2nd single『気分しだいで責めないで』
c/wは「茅ヶ崎に背を向けて」
この方の動画はこの曲のベストテイクである2nd album  (TEN)『10ナンバーズ・からっと』ver.


サザンオールスターズ 1st album 
『熱い胸さわぎ』
(1978.8.25)

年間--
最高-16位



A面
M1.勝手にシンドバッド
M2.別れ話は最後に
M3.当たって砕けろ
M4.恋はお熱く
M5.茅ヶ崎に背を向けて

B面
M6.瞳の中にレインボウ
M7.女呼んでブギ
M8.レゲエに首ったけ
M9.いとしのフィート
M10.今宵あなたに




 デビューから2ヶ月を経た1978年8月25日──

『勝手にシンドバッド』が爆発的にヒットしつつあった矢先、絶妙なタイミングでリリースされたデビュー・アルバムが『熱い胸さわぎ』だ。



 このアルバムには、サザンオールスターズの全てがこめられていると共に、『別れ話は最後に』『茅ヶ崎に背を向けて』『女呼んでブギ』など、当時のレパートリーを出し尽くす形で、誕生した。


 【デビュー当時のサザンは演奏はやや危うかったが、音楽サークルの横のつながりを生かし・サクラを配置したライブパフォーマンスに、当時のレパートリーのすごみも手伝って、異様な迫力とエネルギッシュさで、他の追随を寄せつけなかった。プロの登竜門のアマチュア・バンド・コンテストで入賞さらにVo.の桑田佳祐がベストボーカル賞を受賞したことにも示されている。】


 ほとんどの曲調がブギにもかかわらず、桑田が当時愛したブルース・ロックも、ラテン・ロックも、ボサノ・ヴァもあり、レゲエもあり、と……音楽ジャンルの壁を感じさせない、“ごった煮”的味わいが満載のファースト・アルバムだ。
 しかも、デビュー当時の桑田佳祐のダミ声巻き舌ヴォーカルは、実にブルージィではないか。

 だが、このデビュー・アルバムの素晴らしさは本質的に、当時の大学音研サークルのノリや趣味趣向が満開であるのみならず、メンバーが音楽することを心から楽しみ、ギグできた作品であったことだ。演奏はそこそこかも知れないが、これほど荒削りな迫力、音楽愛と、魅力に富んだデビュー・アルバムには未だにお目にかかれたことがない。

 まさに、ジャパニーズ・ロックバンドとして文句のつけようのない抜群なデビュー・アルバムのタイトル──『熱い胸さわぎ』なのだ。



 そもそも、サザンオールスターズというバンド名自体が、アマチュア時代桑田の親友・宮治淳一によって、当時来日が話題となっていたファニア・オールスターズと、ニール・ヤングの『サザン・マン』にひっかけて、ひらめき的に命名された。
 このことからも明らかなように、ことの始めからサザンは、70年代当時洋楽マニアの注目を集めていた、アメリカ南部を中心としたサザン・ロックやブルース・ロックさらにサザン・ソウルを志向する泥臭いバンドとして醸成してきた。そこに桑田好みのメランコリックな歌謡曲やラテン・ミュージック、さらにブギのノリを含みかつ止揚し・発酵してきた。したがって、ついに日本ロック史上初の、サザン・ロックを基調としつつ、荒削りでジャンルごえの<ごった煮的デビューアルバム>が、ここに産声を上げたのだ。

 今日、ロックという記号にこだわる場合、得てして典型的なそれに過ぎず、そのほとんどがロックンロールか、音圧が高めか、ただ叫ぶだけか、激しいプレイ・スタイルを指すばかりで、実は中身がスカスカな訳だが、このアルバムこそ泥臭い南部ロックの魂が刻みつけられている。したがって、日本のポップミュージック(大衆音楽)一大転回の号砲としての画期的な意義をもつ。

 それではアルバムに収録された曲を順番にみてゆこう。


M1.『勝手にシンドバッド』(以下①と表記)

