デビュー18周年
サザンオールスターズ12th album
『Young Love』
('96.7.20)
週間1位
年間7位
(249.4万枚)
初のダブル・ミリオンセラー
Total︰64分48秒 14曲
シングル表題曲は3曲のみ
M1.胸いっぱいの愛と情熱をあなたへ
M2.ドラマで始まる恋なのに
M3.愛の言霊(ことだま)~Spiritual Message~
M4.Young Love(青春の終わりに)
M5.Moon Light Lover
M6.汚れた台所(キッチン)
M7.あなただけを~Summer Heartbreak~
M8.恋の歌を唄いましょう
M9.マリワナ伯爵
M10.愛無き愛児(まなご) ~Before The Storm
M11.恋のジャック・ナイフ
M12.Soul Bomber(ソウルボマー)(21世紀の精神爆破魔)
M13.太陽は罪な奴
M14.心を込めて花束を
小林武史とのコンビネーションを解消し、サザンがバンド・サウンドの基本に立ち返った作品が12枚目のアルバム『Young Love』である。
サザン第4期の幕開けと言ってもいい。
しかし、前作『世に万葉の花が咲くなり』以来、第2次ソロ活動の展開をはさんで、サザンをとり巻く情勢は大きく変動する。その結果、完成したアルバム『Young Love』は、ロックもポップスもコンテンポラリーもありながら、荒々しいバンド・サウンドが全面に出された圧巻の作品であった。このことはサザンが一つの音楽ジャンルには括られぬスケールの大きいバンドへと飛躍したことを意味した。
サザン、ユーミンが切り拓きロックバンドやミュージシャンの位置が確立した80年代後半を引き継ぎ、90年代に活躍したB'zやMr.Children、DREAMS COME TRUEや安室奈美恵らはCD全盛期にデビューし、新しい世代に受け入れられ爆発的なヒットを連発した。
では、サザンの違いとは何だろう?
それは、
①日本で初めて「国民的バンド」と認められ、道を切り拓いてきたロック・バンド、ミュージシャン、音楽グループであること。
唯一無二の大衆的ロック・バンド。
②売上に波があったり、必ずしも年間1位でないのに、最も楽曲(および楽曲のフレーズ)が知られる記憶に残るバンドであること。
③大衆性と革新性、トラディショナリーとコンテンポラリーの絶妙なバランス感覚。ありとあらゆる音楽ジャンルをなんの矛盾なく止揚できる、その類い稀なる想像力と創造力。
④プロデビュー46周年を迎え、音楽パッケージが劇的な変貌を遂げたにもかかわらず、未だにオリジナル・アルバムの売上げが年間50万枚をこえるバンドであること。
すなわち、過去の栄光(曲、ネームバリュー)中心ではなく、まずもって不断に現在進行形の持ち歌で勝負を始めるグループなのである。
その可能根拠は、デビュー以来一貫し、栄光に輝いたまさにその次の瞬間から、勇気をもって己を否定し、厳しく新たな方向性を提示し勝負してきた━━<否定の否定>━━というサザン独自のスタイルの革命性にこそある。と同時に、場所的かつ不断に<原始創造>を繰り返してきたその<作品至上主義>=<作品原理主義>にこそある。
「今回のツアーの選曲をするために、サザンの楽曲を全部聴いてみたんだけど、冷や汗が止まらなかったよ。サザンはもっといい曲がたくさんあると思ったんだけど、ほとんどダメだね。……特に、メンバーの演奏はいいんだけど、歌詞がダメ。俺なんで当時、こんなこと書いちゃったんだろうな……」(2013年胸熱ツアー直前、桑田談)
本能的に、桑田佳祐は過去の作品に満足せず、現に今つくっている作品(ポップス)に全力を注ぎ込み、世に出す作家なのだ。
サザンが、まずもって、最新作から勝負する、否、勝負できる所以である。
けだし、時代の波に呑まれるアーティスト、グループには必ずと言って良い<ある習性>がある。ステージでの演目も曲順も替えずに「美しい過去」「楽しかった思い出」「昨日までの栄光」をア・プリオリに自画自賛し未来永劫<必死に守ろう守ろう>としてきたのが、これまでの歌謡界の歴史であった(<現実肯定主義>と<肯定的現実主義>への転落)。
これに対して、
━━<否定的立場>=<歴史創造の立場>=<新たな作品を届け続ける作品至上主義>━━こそサザンの“魂”にほかならない。
サザンにとって92年から4年間が1番厳しい時期だったと思うが、結果的にシングル・アルバムとも過去最高の売上げを記録し、比類なき大衆性とジャンルの壁をこえる音楽スタイルを打ち出したことは特筆すべきである。
その意味で12thアルバム『Young Love』とは、一言で言って、高い作品クオリティーを保ちながらも、明確な弱点が見当たらず、可能な限り無駄を削ぎ落とした、プロのコンテンポラリー・アルバムである。
