サザンオールスターズ 4th album 

『ステレオ太陽族』
(1981.7.21)


週間1位(6週連続)
年間13位(46.5万枚)



A面
M1.Hello My Love
M2.My Foreplay Music
M3.素顔で踊らせて
M4.夜風のオン・ザ・ビーチ
M5.恋の女のストーリー
M6.我らパープー仲間


B面
M7.ラッパとおじさん(Dear M・Y's Boogie)
M8.Let's Take a Chance
M9.ステレオ太陽族
M10.ムクが泣く
M11.朝方ムーンライト
M12.Big Star Blues(ビッグ・スターの悲劇)
M13.栞(しおり)のテーマ




 3rdアルバム『タイニイ・バブルス』をいぶし銀のトータル・アルバムとして完成させたサザンは、ついに4thアルバムで濃密なバンド・サウンドを極める。

 シングル・セールス面は依然、低迷を余儀なくされながらも、オリジナル・アルバムを生命線とした一流ライブ・ミュージシャンたるのスタイルを確立する。

 デビューから4年目に突入したこの年1981年のサザンオールスターズは、「国民的ロック・バンド」たるの地位を不動のものとする<準備期間>だったと、今日、とらえ返しうる。





 1980年上半期のサザンは「"FIVE ROCK SHOW"」と銘打ち、3rdアルバムと5枚のシングルを作成し、攻めのレコーディングに精根を傾けた。

 しかし、バンドはレベル・アップを遂げたものの、お茶の間から遠ざかったこともあって、シングル・セールスは振るわなかった。

 その只中で発表した3rdアルバム『タイニイ・バブルス』は初の1位を獲得し、メンバーはプロのメジャー・バンドたる自信を深めたものの、やがて作品自体の出来にも満足いかなくなっていった。サザンはバンドとしての成熟に焦がれ始めていた。



 そんな中、サザンは次なるレベル・アップをはかってゆくことを決意する<否定の否定>。



 "FIVE ROCK SHOW"第5弾シングル発売(21日)と時を同じくして、80年7月19日の田園コロシアムを皮切りに、11月25日の高知県民文化センターまで、全40公演10万6千人を動員したライブツアー


『サザンオールスターズがやってくる ニャー!ニャー!ニャー!』


に打って出た(約17曲)。




 その只中、12月10日、かつて新人ロックバンドの“聖地”と位置づけられていた、東京・九段下の日本武道館で自身初のロック・コンサートを敢行。
 20日の福岡市民会館まで、全5公演1万8千人を動員した


『ゆく年くる年コンサート』


(約27曲披露)を実現した。



 この怒涛のライブステージングの只中で、7月21日発売のシングル『わすれじのレイドバック』(B面C/Wは企画ラストを飾る『FIVE ROCK SHOW』)以来4ヶ月ぶりに、

11枚目のサザン初両A面シングル


『シャ・ラ・ラ / ごめんねチャーリー』


をリリースした(最高29位)。オリジナル・アルバムには収録されていないこの2曲は、ライブに厚みをもたらした。

 『シャ・ラ・ラ』は、サザン初のクリスマス・ソングにして、AOR。桑田と原のデュエットが印象的な作品である。
 これに対して、『ごめんねチャーリー』はブルージィなソウルナンバーだ。アトランティック・レコード時代の、チャーリーことレイ・チャールズに敬意を表した日本人による黒人音楽(ブラック・ミュージック)であった。



 こうしたバンド活動ならびにソング・ライティングの充実と、課題が浮かび上がった80年が幕を閉じた。サザンはアルバム・ミュージシャンとして転身することに成功したと言える。そうなると問われるのは、バンド・メンバー個々人のスキル・アップを基礎としたグループ力の飛躍的強化である。



 1981年3月、桑田佳祐は渋谷のライブハウス「エッグマン」のこけら落としに、青学ベター・デイズ出身の仲間を携えて「桑田バンド」名義での、ゲリラ的2デイズライブを敢行。9ヶ月後の12月にも2デイズのゲリラライブを繰り広げた。

 後者の師走ライブは

嘉門雄三 & VICTOR WHEELS LIVE!

