▲▼桑田佳祐コメント(サザンオールスターズ公式)

どうもお騒がせしております。
サザンオールスターズ・桑田佳祐です。
昨年、我々はデビュー45周年を迎えまして、新曲のリリースに「茅ヶ崎ライブ2023」の開催と、皆様のおかげで大変充実した1年を過ごさせていただきました。本当にありがとうございました!!



あっという間に時は過ぎて、本日また、デビュー記念日が巡って参りましたが、サザンオールスターズの活動は・・・続きます!!



昨年冬よりスタジオに日々通い詰めておりまして、現在9年ぶり16作目のオリジナル・アルバムを年内にリリースするべく鋭意制作中であります!!



デビューした当初はナウでヤングな若者だった我々サザンですが、気がつけばメンバー全員古希目前(汗)
※毛ガニは今年10月で70歳。
昭和から平成、平成から令和へと世は移ろい、音楽の聴かれ方も目まぐるしく変わって参りましたが、我々のやるべきことは常に「新曲を作り、届けること」。やはり、これに尽きるのではないでしょうか。しかし、オリジナル・アルバムをひとつ作るのには、非常に長い時間と労力がかかってしまうのが現実であり、それなりの覚悟がいることも正直なところであります。
しかし、ここまできたらメンバー全員腹を括り、今のサザンに出せるすべてをもって、全身全霊で“オリジナル・アルバム”を創りお届けすることを、ここに宣言いたします!!



そして、6年ぶりにROCK IN JAPAN FESTIVALにも出させていただくことになりました!!
なお、今回の出演をもって、サザンオールスターズ、“最後の夏フェス出演”とさせていただければと思っております。我々高齢者バンドにとって、令和の夏は暑すぎるよ(笑)
一旦、サザンは今回で卒業させていただき、後進の素晴らしいミュージシャンたちに日本の夏フェスの未来は託したいと思います。(それでいいよね、渋谷会長?)
今年は、ROCK IN JAPAN FESTIVALが25周年ということで、超ど派手な夏祭り(フェス)と行こうじゃありませんか!!  



そんなこんなで、まずは新曲「恋のブギウギナイト」の配信リリースから始めさせていただきたいと思います。
切ないながらもノリノリなナンバーですので、たくさん聴いてちょうだい♡
アルバムに関しては、もうしばらくお待ちくださいね。
皆様どうぞよろしくお願いいたします!!



サザンオールスターズ 桑田佳祐



 



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▲Bye Bye My Love(U are the one)

▲古戦場で濡れん坊は昭和のHero

▲欲しくて欲しくてたまらない

▲死体置場でロマンスを


サザンオールスターズ 8th album 
『KAMAKURA』
(1985.9.14)




ビクターTAISHITAレーベル

週間1位(週連続)
LP-週連続1位
CT-週連続1位
(CT(カセット)歴代21位 32.0万本)
CD-週連続1位

トータル10週連続1位



1985年LP年間4位(76.6万枚)
トータル150万組以上

※貸しレコード屋(レンタル)が一般化される。

CDの販売始まる。





DISC-1
A面
M1.Computer Children
M2.真昼の情景(このせまい野原いっぱい)
M3.古戦場で濡れん坊は昭和のHero
M4.愛する女性(ひと)とのすれ違い
M5.死体置場でロマンスを



B面
M6.欲しくて欲しくてたまらない
M7.Happy Birthday
M8.Melody(メロディ)
M9.吉田拓郎の唄
M10.鎌倉物語




DISC-2
A面
M1.顔
M2.Bye Bye My Love(U are the one)
M3.Brown Cherry
M4.Please!
M5.星空のビリー・ホリディ



B面
M6.最後の日射病
M7.夕陽に別れを告げて ~ メリーゴーランド
M8.怪物君の空
M9.Long-haired Lady
M10.悲しみはメリーゴーランド


※※シングル2曲
Bye Bye My Love(U are the one)
Melody(メロディ)
※※未発表新曲18曲





 前作『人気者で行こう』で達成した80年代日本ROCKシーンの革命的総括、これをいかにのりこえてゆくかが問われていた。サザンはここで迷わずデビュー以来の総決算に突き進む。

