桑田佳祐

『JAZZと歌謡曲とシャンソンの夕べ』


【COMMENT】


皆様いかがお過ごしでしょうか。

桑田佳祐です。


ワタクシも齢68歳を迎えることができました。

温かいお祝いの言葉、本当にありがとうございます!!

いよいよ70の大台が見えてまいりました。

こんな年齢になっても、不肖、私に出来ることは20代の頃と変わらず“音楽を作り、届けること”であります。

そんな日々を過ごせていることに感謝をしながら、現在も新曲の制作に勤しんでおります。


が、、、時に試行錯誤を繰り返しながらも、少々先へ進みあぐねている節がございます。


そこで!いま一度、自身の血肉となった先達の音楽に改めて触れ、「温故知新」の精神で多くの事を今一度学ぶとともに、お酒を片手に仲間たちと音を出しながら、新たなる「R60」の扉を開けることが出来れば、と考えました。


寄り道したっていいじゃない。令和の世に時代錯誤と呼ばれたって、いいじゃない。

我々がお世話になってきた“音楽の原風景”とも呼ぶべき楽曲たちに、心のチョメチョメをしようじゃないか……!


少しばかり狭いところでやるのも、多少不適切なことを言うのも、、、笑って許してね。

シーユースーン!!


桑田佳祐



▼2019年2月26日付け拙稿・加筆修正


【2月26日に誕生日を迎えたサザンオールスターズ・桑田佳祐に。】


 本日2月26日サザンオールスターズの桑田佳祐が68度目の誕生日を迎えた。

 折しも、今夜、神奈川県・茅ヶ崎市民文化会館 大ホールにて、茅ヶ崎エフエム開局以来初となる主催イベント「サザンオールスターズ 茅ヶ崎ライブ2023 特別上映会」が(3月20日にリリースされるBlu-ray&DVD版ではなく、すでに2月3日より世界独占配信が始まったNetflix版の大上映会が)開催されようとしている。

2月26日(月)
「茅ヶ崎FM presents!! サザンオールスターズ 茅ヶ崎ライブ2023 特別上映会」
18:00開演(予定)
茅ヶ崎市民文化会館 大ホール
入場料:無料 ※事前抽選sold out※ 

主催:茅ヶ崎FM
企画・協力:アミューズ
協力:キョードー横浜
映像協力:Netflix
後援:ビクターエンタテインメント 

 繰り返そう! 今夜、特別上映会が開催されようとしているまさに本日2月26日、サザンオールスターズの桑田佳祐が68度目の誕生日を迎えた。

 青山学院大学の音研サークルを中心に活動を展開していた桑田らのサザンオールスターズが、アマチュア・バンド・コンテストで入賞しスカウトされ1978年6月25日にメジャーデビューして、46年。その歩みはそっくりそのまま日本ポピュラーミュージックの足どりだった。

 すなわち、1980年に発表した3rdアルバムから今日までサザンのすべてのオリジナルアルバム初登場首位=いまだに年間60万枚突破、バンドでもソロ名義でもゆいいつ数多のシングルがミリオンセラー達成(グループ・ソロ共にシングルとアルバムの累積売上1,000万枚ごえ!の記録保持者は桑田佳祐のみ)、還暦をこえてもアルバムならびにシングルそして映像作品のランキング首位、さらにはいまだに6大ドーム・アリーナツアーのチケットが(通常のアーティストでは暗幕をかけるところどころか、客入れすら出来ないバックステージまでも!)完売…………。グループとソロの両方で3度の全国5大ドームツアーを達成した唯一の歌手(ミュージャン)。1978年6月25日にデビューシングルを発売し10月9日付けオリコン週間チャートで3位を獲得して以来──1970年代、1980年代、1990年代、2000年代、2010年代、2020年代と6世代(6つの10年代)のすべてでヒット曲を放ち、最も多くの曲を知られるオンリー・ワンの「モンスター・バンド」。



 けれども、日本で最初に「国民的ロックバンド」と称された彼らサザンオールスターズは、決して日本で一番技術が優れ、年間売上げが一位であり続けた、シビレる“カッコイイ”バンドではない。


