①からの続き。


サザンオールスターズ14th album
『キラーストリート』
('05.10.5)









ミレニアム・イヤー(2000年)


 桑田佳祐44歳。①で見てきたように世紀末ラストイヤーに『TSUNAMI』(1月26日リリース)で史上空前の大ヒットを飛ばし、8月18日ゲネプロ公開〜8月20日に及ぶ<茅ヶ崎凱旋ライブ>2DAYSで成功をおさめたサザンは、直前7月19日に45枚目のシングル



『HOTEL PACIFIC 』

をリリースした。



 つねにサザンのシングル、なかんずくアルバムはライブを想定して発表される。かつて現実に存在したパシフィックパーク茅ヶ崎をイメージして作られたこの曲は、44thシングル・ブームとからみあい週間2位・年間20位(82.3万枚)を記録するキラーLIVEチューンとなった。


灼けた Sun-Tanned の肌に

胸が Jin-Jin と響く

夏の太陽が 嗚呼 燃え上がる To me


さらば青春の舞台(ステージ)よ

胸が Jin-Jin と疼く

だのに太陽はもう帰らない To me


 視覚・聴覚・嗅覚・触覚をたったワンフレーズですべて表現しながら、英語・日本語およびカタカナ英語と漢字で韻を踏む天才的な歌詞。

 過去から現在を見、現在から過去を想起することで、青春の躍動感とメランコリーとの自己矛盾的自己同一を胸かきむしるように切なく描く、見事な作家性。

 メロディを先に作り、過程でデタラメ英語を当てはめて、後から腰を入れて作詞する桑田だからこそ完成した歌詞だ、とも言えなくもない。だが、メロディに絶妙な日本語をチョイスするずば抜けた言語感覚は、40代半ばの当時まだまだ健在だった。


 実は『勝手にシンドバッド』や『真夏の果実』と共にこの曲もまたサマーリゾート・ポップスではない。なんとセピア色の隠微(ロマン)に溢れているのだろう。天才的なイントロとBlueなメロディライン。GS(グループ・サウンズ)を意識したラテン歌謡ロックのドの付く傑作。夏の終りの哀愁・哀切を描かせたら、桑田佳祐の右に出る者はいない。


(2023年6月24日に、サザン45周年記念「茅ヶ崎ライブ2023」と実質的にこのライブに向けた2曲が発表即オンエアされた。
 サザン2023年活動開始《3ヶ月連続 新曲配信リリース》と銘打たれた第1弾は、7月17日(月・祝)“海の日”配信の「盆ギリ恋歌」(ぼんぎりこいうた)。
 「サザン節炸裂のエキゾチック・歌謡アンセムで、 “これぞ、サザンオールスターズ!! "と言うに相応しい必殺のメロディー&リリックが癖になる、理解不能のシン・日本の夏ソングです。」
 第2弾は8月に配信されるミドルテンポのポップナンバー「歌えニッポンの空」。

 そして、第3弾は茅ヶ崎ライブ4DAYS直前の9月に満を持して配信される<隠し球中の隠し球>的新曲と、まさに茅ヶ崎ライブを彩るに相応しい新曲が今回3曲も放たれる!)


 この年、民放レギュラー番組『桑田佳祐の音楽寅さん ~MUSIC TIGER~』が放送された。10月6日の第一回放送は、桑田佳祐が東京・渋谷ハチ公前でゲリラLIVEを敢行した模様だった。この番組は翌年2001年の3月30日まで続いた。歌謡曲に洋楽、ビートルズに最新邦楽のカバー、さらにサザンや桑田のLIVEなどが放送された。2009年9月放送分までが<あいなめBOX>(全1巻)として発売されている。






 なお、ベーシストの関口和之も、2枚目のウクレレ・アルバムを11月22日に発売した(通算3枚目)。


『口笛とウクレレ』
(関口和之 featuring 竹中直人)


である。緩やかだがクオリティが高い珠玉の作品となった。



 さらに、新世紀へ向けサザンは怒涛のラストスパートに入った。



 《ホテル・パシフィック》が茅ヶ崎ライブを意識したシングルだったことから、バランスに重きを置いた作品が、11月1日発売


『この青い空、みどり  ~ BLUE IN GREEN ~』


である。フォーク・ロックを基調としたエヴァーグリーンな本作は3位(27.7万枚)を獲得した。サザンは人生の光と影、命の重みを描きながら、新世紀の幕開けに向けた確かな希望を奏でたのだ。



