サザンオールスターズ 2nd album 

   TEN
『10ナンバーズ・からっと』
(1979.4.5)


最高2位
年間3位(43.4万枚)



A面
M1.お願いD.J.
M2.奥歯を食いしばれ
M3.ラチエン通りのシスター
M4.思い過ごしも恋のうち
M5.アブダ・カ・ダブラ(TYPE 1)


B面
M6.アブダ・カ・ダブラ(TYPE 2)
M7.気分しだいで責めないで
M8.Let It Boogie
M9.ブルースへようこそ
M10.いとしのエリー





 デビューシングル『勝手にシンドバッド』は発売から3ヶ月を経た1978年10月8日付のオリコンシングルチャートで週間3位、「ザ・ベストテン」最高4位を獲得、実に年間44.0万枚を売り上げる大ヒットとなった。

(『勝手にシンドバッド』はサザンデビュー25周年の2003年6月25日付デイリーチャートで首位、週間でも首位を記録。
 発売から四半世紀を経てシングル1位を獲得するという不滅の記録を樹ち立てた)


 それから1ヶ月、二匹目のどじょうをねらって(レコード会社はビクターだが、初期のサザンの楽曲の版権はバーニングが所有)11月25日に急遽リリースされた2枚目のシングルが、エイトビートのラテンロックナンバー『気分しだいで責めないで』であった。


 週間最高10位、ベストテンでは7位を記録した。



 『8時だよ全員集合』を始めバラエティー番組からのオファーがひっきりなし。ドリフのいかりや長介に桑田佳祐がコメディアンとしてスカウトされ、丁重に断るという事態にまで発展した。当時はバラエティーでも楽曲披露していたが、すでにメンバーは満身創痍。レコードが出せられれば大学時代の記念になりミュージシャン扱いされると淡い願望を抱いていたデビュー前とのギャップに大いに苦しんだ。スタジオで楽曲披露中、桑田が「ノイローゼ、ノイローゼ」と自らを指差し自虐的に絶叫するとお茶の間は大いにわき、女性週刊誌はさっそく針小棒大に書き立てた。こうしたコミックバンドあつかいに嫌気がさしたメンバーは理想と現実の余りのギャップに辟易。売れれば売れるほどメンバーの間に徐々に亀裂が入ったのもまた、事実であった。




 こうしてスターダムにのしあがるとともにマスメディア出演の疲弊が深まる中、『サザンオールスターズデビューコンサート胸さわぎ』が始まった。


 12月10日の「九段会館」から翌年1月20日の「大阪ホール」まで、全9公演1万8千人を動員。全16曲を披露した。




 明くる1979年3月25日、サザンは3枚目のシングル『いとしのエリー』をリリースする(レコードB面は『アブダ・カ・ダブラ(TYPE 3)』)。

 ついにサザンに対する世間の評価が一変する事態となる。

 初披露の際、言わばコミックバンドのエネルギッシュな三部作を期待したオーディエンスは水を打ったように静まり返った。
 しかし、桑田の「エーリーー!」の絶叫の後に曲が終わると、万雷の拍手。
 たちまち楽曲の良さが浸透すると、徐々にチャートに火がつく。ついに、オリコン週間最高2位、ベストテン7週連続1位、オリコン年間ランキング11位(69・3万枚)、ザ・ベストテン年間2位を獲得。

 デビュー2年目のジンクスをやすやすと撃ち破り、年末の紅白歌合戦「初出場」を決めたのである。



 諸説を除外して核心を挙げよう。

 芸能活動に疲弊したメンバーはサザンから心が離れかけたが、音楽が最後の寄りどころだった。桑田佳祐は原由子に電話口でこんな新曲が出来たと弾き語ったという。桑田からの原坊への「ごめんねソング」と言われるこの曲が『いとしのエリー』だった。
(タイトルの由来に関してだけは、桑田の実姉、岩本えり子女史。)


 『宿なし』の世良正則&ツイストとも比較されていたサザン(実は世良はサザンのセンスには一目置いていた)が<俺たちはロック・バンドなんだ>というプライドを賭けた入魂の一作である。今でもマリーナ・ショウだなんだとパクリ疑惑が一部評論屋からたれ流されやっかみが絶えないこの曲は、(どだいクワタにパクリということ自体が「Jポップ」の<後進性>が分かっていない無知と無恥の証左!)、桑田佳祐が青春のすべてを刻み込んだ作品なのである。
 これが桑田のロッカ・バラッドだ!



