生命燃やせ Again…Ah









『夢をアリガトウ』-原由子は8月19日、12年ぶり14枚目のこのシングルをリリース。


初登場5位を記録し、実に25年ぶりにトップテン入りとなった。カーペンターズの22年ぶりというインターバル記録を13年ぶりに更新したのだった。だが、記録以上に大切なことは、彼女自身がこの曲をリリースすることで、音楽家として再起したことである。




カップリングは『潮風のエトランゼ』。


桑田が原にプレゼントした(当時の)愛犬「クロちゃん」の血統書に記されていた名前である「エトランゼ」にちなんで、原が作った曲。



もう一曲は『私はピアノ(in Martin Club Live)』。

4月19日に原坊が、ギター、ヴォーカルで出演したライブの音源だ。エリック・クラプトンも愛用した老舗のギター・メーカー「マーティン」主催の


『MARTIN CLUB CONCERT』(SHIBUYA-AX)



である。

原由子は、斎藤誠、渡辺香津美、織田哲郎、根本要(スターダスト・レビュー)らと共演した。彼女は斎藤誠によりボサノバ調にアレンジされた件の『私はギター』にくわえ、クラプトンの『I Looked Away』『Can't Find My Way Home』を披露。

アンコールでは全員で『天国への扉』と『Listen To The Music』をジャム・セッションした。








原由子は9月、NHK『SONGS』に主演し、彼女の青春時代を語った。原・関口・桑田らが出版したエッセイの記述を想起させる良質な番組だった。


とりわけ、原が母校の青山学院大学キャンパスで、サークルの後輩であり現在サザンに欠かせない不動のサポート・ギタリストである斎藤誠と、『いちょう並木のセレナーデ』を演奏したシーンは感動的だった。




さらに、10月にはWOWOW主催のライブ


『WOW LIVE! THANKS FOR MUSIC』


に、原由子は斎藤誠率いるWFSBやSalyu、flumpoolらと共にソロで参加。『鎌倉物語』『夢をアリガトウ』を奏でた。






これに対し、桑田佳祐は原由子のサポートが終わるとすぐニュー・アルバムと新曲のレコーディングに突入した。




実は2008年12月22日-23日にバンド合宿を行い、かなりの手応えを感じていた。

この年、2009年にも、1月27日-28日、そして12月17日-18日(追って10年1月12日-13日さらに2月10日-11日)にも合宿に入り、新譜発表の機運はいよいよ高まった。






この勢いのまま、12月1日の<世界エイズデー>をはさんだ11月30日-12月2日、桑田佳祐は恒例のAAAに参加し、パシフィコ横浜で



『桑田佳祐 Act Against AIDS2009 映画音楽寅さん チャラン・ボランスキー監督・脚本・主演「男はしたいよ」』




を成功させた。道頓堀川長治に扮し映画音楽に特化した42曲を披露。

原由子がリードボーカルをとった『いつでも夢を』では、渡辺直美がスペシャル・ゲストで参加し、十八番の「エアビヨンセ」で、ステージを盛り上げた。


そして、『雨に唄えば』では、高所恐怖症の桑田が初めてフライングに挑戦した。




※※コンサートのフィナーレでは、桑田佳祐名義となる2年ぶりの新曲、

『君にサヨナラを』

が披露された。


12月9日に発売すると、7作連続・通算8作目の1位に輝いた。12月月間5位を獲得した。




※※桑田が次にAAAコンサートを開催するのは4年の時を要した(2013年の『昭和八十八年度!第二回ひとり紅白歌合戦』、全54曲歌唱。さらに、2018年には「平成三十年度!!第三回ひとり紅白歌合戦」を開催、全55曲歌唱。最初の2008年の「昭和八十三年度!ひとり紅白歌合戦」は全61曲歌唱


)※※











こうして、ソロアルバム完成に向けて着々と作業が進行する中、桑田佳祐の「ふとした病」が発覚したのであった。







ひるがえるに、2009年当時の時代状況としては、10月21日発売14枚目のシングル『RIVER』で、AKB48が結成から4年、自身初のオリコン1位を獲得し、ブレイク前夜情勢を迎えていた。