(現在レコード・カセット廃盤)のタイトルにて、ビクターの蓄音機に犬ならぬ、嘉門雄三こと桑田が首をつっこんだ姿のジャケットで、翌82年3月21日に発売された。




 さらに、81年4月、桑田はアミューズ制作の映画『モーニング・ムーンは粗雑に』の音楽を担当し、6月21日に件(くだん)の映画が公開された。



 時を同じくして、原由子が『私はピアノ』でソロボーカルを披露したことで、サザン初のソロデビューの準備が急ピッチで進んだ(80年7月25日に高田みづえがカバーし、50万枚をこえる自己ベストを記録した。その結果、『私はピアノ』はポピュラー・ソングとなった)。サザンのリードボーカル転向説がまことしやかに流布されるほどだった。

 こうして、4月21日、ついに原由子名義で、

シングル『I Love Youはひとりごと』と、

アルバム『はらゆうこが語るひととき
(最高6位。年間27位28.5万枚……極上のポップ・アルバム)

が同時発売された。


 ところが、彼女のソロデビュー・シングル『I Love Youはひとりごと』は、艶っぽいムード歌謡なのだが、「モーテル」「オーラル」などの語句が歌われることをもって、非合理にも「放送禁止」とされた。
 このことに抗議し、ビクタービル屋上などの原宿ゲリラライブが決行された。かつてのビートルズの屋上ゲリラライブと同様に警察権力が押しかけるまでパフォーマンスが行われたことは、今もファンの間で"珍剣"な語り草となっている。


 原由子は、2013年に出版された著書『あじわい夕日新聞~夢をアリガトウ~』でこう語っている。

 「デビュー・シングルが出たのは1981年。『I Love Youはひとりごと』という曲ですが、その曲がいきなり放送禁止になってしまうという、そんなスタートでした。歌詞の一部がけしからん! という事だったのだと思いますが、デビュー曲が放送禁止なんて人はあまりいないでしょうね(笑)。当時はそれに抗議して、表参道をデモ行進したり、ビルの屋上でゲリラ・ライブもやりましたけど、それも懐かしい思い出になりましたし、今は放送禁止でもないようです。」
(同上・朝日新聞出版86~87頁)

 原由子のソロ名義初の音楽映像作品『スペシャルライブ2023「婦人の肖像(Portrait of a Lady)」at 鎌倉芸術館』が、2023年6月15日発表の最新オリコン週間映像ランキングの「週間ミュージックDVD・BDランキング」において、初登場1位を獲得した。
  66歳6ヵ月での1位獲得は、女性アーティストとして「ミュージックDVD・BDランキング1位歴代最年長」記録。
 ソロアーティストによる同ランキング1位獲得は、2023年5月15日付での桑田佳祐『お互い元気に頑張りましょう!! -Live at TOKYO DOME-』以来、1カ月ぶりとなった。
 原由子にとって、シングル、アルバム、映像作品(初リリース)を含めて、ランキング首位を獲得したのはソロ活動42年間のキャリアを通じて初の快挙だ。


 さらに、他のメンバーもソロ活動を充実させてゆく訳だが、その過程6月21日にサザンは、同日ロードショー公開された映画『モーニングムーンは粗雑に』のテーマ曲にして、ニュー・アルバム先行シングル

『Big Star Blues(ビッグスターの悲劇)』

をリリースした(サザン歴代売上ワーストの49位)。




同時に、ニュー・アルバムの発売直前、ライブツアー


『そちらにおうかがいしてもよろしいですか』


を開始。7月4日の茅ヶ崎市民会館から9月21日の札幌市厚生年金会館まで40公演10万4千人(22曲)を動員した。




ツアー・ファイナルの9月21日には


栞(しおり)のテーマ


をリリース。


 この曲に感銘を受けたファンが娘さんを「栞」と命名する現象が起こった。TBS『王様のブランチ』メインMCに昇格した佐藤栞里(スターダスト所属)、ももいろクローバーZの玉井詩織。
 前作に続く、アルバム先行シングル・カットのため、最高35位とセールスは振るわなかったものの、サザン初期のバラッド最高傑作の呼び声も高い。