泣かした事もある 冷たくしてもなお
よりそう気持ちがあればいいのさ
俺にしてみりゃ これで最後のlady
エリー my love so sweet


二人がもしもさめて 目を見りゃつれなくて
人に言えず思い出だけがつのれば
言葉につまるようじゃ恋は終わりね
エリー my love so sweet


※※
笑ってもっとbaby むじゃきにon my mind
映ってもっとbaby すてきにin your sight

誘い涙の日が落ちる
エリー my love so sweet
エリー my love so sweet
※※



あなたがもしもどこかの遠くへ行きうせても
今までしてくれたことを忘れずにいたいよ
もどかしさもあなたにゃ程よくいいね
エリー my love so sweet


※※
笑ってもっとbaby むじゃきにon my mind
映ってもっとbaby すてきにin your sight

みぞれまじりの心なら
エリー my love so sweet
エリー my love so sweet
※※


※※
笑ってもっとbaby むじゃきにon my mind
映ってもっとbaby すてきにin your sight

泣かせ文句のその後じゃ
エリー my love so sweet yeah
エリー my love so sweet


エリー my love ……
エリー 


Oh baby woo oh ……
※※



 誘い涙の日が落ちる
⇐(もらい泣きで夜も更ける)

 みぞれまじりの心なら
⇒(みぞれ混じりの屋外の情景と重なり合う心境)

 泣かせ文句のその後じゃ
⇒(ごめん俺が悪かった……離れ離れになっても今まで君がしてくれたことを忘れないよ。…………だから……俺たち結婚しよう)

このサビの3連打のフレーズ以上に素晴らしい歌詞を私は聞いたことがない。「ただの歌詞じゃねえかこんなもん」と言うのはそれこそただの照れ隠しであって、土壇場でインスピレーションが降って湧いた、かなり自信のある歌詞だろう。こと奥さまに関する事ならば、たとえ火の中水の中、常に力作を生み出すミュージシャン。それを万人受けするポップミュージック(作品)として昇華する比類なき才能(ヒットメイカー)。

 
 ──こんな自作の曲を電話口で弾き語られたら、そりゃ惚れるわ!、としか言いようのない懇親のマスターピースだ。この曲について桑田は後に語っている。一番と2番の歌詞を入れ替えれば良かった、と。たしかに歌詞の流れ(ストーリー性)としてはその方が座りが良いに違いない。だが、原盤のこれもまた永遠のヒット曲のセオリーなのだ。ヒット曲のセオリーとはこれすなわち、楽曲が老若男女(大衆)の心を掴み、いつまでも記憶に残るかどうかなのだから。
 こうして、世間の予想を裏切る『いとしのエリー』の大ヒットは、サザンオールスターズの評価を一変することになった。この畢生のバラードは日本全国至るところで流された。

 さらに、この『いとしのエリー』発売に先がけて2ndツアー

『春50番コンサート』

を敢行。


 文字通り3月20日の「平塚市民会館」から6月6日の「中野サンプラザ」まで、北は北海道・南は沖縄まで、平均1週間にたった1度の休みだけで、50ヵ所全50公演、12万5千人を動員したのである(全15曲)。


 しかも、3ヶ月のスパンを置き、9月22日の「埼玉会館」から12月12日の「後楽園球場サーカステント」まで、北は札幌~南は福岡に至る全42公演10万5千人を動員した3rdツアー

『Further on up the Road』

を実現した(17曲以上。ツアータイトルはエリック・クラプトンの十八番の曲名につき、カバー披露)。


 実に、1979年(当時、青山学院大学略して青学在籍者が多かった)サザンオールスターズは、全国47都道府県98公演、公称24万人を動員したのである(公演会場は同じ県でもほぼ重なっていない)。

 ぐちゃぐちゃになりながらも、地道なライブツアーが、サザンオールスターズの人気の裾野を全国に拡大する結果となり、2年目での紅白歌合戦出演にも結実した。



 こうした2nd全国ツアーの最中、『いとしのエリー』発売から11日後の4月5日にリリースされたのが、サザンオールスターズ2ndアルバム『10(TEN)ナンバーズ・からっと』だった。





 一言でこのアルバムは、飛躍への過渡期のアルバムである。
 夜半を使って短期間で仕上げたこのアルバムには、プレスに間に合わず歌詞が記号で埋めつくされて解読不能な曲が3曲収録されている(実は当時の放送コードにひっかかる下ネタだからだ)。