 音楽制作の場面に導入されたコンピューター・デジタル化の波に対して、バンドというアナログ的生産スタイルを護持しつつ、遮二無二格闘してゆく。

 こうして、サザンオールスターズ版『ザ・ビートルズ』(通称ホワイト・アルバム)制作へと行きつかざるをえなかった。



 自分たちが経験し体験してきた古今東西の音楽と向き合いながら、革新と伝統を突き破ろうと試みた。その結果、デビュー以来の集大成にして、日本ポピュラー音楽シーンにメガトン級の激震をもたらした、サザン8th二枚組ロック・アルバム『KAMAKURA』が完成した。

(全20曲。シングルカット2曲、オリジナル新曲18曲。)


(桑田は神奈川の古都・鎌倉に所在する鎌倉学園高校出身。鎌倉-“いにしえ”と現代との古今(ここん)が交差する風景。



デビューからわずか7周年=8年目のことだった……。

▲ナラ・レオン『美しきボサノヴァのミューズ(Dez Anos Depois)』二枚組アルバム


 1984年冬から始まったレコーディングの過程で、原由子が産休に入ったため、キーボードに大谷幸、コーラスにシンガーのEPOとイリアが参加した。そして前作以上に、シンセサイザーとコンピューター・プログラマーの藤井丈司の役割が増した。


 レコーデイングは1,800時間にも及んだ。7月発売の予定が1ヶ月順延され、初の2枚組となることが発表。最終的には9月14日発売となったほどだ。スマートホンやフューチャーホンなど携帯電話もなければパソコンすらない時代、コンピューターからアコースティックまで試行錯誤が繰り返され、延々と制作活動が続いた。




 年明け8日から、7thアルバム『人気者で行こう』をひっさげた越年ツアー

『大衆音楽取締法違反「やっぱりあいつはクロだった!」~実刑判決2月まで~』

が再開された。
 前年10月25日に神奈川県民ホール2デイズがスタートし、この年85年の2月6日、日本武道館3デイズでファイナルを飾るまで、全50公演平均20曲、18万3,500人を動員した。




 次いで、5月29日には22枚目のシングル

Bye Bye My Love(U are the one)

がリリースされた。

 週間最高4位、ベストテン3週連続1位を獲得した。年間36.5万枚を売上げ、『チャコの海岸物語』以来3年ぶりに30万枚を突破した。

 サザン新境地のアコースティックにしてエスニックな雰囲気のあるラテン・ロックで、色彩感覚豊かに幾重にもコラージュする鉄壁のメロディラインは、当時の音楽シーンにおいても斬新で、さしもの辛口音楽ファンをも驚嘆させた。


 その場合、3月から6月にこの新曲をふくむサザンの楽曲が次々とBGMとして流れる連ドラ『ふぞろいの林檎たちⅡ』が放送されたことも(平均18%)追い風となったのは間違いない。



 さらにサザンは、アルバム発売を再び1ヶ月延期した8月21日に、ニュー・シングル

メロディ(Melody)

を発表。
(アルバム収録時のタイトルは
Melody(メロディ)』に変更。)


 この曲を明石家さんまが赤い涙を流しながら口ずさむ8thアルバムのCMもオンエアされ、話題が話題を呼んだ。

 <メロディ>はついに週間最高2位、ベストテン2週連続1位に輝き、『チャコの海岸物語』以来の大ヒットとなった(4度目のオリコン週間シングルチャート2位、年間23.4万枚。
 (なお、サザンがオリコン週間1位になったのは「KUWATA BAND」より後、デビュー11周年の1989年。「さよならベイビー」で達成。)

 ゴスペル色の強いフィル・コリンズ風のサウンドにインスピレーションを受けたスロー・バラード。胸かきむしられるような切ないメロディ・歌詞・コーラスに、誰もが何といい曲なのだろう!、と感嘆したのだった。





