【再掲載】
「茅ヶ崎ライブ2023」開催記念! 


 

サザンオールスターズ 5th album 

『NUDE MAN』
(1982.7.21)



週間1位(6週連続)



82年年間3位(69.6万枚)
83年年間25位(27.0万枚)

越年累計96.6万枚





A面
M1.DJ・コービーの伝説
M2.思い出のスター・ダスト
M3.夏をあきらめて
M4.流れる雲を追いかけて
M5.匂艶(にじいろ)THE NIGHT CLUB
M6.逢いたさ見たさ病めるMy Mind


B面
M7.PLASTIC SUPER STAR(LIVE IN BETTER DAYS)
M8.Oh! クラウディア
M9.女流詩人の哀歌
M10.NUDE MAN
M11.猫
M12.来いなジャマイカ
M13.Just A Little Bit


 1982年━━この夏、サザンが『NUDE MAN』で制した。

 この年、カーステレオやウォークマンが普及。それとともに数々の名盤が生まれ、チャートを席巻した。時代はいよいよミュージシャンとアイドル歌謡全盛の時代となる。山下達郎の代表作の一つ『FOR YOU』、『悪女』が収録され年間トップをかっさらった中島みゆき『寒水魚』、前年『守ってあげたい』が大ヒットしたメロディーメーカー松任谷由実の『PURPLE PIERCE』には『DANG DANG』が収録、『YES-YES-YES』が大ヒットし武道館連続10DAYS公演を完売させた小田和正らオフコースが前年の『over』に続き『I LOVE YOU』『NEXT SOUND TRACK』を連続リリース、さらには前年からロングセラーとなりこの年CD化もされた大瀧詠一『A LONG VACATION』のメガヒット、佐野元春が3rd album『SOMEDAY』をリリースし絶賛された。この只中で、サザンオールスターズは足掛け二年にわたるメガヒットを記録する『NUDE MAN』をリリースし、メジャーシーンに返り咲き「国民的ロック・バンド」と称されるようになった。

 メジャーデビュー4周年の事だった。





 5thアルバム『NUDE MAN』(ヌード・マン)は、波打際で裸身の男がおもむろに頭から波間に跳びこむ、奇抜なジャケットである。楽曲から駆け引きや仕掛けを取っ払い、素っ裸でバンドの生々しさを伝えたい、こういうねらいだったのかもしれない。

 見栄や意地を剥ぎ取った真っさらな《売れたい》宣言とストレートなバンド・サウンドへの純化。


 その結果、90万枚をこえる売上を突破し、サザンは再ブレイクを果たすどころか、デビュー時をやすやすとこえる「国民的ロック・バンド」と称されるまでに飛躍を遂げた。

 それと同時に、このアルバムを契機に実験的なサウンドに四苦八苦すると共に桑田佳祐のプロデューサー的役割が肥大化してゆくようになる。

 このような意味で、5th album 『NUDE MAN』はサザンにとってポピュラー・ミュージックの前衛で時代を牽引してゆく、画期をなしたのだ。







 82年年頭、いきなり仕掛けてきた。デビュー4年目にして通算観客動員50万人をこえた7度目のコンサート・ツアーで、いきおい桑田・原の結婚宣言が飛び出した。


 1月9日の福岡サンパレスから、全9公演4万1千人を動員した、

『愛で金魚が救えるか! サザンオールスターズ PaaPooツアー'82』

が始まった。

 本ツアーのファイナルは、1月25日・26日の日本武道館でサザン初の2デイズだったが、その前に日本中を揺るがす発表が解禁された。

 1月19日の札幌厚生年金会館のステージ上で、桑田佳祐と原由子が直接ファンに向けて結婚宣言を発すると、またたく間にスクープが日本全土をかけめぐったのである。あの『いとしのエリー』のサザンオールスターズのメンバー~……という体で。




 そればかりではない。ツアー会場で、日本武道館で、さらにはザ・ベストテンの今週のスポットライトのコーナーで、桑田佳祐は訴えた。


サザンは今年またテレビに出ます!

