サザンオールスターズ 7th album 
『人気者で行こう』
(1984.7.7)



ビクターTAISHITAレーベル


週間1位(通算6週)
年間3位(74.6万枚)邦楽総合1位



A面
M1.JAPANEGGAE(ジャパネゲエ)
M2.よどみ萎え、枯れて舞え
M3.ミス・ブラン・ニュー・デイ(MISS BRAND-NEW DAY)
M4.開きっ放しのマシュルーム
M5.あっという間の夢のTONIGHT
M6.シャボン


B面
M7.海
M8.夕方Hold On Me
M9.女のカッパ
M10.メリケン情緒は涙のカラー
M11.なんば君の事務所
M12.祭はラッパッパ
M13.Dear John







 サザンオールスターズ、デビュー6周年=7年目突入──

 このアルバムは次作『KAMAKURA』との関係で、過渡期の作品と呼ばれることが多い。
 しかし、本当にそうなのだろうか?


 今、エレクトロニック・ダンス・ミュージック(EDM)があたかも時代の趨勢であるかのように言われている。だが、この分野は日本ではとっくにイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)が開発してきたテクノ・ポップの、単なる焼き直しに過ぎない。


 こうしたテクノ・サウンドとデジタル・サウンドを消化しつつ原則的なロック・サウンドを求めたのが、1984年の七夕に発売されたサザンオールスターズ7thアルバム『人気者で行こう』である。


 スタジオ・アーティストやインディーズのマニア系アーティストでもなく、かと言ってニュー・ミュージック系の歌手でもなく、これら両者を否定しながらメジャー・シーンの最前線で、名実ともに頂点を極めようとする宣言──やっぱり俺らは『人気者で行こう』!、という訳なのだ


 そして、またもサザンは前作『綺麗』で極めた最新鋭のワールド・ミュージック/エスニック・サウンドから訣別する。その結果、デジタル志向の前衛でオリジナル・アルバムを完成させた。
本作は過去2枚のアルバムを革命的に止揚した歴史的傑作である。


 日本ROCK史に輝く『NUDE MAN』をのりこえ、“これしかない!”とまで絶賛された『綺麗』を、ほんの一夏で葬り去った本作は、いとも容易く、歴史を塗り替えてしまった。


 “これまでの日本ROCK史についにサザンが死の宣告を下した!

-誰もがそう確信した。



 サウンド・メロディライン・ハーモニーの密度は緻密にして濃厚を極めた。そして、ここで全てを出し切ったが故に、サザンは行きつく所まで行くしかなくなった。



 80年代半ばにして、既に80年代の革新的な総括=《和洋折衷『人気者で行こう』》の完成なしに、翌1985年発表、歴史的・革命的名盤、サザン初の2枚組トータル・アルバム『KAMAKURA』<カマクラ=鎌倉>誕生は、断じてあり得なかった!








 1984年、アメリカに渡った彼らが敏腕プロデューサーと話した際に、『綺麗』は音が小さい、もっと思い切り楽器は叩くべきだと指摘される。こうして、サザンはMTV基準の本物の分厚いサウンドをめざし、ニュー・アルバムの制作をスタートさせた。


 ところで、前年10月24日から開幕した

『SASたいした発表会 私は騙された ツアー83’』

は、年明け1月9日の福岡サンパレス公演2デイズから再開した。翌84年からは大ホールでの2デイズ公演が当たり前となった。このツアーは前稿で記したように全49公演、19万1200人を動員した。ラストは、日本武道館で自身初の3デイズライブを行い2月1日に全日程を終えた(全23曲)。



 ここから5か月、真夏の全国ツアーでサザンは、デビュー6年目にして実に通算300公演・観客動員数100万人を突破した。以降、毎年スタジアムライブにのぞむのが“お約束”となった。


 この

『熱帯絶命! ツアー夏「出席とります」』

は、7月20日・21日に横浜スタジアム、28日海の中道海浜公園広場、8月の5日に真駒内オープンスタジアム、9日ナゴヤ球場、15日大阪球場まで、全6公演(20曲)16万人を動員した。




 続く1か月後、同じく、7thアルバム『人気者で行こう』をひっさげた越年ホール・ツアーが始まった。


大衆音楽取締法違反「やっぱりあいつはクロだった!」~実刑判決2月まで~


である。
 10月25日に神奈川県民ホール2デイズから幕開けすると、翌85年、2月6日の日本武道館3デイズ公演でファイナルを迎えるまで、平均20曲、全50公演、18万3500人を動員した。





