⑥からの続き。
【DISC-2】解説の続き~ラスト



サザンオールスターズ14th album
『キラーストリート』
('05.10.5)




【DISC-2】

M1.ごめんよ僕が馬鹿だった

M2.八月の詩(セレナード)

M3.DOLL

M4.別離(わかれ)

M5.愛と欲望の日々

M6.Mr.ブラック・ジャック~裸の王様~

M7.君こそスターだ

M8.リボンの騎士

M9.愛と死の輪舞(ロンド)

M10.恋人は南風

M11.恋するレスポール

M12.雨上がりにもう一度キスをして

M13.The Track for the Japanese Typical Foods called "Karaage"&"Soba"~キラーストリート(Reprise)

M14.FRIENDS

M15.ひき潮~Ebb Tide~







【DISC-2】後半

⑨『愛と死の輪舞(ロンド)』

 映像の魔術師・フェデリコ・フェリーニのシュール・レアリスモを楽曲世界にもちこんだシャッフル・ビートの秀作。裏テーマは、ザ・ビートルズ『ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト』に代表されるサイケデリック・サウンド。



「またこの曲においても特筆すべきは関口のサビメロにおける、効果的にスラーなどを交えたベースライン。F#というコードに対して一度下のEの音をふつけて弾いているのだ。当初私はこれに反対したのだが、結果すごくカッコイイと思う。あいつには負けた(笑)。」

「サザンチームの総力戦といった賑わいを見せた曲に仕上がった。」

(『アルバム『キラーストリート』初回盤収録『桑田佳祐セルフライナーノーツ』より。 以下、『同上』と略す。)


05年4月12日から録音。








⑩『恋人は南風』

「60'sサザンソウル風のこの曲は、ライチャス・ブラザーズとか、ウォーカー・ブラザーズとか、本場のソウルを自分達なりに加工したブルー・アイド・ソウルの人たちの曲が、当時の日本に輸入されて、それをどこかのGSがさらにまたパクっちゃったみたいな、私の中ではそんないびつなイメージの曲である。言うなれば、加工品の加工品みたいなニュアンス。」


「最初、私のアコギと歌、そして弘のドラムだけで、ストイックにリズムを録り始め、そこに原坊のコンボ・オルガンが私にモンキーダンス(古い!!)を踊れとでも言わんばかりに、執拗に絡む。ここでもパーカッションを成田さんにお願いしている。成田さんは結局、一本のコンガだけでこの味を出したのだ。<Inside Outside U・M・I>のコーラスは、ご存知の通り、ビーチ・ボーイズの『サーフィンU.S.A.』のパロディ。」




「そして何故か歌詞の世界は、私が幼い頃の原風景とも言うべき茅ヶ崎の国道沿いあたりか。錆びついたガードレール、しょぼくれた松の木の防砂林、そして夕暮れ時に現れるホットドッグ売りの小型ワゴン車、その足元にちんまりと咲いた月見草のたぐいは、とてもうら哀しくて、今の湘南イメージとはずいぶん違って見えた。そして、その思い出は私に、どうしようもなく憂いを含んだ歌ばかりを書かせるのだ。
(『同上』)
03年3月4日から録音。









⑪『恋するレスポール』

 桑田佳祐名義の3rdアルバム『ROCK AND ROLL HERO』発表時にお蔵入りにした曲。南部ロックとストレートなバンド・サウンドを打ちだしたこのアルバムで日の目をみた。


「最初の私のイメージは、エリック・クラプトンがいる頃のヤードバーズやキンクスといった、60年代のブリティッシュインベイジョンもの。泥臭くて男気豊かな曲になると思っていたのだが、歌詞やコーラスを入れて、サザンの現場に持ってくると、最終的にポップで華やいだ仕上がりになった。勝手にたとえるなら、ブルースを志向していたヤードバーズがシングルヒットを狙って作ったら、コマーシャル過ぎて嫌気がさしたクラプトンは逃げちゃったみたいな……いい意味でそういう曲になっちゃったのかなと思う。」



「もともとの私が弾いていたキーボードの物足りない部分に、片山君のキンキーなコンボ・オルガンをプラスしてもらったおかげで、とてもポップで肉厚になった。ギターは曲名通り、私が左側のスピーカーでギブソン・レスポール・カスタムを、そして右側で鳴らしているのはたぶんストラトじゃなかったかな? もう忘れた(笑)。ギターソロは私のギブソンSGを勝手に使った斎藤誠君。そしてアコースティック・ギターのストロークも斎藤君で、これまた私所有のギブソン・ダブを勝手に使っている(笑)。また<Kids alright>(The Whoの曲名は『Kids are alright』だが)<Hey, Joe><Gently weeps>といった歌詞の中に出てくる60年代のミュージシャンの曲名や、有名なギブソン・スタンダード '59モデルに対する思い入れも、そしてこのギターのピックアップの名前<P.A.F.>なども、60年代のギターヒーローの幻想を幾つになっても追い続けたい願望の表れと言ってもいいかもしれない。」
(『同上』)
02年1月25日から録音。