ヒット・シングルを出します!

売れたいです!

みなさん、よろしくお願いします!


と、結婚発表とセットでどん欲に訴えた。まさに、桑田佳祐が自己プロデュースを本格的に開始した瞬間だった。



たしかに、今日芸能界一のおしどり夫婦とされる二人の結婚は、必然的であった。けれども、この結婚はサザンが本物のプロとして揺るぎない地位を確立して初めて祝福されるのである。20代の桑田の脳裏には   "何でこのシングルが売れねぇんだ" "大衆ってのは分かってねぇな"、"だったら、大衆が食いつくような音楽をやってやるよ"、 "ノリも質も両方追求してやろうじゃねぇか"  、というある種の気負いと決意に駆られていたことだろう。
 しかし、まだ桑田佳祐は気づいていなかった。もがき苦しむことで得たファンとの絆、レコーディングおよび200公演ものステージで得たバンドのレベル・アップ、そして桑田佳祐のヒットメイカー&メロディーメイカーとしての急激な才能の開花を……。



 桑田・原への祝福と<売れたい宣言>の勢いに乗り、サザンは1982年1月21日に発売した通算14枚目のニュー・シングル


『チャコの海岸物語』


をド迫力で披露した。


 「トシちゃんでいきたい!」-こう言って桑田が唄い出すとビクター401スタジオに爆笑の渦が巻き起こった。
 トシちゃんってちょっとアバンギャルドな感じだから、彼がグループ・サウンズだったらって体で行きたい、というのが桑田の見解だった。


 ジャニーズの「たのきんトリオ」から、最初にデビューした田原俊彦は断トツの人気を誇り、エンターティナーの指向性をもったアイドルだった。(のちにジャニーズから移籍したものの)彼は音程が外れていると叩かれても絶対に生歌しか受けつけず、マイケル・ジャクソンから積極的に摂取し、独自のステージングに磨きをかけていた。歌もステージも個性的となった。そんな田原の歌唱法で桑田は新曲に挑むというのだ。



 こうして披露された『チャコの海岸物語』は、楽曲がとても分かりやすい所へもってきて、強烈なインパクトを与えた。どの会場でもオーディエンスにバカ受けで大喝采された。結婚発表、売れたい宣言、<チャコ>フィーヴァーの三本柱は、常勝プロ野球チームの投手陣さながらに強力だった。




抱きしめたい

海岸で若い二人が 恋をする物語
目を閉じて 胸を開いて
ハダカで踊るジルバ


恋は南の島へ翔んだ
まばゆいばかり サンゴショー

心から好きだよ チャコ
抱きしめたい

だけどもお前はつれなくて





エボシ岩が遠くに見える
涙あふれてかすんでる

心から好きだよ ピーナッツ
抱きしめたい
浜辺の天使を見つけたのさ

浜辺の天使を見つけたのさ



 やや懲り過ぎた感のあるシングルver.は好き嫌いが分かれると思うが、かつてのグループ・サウンズとラテン歌謡『恋のバカンス』を意識した<チャコ>のステージver.は、異様にエモーショナルだった。しかも、その場の雰囲気に応じて、毎回、歌い方もパフォーマンスも異なった。