 むしろ、学生アマチュアバンドの“手触り”のまま、常に“身近な存在”であり続け、ごく当たり前のように彼らの音楽が大衆的に馴染んできたからこそ、世間は「国民的」と称したのだろう。マニアな音楽を大衆的に、大衆的な曲をマニアックに、ありとあらゆる音楽ジャンルや和洋にまたがる作品を日本独自の大衆音楽(ポップミュージック)として、次々と世に送り出し続けてきたのがサザンオールスターズと、桑田佳祐の“歴史”であった。



 (場所の外側からではなく、大衆音楽の)場に深く内在し・不断に場所をのりこえてゆく(※ここで規定した「のりこえ」は、対象の外側から跨ぎ越すのではなく、対象をその内側から喰い破ってゆく意味で規定したため、漢字の「乗り越える」ではなく、ひらがな「のりこえる」と表現する)──<我らサザンオールスターズ>は、時に先鋭的に、時に大衆的に、時に遊び心たっぷりに、時に劇的に、時代と戯れ続け歌謡界の「カウンター・カルチャー」を象徴する大衆的ロック・バンドであり続けてきた。そして、リーダーの桑田佳祐が世に贈ってきた尽きることない数々の“新曲”は、46年もの間、その時々の時代の雰囲気から発酵した、愛すべき“生身の音楽”であり続けてきた。

 誰もが知るデビュー曲『勝手にシンドバッド』で途方もない衝撃をもたらし話題を振りまいた彼らは、2013年再始動後初のシングル『ピースとハイライト』でまたも世間を驚かせた。2018年末の紅白歌合戦では昭和・平成の大トリとして、即興でユーミンとも戯れつつ、最高のポップ・ミュージックをテレビサイズの究極で魅せつけた。「桑田君は、流行り廃りの激しいポップ・ミュージックの世界で、共に長い間闘ってきた戦友」同志(松任谷由実)として、大先輩・ユーミンとスクラム固く、大舞台を牽引したのだった。







 2020年にはサザンとしてCOVID-19下のいわゆる配信ライブをデビュー記念日と「ほぼほぼ(事前収録)年越し」の二度にわたって領導し、2021年下半期には桑田ソロ名義でコロナライブ規制下でも全国ツアーを大成功させた。続く、2022年にはベスト・アルバム『いつも何処かで』をリリースすると共に前人未到のソロ歌手史上最多回数の<5大ドームツアー>を成功させ、戦争と疫病と災害、物価高騰と人事給与制度改悪を表裏一体のものとし大衆収奪が一挙的に強化される今歌いたい歌をズラリとラインナップし・満席のオーディエンスと様々な思いを分かち合った。


 さらに、サザンオールスターズがデビュー45周年を迎えた昨2023年には、桑田佳祐の地元・神奈川県茅ヶ崎市の茅ヶ崎公園野球場にて、9月27日9月28日━9月30日10月1日の4日間にわたって、10年ぶりの<茅ヶ崎ライブ>を開催。──2024年2月3日にNetflixで世界独占配信、2024年3月20日にLIVE Blu-ray & DVDが発売される──この『茅ヶ崎ライブ2023』がほとんどの新旧ファンを唸らせ感動を呼んだのは、聖地茅ヶ崎から全国津々浦47都道府県273館の劇場とおまけに音漏れギャラリーを含めれば4日間全国30万人の聴衆へ向け、前人未到のキャリアを積んできた彼らが時代をこえてなお変わらぬ魅力、否、むしろ2023年の今だからこそひときわ輝く極上の魅力に溢れていたからだ。中でも特筆すべきは、45周年イヤー開幕第一弾(茅ヶ崎ライブ予行演習)として8月1日に収録され8月17日と9月28日に放送されたNHK MUSIC SPECIAL「シン・日本の夏ライブ SP!!」が、曲目は緩急抜群だったが《こくみんてき、ろっくバンド<優等生サザン>》を演じ・ややスタティックなライブだったことに対して、茅ヶ崎ライブ本番のサザンはまるで別人のように、ケタ違いの凄みを魅せつけてきたことだ。きっとここ一番で外すサザンではないと思ってはいたものの(実際そのことを明確に指摘もしたが)、想定の遥かナナメ上をこえサザンでなければ出来ない躍動感に溢れていた。あらゆる音楽ジャンルの価値境界線をブチ壊す、多彩でカラフルな究極のポップス・大ヒットナンバー・極上のバラードの三点セットの無限ループ的釣瓶打ち。これだけ音楽的到達点をみせつけながらも、「オレたち何一つ変わってないだろ!」と言わんばかりのやりたい放題ぶり。ついにみずからの持ち味に迷いなく立ち返ったサザン、若い世代と対等に渡り歩こうとする不埒(ふらち)な下心丸出しの<無敵のサザン>への原点回帰。そこには<昔のサザンは良かった>などという病膏肓に入る・寝とぼけたセンチメンタリズムの入り込む余地はなく、26曲すべてを<現在進行形の極上で珠玉のポップス>として提示してきたのだった。「シン・日本の夏ライブ SP!!」の形式は残しながらも、その内実を全く別人のライブとして見事なまでに換骨奪胎してしまった。このことにこそ私は心底驚いた。