 『Bye Bye My Love(U are the one)』と『Melody(メロディ)』は、『ミス・ブラン・ニュー・デイ(MISS BRAND-NEW DAY)』や『海』ともまた異なる、洗練され完成されたポップスのエッセンスがすべて詰まっていた。天才の作品としか言い様がない。楽曲クオリティの高さがサザンの持ち味と絶賛された。
 チェッカーズがティーンネージャーに支持され爆発的なヒットを飛ばしていたが、右のシングル2曲と二枚組アルバム『KAMAKURA』に衝撃を受けた彼らは、翌年から自らの音楽世界観を全面に出した傑作群-『Song for U.S.A.』を決定的な区切りとし、自作の『NANA』『I Love you, SAYONARA』『WANDERER』を次々と発表した程のインパクトをもたらした(この只中、1986年は渡辺美里や久保田利伸らソロシンガーがブレイクしてゆく)。


 ファンが2ヶ月待ったサザンのニューアルバムは秋にようやく発売された。

 それから、1週間後、当時交流していたアフリカ現地のトップバンド「トゥレ・クンダ」を招いたツアーが開始された。


『KAMAKURA TO SENEGAL 
サザンオールスターズ AVEC トゥレ・クンダ』


である。
 9月21日、名古屋中央競輪場から開幕。つづいて、大阪球場、西武球場、横浜スタジアムと、全8公演土日2デイズで、公称20万人を動員した。

 『いとしのエリー』から始まり、終盤トゥレ・クンダとのアフリカン・ジャンゴ・ビートとラテン・サウンドとビート・ロックが融合したかのようなダイナミックなジョイントをはさみ、ラストに『YaYa』で締めた全22曲の本ツアーは、第2期サザンの総決算と言うべき伝説的なライブとなった。
 サザンとして次のツアーに出るのは、3年後の1988年だった。




 話しは前後するが、この年、6月16日には国立霞ヶ丘陸上競技場に新旧ミュージシャンが総結集した


『国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW by LION』


である。
 佐野元春のステージに桑田が飛び入り参加し、『夕方Hold On Me』をセッションしたことが大きな話題となった。




 そして、アルバムを発表しツアーを終えると、サザンのメンバーはソロ活動を充実させる方向に向かってゆく。


 近年、桑田と関口の方向性をめぐる確執が取り沙汰されたこともあったが、どうでもいいことではある。

 一つ言えるのは、関口はゆったりと音楽を進めたいタイプだと思うし、桑田は時代的要請に応えながら日本の音楽シーンを牽引する、自信にあふれていた時期ではあった。

 桑田佳祐がプロデューサー的に立ち回り始めたのが<サザン第3期>である。

 私は『KAMAKURA』発表以後を“サザン第2期”と呼ぶ立場はとらない。

 <サザン第1期の総括>80年の『タイニイ・バブルス』と、<サザン第2期の総括>『KAMAKURA』とでは、技術面も音楽界におけるサザンの地位も、月とスッポンほど違うからだ。したがって、私は『ステレオ太陽族』発表から『KAMAKURA』発表まで<第2期サザン>、『KAMAKURA』発表以後を<第3期サザン>と規定したい。

 翌年86年に桑田佳祐は、「KUWATA BAND」名義でついにオリコンシングルチャートで週間1位、ならびに「ザ・ベストテン」ランキング年間1位を獲得し、御本家サザンもモンスター・バンドたるの名声をほしいままにする。

 だが、私はデビューから7年間(=私の区分で<第2期終了まで>)のサザンの方が、アミューズの試行錯誤ともからんで、"結果的"に、もっとも生き急いでいたのではないかと思う。
 サザンはデビューからたった7年の間に、ロック・バンドとしてのすべての試みをやり遂げてしまった、と言っても過言ではない。

 したがって、サザンオールスターズは8枚目のアルバム
『KAMAKURA』をもって日本ROCKシーンを極め尽くした。

 それ以後<第3期サザン>は、サウンドの進化よりも、その時々の音楽的テーマと音楽クオリティーの高さ・緻密さを武器に、膨大なメガヒットを連発し、日本音楽シーンを牽引してゆく。そして、先輩同志・山下達郎の音楽姿勢に共鳴してゆくのだった。
 その意味で『KAMAKURA』はデビュー以来のサザンの決定的な区切りをなした。


 こうして、サザンが切り拓きロック・ミュージシャンの歌謡界におけるステイタスが確立したことで、マライア出身の一流ミュージシャンを輩出した音楽制作集団・ビーイング系のBOФWYに、B'z、そしてMr.Childrenが後に(もっともCDが売れた時代に)、サザンが掃き清めた“道”に続く事となる。