 しかし、この3曲を含みこのアルバムの核心は、たとえ今日、桑田佳祐が軽んじていようとも、桑田ブルースとサザンバラッドの宝庫である。
 私はディキシーランド&ブルース・アルバムと理解している。



①『お願いD.J.』

 この曲調と歌い方は以前、大好きだった。ジョージ・ルーカス監督作品『アメリカン・グラフィティ』でも有名なウルフマン・ジャックや、コービー(小林克也)に敬意を表した作品で、その後5thアルバムのど頭『DJ・コービーの伝説』でゴリゴリのロック・ビートへと昇華する。

 桑田佳祐にとって、いかにジューク・ボックスとラジオ、そしてTV番組『シャボン玉ホリデー』が音楽的バックボーンを支えたかが垣間見える秀作。
 サザンのオリジナル・アルバム1曲目は、つねに血湧き肉踊りワクワクさせてくれる。




②『奥歯を食いしばれ』

 歌詞カードが記号で埋めつくされた楽曲で、桑田ブルース・ロックの初期代表作である。失恋したら酒とクラプトン-原坊のピアノソロは天才的にブルージーだ。
 たとえ古今東西のブルースをオマージュしていたのだとしても、紛れもなく桑田佳祐オリジナルのBLUES ROCKへと昇華している。
 最初に違和感をもったこの曲を、私は今では愛し続けている。それはこの曲で、本来二の線でデビューしたかったサザンが、この時期、世間の「期待」を裏切ってでもデビュー以来のコミックバンド的扱いに<落とし前>をつけたかったからだろう。“俺たちはロック・バンドなんだ”──そう、この曲には桑田佳祐とサザンオールスターズのBLUESの魂を感じる傑作なのだ。


③『ラチエン通りのシスター』

 エボシ岩が正面に見える茅ヶ崎市の市道で、元々は桑田が中学生の頃の同級生を歌った。マイナー調のロッカバラードだが、この曲の奥底に流れているトーンは、ゴスペルである。

 のちに茅ヶ崎市はこの市道を正式に「ラチエン通り」と命名した。2013茅ヶ崎公演での桑田の魂の歌唱は記憶に新しい。当日、「シスター」ご本人も聴かれていたらしい。『朝日新聞』日曜版の別刷りでこの曲とインタビューが掲載されていた事は記憶に新しい。




④『思い過ごしも恋のうち』


 7月25日発売サザンの4枚目のシングル。3rdシングルとするかどうか最後まで紛糾したが、最後は桑田が決断した。オリコン最高7位、ベストテン4位となった。

 のちの『私はピアノ』のように明治の恋物語さながらに男女の駆け引きにかかわる都々逸(どどいつ)が展開されるのは、桑田一流の照れ隠しの美でもあり非凡。



男は立てよ 行けよ女の元へ
背中がうずく時がかんじんなのね


いやだ いやだ だめよ だめ そげなこと
はずかしげなく
どいつも こいつも 話の中身が
どうなれ こうなれ 気持ちも知らずに


思い過ごしも恋それでもいい
今のうち
思いこんだら もう
夢見るようで いたいから



 このフレーズの速射砲のような桑田のボーカルは圧巻である。いい加減な事を言う周囲への苛立ちと共に当時のマスコミへの憤りが混じっているのかも知れない。「たかが歌詞じゃねぇかこんなもん」では汲みつくせない、照らいながら男女の妙を切り取る技術は桑田佳祐の右に出る者はいない。

 個人的には、『女神達への情歌(報道されないY型(ケイ)の彼方へ)』『Melody(メロディ)』『夜風のオン・ザ・ビーチ』『C調言葉に御用心』『女のカッパ』『ミス・ブランニュー・デイ(MISS BRAND-NEW DAY)』『EMANON』『HAIR』『慕情』『マンピーのG★SPOT』『SAUDADE~真冬の蜃気楼~』『SEA SIDE WOMAN BLUES』『HOTEL PACIFIC』『青春番外地』『道』『奥歯を食いしばれ』などと並んで、サザン全曲中、10指に入る傑作だと考える。

 絶妙なイントロ、うねるヒロシのドラムと毛ガニのパーカッションとの見事なコンビネーション。ムクのベースのグルーヴと(元メンバー)タカシのギターリフ(現在は盟友マコッちゃん)。原坊による男顔負けのブルージィな鍵盤さばきとソロパート。これに桑田のど迫力の巻き舌ヴォーカルが有無を言わさぬ、鉄壁のサザンサウンドを巻き起こす。

 シンドバッド⇒気分しだいに続く三部作の常套を否定し、渾身のバラード・エリーで勝負したサザンだったが、結局三作目にリリースしようとしたこの曲(ラテンロック)を四枚目のシングルとして切った桑田のバランス感覚が冴える。
 いや、何よりもこの曲のオリジナルを聴くと、デビューから格段に洗練されたサザングルーヴが味わえる。

 逆説的に、サザンオールスターズらしい凄みを感じる曲だ。イントロからしてキュンキュンする。

 これがROCK BANDだ!