⑫『雨上がりにもう一度キスをして

 84年の『夕方Hold On Me』が年輪を重ねたら、スティーヴィー・ワンダー『サー・デューク』&コニー・フランシスになった。この曲も『LOVE AFFAIR』と同じく「上手い!」と唸ってしまう。

 まずタイトルの「雨上がり」に「キス」を掛けた所が上手い(あの頃は風まかせ=悲しいことも今はもう素敵な想い出)。かつメロディーラインが渋く、Cメロからサビで爆発していく展開。さらに、桑田のヴォーカル。基本は女性心理を歌っている(やや男性心理に視点が変わったりもする)ように、音域広く自然体で高音を歌い切ってしまう唄の上手さは桑田ならでは。







燃える夏の太陽が眩し過ぎたせいかしら
胸を焦がす恋なんて今じゃお伽噺か冗談ね


惚れた腫れたの仲よりもずっと孤独なほうが好き
もう惨めな恋なんてドラマだけの"お涙頂戴"ね



夏昼下がりのモーテルで陽に灼けた身体を愛し合い
茅ヶ崎あたりのローカルは今も口説き文句はこう言うの


※※
「雨上がりにもう一度キスをして」
寄り添うような二人のシルエット
悲しい事も今じゃ素敵な想い出になったけど


「あの虹の彼方へと連れてって」
永遠(トワ)に見果てぬ青い空へ
本当に何も怖くなかった
あの頃は風まかせ






1999年9月1日から録音。


 サウンド・リズム・メロディはほぼ完ぺきに近く、それに輪をかけて歌詞はまさしくヒット曲のセオリー通り。聴き手の気持ちを鷲掴みにする、これぞポップスの歌詞。(実際電通が三顧の礼に来る)さすが<歩く電通>には参りました!と言う他ない。もしアイドル提供曲なら楽曲大賞を総ナメにする事だろう。

 きっと2023年の茅ヶ崎ライブではこの曲とEMANONを演るだろう。ライブ規制緩和後(雨上がり)のセカイは果たして!










⑬『The Track for the Japanese Typical Foods called "Karaage"&"Soba"~キラーストリート(Reprise)』


「また『キラーストリート』のReprise をこの曲とのメドレーにしようと思っていたのも、レコーディング当初からのアイディアであった。全く相反する曲なので、連結するために双方の歌詞はいったいどう関連づけようかとひたすら悩んだ。そこで色々と歌詞を当てはめていくうちに< "ホープ" から~>のセクションの歌詞が浮かんで、そこから発想を広げた。」



「『キラーストリート(Reprise)』の2コーラス目であるが、イタリアっぽい感じのメロディーを、どこかの日本人が詠み人知らずの詩をボソボソ歌っているイメージにしてみた。」
(『同上』)
05年4月18日から録音。








⑭『FRIENDS』

 最高傑作。素晴らしい緻密な構成の楽曲だ。

 レッド・ツェッペリン『天国への扉』、ビリー・ジョエルの『レニングラード』やザ・ビートルズ『グッド・ナイト』のように美しい。ミュージカル的構成で、前半の寂莫から一転、後半にソウルフルに解き放つ楽曲構成はずば抜けている。そして、たしかに作者が言うように壮大なジャム・セッションが展開される。



この曲は岸谷五朗君から依頼されて、彼の主宰する『地球ゴージャス』のプロデュース公演『クラウディア』のために書き下ろした主題歌で、サザン史上最長の8分22秒の大作である。


「そしていきなりジャズ的転回を見せたり、歌詞はジェファーソン・エアープレインの『Somebody To Love』になったり、おぼろげな岸谷君の記憶を掘り起こしつつ、はたしてこの曲のアレンジは『ヘアー』におけるフィフス・ディメンションの『Aquarius ~Let The Sunshine In~』の大団円のコーラスの掛け合いみたいな方向へと向かっていったのである。盛り上がって盛り上がって、ラストで最大級に膨らんだところでパンと弾けて、また静かな現実に戻るという構成も含めて、サザンナンバーの中で十指に数えられるほど、私自身の中ではフェイバリットチューンである。」