 なお、紅白出演が直前に取り消しとなった“遺恨”から、12月31日にサザンは、
新宿コマ劇場で

『縁ギもんで行こう(年越しコンサート)』

を行った。
 ちなみに、翌85年以降、毎年、横浜アリーナで“年越しコンサート”を開催するのが恒例となった。




(【紅白歌合戦について】は、83年を最後に、サザンは毎年のように続く出演依頼を断って、<年越しライヴ>に力を注いできた。

 例外的に、91年、原由子のみ単独で紅白出演に応じたが、それでも「年越しライブ」は開催した。

 また、桑田佳祐個人としては、「ふとした病」から術後復帰した2010年、「年越しライブ」は開催せず、「スペシャル枠」で紅白歌合戦初出演を果たした。
 お茶の間に向けて、術後復帰についての感謝の意を表わすと、新曲『それ行けベイビー!!』を紅白で異例の初披露。続いて2曲目に披露したのは、この年10万枚をこえるヒット作となった『本当は怖い愛とロマンス』だった。

 さらに、サザンとしては、2014年紅白に年越しライブ会場の横浜アリーナから、実に21年ぶりに、“サプライズ登場”。
 中島みゆき『麦の唄』とともにサザンの『ピースとハイライト』『東京VICTORY 』は絶賛された。
 これぞ日本大衆音楽の極みを魅せつけた。

 また、2017年の紅白にソロで7年ぶりに、桑田佳祐が特別枠で出演。「浜口庫之助」役として『ひよっこ 紅白特別編』のVTRに出演(『涙くんさよなら』を弾き語り)するとともに、
安室奈美恵『Hero』に直属して年越しライブ会場の横浜アリーナから『若い広場』を披露。翌年フリーとなる有働由美子アナもステージに出演し、会場から紅白を中継した。時代が変わっても根っこにある歌謡曲の普遍性は継承されなければならない、という桑田の意志が貫かれていた。

 そして、2018年大晦日の第69回NHK紅白歌合戦では、大トリの嵐に続いて特別枠「究極の大トリ」としてサザンが『希望の轍』と『勝手にシンドバッド』の2曲を披露した。この年6月のデビュー記念日公演でNHKホールに立ち〈予行演習〉し・8月のロッキンで大トリを飾ったサザンは、NHKホールをまるでライブ会場へと転化し、デビュー40周年の貫禄を魅せつけたのだった。

 「平成最後の紅白を締めくくるアーティストは、紅組、白組という枠にこだわらず、日本を代表する国民的バンドのサザンオールスターズが最もふさわしいと考えました」(局側)。

 その結果、歌手別の試聴率トップはサザンオールスターズが記録した45・3%(次点は米津玄師)。1曲目「希望の轍」でのシーンと、2曲目「勝手にシンドバッド」の歌唱を終え、会場全体のボルテージが最高潮に達した場面の2カ所で記録した。


▼2019年12月31日付け拙稿
【サザンオールスターズ、紅白でやりたい放題ぶちかます!】

 貫禄を見せつけたと思いきや、北島三郎御大のお力添えを受け、さらに大先輩ユーミンにキスの洗礼を浴びるや否や、乳繰りあい、戯れ、喘ぎ、やりたい放題★ 

 「恋人はサンタクロース!」「すず、ちゃん!、サイッコー」にはさすがに爆笑させられた。aikoもMISIAもSuperfly越智志帆も側で大喜び!