 発売5日後、2月26日に入籍、さらに28日には東京プリンスホテルで大々的に結婚披露宴が開催された。


 新旧ファンにサザンの意志が伝わったことも手伝い、初動46位と言われるこの曲は週を重ねるごとに売上が倍増した。


 アルバムには収録されなかったものの、心に響く不思議な魅力あふれるこの曲は、ついに

オリコン週間最高2位、
年間8位(55・6万枚)、
ベストテン2週連続1位

を奪取し、『いとしのエリー』『C調言葉に御用心』以来、3年ぶりの大ヒットを記録した。


 皮肉にも、と言おうか、ヒット曲のセオリーと言うべきか、時代を代表するヒット曲とは、誰もが後々までも口ずさむようなタイプの曲なのだ。
 今まさに、時宜を得た(タイムリー)な音楽、新しくも懐かしい、懐かしくも新しい〈大衆音楽〉こそがポップス。
 "イロモノ" の極地をやって大ヒットさせてやろうじゃないか!、そんな桑田のねらいがまんまと功を奏した、否、またも桑田の予想すら遥かにこえた〈チャコ〉フィーヴァーを巻き起こした。
 歌謡曲か?、ロックか?、グループサウンズか?、と物議を醸しながら、その境界線すら飛び越えて、いつの間にやら"サザン返り咲き"の国民的な流行歌となっていた。


 この年(3年ぶり)2度目の紅白歌合戦「出場」を決めたSouthern All Stars(SAS)は、出演者でもあった三波春夫もどきで<チャコ>を披露し(三波は好意的に受けとめた)、全国的に物議をかもしたことも、今日、微笑ましい"伝説"となっている。





 さらに、サザンは7月発表のニュー・アルバムから先行シングル・カットした『匂艶(にじいろ)THE NIGHT CLUB』をたたみかけるようにリリース。

最高8位(28.2万枚)、ベストテン5位を獲得し、「国民的ロック・バンド」としての地位を不動のものとした。

 こうして、5thアルバムの全社会的浸透はすでに保証されたも同然であり、「サザン最高傑作のロック・アルバム」との呼び声も高かったことで、サザンが圧倒する夏となった。



 楽曲提供の要請にも積極的に応えた。

 桑田は小林克也や、中村雅俊に『恋人も濡れる街角』、さらに原が清純派アイドルだった伊藤つかさに楽曲を提供した。『夏をあきらめて』を研ナオ子がカヴァーし大ヒットした。



 そして、ニューアルバムをひっさげたツアー開幕2週間後の10月5日、ロッカ・バラードの傑作

『Ya Ya (あの時代(とき)を忘れない)』

をリリース。



 青学時代に彼らが在籍した音研サークル 「Better Days」も歌詞に登場するなど、ライブに欠かすことができないレパートリーが誕生。
オリコン最高10位、ベストテン6位を獲得し、サザンはロック・バンドという括りにはおさまらぬ、日本ポピュラー・ミュージックを代表する地位を獲得しつつあった。



 この只中で

『青年サザンのふらちな社会学ツアーThe Nude Man』

は大成功をおさめた。


 9月21日の静岡市民文化会館を皮切りに、翌年2月2日-4日の新宿厚生年金会館3デイズまで、サザン史上最長最多の全57公演、16万2,987人を動員。過去最多33曲のレパートリーを確立した画期をなすライブとなった。





 こうしたサザンのメガ・バンドへの飛躍は、メンバーのソロ活動が物質的基礎をなしてもいた。


 前年1981年11月、ソロデビューアルバムをひっさげ学園祭ツアーを敢行した原由子は、この年82年3月21日、結婚後初にして通算3枚目のシングル『誕生日の夜』を発表した。

 原は翌83年、大ヒットを飛ばし、中島みゆき・松任谷由実・竹内まりやと共に日本を代表する女性アーティストとしても成長する(91年ソロ名義で紅白単独出演)。


 当時ギタリストの、ター坊こと大森隆志も、デビューアルバム『真夜中のギター・ボーイ』を2月21日に発表。3月、ソロツアーに挑んだ。



 こうして、シングル、アルバムのヒット作を量産し、充実したソロ活動にも裏うちされて、サザンはツアーと紅白で82年の有終の美を飾った。


 だが、年末、さらに決定打が出た!