小林武史との制作面での"蜜月"に終止符を打ち、関口も復帰、以降サザンはバンド・サウンドを濃化してゆく。
【93年】
アルバム『世に万葉の花が咲くなり』を発表し、越年全国ツアー
『歌う日本シリーズ 1992-1993』
を成功させたサザンは、7月21日、またもシングルを〈2枚同時発売〉し、以下にみるように爆発的なヒットを記録する。
32枚目の
『エロティカ・セブン EROTICA SEVEN』
(1位)
と、
『素敵なバーディー(NO NO BIRDY)』
(3位49.4万枚)
である。
<エロティカ・セブン>は通算2週1位、年間4位を獲得。
売上は実に171万7千枚に達し、サザンはデビューから15年目にして、ついに売上1,000万枚を突破した
(そもそも本作『エロティカ・セブン EROTICA SEVEN』は、『TSUNAMI』に次ぐサザン歴代シングル売上2位)。
また、8月21日には
「Z団」
名義で、サザンのマスタリングテープを使用したリミックスのオムニバス盤
『江ノ島 Southern All Stars Golden Hits Medley』
のアナログ盤がリリースされた。9月8日にはCDも発売され週間2位を記録しロングセラーとなった(年間21位86.3万枚)。
他面、10月8日桑田佳祐名義で、5年ぶりの作品が発表された。
ボブ・ディラン調のフォーク・ロック全開のシングル
『真夜中のダンディー』
は、さしもの辛口音楽ファンに激震をもたらした。シンプルでエッジの効いた骨太なサウンドに挑んでいたからである。
ソロ名義で初のシングル週間1位に輝き、66.6万枚を売上げた。このシンガー・ソング・ライティングの原点に回帰する、いぶし銀のフォーク・ロックサウンドは、翌年発表する名盤中の名盤ソロ2ndアルバム『孤独の太陽』のまさに号砲であった。
そして、11月20日にサザンは、(11thシングル『シャ・ラ・ラ』、11thアルバム収録『CHRISTMAS TIME FOREVER』に次ぐ)クリスマス・ソングのシングル
『クリスマス・ラブ(涙のあとには白い雪が降る)』
を発売(C/Wは本格的なファンク『 ゆけ!! 力道山』)。週間3位(44.4万枚)を記録。この作品はサザンが小林武史にプロデュースを委ねる最後の作品となった。
以降、サザンオールスターズみずからがプロデュースを務めることになる。このことはストレートなバンド・サウンドへの原点回帰を意志したものとしての画期的な意義をもつ。
12月1日には日本武道館で開催された第1回目のAAA『Act Against AIDS '93』に桑田佳祐が出演。以後、毎年恒例となった。
エイズに対する正確な知識をもち、その予防の仕方を知ってもらうよう呼びかける取り組みで、
桑田はテーマ曲『光の世界』を奥田民生、宮田和弥&奥居 香(岸谷 香)と披露。
さらに美輪明宏『ヨイトマケの唄』をカヴァー。
2000年にNHKで桑田のライブが放送された際、「放送禁止」のためカットされたこの曲『ヨイトマケの唄』を、2012年、美輪本人が紅白で熱唱し・大喝采されたことは、実に感慨深いものであった。
さらに、一転して、12月11日~94年1月6日までサザンは越年ライブ、横浜アリーナ〈12デイズ〉公演を開催した。
『Victor PRESENTS 1993年末スペシャル サザンオールスターズ「しじみのお味噌汁コンサート」 at 横浜アリーナ』
である。これをもって、94年、サザンは第2次ソロ活動展開期へと移行する。
【94年】
この年の桑田佳祐は、ソロ1stアルバム『Keisuke Kuwata』でみせた珠玉のポップスから一転、アコースティックをメインとした第2の名盤を完成させる。
3月から8月までレコーディングを行うと、8月24日にはこの年のレコ大を争った和の名曲
『月』
を先行リリース(4位、34.8万枚)。
そして、9月23日には、完成度の高いフォーク・ロック・アルバム
桑田佳祐最高傑作
『孤独の太陽』
を発表した(1位、年間14位75.8万枚)。
制作期間中に母の死が影を投げかけたこのアルバムは入魂のソロワークスとなった。
さらに、2ndソロアルバムツアーを飾る印象的なナンバーをラインナップする必要性に迫られて、バラードとして5枚目のシングル
『祭りのあと』
を発表し2位を獲得。94年29.6万枚、95年51.4万枚、足かけ2年、累積で81.0万枚を記録した。
この曲のC/Wでありアルバムにも収録された『すべての歌に懺悔しな!!』は論争にも発展。