グループ名の雄叫びを号砲として、体を楽器のように打ち鳴らすストンプから始まるこの曲は、ヒップホップの要素を取り入れたR&B色の強い作品であり、最大の特徴は<私たちの試練>について自問自答する、リアリティーと反骨精神あふれる内容だった。




劇場から本格的にメジャーシーンに踊り出た「アキバよんじゅうはち」ならぬAKB48はこの年、紅白歌合戦に2年ぶり2度目の出演を果たすと、スマスマ正月特番にも全員で出演。先入観や偏見を一定程度、払拭するや否や、サイン会や握手会の列はものすごい勢いで倍増した。


派生ユニットのヒットも手伝い一つのムーヴメントを形成していく。5年間続けてきた握手会・さらにはブログが話題になったのも、「今、会いに行けるアイドル」、すなわちタレントというよりも素人同然だった彼女たちと直接、意見交換することでリアルに成長のプロセスを共有できるから、とされた。連ドラを見た「マジすか新規」、2度目の「選抜総選挙」、24時間テレビを見た「ヘビロテ新規」(俗にいう「さしこ」新規)というように、ファンの間でファン歴の長短に序列をもちこむ雰囲気さえもがブームを加速させた。


2010年のじゃんけん大会が開催された日本武道館で、ニューシングル『Beginner』のMVが公開されると、賛否両論となった。

サインプレー一つで、センター6パターン、別々のフォーメーションをとることが話題となり、評価は徐々に高まっていった。


だが、この曲『Beginner』は当時浸透しつつあった<シャウトしない>Kポップへの挑戦だったのであり、ボブ・ディラン『時代は変わる』風の歌詞による青春プロテストソングであった。

エレクトロを基調としたテクノR&Bの焼き直し的先駆けでもあった。<本気になれ>とメンバーに叱咤激励するこの曲で、AKBはレコ大を逃したものの、絶対に見返してやると決意した。



しかし、基本的に、AKB48は『ヘービーローテーション』以後、イベントを打ってメガ・ヒットを拡大する路線を濃化し、超(ウルトラ)商業主義に血眼となっていった。先駆性や革新性がオミットされ、メディア出演の倍加に比例して、年中行事が恒例化された。それと機を一にして、劇場公演の内容(セットリスト、楽曲、演出、パフォーマンス、チームの特性)が刷新されず定番化されていった。




AKB48結成以来の原点であった、アイドルでもアーティストでもないインディーズ畑から自然発生的に生まれたエンターテインメント集団による、メインストリームへの冒険と挑戦というテーマを、総合プロデューサーの秋元康じしんが徹底的に排除しグラビア・バラエティー型グループへと転換させてしまった。さらに、2014年の「大組閣」をもって本店-支店システムを解体しグループの一大リストラ・合理化が完成した。




良い面・悪い面もちながらAKB48は、しかし全力で現に今、駆け抜けてきた。


だが、

ついに2015年には等身大の反戦歌『僕たちは戦わない』を発表し、AKB48はカウンター・カルチャーであり続ける矜持を示した。

















ともあれ、ツアーでは生歌にも挑むHKT48、劇的で艶のあるステージをめざす『命は美しい』の乃木坂46、エモーショナルなラテン歌謡に特化した『サイレントマジョリティー』の欅坂46(現櫻坂46)に、注目が集まった。







この只中で、本隊のAKB48もまた、全盛期の歌謡曲を蘇らせるかのような、良質なポップスを粘り強く出し続けるようになった!