 時代的背景やサウンドの特徴は前回述べた通り。その上で、この曲について、もうひとつ掘り下げてみよう。

 実はこの曲はサマー・リゾート・ポップスではない。
 桑田の本意からしても、「茅ヶ崎」「湘南」「江ノ島」というワードが、これほど誤解を招いた曲もないのではないか。




砂まじりの茅ヶ崎 人も波も消えて

夏の日の思い出は ちょいと瞳の中に消えたほどに


それにしても涙が 止まらないどうしよう

うぶな女みたいに ちょっと今夜は熱く胸焦がす




 当時の桑田の原風景はセピア色の湘南のイメージだったのであり、どこか儚く切ない。「胸騒ぎ」に駆られるほど「お熱い」けれども、あの夏のみじめな恋が脳裏をよぎり「涙」がこぼれ「吐息」=溜め息がもれる、場所なのだ。
 この切なさや思いを遂げられない距離感が叙情を醸し出しているのであり、ラテン歌謡として見事に成立している。そう、ザ・ピーナッツ『恋のバカンス』へのオマージュが込められているのだ。そして、このアルバムを通じて、「茅ヶ崎」や「湘南」は、青春期の夏の終わりの心象風景として描かれている。
 そして桑田は<夏の終わり……>にこだわってきた作家なのだ。




今 何時? そうね だいたいね

今 何時? ちょっと 待ってて

今 何時? まだ早い

不思議なものね あんたを見れば

胸騒ぎの腰つき・・・



 携帯電話(スマホ)もない時代、女は男を焦(じ)らすように伺い、男は女の気を引き留めようと躍起になる。女の肢体に「胸騒ぎ」し、焦燥感を持て甘す男。ピンク・レディーの『渚のシンドバッド』のようにカラッとしていないし、沢田研二の『勝手にしやがれ』のようにニヒルにもなりきれない。その意味で、この曲『勝手にシンドバッド』は、『恋のバカンス』に憧憬した桑田佳祐による返歌なのである。

 次の曲『別れ話は最後に』とどちらをデビュー曲にするか紛糾したとか、「胸さわぎの腰つき……」という歌詞を変更するよう迫られたと言われるのが定説だが、けれども、バンドのグルーヴ感覚豊かにアップテンポにアレンジし直されたこの曲は、巻き舌で速射砲のようなダミ声のブルースロックヴォーカルとも相まって、日本歌謡曲史にその名を刻み込んだ。


 余談だが、ポップス史上、画期的なイントロとして、ボブ・ディラン『ライク・ア・ローリング・ストーン』『やせっぽちのバラッド』、レイ・チャールズ『ホワッド・アイ・セイ』、クリーム『ホワイト・ルーム』、ローリング・ストーンズ『ジャンピン・ジャック・フラッシュ』、ロバート・ジョンソン『クロスロード』と並んでこの曲『勝手にシンドバッド』と『ヨシ子さん』のイントロを挙げたい。




伝道師たちが不吉な運命を伝道し
教師たちは知識は後回しにされていると教え
100ドルの皿にありつくことができ
美徳は門の陰に隠れている
でもたとえアメリカ合衆国の大統領でさえ
時には裸で立ち尽くさなければならない
(中川五郎対訳)
⇒(このライブでは)2コーラス目終盤の「大統領でさえ裸で立たなくてはならない」という歌詞が、(のちに米大統領(ニクソン)が初めて任期中に解任された)時のウォーターゲート事件を思わせたのか、この部分で聴衆の歓声が湧き起こるのが聞こえる。


 この①のファンキーな狂気乱舞に続いては、



②『別れ話は最後に』のリリシズムあふれるボサノバが流れる。デビュー曲は『勝手にシンドバッド』の選択で間違いないものの、この曲も味わい深く本当に良い曲だ。

 セルジオ・メンデス&ブラジル’66の風情の曲だが、サビの

雨の Sunshine Road

は、やはり全盛期スティーヴィー・ワンダーの名盤『トーキング・ブック』 (Talking Book)からシングルカットされた代表曲「サンシャイン(You Are the Sunshine of My Life)」をも想起させる。