 振り返れば、デビューから7年目1985年の二枚組アルバム『KAMAKURA』で日本のロックシーンを極めたサザンオールスターズは、(目下の最新作)2015年に発表した60万枚ごえの“いぶし銀”のアルバム『葡萄』で、この国の現在・過去・未来を歌に託し「大衆音楽の粋を極めた」のだった。

 「大衆とともにあるポップスというものは、本来それくらい突っ込んだ表現をしなければつまらないものだし、きつい風刺をさらりとできるくらい、常に自由でなくちゃいけません。~そういうものこそ、おこがましくも還暦を過ぎたシンガーソンガーライターである今の僕が考える、『いい歌』『いいポップス』になり得るんではないかと思うんですよね。」、と。
『文藝春秋2018年十月号』163頁特別企画「桑田佳祐独占告白」より)。

 還暦をこえ46年のキャリアを迎えようとしている桑田佳祐がこだわってきたものこそ、時代的制約性を受けながらも時代をこえて・ひと際輝く誰もがいつしか口ずさむ〈言い訳のきかない〉作品、すなわち“生身の音楽”としての<愛すべき大衆音楽(ポピュラーミュージック)>だと思うのだ。

 
 私は桑田佳祐の音楽とともにあり続けられていることに感謝を捧げたい。


 桑田佳祐にとってサザンが家族のような・親戚のようなものなら、「桑田佳祐」名義のソロ活動は愛人のようなものなのだろう。


 サザンでの音楽活動に行き詰まると、桑田佳祐はソロ活動で力を蓄え・その成果をさらにサザンに注ぎ込んでいった。


 一度聴いたら忘れられないメロディ・サウンド・歌詞という桑田佳祐の音楽(魔法の杖)は、年々社会的評価のハードルが高まることで、常に絶賛と批判にさらされてきた。それは桑田佳祐の音楽が確固としたポップミュージックのバックボーンに裏打ちされつつ、大衆にがっちりと根差してきた証しだと思うのだ。


 しかし、それは一朝一夕になし得た訳ではない。作品がブームとなり・社会的評価を得た次の瞬間から、新たな音楽的境地を求めて、桑田佳祐は粛々とレコーディングへと向かっていった。だから、音楽は桑田佳祐を裏切らない。それは桑田が人生という名の音楽と不断に戯れ続けてきたご褒美なのだろう。


 桑田佳祐の音楽は、ちょっぴり格好をつけた時でさえも、常に“見栄をはらない”。

 格好わるいことも、みじめなことも、照れくさいことも、幸せも、哀しみも、憤りも、喜びも、社会風刺や国内国際情勢への憂いすらも、そしてエロスまでも、実に率直で素直なのだ。桑田はさまざまな人生に光をあて、歌に託してきた。



野暮でイナたい人生を 照れることなく語ろう
悪さしながら男なら 粋で優しい馬鹿でいろ


底無しの海に 沈めた愛もある
酔い潰れて夜更けに独り
月明りの Window

悲しみの果てに おぼえた歌もある
胸に残る祭りのあとで花火は燃え尽きた




眠れない街に 愛する人がいる
お前だけが死ぬほど好きさ
秋風の Shadow

終わらない夏に 誰かとめぐり逢う
夢の中で彷徨いながら 涙も枯れ果てた

(桑田佳祐『祭りのあと』)