 ユーミンと桑田佳祐が戯れる舞台上には80年代からザ・ベストテンの常連だったミュージシャン、演歌歌手、アイドルから平成を代表するポップスターの面々までが所狭しとばかりに勢揃い。紅白ラストステージの指原莉乃さんや西野七瀬さんも。
 歴戦のライブバンドたるの実を示すアドリブ的演出のやりたい放題、楽曲の聴かせぶり、職人的煽りで盛り上げまくり、出演者・客席・お茶の間・ラジオリスナーを巻き込むコールアンドレスポンスの応酬はすごいの一言。客席最前にまで降りていっての煽りも含め、言わば出演者すらサクラに仕立てた。
 これだけ音楽的到達点をみせつけながらも、茶目っ気たっぷりに、オヤジになっても大学音楽サークル上がりの学生バンドから「オレたち何一つ変わってないだろ!」と言わんばかりのやりたい放題ぶり。
 舞台上に総結集した歌手、ミュージシャン、アイドルら新旧のそうそうたる顔ぶれを前に、ユーミンと放送コードギリギリでやりたい放題ぶちかますサザンオールスターズの姿には、まさに昭和から平成に至る日本ポップミュージック並びにカウンターカルチャー40年の歩みを魅せつけられた。感動と大爆笑のあと、参りました!としか言いようがない。
(ヤバい桑田佳祐のジェスチャーに必死にカメラアングルを切り替えた局側も、実のところ事前に周知していたこのやりたい放題ぶりには、待ってましたとばかりの大喜び、祝杯騒ぎに違いない。)
 かくして、サザンオールスターズはお客さんと視聴者とリスナーへのサービス精神たっぷりにサザンを楽しみ、紅白の舞台を華やかで盛大なゆく年くる年ライブへと転化したのだった。

 デビューしたあの日と同じく、サザンはまさに日本ポップミュージック・歌謡曲の歴史を塗り替えた世界に冠たる〈なんじゃこりゃあ!〉的世界観を再現してみせたのには、驚きをこえ感動的だった。
 8月ロッキン大トリの大成功が最後の最後のあの瞬間、桑田佳祐の背中を押したのだろう。若いリスナーはなんのなんの感度が高い!、と。
 歌うストライク製造機には、またまた今夜も、おみそれしました。
 
 翌2019年の全国ツアーチケットはサザンオールスターズのキャリア史上空前の激戦となり、大成功となった。





 こうした84年の精力的なライブ活動の間隙をぬって、2枚のシングルがリリースされた。1枚目は6月25日にニューアルバムから先行的にシングル・カットされた

ミス・ブランニュー・デイ
(MISS BRAND-NEW DAY)

である。



 直前まで桑田は『海』をシングル・カットするつもりだったが、メンバー間の意見にふまえ、急遽<ミスブラ>にさし代えた。
 斬新で果敢なデジタル・テクノ・ビートに、耳の肥えたリスナーが衝撃を受け、最高6位(27・8万枚)・ベストテン3位を記録した。





 もう1枚は9月にロサンゼルスでレコーディングした

Tarako

だ。
 カップリングの『Japaneggae(Sentimental)』では、ダリル・ホール&ジョン・オーツがレコーディングに参加している。
 海外展開を視野に入れないでもなかった『Tarako』=<たらこ>は、全編英語詞で書かれており、最高11位、ベストテン16位を死守した。
 2015年の「おいしい葡萄の旅」ツアーのオープニングでは屈指の名演・名唱となったことは記憶に新しい。




 84年のサザンはレコーディングとライブ活動に地道をあげており、それ以外のファンとのツールのほとんどは、レギュラー・ラジオ番組での近況報告だった。1月24日からニッポン放送『オールナイトニッポン』で水曜第一部のパーソナリティを桑田が担当している(現在は毎週土曜夜23:00から、TOKYO-FM『桑田佳祐のやさしい夜遊び』)。







サザンオールスターズ 7th album 
『人気者で行こう』
('84.7.7)




ビクターTAISHITAレーベル
週間1位(通算6週)
年間3位(74.6万枚)邦楽トップ


A面
M1.JAPANEGGAE(ジャパネゲエ)
M2.よどみ萎え、枯れて舞え
M3.ミス・ブラン・ニュー・デイ(MISS BRAND-NEW DAY)
M4.開きっ放しのマシュルーム
M5.あっという間の夢のTONIGHT
M6.シャボン


B面
M7.海
M8.夕方Hold On Me
M9.女のカッパ
M10.メリケン情緒は涙のカラー
M11.なんば君の事務所
M12.祭はラッパッパ
M13.Dear John




 こうした中、ニュー・ウェーブとテクノ・ポップ等ハイテク化の波を受けつつ、デジタル・サウンドを批判的に摂取し、<和洋折衷>のサウンドを開拓したパイオニア的傑作が、7thアルバム『人気者で行こう』である。