ニューミュージック系ミュージシャンの本性を暴き出しながらクワタ自らの道化性をも揶揄したこの曲は、長渕剛と、ロックンローラーの矢沢永吉(歌詞の一カ所)を指したものだと週刊誌がことさらに煽り、書き立てた。桑田は釈明会見を開き、それぞれの所属事務所に「謝罪文」を送付する事態にまで発展。これに対して、矢沢は桑田を擁護する貫禄をみせたものの、長渕は激昂し雑誌で桑田に悪罵を浴びせかけた。吉田拓郎と共に泉谷しげるが、矢沢の対応は大人・長渕は歌で対抗しろや、と諌めると長渕は鎮静化。だが実際に翌年1月、長渕が大麻取締法違反で逮捕されると、この一連の騒動にピリオドが打たれた。
(その後、周知のように、長渕剛も音楽活動を再開し、独自の道を歩み、今に至るのは喜ばしい限り)。
なお、曲そのものはブルージーな傑作である。
桑田佳祐はアルバム発売後、9月29日から12月31日まで初のソロツアー
『桑田佳祐LIVE TOUR'94 "さのさのさ" 』
を開催。
10月28日には
『桑田佳祐 青山学院大学 学園祭ライブ「帰ってきた青山のダンディー」』
を青学記念館で実現した。
そして12月1日日本武道館で、
『Act Against AIDS '94』
に、サザンオールスターズとして出演したのである。コバタケがお膳立てした『奇跡の地球(ほし)』を桑田佳祐は Mr.Childrenと披露した。
【95年】
1月23日、桑田佳祐&Mr.Children名義で、AAAチャリティー・ソング
『奇跡の地球』(きせきのほし)
を発売。1位、年間7位、171万6千枚を売上げた。同シングルは桑田佳祐名義での最高売上を記録している。
当初的に小林武史が進行させたプロジェクトで、桑田は面くらったと思われるが気鋭のミュージシャンとブラック・コンテンポラリーをギグしたことは大いに刺激となったと思われる。
ミスチルも5thシングル『innocent world』が94年年間1位を記録した時であった。
桑田佳祐とMr.Childrenは、4月18日から名古屋レインボーホール2デイズ、4月28日から代々木第一体育館6デイズ、5月10日から14日まで大阪城ホール4デイズのジョイント・コンサート・ツアーに出た。
それは「地球と人類」をテーマに、洋楽の歴史的名曲をふんだんに取り入れた、ロック・オペラ的構成にもとづく、以下のような共同ライヴ・ツアーであった。
『LIVE UFO'95 桑田佳祐&Mr.Children "Acoustic Revolution with Orchestra" 奇跡の地球(ほし)』
【セットリスト】
<第1章 誕生~成長>
01.Mother / John Lennon
02.Here Comes The Sun / The Beatles
03.Oh My Love / John Lennon
<第2章 学校時代~非行>
04.How / John Lennon
05.Crocodile Rock / Elton John
06.Boom Boom / The Animals
07.The Real Me / The Who
08.Born to be wild / Steppenwolf
<全体主義>
09.A Day In The Life / The Beatles
10.Bohemian Rhapsody /Queen
<戦争~破壊>
11.Helter Skelter / The Beatles
12.It's All Over Now, Baby Blue / Bob Dylan
13.In My Life / The Beatles
<経済成長期>
14.Money / Pink Floyd
15.Tax Man / The Beatles
<第3章 Love & Peace>
16.Somebody To Love / Jefferson Airplane
17.Light My Fire / The Doors
18.Strawberry Fields Forever / The Beatles
<カオスの時代>
19.Telegram Sam / T.Rex
20.Cold Turkey / John Lennon
21.God Save The Queen / Sex Pistols
22.Suffragette City / David Bowie
<救済>
23.Like A Rolling Stone / Bob Dylan
24.Across The Universe / The Beatles
<グランドフィナーレ>
25.奇跡の地球(ほし) / 桑田佳祐&Mr.Children
<ENCORE>
26.悲しきわがこころ /ハナ肇とクレージーキャッツ
27.(I Can't Get No)Satisfaction / The Rolling Stones
②へ続く。
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