一転、③『当たって砕けろ』のファンクなブギから


④『恋はお熱く』では夜風に寄せては返す波の音で始まるムーディーな歌謡ロックに、


さらに⑤の『茅ヶ崎に背を向けて』では、エリック・クラプトンばりのギターソロが印象的なブルース、ロッカ・バラードで終わる。このA面の原由子のピアノソロやヴォーカルは実にブルージィで素晴らしい。実はこのアルバムは良質なラブソング・アルバム、トーチソング・アルバムでもあるのだ。
 当時の桑田佳祐のポップミュージックへのアプローチは、まさに『Love Letters in the Sand(砂に書いたラブレター)』(パット・ブーン)のイメージだったのだろう。桑田佳祐のアナーキックな側面に対極する甘くメランコリックな側面はデビュー時からすでに完成されていた。
 だからこそ、このサザン1stアルバム『熱い胸さわぎ』はまさに<良質なLove songとTorch songのAlbum>なのだ。



 アルバム「B面」はどれもひとくせもふたくせもあるラブソングが連なってゆく。ザ・ビートルズと共にリトル・フィートをイメージした6人編成のサザンのルーツの一つでもある⑨『いとしのフィート』。さらに、⑥『瞳の中にレインボウ』、⑩『今宵あなたに』はその吠えるヴォーカルと言い、紛れもなくクワタ・ブルーズの原点であり宝庫である。



中でも⑥の『瞳の中にレインボウ』では、ザ・ビーチ・ボーイズの『ドゥ・ユー・ワナ・ダンス』のフレーズを駆使しつつ、実はビリー・ジョエルの『踊りたい』をモチーフとしたニューヨーク的リリシズムをアメリカ南部ロック風に表現したりしている。この時期、桑田佳祐にとって、ビートルズになれなかった世代の共振として、ビリーの傑作アルバム『ニューヨーク物語(Turnstiles)』への共感が色濃く滲んでいる。
 同時に、ディープ・パープルに在籍していたリッチー・ブラックモアが結成したレインボーの1stアルバム『銀嶺の覇者(Ritchie Blackmore's Rainbow)』から『虹をつかもう(Catch The Rainbow)』や、エリック・クラプトンのライブアルバム『レインボー・コンサート』から刺激を受けたブルース・ロック的アプローチがサウンド全体にタメをつくってさえいる。
 おまけにこの曲『瞳の中にレインボウ』は、ジャズとサザンソウル的味わいが絶妙な隠し味ともなっていることを聴き逃すことなかれ。



⑦『女呼んでブギ』は当時のライブに絶対欠かせない必殺レパートリー。こんな歌が出来たと桑田が紹介した瞬間に当時のメンバーが大爆笑したとか。その後、この曲はアマチュア・バンド・コンテストで桑田のヴォーカルと共に大絶賛される。
 桑田が呪文のように唱える(歌詞カードにも表記されていない)サビの、でたらめスキャットがとてつもなく斬新。
 こんな“はちゃめちゃマジメ”なバンド、今は絶滅危惧種だな、とつくづく思う。

 そして、当時22歳?!ダミ声時代の若き桑田佳祐の、ヴォーカリストとしての煌めく才能はこの頃から個性的にして天才的だった。一言で桑田は歌に魂を注ぎ込み、楽曲そのものを輝かせるヴォーカリストなのだ。
 良い音楽・良い歌手は本質的にはカラオケルームやパソコンでは生まれない。ヴォーカリストを目指す者はぜひ一度はこの曲『女呼んでブギ』のオリジナルを聴くべきだ。
 サザンオールスターズ「茅ヶ崎ライブ2023」ではオープニングの『C調言葉に御用心』に続いて、この曲『女呼んでブギ』が熱狂的に演奏されたのは記憶に新しい。