 この只中で、82年サザン「国民的ロック・バンド」への一大転回前夜に、6週連続ナンバー1ヒットを叩き出したのが、


4thアルバム『ステレオ太陽族』


であった。




 このアルバムは一言で、サザンがロック・バンドたる矜持を示し、最初の実験的な挑戦を開始する<ジャズ&ロッカ・アルバム>である。



 新田一郎が抜け八木正生がホーン&ストリングスを始め、あらゆるアレンジに参加。かてて加えて、レベル・アップしたメンバーがスタジオで音合わせし、入念に準備したことで、ジャジィなサウンドがつくりあげられた。


 実際、『ステレオ太陽族』は女性ジャズ・シンガーからの人気が高く、頻繁にカヴァーされてきた。金子晴美など、よりジャジーにアレンジを変えたカヴァー・アルバムすら発売されている。






A面
M1(以下①と記載)『Hello My Love』

 分厚いバンドサウンドから始まり、サザン4年目の到達点に驚かされる。イントロ、メロディラインの素晴らしさに加わて、この曲から楽曲構成が緻密にして立体的になってゆく。
ニューオーリンズ・ジャズ・ポップス!




② 『My Foreplay Music』

 クラッシック的あるいはビリー・ジョエルの『レイナ』『ビッグ・ショット』のようなキーボードの連打と強烈なギターリフから始まる。ブルージーなロックナンバーだ。
 このアルバムから、桑田の歌詞は、韻の踏み方が絶妙になった。



見つめ合って髪に Touch oh
両手で君の背に Scratch oh
こんな調子で恋に Foreplay させて no no no



2013年ライブ2曲目。





③素顔で踊らせて

 ミドルテンポのジャジーなナンバー。
「2月26日」は桑田佳祐の誕生日であり、同時に82年の婚約発表を先取り的に示唆している。派手さはないがいぶし銀の魅力ある曲だ。

 すでにサザンの曲はCMに起用されることが多かったが、この曲は女性の生理用品のコマーシャルで流された。
 男性である桑田が出演し、「偉大なる女性に感謝」としみじみと呟くCMは、好評を博した。




④『夜風のオン・ザ・ビーチ』

 完成度が高く、素晴らしい。隠微でムーディなラテン・フレーバーたっぷりの楽曲。サザンオールスターズならではのナンバー。

焼けた素肌で 夜風に乗って
辻堂あたりで 気取ってようじゃん
あなたさえその気になりすりゃあ
Yeah, Yeah, Yeah, Yeah 
I'm a man on the beach


水着のままで 抱きあうなんて
砂が目にしむ 間に入る
慣れた感じの ベーゼはどうよ
Yeah, Yeah, Yeah, Yeah 
You're the one treat me right



 この曲にはラテンとブルースを感じる。
 楽曲的にはビリー・ジョエルが80年に発表した『グラス・ハウス』収録の『愛の面影(セテ・トワ)』あたりが脳裏をかすめて生まれた曲だろうか。「You were the only one」という歌詞以外、深い共通点はないのだけれども。

 メロウでメロディアスなラテン歌謡に、ソウル・ミュージックやブルース・ロックを味付けする桑田らしい逸品。バンド・サウンドが格段にレベルアップした。

 ファルセットの使い方もムーディーで、いかしている。


まるでエボシ岩に 居るような
揺れる彼女の 胸にすがって
濡れたまんまの背中にも
波がかぶるよに
……


この曲が、目下サザンの最新ライブ2020年12月31日に横浜アリーナから「配信ライブ」としてのみ開催された『サザンオールスターズ ほぼほぼ年越しライブ 2020「Keep Smilin’~皆さん、お疲れ様でした!! 嵐を呼ぶマンピー!!~」』で選曲されたのは記憶に新しい。素晴らしい名演・名唱だった。TIGERと共に、コーラスを担当したサポートメンバーである小田原 ODY 友洋が桑田に代わって落ちサビを歌った。