 素顔のままで歌う愛すべき“音楽寅さん”-これが桑田佳祐なのだ。


 きっとレコーディングが終わり、こんな曲が出来たんだけど、と自分がつくった曲を聴かせる時こそが桑田佳祐にとって至福の時なのだろう。


 だから、桑田佳祐は決して今流行りの「ついて来い!」とは言わない。大衆音楽の頂点を極め続けてきた桑田はむしろ身の丈に合わずカッコつける事が一番カッコ悪いことを熟知しているからだ。その代わり、桑田はコンサートとは“逢瀬”であり、ライブ中ずっと「ありがとう」と言いつづける。そして“また逢おうね”、と繰り返す。桑田佳祐は音楽が好きで好きで、こんなにも好きな音楽を、会場に訪れたお客さんに一曲でも多く聴かせたくてたまらないのだろう。その結果、桑田佳祐と聴き手の間に深い絆が生まれる。それが桑田佳祐という「歌うたい」の“道”なのだろう。



桑田佳祐:Vocal & Guitar
「そんな5年を経たうえで、これからは『自分達自身がサザンでいることをお客さんといっしょに楽しむ!』をテーマにしていきたいと思います。今回は記念碑的タイミングでもありますので、サザンの『おいしいところ』を存分に皆さんに見ていただこうと思います。ぜひお楽しみに!」


(2013LIVEツアーパンフレットより)



 それは桑田佳祐の音楽に対する向き合いかたに規定されているのではないだろうか。そして、サザンオールスターズの明日をも知れなかった学生アマチュアバンド上がりのバンドとしての出自に決定されているのではないだろうか。


 桑田佳祐はその時々の時代のありとあらゆることをテーマに曲を書いてきた。『東京』も『明日晴れるかな』も、「平和の鐘」も「マンピー」も、かつて擬人化した「I AM A PANTY」も、『恋するマンスリー・デイ』も、『朝方ムーンライト』も、『女神達への情歌』ですらも、『夜風のオン・ザ・ビーチ』『蛍』も、『ピースとハイライト』と『東京VICTORY』も、「飛べないモスキート」も「月光の聖者達」もまた、さらには【バンドはつらいよ 最強なのはアイドル!】のスローガンを高々と掲げて・新旧アイドルとポップスターを礼賛した『壮年JUMP』も、2023年のかのヒット曲「盆ギリ恋歌」ですらも、「ほととぎす[杜鵑草]」と「Relay〜杜の詩」と同様に、みな等しく愛の唄(バラッド)なのである



 「Relay〜杜の詩」──この曲は『ほととぎす[杜鵑草]』に匹敵する傑作だ。ビートルズでもあるが、これはキャロル・キング。そして、桑田にとって久々のソロ名義のジョン・レノンへのオマージュに満ち溢れている。桑田佳祐がここ10年で最も自然体で歌うこの曲は、「馬鹿でごめんよ」──この一句で全て浄化される。
 2011年の東日本大震災・福島第一原発炉心溶融(メルトダウン)事故以来、技術文明の光と影に拘ってきた桑田は、それでも愚直なまでに、そこにあり続けてきた<風景>へのロマンを歌う。──夢溢る世の中であれ──と若い次世代へバトンを渡す。見逃せば零れ落ちそうなささやかな感情のゆらめきや違和感をキャンバスに彩る、熟練の技(Blues)だ。


⏹️⏹️
 例えば、桑田佳祐が2011年〈3・11〉から半年後の「宮城ライブ」のステージで、再生を願い共に歩むことを歌った事実=「約束」を、われわれは未来永劫忘れることはないだろう。それは桑田が東日本大震災・福島第一原発炉心溶融事故に見舞われた被災人民の血叫びと絶望的な苦悩を己のみぞおちで主体的に受けとめると共に、自らもまた事故の当事者として被災人民の苦悩を共有したが故に、「再生地」で「一緒に元気になろうぜの会」(桑田)として実現したのだった。

 同時に、宮城 セキスイハイムスーパーアリーナ(グランディ・21)に桑田が植樹した「希望の苗」は、前年に「ふとした病」の闘病時に寄せられた支援の声への“恩返し”であると共に、自らの「復興」、否!、「再生」とも重ね合わされたものであったのだろう。われわれは救済の対象ではない、再生の主体であり、まさに自己解放の主体なのだ、と。
 だからこそ、音楽人としての再起を賭けた桑田佳祐の意志は被災人民の苦悩=絶対無と合一化した。
 まさに、音楽が絆を刻んだ瞬間だった。