A面1.(以下①と表記)
『JAPANEGGAE(ジャパネゲエ)』

 最初に聴いた瞬間、衝撃を受けた。まず、テクノポップ的なデジタル・サウンドと生楽器がせめぎあいつつ止揚されていること。

 分厚いサウンドの緊迫感にくわえてリズムセクションにしっかりタメがあり、音がデカイ。濃密でパワフルな音だ。

 しかも、初っ端にシンセだかの琴の音が響く。ヒロシのドラムスの重厚感が続く。
 和楽のレゲエ、ジャパネゲエである。



桑田の歌詞はここに極まった。



愛苦ねば 世も知れず
よう行(ゆ)かば
野に出(い)でん

浪漫派に旅情 庶民衆の業
絵空事(えそらごと)の


歩めば 情事成んとす
宿塀(やどべい)に 
湯女(ゆな)けむり

花魅下(おいらんか)に舞妓 常連風の某
寝ずの泊まり


※※
汝(な)は女詣(おんなもうで)
用すれば艶(えん)の談
娑婆の酔い、酔い 酔い 酔いや

病めれど止め難き
宴の才、宴の才


闇の宵や ただの宵や
たかが夢や、されど夢や
※※




 遊郭の放蕩と花魅のはかなさを井原西鶴の浮世草子ばりに描いてしまったのである。しかも、全編にわたって造語的な仮名英語交じり文とでも呼ぶべき語法を操り韻を踏むという離れ業をやってのけた。

 「愛苦ねば」(I could never)などと……。


「汝は女詣 用すれば艶の談」
-「用すれば」は直接には、用を足す、すなわち手洗いに立つこと。および「用すれば艶の談」すなわち、まぐわう(愛を交わす)ことをも指すダブルミーニング※


 同じミュージシャンの間でも誤解されている向きがあるが、桑田佳祐はサウンド・メロディを先に作る。そこでまずインスピレーションが湧いたデタラメ英語を乗せる。そして楽曲が完成した後にじっくり作詞する。これが99.99%桑田の曲づくりだ。
 『NUDE MAN』『綺麗』から作品世界を紡ぎ始めた桑田は、『人気者で行こう』でさらなる発見をする。
 すなわち、この曲『JAPANEGGAE(ジャパネゲエ)』では英語日本古来の古文の響きを抽出しつつ、《記号化した日本語》をメタ言語化しロック(デジタルレゲエビート)サウンドならびに“メロディー”にのせたのである。そして、日本語の響き(シニフィアン)と日本語の意味(シニフィエ)を絶妙にからみあわせながら、造語的な《仮名英語交じり文とでも呼ぶべき語法を操り韻を踏む》そして音楽世界観を直観的に構築するという離れ業をやってのけたのだ。

 この後も触れるように、アルバム『人気者で行こう』は歌詞の面でも革命をもたらしたのであった。





②『よどみ萎え、枯れて舞え』

 ニューウェーブ&テクノ・サウンド風のビート・ポップとしかいいようのない、ジャンルごえの一曲。


 桑田の作った造語「いつも心に愛倫浮気症(アイリン・ブーケ・ショウ)」の一句が素晴らしい。



不思議な友情も何の愛情もケセラ・セラ
夏の雨に都会が笑う
Tokioの貞操は変な情操にゆがめられ
風の中に独りきり


胸元最高にshyな妄想で高なれば
忘れかけた危険な目醒め
恋人・愛人は何の抵抗もなく抱かれ
人恋しさ舞いあがる




 前年大ヒットした鎌田敏夫脚本のTVドラマ『金曜日の妻たちへ』に感化され話題となった「不倫」ブームに物申した歌。

 今作でも桑田はあらゆるタイムリーな社会的トピックを取り上げ、歌にした。

 2015年<葡萄>ツアーで、久々にこの曲のイントロが流れた瞬間、サザンに精通するファンの間でどよめきが起こった。







③『ミス・ブラン・ニュー・デイ
(MISS BRAND-NEW DAY)』


 テクノ・ポップ感覚溢れるデジタル・ビート・ロック。
 イントロの迫力と、叩みかけるサビのケツの渇いた硬質感は衝撃的だ。
 弦のアレンジは新田一郎。
 これほどサザンらしくなく、だがこれほどサザンにしかつくることが出来ない曲はない!と、誰もが思ったはずだ、8thアルバム『KAMAKURA』誕生までは……。


 実は「ミス・ブランニュー・デイ」とは、当時桑田が作った、まったくの造語。
(この曲がサザンの代表曲となったがゆえに、2020年代の今ではBrand Newブランニューというフレーズは、当たり前のように歌詞に登場するようになった)