 紅白出演直前の12月5日に発売した初の本格的なバラード・ベスト・アルバム

『バラッド'77~'82』

がウルトラ・ロングセラーになったのだ。


 『バラッド』は8週連続週間1位を獲得したばかりか、翌年83年度オリコンのカセットテープ部門でも年間1位に輝いた。

 それまで、カセット(CT)だけの企画盤として位置づけられてきたサザンのベスト盤の位置づけが一変する事態となった。


 しかも、『バラッド'77~'82』は、シングル・ヒット・コレクションではなく、サザンがデビュー前から今日までに発表したバラードを中心にまとめられており、マイナー調ならどんな曲調でも選曲されていた(Aサイドシングル曲は20曲中、5曲のみ)。


 従来のイメージを含みかつ否定し、まさにサザンのバラードがBallad(バラッド)であることを広く世に知らしめた。その結果、夏のサザンという称号にくわえて<バラードのサザン>が定説となってゆく。


 折から、中村雅俊に提供した『恋人も濡れる街角』が、深作欣二/つかこうへいの映画『蒲田行進曲』の主題歌として、映画ともども大ヒットを飛ばす。

 さらに、研ナオコがカヴァーした『夏をあきらめて』がレコ大金賞ならびに作曲賞(桑田佳祐)を受賞。
 そして、紅白出演直前に発売したサザン『バラッド'77~'82』の爆発的ヒット。


 ……こうして、<バラードのサザン>の呼び声が全国的に高まり、桑田佳祐がヴォーカリストおよびシンガーソングライターとして音楽的評価を得たのも、この年1982年からであった。





 これまで見てきたような、<サザン82年フィーバー>の中核を成したものこそ、5thアルバム『NUDE MAN』であった。

 サザンはこのアルバムをもって第2期に移行したと言って良い。サザン初の本格的なロック・アルバムである。


A面
M1.DJ・コービーの伝説
M2.思い出のスター・ダスト
M3.夏をあきらめて
M4.流れる雲を追いかけて
M5.匂艶(にじいろ)THE NIGHT CLUB
M6.逢いたさ見たさ病めるMy Mind


B面
M7.PLASTIC SUPER STAR(LIVE IN BETTER DAYS)
M8.Oh! クラウディア
M9.女流詩人の哀歌
M10.NUDE MAN
M11.猫
M12.来いなジャマイカ
M13.Just A Little Bit




レコード盤A面の1曲目(以下①と表記)
『DJ・コービーの伝説』

 分厚いギターソロが印象的なROCKナンバー。ビートルズと小林克也に敬愛の念を捧げたこの曲は、5thアルバムのトーンをキメた。2ndアルバムの1曲目『お願いD.J.』を完璧に凌駕。

  2019年に開催された LIVE TOUR 2019 『“キミは見てくれが悪いんだから、アホ丸出しでマイクを握ってろ!!” だと!? ふざけるな!!』で小林克也の映像とセットで選曲されたこの曲は、歌詞にも、1982年当時における桑田の意志が込められたように思う。見栄や意地を剥ぎ取った真っさらな《売れたい》宣言とストレートなバンド・サウンドへの純化-こうしてサザンは大衆的かつ骨太なロック・バンドとして、第一線に立つ決意を成立させたのだ。このことが、ビートルズと小林克也に敬愛の念を捧げたこの曲『DJ・コービーの伝説』の〈歌詞〉からも如実に浮かび上がっている。



Mr.DJ!!
ぐっとルーズなブルーズいらないあい
何ゆえ俺は Rock'n Roll Man
もっと最高に Driving な Rock

No, No, いなたいのは Get-out!
狂えるような Beat

一晩中 Funky Rhythm
響けよ Number, Over & Over Again


Mr.DJ!!
New York City じゃ誰が有名だい
しびれるほどの Hot New Band
ときめきのままに Shock

No, No, 止めないでよ Record Machine
ちょいと待って Koby, Please

一晩中 Funky Rhythm
響けよ Number, Over & Over Again


I Wish I Could Recall Your Name
今宵も Just You & Me
沈み込むような Proglam Oh, No!!