「ドラムのプログラミングとタンバリンはレコーディングスタッフの加藤君、エレキ・ベースが私で、ピアノとオルガンが片山君。ソプラノ・サックスのソロは山本拓夫君。そして斎藤君は私の愛器、80年代のポール・リード・スミスを弾きつつ、デジタルディレイやコンプレッサーを駆使して、ピンク・フロイドのデイヴ・ギルモア風であったり、またある時はジョン・マクラフリン風だったりというフレーズを弾いた。コーラスは私と原坊で何度も重ね、スタッフ総出で<Hey!!>の掛け声を行った。シングルとはミックスを変えていて、よりロックで、派手で、がっしりとした強いヴァージョンにビルドアップさせている。ちなみに曲後半の重厚で歪んだロック・ドラムは英国のハードロックの最高峰とも言うべき、今は亡き「鉛色」の某スーパーバンドの、これまた今は亡き豪腕ハイテクドラマーの音をひたすら目指したものである。これ内緒。またこの曲においてもあらゆる場面でエンジニアの林君マジックが炸裂している。」
(『同上』)
04年1月19日から録音。








⑮『ひき潮~Ebb Tide~』


 桑田佳祐のお家芸、ハチロクのロッカバラード★

8分の6拍子の楽曲を今作でも入れたいと思っていた。」しかし、「自分のヴォーカルで多重録音するのを条件と課した。」


「と言うのは、今回サザンというコンボスタイルの形態で8分の6拍子のこの曲をやると、何となく暑苦しくなり過ぎるという予感があったのと、ある意味『栞のテーマ』は絶対に超えられないと思われたからである。そこで趣を変えて、島健さんに弦のアレンジとコーラスの編曲をお願いした。





「『ひき潮 ~Ebb Tide ~』は非常に好きな響きとイメージを持つ言葉だ。また自分としてもサザンとしても、今はじんわりとした "ひき潮" 感がすごく心地良く感じられる時期(季節?)だし、それは決して縁起の悪い話ではなく、年齢的にも黄昏ていく頃の、落日の太陽が最後に放つ美しさや、充実した有終の美みたいなものを良しと考えられるようになったからではないだろうか? そういう意味でも今作のラストを、あえてこの曲で締めてみたかったのだ。」




「さらに、最後にこのアルバムを聴いてくださった方々をはじめ、このレコーディングに関わっていただいたすべてのミュージシャンとスタッフの皆さん、そして音楽の神様に心より深く感謝申し上げたい。だから、せーの…… "みんなで作ったアルバムです!!" チャンチャン!!」
(『同上』)
05年4月2日から録音。






 こうして、サザンが血肉化してきた音楽史は『キラーストリート』に刻み込まれ、5大ドームツアーとその映像作品発表によって完結した。


 したがって、2008年にサザンオールスターズが「無期限活動休止」を発表するのは至極当然の成り行きであった。



 しかし、2010年のAKB48の本格的なブレイクと共に音楽の位置づけは、良くも悪くも、一挙に変貌を遂げた。音楽のアクセサリー化、そしてAKB48の凋落と共に良くも悪くもミュージシャンもアイドルもソロ歌手も横一線で群雄割拠する時代が到来し、無機質な音質での配信が主流となった。すなわち、音楽パッケージの多様化ならびにその消費形態の空洞化に拍車がかかったのだった。

 さらに、ついにはメディア自身が細分化し視聴形態の選別が一般化されるようになった2020年、AIDS以来、およそ数年から10年タームと推測されるCOVID-19が全世界を席巻し、国家独占資本主義はLIVE配信に延命の活路(みち)を見出そうとしている。音楽パッケージの形態も、CD・配信・MV・ライブ配信と多極化され、ライブ会場とライブ配信の同時視聴型が主流となった。これからの「アーティスト」は音源配信とLIVE配信の両方を制するかどうかにかかっている。



 右のような音楽配信時代への移行期に真っ向から挑んだ桑田佳祐は、術後復帰を成し遂げた2010年、ついにトータルでもランダムでも完成された最高傑作『MUSICMAN』を発表した。



 その直後、2011年<3・11>東日本大震災および福島第一原発炉心熔融事故が発生する。



 苦悩の末に音楽家として完全復帰をめざす自分と被災人民の苦闘とが合一化した。それゆえに桑田佳祐は、<3・11>以後の音楽はいかにあるべきかと自問自答しつつ、ツアーに命を刻み込んだ。



 こうして、サザンオールスターズは時代的要請に応え2013年に<復活>を遂げた。そして2014年に快進撃を宣言した直後、2015年に、前作『キラーストリート』以来10年ぶり、15枚目のアルバム『葡萄』を完成させた。さらに、2017年8月23日、桑田佳祐はソロ名義で古今東西のミュージックをクロスオーバーさせた無国籍かつ多国籍なアルバム『がらくた』を発表したのだ。



 以上のことから14thアルバム『キラーストリート』はサザンの<終わりの始まり>をもたらしたばかりではない。今日からとらえ返すならば、時代が待望した<灼熱のサザン復活★2013>に次ぐ<進撃のサザン!2014>の序章(プロローグ)たる画期的意義をもつのだ。










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