⑧の『レゲエに首ったけ』は、ボブ・マーリーに共鳴した『461オーシャン・ブールヴァード』のエリック・クラプトンのスタイルだ。


一見、陽気で、その実、不器用な,ワルに成り切れない不埒(ふらち)な男子学生の、酒と女と音楽と……



特にラストの⑩『今宵あなたに』で、桑田佳祐が青春の咆哮ででもあるかのように無我夢中でシャウトする幕切れは、何にもまして比類なきロックでありブルーズなのだ。



 トータル・アルバムは一つの交響曲であり、サブスク配信時代のシングルの聴き方のように「どの曲が好きか?」あまり関心がないのだが、このアルバムは特に、グッと来る曲が、その時々で変わってきた。


けれども、原坊の実家の横浜関内の「天ぷら屋」が出てくる⑩の『今宵あなたに』だけは一貫して飽きたことがない。これぞデビュー初期サザン最高傑作!



寄る年波に恥じらいさえも忘れそうなほど

凍てついた夜に間違いさえも起こしそうな恋


寄せて返す波のように

枯葉みたいな声が

耳についてて離れはしないわ


思い出はなにもかもあなただけ







という歌詞だったか。デビュー当時の桑田佳祐21歳〜22歳が紡いだ擬似私小説風《歌詩》とでも呼ぶべきクワタワールドに魅せられる。クワタ音楽メタ言語が構築するサザンの世界観は、すでにデビュー当時から発酵しているのである。




 そして、ついにこの肌触り、この匂いのまま昇華させたプロのアルバム『MUSICMAN』を桑田佳祐はソロ名義で2011年に完成させたのである。さらに、2015年、「大衆音楽の粋」を極める15thアルバム『葡萄』をサザンオールスターズとして発表した。

 2015年の発売から二ヶ月余り、“今、歌いたい歌”だけを集めその比類なき完成度の高さのみで、50万枚を突破したサザン37年目の音楽的境地『葡萄』は、まさに「サザンオールスターズから日本音楽界に対する回答だ」。


2015年は、新旧ベテラン二大ロック・バンドが手がけたオリジナル・アルバム、

サザンオールスターズ『葡萄』
Mr.Children『REFLECTION』{Naked}
 の年となった。


 37年後の最新作が21世紀日本の<大衆音楽>を代表するとは、実に驚くべきことである。最新作がつねに最高傑作であり、時代的制約性を受けつつも時代をこえる普遍性をもつ、これこそ稀代の大衆音楽家・桑田佳祐の不断の営易と比類なき才能なのである。

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 この只中で宇多田ヒカルは翌年

2016年に 6th album『Fantôme』(ファントーム)を
2018年に 7th album『初恋』を

(さらに、2022年キャリア最高傑作 8th album『BADモード』も)

リリースし、母なるミュージシャンとして見事カムバックを果たした。


2018年6月27日付け拙稿-
【宇多田ヒカル7th Album『初恋』★前作をこえる名盤、〈ウタダ・ブルー〉への螺旋的回帰!】


 前作6th album『Fantôme』(ファントーム)も復帰作にして素晴らしい傑作だった。だが、何故だろう。何か引っ掛かるものがあった、何か借り物のような。だが、デビューアルバムのタイトルを彷彿とさせる今回のニューアルバム『初恋』は桁違いの傑作だ。宇多田ヒカルにしかなしえない音楽(ミュージック)、全編に溢れる〈ウタダ・ブルー〉、この哀しみ・切なさ・憂い・勇気・希望・喜び、これに優しさとあたたかみが加わったトーンこそが宇多田ヒカルの真骨頂なのだ。これしかない!
 アルバムは「パクチーの唄」を起点として転回し感動的なフィナーレを迎える。
 まさに〈ウタダ・ブルー〉への螺旋的回帰! 