**

 震災から丁度半年を経た2011年9月10日-11日、


桑田佳祐
『 宮城ライブ ~明日へのマーチ!!~』


が宮城・セキスイハイムスーパーアリーナ(グランディ・21)で開催された。

 会場前には櫓が組まれ、提灯が灯り、被災地の出店が盆踊りの祭りの雰囲気を醸し出した。地元のオーケストラやダンサーもライブ出演を快諾された。



 4年ぶりのライブは鎮魂と再生の宴となった。


 『青葉城恋唄』のカヴァーと黙祷から始まり、ニューアルバム『MUSICMAN』メドレーへ。続いて KUWATA BANDメドレーと深遠な鎮魂歌をはさみ、サザン・メドレーを披露。さらに終盤、「不謹慎なこともやっていい?」とうそぶきつつ桑田佳祐は、いっしょに「元気になろうぜ!」とばかりに一気にたたみかけた
 術後復帰した桑田佳祐の完全復活を疑う者はもはや誰もいなかったばかりではない。いや、むしろ再生と再起を賭けた桑田の気迫に誰もが息を飲んだ。会場は熱気に溢れ激震した。そして、バンドとオーディエンスは歌を介して通じ合い、やがてまた同時に会場は一つになった。
 アンコールでは『それ行けベイビー!!』がややバラード的に解釈されてしまったものの、書き下ろしの掌編『約束』を挟み、桑田がまたこのステージに帰ってくることを誓うと、会場のボルテージは最高潮へ。ラストの『希望の轍』まで熱狂の嵐に叩きこんだ(全27曲)。




「もうお別れはたくさんだ」って言うなら

またこの場所で

逢う約束をしよう



泣きたいことは

誰にもあるだろう



また逢う日まで


元気でいてね





「また帰ってくるぞ!」




-書き下ろしoverture『約束』(桑田佳祐)






 ステージの直後、桑田はスタッフに語った。


追加公演をやろう、会場をおさえてくれ、と。

【『マウントレーニアダブル presents
桑田佳祐 ライブ in 神戸 & 横浜 2011
~年忘れ!! みんなで元気になろうぜ!!の会~ 』

2011.12.24-25 神戸ワールド記念ホール
2011.12.30-31横浜アリーナ


アルバム『MUSICMAN』全17曲披露。

全27曲。12・31横浜公演のみ28曲。
WOWOW、ライブビューイングで生中継。未映像作品化。】



 始まる前はくよくよしたが、やったら手応えがあったと、のちに語った桑田佳祐もまたグランディ・21で、音楽家として完全復活を遂げたのである。


**




 そして昨年2015年「季節は巡り」「希望の苗」(サザン再始動後初のシングル『ピースとハイライト』の歌詞)から『葡萄』へと「たわわに実った」のである。




 『桑田にしてみたら、あの時点で曲や詩を書くのは、凄く勇気がいる事だったんじゃないかと思います。震災から間もない時期でしたし、世の中には静かな曲しか流れていませんでしたから。そんな時に元気を出そう!   という「Let' try again」のような曲はどう思われるだろう、批判されるかもしれないっていう心配は、正直、少しありました。でも桑田は、「悲しい時こそ歌うんだ!」という信念であの曲を書いたのだと思います。「同じ思いでみんなが集まった時にこそ生まれるのが音楽」とも語っていました。』

(原由子著『あじわい夕日新聞  ~夢をアリガトウ~』朝日新聞出版 129頁~130頁)。



 「でもまたもや不思議な力に守られたと言うか、本当に音楽の神様があの場所に舞い降りて来てくれたんじゃないかと感じました。桑田自身もお客様の笑顔に癒されて、元気を与えられ、それを今度はお客様へ返し、最後は会場全体が一つになって、みんなで元気になれたのです。」



 「その後、2012年の桑田のソロ・ツアーでは、お客様の笑顔と共に、東北に届けとばかりに全国各地で歌われました。私はその光景を眺めながら、ライブでみんなで歌う事によって、この曲は完成したのだと感じました。」