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8th album 『KAMAKURA』
(1985.9.14)


DISC-1
A面
M1.Computer Children
M2.真昼の情景(このせまい野原いっぱい)
M3.古戦場で濡れん坊は昭和のHero
M4.愛する女性(ひと)とのすれ違い
M5.死体置場でロマンスを



B面
M6.欲しくて欲しくてたまらない
M7.Happy Birthday
M8.Melody(メロディ)
M9.吉田拓郎の唄
M10.鎌倉物語




DISC-2
A面
M1.顔
M2.Bye Bye My Love(U are the one)
M3.Brown Cherry
M4.Please!
M5.星空のビリー・ホリディ



B面
M6!?最後の日射病
M7.夕陽に別れを告げて ~ メリーゴーランド
M8.怪物君の空
M9.Long-haired Lady
M10.悲しみはメリーゴーランド




シングル2曲
オリジナル新曲18曲






【DISC-1A面】

①『Computer Children』

 コンピューター・デジタル・システムを全面的に導入しながら、ド迫力のサウンドをつくりだした、過去最強のアルバム・オープニングナンバー。
 プリンスのように音楽ジャンルをこえるファンキーなダンス・ビートにしてデジタル・ロック、テクノ・ポップだ。内容は、普及しつつあったコンピューターにのめりこむ子供たちを憂いた内容。
 このアルバムから現代“ニッポン”の右傾化に対する<桑田クリティシズム>が本格的に始まったと言って良い。桑田の作家性が全面的に開花し、時代のあらゆるトピックが楽曲のテーマとなってゆく。

 この曲のラストは、サッチモばりの歌唱スタイルで、ドリス・デイの『Teacher's Pet(先生のお気に入り)』の一節を口ずさみフェイド・アウトするのも見事。

 2014年2015年のライブで嵐を巻き起こした。

 それにしても、このアルバムの冒頭からの3曲、いや5曲のクオリティの高さは見事と言う他ない。これぞ二枚組オリジナルアルバムのオープニング!
 ザ・ビートルズの『ザ・ビートルズ』(通称ホワイト・アルバム)、『アビー・ロード』、ボブ・ディラン『ブロンド・オン・ブロンド』ばりの二枚組ROCKアルバムにふさわしい、完ぺきな5曲だ!
 デジタルビートロック、ディスコビート、クワタ版サイケデリック・ロック、ジャンゴー・ビート、ジャズ、ボサ・ノヴァ、ブルース・ロック、バラード、さらにはグラム・ロック、歌謡曲、ポップス、ロック……すべての音楽の要素が火花を散らし、リスナーにたたみかけてくる!
 アルバムでもライブの曲順でも、イントロとアウトロの繋がりが<肝>な訳だが、メジャーとインディーズすべて探しても、これほど成功した日本のロックアルバムは皆無だろう。これぞ二枚組ROCKアルバム!





②『真昼の情景(このせまい野原いっぱい)』

 アフリカン・ビート・サウンド。
 スティングやプリンスの影響も垣間見える。だが、ブルースを感じさせるつくりで、個人的にはマディ・ウォーターズⅡと呼んでいる。日本型タテ社会への諷刺。

 たたみかけるジャンゴ・ビートは圧巻。




③『古戦場で濡れん坊は昭和のHero』

 古都鎌倉・稲村ヶ崎の歴史をふと想起させる幻想的でジャジィな傑作。

(アルバム発表は同時期の)スティング『ブルー・タートルの夢』、その後発表された『ナッシング・ライク・ザ・サン』の風情。

 桑田佳祐ソロアルバム『MUSICMAN』収録曲『古の風吹く杜』へと完成された。




④『愛する女性(ひと)とのすれ違い』

 ジャジーなミドル・ナンバーの次は、エリック・クラプトン風バラードへ。

 火のうちどころのない緻密な楽曲だ。
 2014胸熱ライヴでは哀愁に包まれた。

 この歌の肝は、ラストでこれまでの歌詞をすべてひっくり返す

I don't wanna be the one you love
君だけにモテる俺さ
Somethin's gonna be better to me
この世で一番
You are my love

参りました!というほかない。最後の最後にきて熱い思いが吐露されることで、一瞬にして世界が一変するのだ。





⑤『死体置場でロマンスを』

 <マチルダ>、<メリケン情緒>に続く、ミステリ・アクション活劇の決定版。

 歌詞には「Tボーン」(T・ボーン・バーネット)も登場する。

 原坊の産休をカバーした「EPO」のコーラスも絶品。





 繰り返し聴き慣れて間を置き、久々に聴くと、やっぱりこのアルバムは完成度が高い!