Let's Play Some Music!!
Na Na...
Rock'n Roll
Let's Play Some Music!!
Na Na...
Rock'n Roll

いつでも Cover Of The Magazine にのる
アナタをながめて Lonely, Lonely, Night,




②『思い出のスター・ダスト』

 胸に染み入るロッカ・バラッド。
 1954年にオープンし今日も横浜・ノースピアに位置する『Bar StarDust』の80年代の風情(酒と、オールディーズが流れるジュークボックス、港の夜景)も描かれている。 

 「横浜の姉や」とは桑田の姉のことである。彼女が恋い焦がれていたビートルズの『アイ・ワナ・ビー・ユア・マン』も歌詞には組み込まれている。
 だが、もう一人の「横浜の姉や」はもちろん原由子だ。

 やはりこの曲は横浜を舞台とした永遠(とわ)なる愛を誓うラヴ・ソングなのだ。

 そしてプラターズ『グレート・プリテンダー』『煙が目にしみる』、さらにはスモーキー・ロビンソンがテンプテーションズに提供した『マイ・ガール』など、最良のモータウン・サウンドやコーラスの影響も色濃い。

 チャペルやスタジアムも飛び出す、秋のツアーをも展望したドラマティックな叙情詩だ。

 2014年の年越しライブでは、完璧に会場を支配した。





 ③『夏をあきらめて』

 研ナオ子も惚れこんだ傑作ボサノバ。


波音が響けば雨雲が近づく
悔し気な彼女と遊ぶはずの on the beach

きっと誰かが恋に破れ
噂のタネに邪魔する
君の身体も濡れたまま
乾く間もなくて


胸元が揺れたらしずくが砂に舞い
言葉もないままにあきらめの夏





 「♪熱めのお茶を飲み 意味深なシャワーで」の歌詞が素晴らしい叙情詩である。

 パシフィックホテルも登場する。2013胸熱ツアーでムードたっぷりに披露されたことが記憶に新しい。





④『流れる雲を追いかけて』

 原がヴォーカルを担当する越路吹雪の世界。

 「時間が経って歌のとらえ方が変化する事もあります。『流れる雲を追いかけて』は、戦時中の満州を舞台に、幼い子供を持つ女性の心模様を歌った曲なのですが、私自身、レコーディングした当時はまだまだ未熟でしたし、愛する人を待つ女性のせつなさと悲しみという部分しか理解出来ていなかったかもしれません。その後、母親となった事で、子供への愛、戦争の理不尽さへの怒りなど、より深くあの歌を理解出来たような気がします。」

(原由子著『あじわい夕日新聞~夢をアリガトウ~』)』朝日新聞出版88頁)





⑤『匂艶(にじいろ)THE NIGHT CLUB』

 せつないシャンソンに続き、ソウルフルなディスコ・ビートへ。

 淫靡で妖艶なラテンROCKテイストのAORで、リード・ヴォーカルの桑田と原由子らのバック・コーラスの掛け合いは実にグルーヴィではないか。


 ドラムス・松田弘との、ラストのコール・アンド・レスポンスは圧巻。質的に日本音楽史を塗り替えた1曲。

 ヴォーカリストを目指す者は、この曲と『スキップ・ビート(SKIPPED BEAT)』は必ず聴いておくべき。





⑥『逢いたさ見たさ病めるMy Mind』

 アコースティックなロッカ・バラード。このサウンド、このコーラス、ロックバンド・サザンオールスターズの真骨頂だ。




レコードB面1曲目
⑦『PLASTIC SUPER STAR(LIVE IN BETTER DAYS)』

 ミック・ジャガーばりのロック。桑田の出身青学音研サークル「Better Days」(ベター・デイズ)に飛び入りライブをして録音。のちに桑田は  “この曲でロックの常套手段を使ってしまった”  と語る。