⑤『恋の女のストーリー』

 このアルバムは、まだまだ魅力がつきない。3曲だけ名盤で後は凡庸な最近の配信アルバムとは、(キャリアのこの時点で)格の違いをみせつける。
 クラプトンのラヴソングのような深みをもつジャジーなボサノバ。ため息が出そうなリリシズムは圧巻。女性ジャズ・シンガーにこよなく愛された。




⑥『我らパープー仲間』

 ニューオーリンズ・ジャズ。ウィットに富んだムードとせつない落とし方はさすがの一言。滑稽なピエロぶりとその裏面でのせつなさ……桑田はスモーキー・ロビンソンのような詞曲を書きたかったんじゃないか。

 2015年、ついに桑田は哀切の詩人スモーキー・ロビンソンに匹敵する『道』を完成させた。





B面1曲目
⑦『ラッパとおじさん(Dear M・Y's Boogie)』

 文字通り八木正生を全面的にフィーチャーした怪作。『愛のコリーダ』で名声を欲しいままにした<サウンドの魔術師>クインシー・ジョーンズと倒置。




⑧ 『Let's Take a Chance』

 この淫靡さエロティックさもスリリングだ。実は最高にブルージーな曲。レゲエやディスコ・ビートやクラシックが混じりあう。




⑨『ステレオ太陽族』

 表題曲。ソウルフルで抜群にかっこいいスローなディスコ・ビート。前後でフェイド・インし、フェイド・アウトするセンスも光る。ジュークボックスから音楽が流れてくるかのようであり、一遍の叙情詩のよう。




⑩『ムクが泣く』

 桑田とは青学時代から腐れ縁のベーシスト・ムクちゃんこと関口和之をフィーチャーした第二弾。今回は関口その人が作詞・作曲し、リードボーカルをとっている。マイナーなメロディーラインは今なお胸に響く。

 のちにアルバム『砂金』を発表したムクだが、センスの良さが光る。ちなみに『砂金』は名盤だ。




⑪『朝方ムーンライト』

 クラシカルなブルース。抒情のビリー・ジョエルと言おうか、桑田のシャウトもせつない名作である。
 ラテン・フレーバーの渇いたリリシズムとメランコリーは桑田の十八番だ!
 個人的にはサザン・ベスト20に入る1曲。



吐息の合間に 雨の音がする
あなたの仕草で 心も溶けてしまう
……






⑫『Big Star Blues(ビッグ・スターの悲劇)』

 ポール・リヴィア&ザ・レイダーズの『Kicks(キックス)』をオマージュ。ザ・ビートルズやザ・ローリング・ストーンズに代表されるブリティッシュ・ロックとモータウン全盛の時代に登場した、アメリカのポップロックバンドでガレージロックからサイケデリック・ポップスまで網羅した。
 『Kicks(キックス)』をイメージしたこの曲『Big Star Blues(ビッグ・スターの悲劇)』は同時に、ジョン・レノンに捧げるブルース・ロックにして、桑田サイケデリック・ロックの初期傑作。これで初期サザン・スタイルが完成した。

 黒っぽいグルーヴが冴えわたる曲で、サザンのライブでも、ここぞという時に選曲される。

 ビクターの後輩
LOVE PSYCHEDELICOが青学時代に作った曲が『Lady Madonna ~憂鬱なるスパイダー~』であるが、ポール・リヴィア&ザ・レイダーズ、サザン、のこの曲が脳裏に焼きついていた可能性もなきにしもあらず。






⑬『栞(しおり)のテーマ』

 前述した8分の6拍子(ハチロク)の傑作ロッカ・バラッド。これが桑田だ。


彼女が髪を指で分けただけ
それがシビれるしぐさ
心にいつもアナタだけを映しているの

恋は言葉じゃなく 二人だけの
Story, yeah ……




つれないそぶりの Long-brown-hair
ね どしてなのなぜに泣けるの
ひところのアナタに戻る
この時こそ大事な Twilight game No













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