 年越しライブ2014、ライブツアー2015『おいしい葡萄の旅』と連続的に選曲されている。





【DISC-1B面】

⑥『欲しくて欲しくてたまらない』

 来た!リズム&ブルースの傑作。

 マディ・ウォーターズ、B.B.キング、アルバート・キングら黒人ブルーズメンらに焦がれつつ、白人に生まれたことを嘆く荒ぶるエリック・クラプトンと言った風情。




⑦『Happy Birthday』

 この曲はスティーヴィー・ワンダーというより、モータウン・サウンドの伝統に根差していた『ビリー・ジーン』の手前くらいの頃のマイケル・ジャクソンを想起させる。
 それと筒美京平へのオマージュだろうか。

 ストレートなバースデー・ソングで、サビの裏声(ファルセット)は絶妙。




⑧『Melody(メロディ)』

 時代をこえる名曲。

 ジョンの『ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー』に匹敵する天才的なメロディ・ラインだ。

 原盤のコーラスは産休中の原由子に代わってイリア。

 独創的な作品でこれをこえるロッカ・バラッドは桑田その人以外には誰もつくれなかった。


 メロディ・サウンド・ハーモニーは、『真夏の果実』以上に、神がかっている。
 失恋をモチーフとしたこの曲の本質は、現代日本に蘇ったゴスペルであり黒人霊歌である。



あの頃は Together ありのままでいい
瞳の奥には 海辺のカーニバル
時が流れても 君よBe good to me


いい女には Forever 夏がまた来る
泣かないで マリア いつかまた逢える
誰かれ恋すりゃ 悲しみに濡れ
And my hert went zoom,with you



 年越しライブ2014でのこの曲のステージは素晴らしかった!









⑨『吉田拓郎の唄

 70年代にキャリアを開始した全てのミュージシャンにとってのアイドルは吉田拓郎だが、原由子も桑田も拓郎に影響を受けてきた。

 歌詞の中で、※当時「引退」が噂された拓郎に反骨のエールを贈り話題になった時も、むしろ拓郎の方が率先して桑田を擁護した。


 ※この年の7月27日-28日、拓郎は10年ぶり2度目の『つま恋オールナイトコンサート』を大々的に実現したが、このコンサートをもってライヴ活動を一時「休止」する旨を発表した。(のちに撤回)。※



 桑田らしい“照れの美学”にもとづく“反骨のエール”であることを拓郎は熟知していた。そして、“フォークの神”拓郎にとって、折りも折り、※若年の後輩が自分の事を歌にしたことが嬉しかったのだろう。それは拓郎もまた桑田に自分の面影を視ない訳ではなかったからでもある。



 余談だが、2013年8月8日代々木第一体育館で開催された『坂崎幸之助のお台場フォーク村10周年第36夜』で、坂崎幸之助(THE ALFEE)のバンドをバックに、「私立恵比寿中学」の松野莉奈が、拓郎の『今日までそして明日から』(71)を生歌披露した。坂崎幸之助によると、のちにVTRを観た拓郎は十代半ばの女の娘が自分の曲を心をこめ歌ったことをたいそう喜んだそうだ。
【追記】
 ▲2017年に早世された松野莉奈さん(りななん イメージカラーは青)の意志はエビ中が、さらには〈ドラマティック・ポップス〉を基本路線とするまでに成長した不屈のukka(うっか、桜エビ~ずから2019年に改名)が必ずや、《受け継ぎ・のりこえ・発展させる》だろう❗

「♪この空が青いのは~君のためなのさ」(『リンドバーグ』より)

 エビ中の「研究生的存在」として出発したukka(うっか)もまた、誰からも期待されない屈辱感をバネに、時間にしてわずか30分~40分の一瞬のステージで聴衆の心に刻み込む劇的な楽曲パフォーマンスを我が物とし、目覚ましい飛躍を遂げた※



Searchin' for my life with you, boy. Oh,oh,oh.
I wouldn't be the same as you, however.