⑧『Oh! クラウディア』

 桑田バラッド傑作の一つ。サビでは、チャップリン監督『独裁者』のラストを想起させる。

 力強く素晴らしいロッカ・バラードだ。





⑨『女流詩人の哀歌』

 2度目の生理用品CM起用。
 個人的には大好きなブルーズ。

 サビではアース・ウィンド&ファイアばりのダンス・ビートが垣間見える。松田弘のドラム・テクニックが光る。青学入学時からの腐れ縁であるムクちゃんこと関口和之の絶妙なベースライン、毛ガニのパーカッションとター坊のギターリフ、原坊の男顔負けのブルージィーな鍵盤さばき、クワタのムーディーで乾いた・それでいて包み込むような圧巻の歌唱、おまけに八木正生のJazz Bluesな見事なアレンジ。ビートルズと南部ロック(そして斬新なディスコビートの飽くなき探求)を目指してきたサザンの到達点だ。




⑩『NUDE MAN』

 ⑨と⑩を橋渡しする表題曲。ストリッパーに捧ぐダンス・ビート。と、見せかけて、ロッキード疑獄裁判を揶揄している。





⑪『猫』

 当時ギタリストだった大森隆志がリード。さわやかなジョージ・ハリスン調の、飼い猫の歌。





⑫『来いなジャマイカ』

 ボブ・マーリー&レイ・パーカーJr.調のレゲエ。さらに歌詞では、ザ・ローリング・ストーンズに、ミック・ジャガーや、アース・ウィンド&ファイアも登場。


 “パイパン” “オナ” “ボッキー” “あなる” などの隠語がびっしりだが、桑田のヴォーカル力の巧みさが堪能できる。サザンでは貴重なジャマイカ風スカとレゲエ。もう二度とライブでやらなさそうだが、実にサザンらしいマニアックな一曲だ。そして、サザンはデビュー時の『レゲエに首ったけ』や、『恋するマンスリー・デイ』、さらにこの『来いなジャマイカ』を起点とし、以下でみるようにレゲエの傑作を数多発表してゆく。



 すなわち、ここでのレゲエの追求が、翌年に発表する『綺麗』でのサザン版ワールド・ミュージック&エスノ・サウンドに結実する。特に『星降る夜のHARLOT』に顕著だ。

 そして、桑田は2005年、沖縄民謡とニューオーリンズのセカンド・ライン・ビートとフィラデルフィア・ソウルを融合した『神の島遥か国』を完成させる。


 2013胸熱ツアー初日の日産スタジアム公演では、「アコースティック・コーナー」でこの曲『神の島遥か国』のイントロが流れた瞬間、会場がわきにわいた。

 この『来いなジャマイカ』の2016年におけるネヴィル・ブラザーズ『イエロー・ムーン』的完成形が、桑田佳祐ソロ名義のシングル『ヨシ子さん』だ。




⑬『Just A Little Bit』

 女性歌手が歌えば完璧なソウル・ミュージック。




 この年1982年の年間アルバムチャートは以下のとおりとなった。


①位 75.7万枚
中島みゆき『寒水魚』


②位 69.7万枚
山下達郎 『FOR YOU』


③位 69.6万枚
サザン『NUDE MAN』


④位 66.6万枚
松山千春『起承転結Ⅱ』


⑤位 64.7万枚
オフコース『over』


⑥位 58.5万枚
松田聖子『パイナップル』



 前述したように、サザンオールスターズ5thアルバムは、翌年1983年も27万枚を売上げ、累計96万6千枚に至る。


(しかも1983年は、
6thアルバム『綺麗』、
バラード・ベスト盤『バラッド'77~'82』、
5thアルバム『NUDE MAN』
の3作品すべてが、年間アルバムチャートにランク・インした)


 したがって、デビュー4年のこの時点でサザンは、先輩同志・山下達郎、小田和正、中島みゆき・松任谷由実(ユーミン)らと肩を並べる社会的評価を獲得したのであった。
 しかし、桑田佳祐が名実共に真の音楽的評価を獲得するのはもう少し先だった。すでに桑田は『NUDE MAN』を否定し、新たな音楽的追求を試みていた。

 ここから3年、<否定>のサザンによる、究極の音楽的挑戦が始まる!









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