 流行りのブランドを追いかける女子大生の生態を暴きつつ、サビでは胸の高鳴りをおさえられないことも滲ませる辺りが秀逸。ライブでも一体感が得られるサザン第2期の最高傑作。
 この年1984年に放送が開始された女子大生バラエティ番組『オールナイトフジ』を意識しつつ桑田が曲を作ったのは間違いないが、何とこの曲を発表後、サザンの熱狂的なLIVEが番組のスタジオから生中継された。

 あれから36年、だからこの曲がサザン40周年全国ツアーでも披露されたのは、故なきことではない。

 そもそも、この曲はまったく色あせない。一生ライブで歌い続けてほしい〈和製テクノ・ビート・ロック〉の国宝級の名曲。

 この〈ミスブラ〉と〈女神達への情歌〉と〈マンピー〉と〈愛の言霊〉と〈01MESSENGER〜電子狂の詩(うた)〜〉こそがサザンの、いや、日本を代表するロックナンバーの最高傑作だと断言したい。

 「そしていま二〇〇七年、何度目かの同じことを思う。もちろんクワタはこの曲以後も傑作を書いている。にもかかわらず、この曲には、『これぞ最高傑作!』と強く思わせる魔法のような抗いがたい魅力がある。というわけで採点は最高の五星としたが、献上できるものならこの世のありったけの星を捧げたい。」
 「なによりも感動を覚えるのは、『勝手にシンドバッド』や『C調言葉に御用心』におけるクワタ/サザン特有の   "かきむしるような衝動" がデジタル波を超えて迫り来る圧倒的な押し寄せ感。アメリカがブルース・スプリングスティーン『涙のサンダー・ロード』を差し出すなら、日本はこの曲を差し出せばいいだろう、それくらい言い切りたい。」
(2007年2月21日発行・集英社新書0380F
中山康樹著『クワタを聴け!』107頁)。

 数々の作品について見解は異なれど、故中山康樹氏のこの見解について私は全くの同感である。『ミス・ブラン・ニュー・デイ(MISS BRAND-NEW DAY)』は、当時のMTV全盛とミュージシャン桑田の野心がぶつかりあい止揚され、当時、

“これまでの日本ROCK史・歌謡曲史に、ついにサザンが死の宣告を下した!”。

 けれども、この曲は時代的制約性すら超えて40年後=2024年の今も普遍的に色褪せない。なぜなら、ポップ・ミュージックの魅力のすべてが詰め込まれているからだ!






④『開きっ放しのマシュルーム』

 PINKに興味をもって作ったと言われるが、この曲はザ・クラッシュである。

 ブリティッシュ・パンク・ロックやカルチャー・クラブを渾然一体とした雰囲気。





⑤『あっという間の夢のTONIGHT』

 メロディアスなビート・ポップ。


I,I,I,I Tender(愛ってんだあ)
夢が舞い散るしらべ

I,I,I,I Tender
I Surrender(愛されんだあ)


涙あふれて別れが来る
I call your name
ハートせつなく Baby I miss you



 前年に一世を風靡したビリー・ジョエル9枚目のドゥワップ・ポップ・アルバム『イノセント・マン』に敬意を表した一曲。



▲2024来日東京ドーム公演!









⑥『シャボン』

 毎年恒例、原由子がリード・ヴォーカルを取った曲。
 せつないボサノバでとてもブルージィだ。研ナオ子がすかさずカバーし、またもヒットした。



鳥がひとりで泣いている
まるで海辺が恋しそに
夏によろめく女には
やがてGRAYの思い出

とめどなく流す涙で
江の島も揺れる
唇で酔わされて
彼の行方はカモメの un, deux, troi(アン・ドゥ・トロワ)