届かぬ思いに気もそぞろ あれはただの夢か
唄えぬお前に誰が酔う やがて闇に消える

Ah, 俺なら過去など語らない 男の気持ちで思う
Oh,oh,oh feeling のボス 生まれ変われよ
I don't care, I don't care. さよなら My hero
I don't know, I don't know. 悲しみよ Hello



Searchin' for my life with you, boy. Oh,oh,oh.
I wouldn't be the same as you, however.
後にも先にも誰もなく 何を残して去る?
美徳のつもりが罪ばかり いつか逢える日まで


Ah, 夜空の星くず見るたびに 裏切られた気持ちよ
Oh,oh,oh. フォークソングのカス 教えてくれよ
I don't know, I don't know. さよなら my Hello
I don't know, I don't know. I will never forget you 


長い旅が終り 安らかに眠れよ
お前の描いた詩(うた)は 俺を不良(わる)くさせた 




「カス」は業界用語で “おいしいところ”。

 同時に、拓郎が70年代に聴衆から喝采と共に罵倒されていたことへの愛着。

 拓郎が敬愛するディランも60年代のロック転向時に聴衆から罵倒された。

 桑田は拓郎とディランを重ねながら、自分を「ワル」くさせた、つまり本当の“カッコ良さ”を教えてくれた拓郎に愛情をこめている。

 それはやがてまた同時に「大学の音研サークル上がりのコミックバンド」と揶揄され異端視されながらも、(拓郎のように)メインストリームの最前線で格闘してきた己れを鼓舞するかのようではないか!



 その後、2003年、ライブ会場から療養中の拓郎に向け、この曲の歌詞を変えて捧げると同時に、テレキャスターを贈った。


 2012年には拓郎3年ぶりの復活ライブのファイナル・ステージ終了後、楽屋へ挨拶に出向いた。

 この曲の、EPOのコーラスも素晴らしい。

※※ 繰り返しになるが、エビ中の「研究生的存在」として出発したukka(うっか)もまた、誰からも期待されない屈辱感をバネに、時間にしてわずか30分~40分の一瞬のステージで聴衆の心に刻み込む劇的な楽曲パフォーマンスを我が物とし、目覚ましい飛躍を遂げた。
 そのukkaも、2024年、

『The Journey Begins Tour 2024 Spring~HOP・STEP・JUMP!!〜』を開催。

最大の持ち味、<ukkaブルー>を駆使した黄金のコーラスが冴えわたるかどうか?! 注目しよう。※※











⑩『鎌倉物語』

 原由子がリード・ボーカルなのだが……なんと、産休のため、病室に録音機材を持ちこみ、ベッドで寝ながら録った。「日影茶屋」「江の電」が歌詞に出てくる。



鎌倉よ何故 夢のような虹を遠ざける
誰の心も悲しみで 闇に溶けてゆく




 2014年越しライブでの原由子のこの曲のボーカルは見事だった。

 当時、産休中の原をいたわるこの曲における桑田佳祐の思い入れを受けとめた原は、2014年、少女から大人に移りゆく娘の心境に我が身を移し入れて、乙女心を巧みに表現し切った。

 ところで、2022年、原由子が、31年振りとなるソロでのオリジナルアルバム『婦人の肖像(Portrait of a Lady)』を10月19日(水)にリリースした!
  桑田佳祐による全面バックアップのもと、「柔軟で彩り豊かな音楽性と、野心的で実験的なサウンドメイクに磨きがかけられ、穏やかで柔らかな“原 由子”のパブリックイメージを大胆に刷新する作品」。 


『鎌倉物語』の38年後の続編として位置づけられた『鎌倉 On The Beach』が収録。
非の打ち所がない素晴らしいポップスだ。悠久の風景と溶けあうかのように、懐かしい自分を振り返る温かな目線は、なんとも劇的だ。この曲は原由子ソロ名義での最高傑作かも知れない。
 かくして、久々の原由子ソロライブが開催され、キャリア初のBlu-ray化。オリコン音楽映像部門で<最年長>首位を記録した。ソロ名義では初の快挙となった。