 要するに、宇多田ヒカルは〈ウタダ・ブルー〉とでも呼ぶべき、その時々の感情のうつろいを、愛と哀しみを、決め細やかにほろ苦い 「flavor」 で料理するのだ。

 だからこそ、宇多田ヒカルのキャリアの画期的意義は、ただに日本型R&Bの先駆者たる訳では全くない。中島みゆきが桑田が椎名林檎がそうであるように、良い歌にジャンルなどないのである。このことに気付いたヒッキーが歌うことの原点に回帰し、更なる地平を切り拓かんとする武器。
 この独自性が〈ウタダ・ブルー〉なのだ。

 すなわち、自由への意志にかられる身を悶えるようなどうしようもない   “せつなさ” に、“愛と哀しみ”と、かててくわえて “優しさ” と"あたたかみ"がそなわったこと

 このトーンこそが、歌謡曲からも遠く離れ外観のみR&Bだが実はただの電子音の集合体にすぎない、日本大衆音楽シーンに燦然と輝く宇多田ヒカルの独自性をなす。

 歌謡曲に足場を置きつつもあらゆるジャンルの楽曲に共通する魂の叫びが宇多田ヒカルの音楽には脈打っている。

 ヒッキーが独自性ウタダ・ブルーを武器に全キャリアを通し、苦闘しつつ切り拓いてきた画期的地平。それは<音楽的感動>である。


「ものうさと甘さとがつきまとって離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しい、りっぱな名をつけようか、私は迷う。その感情はあまりにも自分のことにかまけ、利己主義な感情であり、私はそれをほとんど恥じている。ところが、悲しみはいつも高尚なもののように思われていたのだから。私はこれまで悲しみというものを知らなかった。けれども、ものうさ、悔恨、そして稀には良心の呵責も知っていた。今は、絹のようにいらだたしく、やわらかい何かが私に蔽いかぶさって、私をほかの人たちから離れさせる。」
『Bonjour Tristesse』フランソワーズ・サガン(悲しみよ こんにちは)朝吹登水子訳。

もう一度言おう。
Bonjour Tristesse-お帰りなさい。

▼2022年2月23日にはCOVID-19下で制作してきたニュー・アルバム『BADモード』を発表。この上なく美しく深遠な傑作だ。


▼そして、2024年4月10日に、キャリア初となるオールタイム・ベストアルバム

『SCIENCE FICTION』(サイエンス フィクション)を
エピックレコードジャパンよりフィジカル、ユニバーサルミュージックより配信としてそれぞれ発表。


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 それから2年後の、2017年、ソロ名義での活動開始から30周年を迎えた桑田佳祐は、ありとあらゆるジャンルの楽曲が何の力みなく併存する、稀代の大衆音楽絵巻にして今昔・夢の音楽おもちゃ箱『がらくた』を発表した。この『がらくた』をひっさげた「桑田佳祐」ソロ名義での史上初の5大ドーム&アリーナツアーは、音楽の楽しさに満ち溢れた〈クワタワールド〉全開の記念碑的ライブとなった。

 かててくわえて、2020年1月24日、「COVID-19」が世界的に猛威をふるおうとしていたこの只中で、桑田佳祐は『SMILE~晴れ渡る空のように~』を発表した。チャイナ音階が隠し味となったアジアン・ポップスのこのミドルテンポのナンバーは、今を生きるすべての人びとへの、桑田佳祐のささやかなシンパシーが率直に伝わってくる。これすなわち、ポップミュージックの粋ではないか。


▲2021年9月15日、「桑田佳祐」名義での4年ぶりの新作『ごはん味噌汁海苔お漬物卵焼き feat. 梅干し』=通称“ごはんEP”をリリース。有観客での全国ツアー

『桑田佳祐LIVE TOUR 2021「BIG MOUTH, NO GUTS!!」』を開催した。


▼──世界中のどこかで今日も悲しみの声がする2022年──いきなり発表し、並みいるロックファンを瞠目させた
桑田佳祐 feat. 佐野元春, 世良公則, Char, 野口五郎の名義による
『時代遅れのRock'n'Roll Band』


 かくして、サザンオールスターズは時代に負けなかった。まさに<無敵のサザン>としての矜持を示したのだ。












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