シャボン シャボン シャボン
あの頃のメロディ
セゾン セゾン セゾン
口ずさみ




 原由子の歌声はゾクゾクするほどクールだ。ビリー・ホリデイとエディット・ピアフをどことなく想起させる歌の雰囲気がある。






⑦『海』

B面1曲目。

 ジューシィ・フルーツに提供した曲のセルフカバー(4月1日発売『萎えて女も意志をもて』のC/W)。

▲表題曲 作詞作曲:桑田佳祐

▲C/W『海』

 桑田佳祐お得意のメロウでメロディアスなナンバー。『シャ・ラ・ラ』を書き直し、より重厚にアレンジした感じ。

 2013胸熱ライブのオープニングを飾った。
イントロが始まった瞬間、大歓声が起こった。





時折名前を呼んでみた
つれないこの気持ち
言葉じゃ言えない“好きよ”All I need is you






⑧『夕方Hold On Me』

 この曲で、翌年、アフリカのトゥレ・クンダと共演するように、黒人音楽のルーツであるアフリカン・ビートを感じさせる。

 この時期の桑田佳祐が最も神経を研ぎ澄ましたポップ・ミュージックの原点だ。

 「夕方」ももちろんあの洋楽フレーズと掛けている。つまり、モータウンのスーパースターにして哀切の詩人=スモーキー・ロビンソンの『You've Really Got A Hold On Me』で、ザ・ビートルズもカバーしている曲だ。

 「現代アメリカ最高の詩人」(ボブ・ディラン)と称されたスモーキー・ロビンソンの最高傑作は『ティアーズ・オブ・ア・クラウン』だ。桑田曰く、私はそんなに詳しくないが山下達郎さんが崇拝している。)

 そう考えるとポップスと言っても、モータウン・サウンド、つまりソウル・ミュージックとしてのポップ・ソングだ。

 個人的には、スモーキーを継承したテンプス(ザ・テンプテーションズ)やサム・クック、さらにスティーヴィー・ワンダーに近いと思う。こう理解している限り、ポップスと規定する分には正しい。要はブラック・ミュージック(黒人音楽)のルーツとしてのアフリカン・サウンドを基調とした曲だということ。








⑨『女のカッパ』

 桑田佳祐は「QUAPPA」という響きをとても気にいっていた。もちろん、芥川龍之介の同名小説のタイトルでもある(『河童』「どうか Kappa と発音して下さい。」という一句が寄せられている。)。桑田は当初タイトルを「QUAPPA」にしようとしていたほどだ。

 性的な暗喩も綴られているが、シニカルに女と当時の時代を描いた、リリシズム漂う作品だ。〈歌う芥川君〉らしい一曲。

 この曲を私は個人的に、スティーリー・ダンあるいはマディ・ウォーターズと呼んでいる。そして、オリジナル・アルバムについて楽曲単位で好き嫌いを言うのは私はあまり好きではないが、それでもあえて言うと、私がこのアルバムで1番好きな曲だ。

 これがBLUES(ブルーズ)だ!






⑩『メリケン情緒は涙のカラー』

 私は『女のカッパ』と同じくこの曲が大好きだ!
 エノケンとロッパが飛び出す昭和初期をイメージした横浜のハードボイルド・アクション活劇。伝説のバンドホテル「BAND-HOTEL」を始め、「China Town」「山手の裏街」「“産業道路にて待て”」など、横浜をイメージするキーワードが数多、登場する。

 ビリー・ジョエルの『ムーヴィン・アウト』や『レイナ』を連想させる。

 6thアルバム『綺麗』のM1『マチルダ・ベイビー』に次ぐ第二弾。和洋折衷・歌謡AORの傑作。
 さらに、次回作8thアルバ『KAMAKURA』で『死体置場にロマンスを』に発展する。ゲーム的ファンタジーからミステリ映画(オチ付き)に深まってきた。


 年越しライブ2014や2015「おいしい葡萄の旅」で<死体置場>が選曲され爆発的に盛り上がったが、私は個人的に、ハードボイルド・タッチで、エッジの効いたデジタル・ロック&テクノ・ポップ<メリケン情緒>がもっと好きだ。









⑪『なんば君の事務所』

 元ギタリストのター坊こと大森隆志のインストゥルメンタル。

 M⑩ビリー・ジョエルとM⑫アース・ウィンド・アンド・ファイアの間にギター・サウンドをもってくるあたりが面白い。

 今作では、前々作・前作とは打って変わり、後半叩みかける。





⑫『祭はラッパッパ』

 ファンク色の強いディスコ・ダンス・ビートナンバーだが、にもかかわらず和をもって尊しとなすアイディアが抜群だ。もちろん、調和の和ではなく和製の和。

 スライ&ザ・ファミリー・ストーンと、アース・ウィンド・アンド・ファイアのキメラ的折衷という所。



▲1990年発表 プリンス『Graffiti Bridge』収録「We Can FUNK」(プリンス feat. ジョージ・クリントン)