【DISC-2A面】

①『顔』


 スティング+U2、ボブ・マーリー風レゲエといった所か。

 当時のポール・サイモンをも想起させる。
(南アフリカ共和国のミュージシャンのサポートを受けたポール・サイモンは、アフリカの民族音楽とポップスを融合したエスニックな歴史的名盤『グレイスランド』を翌年86年に発表した。)

 ルックスをひたすら真面目に歎く歌。

 この曲も『来いなジャマイカ』同様、桑田が2016年に発表した『ヨシ子さん』へと連なる。





▲『OiSa (2021 ver.)』
作詞作曲:渡邊忍(ASPARAGUS)

 ASPARAGUSの渡邊忍が提供した楽曲の代表作は木村カエラ『TREE CLIMBERS』。
 『TREE CLIMBERS』は「寅さん(桑田佳祐)が選んだ21世紀のベストソング20」第1位★


▲同じく渡邊忍(ASPARAGUS)提供。2021年度楽曲大賞1位、翌年2022年度もこの曲が収録されたアルバム『九祭』がアルバム部門首位を獲得した。




②『Bye Bye My Love(U are the one)』

 サビだけが『ウィ・アー・ザ・ワールド』への一応アンサー・ソング。だが、この曲の本質はデジタルサウンドであり、ラテン・ソウル・ミュージックの最高傑作だ。


原由子が産休に入る直前に録った。





悲しみの雨が降る この街のどこかで
人々が眠る頃 俺は泣き続ける



という歌詞が素晴らしい。桑田のラストのシャウトはまさにゴスペル。
 2013胸熱ライブでは桑田のオーティス・レディングばりのシャウトが光った。

 名曲だ。






③『Brown Cherry』

 ストーンズの『ブラウン・シュガー』をもじったファンクを基調としたブルース・ロック。

 良くここまで猥談をメロディーに乗せたものだ。

 スティーヴィー・ワンダー『You Haven't Done Nothin'(悪夢)』へのオマージュも効いた心憎い遊び心。
 個人的にはこの曲と『さくら』収録の『マイ・フェラ・レディ』はけっこう好きな曲だ。





④『Please!』

 クリーム『サンシャイン・オブ・ユア・ラブ』のフュージョン+ブルース。クロスオーヴァー。




⑤『星空のビリー・ホリディ』

 来た!レディ・デイことビリー・ホリディの哀悼歌。桑田ジャズ・ブルースの傑作。

 桑田はサラ・ヴォーンの方が好きだと思われる。どちらも偉大なジャズ・シンガーだ。とは言え、私は孤高の大衆歌手としてボロボロになっても歌い抜いたビリー・ホリディ、そして“不死鳥”美空ひばりを愛す。

 生涯黒人女性歌手として人種差別と向き合ってきた彼女は、ルイス・アレン(エイブル・ミーロポロ)が1937年に発表した詩をどうしても歌いたかった。
 発売を渋ったコロンビアからではなくコモドアから出したこのレコードこそ、

『奇妙な果実(Strange Fruit)』

に他ならない。ビリー・ホリディはこの曲を大勢の人の前で歌うことに、誇りと人間の尊厳を賭けたに違いない。それは今のわれわれでは迫りきれない、大衆歌手としての揺るぎない決意だったろう。

 アメリカ南部でリンチを受けて吊るされた黒人の遺骸……「奇妙な果実」。

 白人中心のカフェでこの曲を初披露すると会場は静まりかえったという。だが、次の瞬間、割れんばかりの大喝采が起こった。


 レディ・デイの命がけの飛躍-歌が人種も階層もこえて大衆の心をとらえた瞬間だった。



Here is a strange and bitter crop……


 私はこの曲を聴くたびに、身が震え感動がこみ上げる。
 ビリー・ホリディの歌は憤りと哀しみをたたえながら、だが静かに魂が叫びをあげるのだ。


 年齢によって音楽の趣味は自然に変わるが、ポップミュージック、ブルースとは何と奥が深いのだろう。それはポップミュージックのテーマが時代と人間だからではないのだろうか。