(同上、 131頁)。



 『「愛しい人へ捧ぐ歌」という、僕の一番新しい歌は、再びあの宮城のステージに立ち、東北の皆さんの前で歌う自分の姿をイメージして作ったところもある。
そして東北はもちろんのこと、ツアーはそのあと、全国を回って大晦日の横浜まで続く。各地で様々な人に出逢い、様々な想いを受け止めつつ、最後まで皆さんに、出来るだけ新鮮な気持ちで楽しんで頂きたいと、今はそう願うばかりである。』

(桑田佳祐著『桑田佳祐 言の葉大全集    やっぱり、ただの歌詞じゃねえか、こんなもん』新潮社 330頁~331頁)。
⏹️⏹️


 来たる6月25日──世紀をまたぎサザンデビュー46周年を迎えようと、昭和・平成・令和を経ようとも、桑田佳祐は伝説にはしない、“いつも通り”「下劣な音楽」(ラヴソング)を奏で歌い続けるのだろう。


「この世の中で/生きる限り

ひとりひとりは/みんな違っていいよ

人間(ひと)は誰もが/弱く暗く寂しい

だから女神が/そっと微笑んでるんだ


冬は枯れてた花が

春にまた甦る」


(サザンオールスターズ『アロエ』)

、と。



 2023年秋口より新たに開始したさらなる新曲のレコーディング! 茅ヶ崎ライブ2023の余韻冷めやらぬうちに、暮れにはサザンのメンバー5人がスタジオに集結し、「ビートの跳ねたアメリカン・ロック的な感じの曲」(桑田佳祐)をセッションした! 今サザンは、「時間をかけてレコーディング」し「しっかりした作品が出来るくらいの曲数は準備しておきたい」(同上)という意志に燃え、長期レコーディングに励んでいる! 26日27日にはサザンのメンバーが全員集合して最後のリズム録りをする。


 『あれは1974年。青山学院大学2号館の校舎で初めて桑田くんに出会った時、東京ってすごいところだなぁ、こんなに面白い人間がいるなんて!と思ったものでした。とにかく驚いた。何しろ、初対面の僕の前でサミー・デイビス・ジュニアとジェームズ・ディーンの顔真似をしてくれたのです。それ以降もどんな場においても彼は人気者でした。その後も彼以上の人間には出会った記憶はありません。結局のところ、最初に出会ったのが日本一面白いヤツだったわけです。
 「俺はミュージャンだから勉強しなくてもいいんだ」と大学生当時、豪語していたのが桑田くんでした。その言葉通り夢を叶えることができる人は一握りもいないと思います。明確なビジョンというか、光みたいなものが桑田くんにははっきり見えていたのではないかと今となっては思います。45年間、そのビジョンに牽引され、鼓舞されてサザンはここまで来れたのだと思います。ビートルズ、最後の新曲と言われる「Now And Then」の歌詞の中にこんなフレーズがあります。 ”♪It's All Because of You“ まさにこの人がいなかったら、今の僕はなかったでしょう。この気持ちを表すとしたら、それは「感謝」を超越したものかも知れません。
 たまたま同じ年に同じ大学に入学し、二人とも担任の先生に「お前みたいなヤツがよく合格できたな」と驚かれ、同じ音楽サークルに入って、同じバンドで活動する。客観的に見たら奇跡のような出来事、それ自体が凄いこと、と思っていただけるかもしれませんが、もっと素晴らしいことがあります。その奇跡に今感謝できる、ということです。
(サザンオールスターズ応援団会報『代官山通信 165号』2024年発行
 「コミュ障の虚無僧ベーシストからの45年目の感謝」文=関口和之
12頁〜13頁より)



 桑田佳祐のbirthdayとは、“我らサザンオールスターズ”同志の奏で歌う音楽への感謝以外のなにものでもないと、私は、思う。


 同志よ、ありがとう。

 そして、次の舞台(ステージ)を心待ちにしています。
 いついつまでも、2019年のサザンオールスターズ全国ドーム&アリーナツアーのタイトル「“キミは見てくれが悪いんだから、アホ丸出しでマイクを握ってろ!!”だと!? ふざけるな!!」のROCK魂(スピリット)をわすれず、ともに尽きるその日まで、「素顔のままで」(『素顔で踊らせて』)★





















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