⑬『Dear John』

 サウンド的には、ジョン・レノンへの追悼であり『ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー』や『マザー』と言いたい所だが、やっぱりこの曲は『ニューヨークの想い出』や『ナイロン・カーテン』のビリー・ジョエルによるニューヨーク的リリシズムが近いと思う。

 最近の桑田はどうもジョンを否定して、ポールに思い入れている節がある。だが、二人はコインの裏表だ。ロックン・ロールやポップスで、ジョンは人生の真実や葛藤や弱さを表現しようとしていた、ポールは人生の素晴らしさや救済や強さを表現してきた。ちなみに、桑田・宮治とは異なり、個人的には『ジョンの魂』と『心の壁、愛の橋』こそがジョンの最高傑作だと思う。

 いっさいの無駄をそぎおとした、その鋼のようでいて温もりあふるる表現形態は根源的な音楽の力を呼び覚ます。


※※とはいえ、サザン通算15枚目のアルバム『葡萄』で桑田は、ジョンとポールを共存させ、交互に披露しているかのようなイメージのアルバムを久々に完成させた。※※


 ともあれ、このアルバムの最後を飾る曲は、ジョンに捧げられている。

 せつなさ、痛みや傷、美しさが響くリリシズムに満ちたロッカ・バラッドの名曲となった。
ブルージィでジャジィなアレンジは、ビリー・ジョエルの『ニューヨークの想い』をも想起させる。








 前作・前々作のラストの曲と比べてほしい。まさに、80年代日本ポップ・ミュージックを革新的に総括したアルバムである。



 かくして、サザン7thアルバム『人気者で行こう』は、1984年年間アルバムチャート3位に輝いた。


①位 95.7万枚
『スリラー (Thriller)』
マイケル・ジャクソン




②位 87.3万枚
『フットルース (Footloose)』
サウンドトラック




③位 76.4万枚
『人気者で行こう』
サザンオールスターズ


④位
『絶対チェッカーズ!!』
チェッカーズ


 以上のことから、邦楽では断トツの1位に輝いたのだった。


 しかしながら、サザンはさらなる挑戦を開始し、デビュー7年にしてついにミュージシャンとしての“夢”を実現する。



ザ・ビートルズ
『ザ・ビートルズ(通称:ホワイト・アルバム)』


ボブ・ディラン
『ブロンド・オン・ブロンド』


ボブ・ディラン&ザ・バンド
『偉大なる復活』


デレク・アンド・ザ・ドミノス
『レイラ』


ザ・ローリング・ストーンズ
『メイン・ストリートのならず者』


ジミ・ヘンドリックス
『エレクトリック・レディランド』


キング・クリムゾン
『クリムゾン・キングの宮殿』


ピンク・フロイド
『ザ・ウォール』


クリーム
『クリームの素晴らしき世界』


エルトン・ジョン
『黄昏のレンガ路(グッバイ・イエロー・ブリック・ロード)』


スティーヴィー・ワンダー
『キー・オブ・ライフ』


ザ・クラッシュ
『ロンドン・コーリング』


ブルース・スプリングスティーン
『ザ・リバー』


……


 ついに初の二枚組オリジナル・アルバムを完成させたのだ!
(全20曲。なんと!シングル・カット2曲、残り18曲がオリジナル新曲)


 それはサザンにとって、いや日本ROCK界を揺るがす“大事件”となった。

 実際、サザン歴代最長、初登場から<7週連続1位>がその衝撃の強さを物語っている。


こうして、『人気者で行こう』で栄華を極めたサザンオールスターズは、次作『KAMAKURA』ですでにその先へ行く!







 1984年-
ジェネレーション・メッセンジャー・佐野元春は『VISITORS』を、

アルティザン・山下達郎は『BIG WAVE』

をリリースし独自の世界観を構築してゆく。




 同時に、アメリカン・ポップス(ドゥワップ、ロカビリー)を基本路線としたチェッカーズが『涙のリクエスト』『哀しくてジェラシー』『星屑のステージ』『ジュリアに傷心』の4曲と1stアルバム『絶対チェッカーズ!!』をメガヒットさせ、2年目にいきなりブレイクした。

 渡辺美里が十代でソロデビューする前年のことだった。

▲2nd album『Lovin' you』
1986年7月2日。10代で二枚組CDアルバムをリリースしたのは邦楽史上初。10日後に二十歳を迎えた。ポップ・ロックの名盤。










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