 シャンソン歌手のエディット・ピアフとビリー・ホリディ、サラ・ヴォーン、そして美空ひばりとちあきなおみ、そして中島みゆきは不世出の女性シンガーだと思うのだ。










【DISC-2B面】

⑥『最後の日射病』

 関口ソロ。南国風スティング。






⑦『夕陽に別れを告げて 
~ メリーゴーランド』

 鎌倉学園高校時代を想うバラッド。卒業ソングのドの付く傑作。




⑧『怪物君の空』

 後輩のBABYMETAL も平伏しそうなディープ・パープル風ハード・ロック。受験戦争にかりたてる親へ、桑田の批判精神が炸裂する!『電子狂の詩』へと発展。




 一見、ロールプレイングゲームを想起させる歌詞だが、『怪物君の空』というタイトルに明らかなように、(あくまで1985年当時)親の過熱なまでの受験競争(当時は「受験戦争」)に駆り立てられ、モンスター化してゆく子供たち(「怪物君」)の世・未来(「空」)を憂う歌。
(受験一般が悪い訳ではなく、当時の過熱的な受験競争に駆り立てる親と、子の未来を憂えた。)

「夜の街に 声が響く
まるで止(や)みそうにない 無情のRace」
「お互いに向き合う 異常な Space」

「世を論ず前に手(てい)を」⇒差し伸べてやって
「子に託す未来に目(めい)を」⇒向けてやって

「いつも Testing」⇒テスト
「血塗れの Our generation」
「超やらせの 愛のようなもんじゃ駄目ね」


 これらの語句が苛烈なまでに親が子を駆り立てた受験戦争を示唆している。

 すなわち、このアルバムは〈コンピューター・チルドレン〉〈真昼の情景〉に始まり、〈怪物君の空〉~〈悲しみはメリーゴーランド〉で終幕を迎えてゆく構成をなしているのだ!



鐘が鳴る 急成長の Nation
無垢なファシスト 危ない例のProduction

意味のない計画 いつも Testing
たまの誤報にゃ 身を震わせながらに Stand-by


夢が終わる 灰色の陽
超やらせの 愛のようなもんじゃ駄目ね


世を論ず前に手(てい)を
It's been a long - long time & day
子に託す未来に目(めい)を
It's gonna be the day , oh soon

血塗れの Our generation
空駆ける Thunder! C'mon!!

※※
Mr.Leader, Can't you see?
This is all you've got to give
チェスみたいに 1. 2. 3.…
Woo yeah ~

Sister Iron can't go far !
This is all I want to say
いつかきっと 1. 2. 3.……
Woo year ~ let's take it away !!
※※

我の名は Cannon Ball の Genious
闇を斬る高性能な Black Bird



 レーガン・サッチャー・ナカゾーネイズムと時の「受験戦争」を掛けた、見事な〈桑田クリティシズム〉が炸裂している。







⑨『Long-haired Lady』

 豊饒なラテン。ハーモニーは完璧。




⑩『悲しみはメリーゴーランド』


 従軍慰安婦問題への憤激の回答。84、5年当時の政府見解に対して、桑田のヒューマニズムが炸裂した。帝国主義戦争の非合理さへの怒り、犠牲とされた少女への痛みは、無性の叫びに変わって国境を越える。


あんな冷酷遊戯の彼方に
生き続けた夢
心にゃ何度も Merry-go-round
悲しみが巡る

My cherie amour 名前さえ
白い砂に埋めた日々

※※
歴史が曲げた心には
隣の人が泣いてる
We're fallin', fallin' 同じ顔で
※※

ちょいと真相八方を見てごらん
己も恥ずかしい
つぶらな少女の涙を
誰が拭い去る


I'm sorry,boy 友達も
帰る祖国(ばしょ)は ここに決めた

※※
生きてくことを望むなら
冷たい風が吹いてる
We're callin', callin' 夜は長い
Na, Na, Na,……
※※




 日本ポピュラー・ミュージックへの革新的総括を果たしたサザンは、しばし、ソロ活動へ向かう。

 桑田はROCKの本質を突き詰める追求に踏み出す。













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