 A面ラストの⑤『アブダ・カ・ダブラ(TYPE 1)』とB面1曲目の⑥『アブダ・カ・ダブラ(TYPE 2)』は、3rdシングルB面の『アブダ・カ・ダブラ(TYPE 3)』とは別ものである。
 初のディキシー・ランド・ジャズ・テイストのナンバーだ。





⑦『気分しだいで責めないで』

 すでに紹介したラテン・テイストの8ビート・ロックナンバーだ。桑田佳祐の速射砲のようなダミ声ヴォーカルとサビの巻き舌は抜群にセクシーだ。



⑧『Let It Boogie』

 ポール・マッカートニー風ブギ・ウギ。ジルバ。けっこう人気が高い曲。



⑨『ブルースへようこそ』

 このブログのタイトルにした(当初はクロード・ルルーシュ監督作品『愛と哀しみのボレロ』をタイトルにしていた。2013年、絶版だったDVDが「紀伊國屋書店」からブルーレイ化された。)

 「ムクちゃん」こと関口和之のあだ名が歌詞に出てくるが、本人とは無関係で、「ミソがつく」などゲイを示唆するような歌詞だったり、ソーローやEDまで飛び出す。(だがこの歌詞とこのブログには全く相関関係はない。そう言えば2016年の桑田佳祐名義のソロシングル『ヨシ子さん』の歌詞には、「EDM」に引っかけたジョークが久々に登場した。このブログのタイトルの由縁はただひとつ、最良のすべての音楽・文学の根底には、必ずBLUESが貫かれているから)。


 曲調も、どブルースという訳でもない。どちらかと言えば、『461オーシャン・ブールヴァード』から『スローハンド』『バックレス』の頃のレイド・バックしたエリック・クラプトンのブルーズに近く、『メインライン・フロリダ』と『ミーン・オールド・フリスコ』を合わせたようなブルース。

 そして冒頭ではいきなりチャイナ音階が飛び出したあと、「朝早よからbaby」などと、ブルースの定番「Woke up this morning」にひっかけたフレーズから始まる。コード進行と楽曲展開は抜群。




⑩『いとしのエリー』

 ラストを飾るこの曲はマリーナ・ショウなど別の曲に似ていると言われるが、実は以って非なるもの。

 核心は桑田佳祐にとっての『いとしのレイラ』であり、『青い影』である。
 当時の桑田が青春のすべてを賭けた静かなる咆哮に他ならない。




 けれども、この『いとしのエリー』の予想をこえる大ヒットは、サザンのメジャー・ロックバンドとしての自信と達成感につながったことは確かであるが、かえって身の丈にそぐわない居心地の悪さをもたらしてしまったことも否めない。
 プロである限り、ただただ好きな音楽をコピーしたり・身内の反響がいいわずかなオリジナル曲を思い切りギグして楽しむことをなりわいとする訳にもいかない。
 大学音研サークルの原点から脱皮し羽化して、人気にみあった実力をわがものとする以外、プロのバンドであり続ける道は残されていなかった。

 サザンは前作で世間から形作られた<シンドバッドのサザン><気分しだいのサザン>そして<エリーのサザン>という形容詞(イメージ)を敢然と拒否し、不断に新作で勝負する茨の道を選んだ! サザンの流儀<否定の否定>──卑俗に言えば、否定的なものを根底から(ラディカルに)含みかつ否定して、新たな次元に高める(止揚する)こと──<歴史創造の立場>


 こうして、サザンオールスターズは80年初頭よりスタジオ・レコーディング活動の長い潜伏期に入る。

 45周年の今日からとらえ返せば、大衆的な規模と形態で革新的なロックアルバムをリリースし、不断にメジャー・シーンの第一線でたたかい続ける〈否定のサザン〉──すなわち、《歴史創造のサザン》の決定的な区切りを成したのである。












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