その只中で、ももいろクローバーZが初の女性ライブ・アイドルとして集客力を飛躍させ独自の活躍を見せ始めた。中島みゆき提供曲『泣いてもいいんだよ』で、自身初の週間1位を獲得。

 追記──2020年代現在、ももクロはメジャー女性アイドルグループが成熟してゆく方向性を示してくれている。

 例えば、こんな話がある。

https://otonano-shumatsu.com/articles/235541


 「何でハラボーなのかと答える代わりに、桑田佳祐は、ひょいとかがんで敷き詰められていた白い小石をひとつ、拾ってぼくに渡してくれた。

 答えが白い小石とは謎かけなのか、ぼくはキョトンとして、その小石をつまんだ。その表情を見て、桑田佳祐は、“でしょう!”と言った。


 “ほとんどの女性は、俺がこうやって何でもない小石を拾って渡しても、キョトンとするだけだと思うんです。でもハラボーは違うんです。俺がこうやって小石を渡す。すると彼女は、桑田さんがくれたものなら、何か絶対に意味がある。そう思って、小石を大切に持ってくれる人なんですね。世の中に多くの女性がいても、小石を大切に持っていてくれるのはハラボーだけなんです”と説明してくれた。」

(音楽評論家・岩田由記夫)


 ファンひとりひとりの「小石を大切に持ってくれる」のがももいろクローバーZなのではないか。

 この「小石」が、桑田佳祐にとっての「人生」「音楽」「作品」なのだとしたら、ももクロにとっては「いのち」「希望」なのではないだろうか。

 もちろん、ももクロは近年めざましく歌唱技術やパフォーマンス能力が成熟しているが、それはトークも含めて日本一技術が高いアイドルだから、末永く愛され続けている訳ではない。

 人生のその時々の局面や日々の生活で対面する生活実感、冠婚葬祭、喜怒哀楽……時には人知れず抱える<ファンの感情>にカタチを与えてくれるのがももいろクローバーZなのではないか。

 私は熱心なファンではないけれども、これがアイドルとしてももクロが第一線に起ち続ける根拠だと確信する。カリスマ然とした完ぺきなアイドルならファンが人知れず抱える生活実感とは交差することなく飽きられたことだろう、人それぞれの日々の感情にカタチを与えてくれる存在だったからこそたくさんの人々はももクロに共感し続けてきた。

 例えば、ミュージシャンならサザンオールスターズ、アイドルならももいろクローバーZ、この名前を知らぬ者は世の中にいない。

 奇跡は何度も繰り返されれば奇跡とは呼ばれない。それは軌跡となるのだ。

 











同時に、良質なポップスにこだわり続ける私立恵比寿中学が胎動すると共に、エッジの効いた楽曲とダイナミックなライブ・パフォーマンスで世界ツアーに挑み続けるBABYMETALらか独自の潮流を形成しつつある。


新生・モーニング娘。もまた世代交代を繰り返しつつ、伝統を継承している。




 









 




 

 













こうして、ガールズ・グループが一定注目を集めたのも10年代前・中盤、最大の特徴となった。


 

 

 



























だが、SMAPや嵐を始めとするジャニーズ勢や、ダンス&ヴォーカル・グループ EXILEらとも異なり、なお女性グループの今後は未知数である。アイドルという制限をこえて、社会的・音楽的評価を得るかどうかが鍵を握るだろう。

彼女たちもまた、サザンオールスターズが通ってきた、〈華やかなりし‘’茨の道‘’〉 を歩むことになるのだろうか?




 こうしてクロスオーバー全盛にして配信時代の今だからこそ、時代的要請に応えサザンオールスターズは復活を遂げた。



本物の音楽が時代を牽引しポピュラー・ミュージックが、歌謡曲が、ポップスが復権されなければならないからこそ、サザンオールスターズやB'z、Mr.Children、安室奈美恵らが必要なのだ。



2013年活動を再開したサザンオールスターズは2015年上半期年間3位のニュー・アルバム『葡萄』を発表。 Mr.Childrenも上半期5位につけたニュー・アルバム『REFLECTION』を発表。現下の日本音楽界に回答を叩きつけた!



そして、桑田佳祐はみずからの音楽的ルーツのありったけを注ぎこんだ「マイ・ブラッド」、円熟の『ヨシ子さん』を世に放ったのだ!



閑話休題。






その前夜である09年は、サザンのベーシスト関口和之が、ウクレレでハワイと日本を結ぶ国際交流を開始した記念すべき年となった。関口はこの年、プロデューサーとして、デビュー以来、最も多忙な時期を迎えた。




④につづく










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