 翌2001年8月7日にギタリストの大森隆志が脱退したことから、6人編成最後のシングルとなった。




 次いで11月22日、サザンオールスターズはこの一年の活動を集約しファンに恩返しする意味をこめ、13年ぶりのバラッドのベスト盤


『バラッド3 ~the album of LOVE』


をリリースした。




 『女神達への情歌~報道されないY型(ケイ)の彼方へ~』から『TSUNAMI』まで全28曲が収録された本作は、桑田佳祐みずからが選曲した90年代以降のサザンの最適な入門編であると共に珠玉のラヴ・ソング集となっている。




 この作品も週間1位を獲得。翌2001年には全盛期の宇多田ヒカルと浜崎あゆみに次ぐ、年間アルバムチャート3位に輝いた。ミュージシャンとして久々に266万枚を売上げ、チャートに208回登場したのである。年末、第15回日本ゴールドディスク大賞の「ロック・アルバム・オブ・ザ・イヤー」を受賞した。



 続く、11月30日~12月2日桑田佳祐は恒例の


『Act Against AIDS'00 「桑田佳祐が選ぶ20世紀ベストソング」』


パシフィコ横浜国立大ホールで開催。美空ひばりからモーニング娘。『LOVEマシーン』まで歌いあげた。1月にモー娘。とヒットチャートを争ったこと(8th『恋のダンスサイト』も当時モー娘。の初動最高記録を達成しミリオンセラーに認定)に人情家・桑田らしく配慮したと言う側面もあろうが、その後も生歌で多々選曲している。この曲は曲展開がエキサイティングなのだ。





 そして、年の瀬も押し迫った12月27日から横浜アリーナ4デイズ


『サザンオールスターズ年越しライブ'00~'01「ゴン太君のつどい」』



を開催。

 その只中、サザンは歴史的快挙を達成する。





 1月26日に発表した『TSUNAMI 』が年間オリコン1位、年間オリコンカラオケ1位、年間CDTVランキング1位を獲得。売上は288・6万枚にまで達し、3ミリオンに認定されたのである。



 氷川きよしが新人賞を受賞したこの年、年越しライブ直前に第42回日本レコード大賞を受賞したサザンオールスターズが、「やっとひばりさんの背中が見えました」、と表現したことは今も語り草となっている。 





 長年受賞式を欠席してきた桑田だが、デビュー22年目にして20世紀最後の瞬間、故・美空ひばりに敬意を表し、日本ポピュラー・ミュージックの歴史をかみしめたのであった。



 大衆性をおしだしながらも、権威主義的な事柄には冷ややかだったのもサザンの魅力のひとつで、実際、レコ大や紅白を蹴られたり蹴ったりしつつ、長年に渡って年越しライブを対置してきた。だが、右に見てきたように、ミレニアムイヤーはサザンにとって特別な意味があったのだった。






 そして、件の『TSUNAMI』は翌年も、第14回日本レコードディスク大賞「ソング・オブ・ザ・イヤー」を受賞。なお、2005年に再販された『TSUNAMI』は累積売上を293・6万枚にまで伸ばし、『だんご3兄弟』を抜いて、オリコンカウント後、日本歴代シングル売上3位となった。

 (その後、2019年9月23日付で313.1万枚を達成したSMAPの『世界に一つだけの花』<作詞作曲:槙原敬之>がオリコン歴代シングルチャート3位に浮上した)。


3位 313・1万枚

『世界に一つだけの花(シングル・ヴァージョン)』SMAP

2003.03.05



ランキングをみると

1位 454・8万枚
『およげ!たいやきくん』子門真人
1975.12.25


2位 325・6万枚
『女のみち』
宮史郎とぴんからトリオ

1972.05.10




3位 293・6万枚+α枚(2021年現在は4位)
『TSUNAMI』
サザンオールスターズ
2000.01.26



という結果から、現在、歴代CDシングルチャート1位(2021年現在は歴代2位)を独走している(1位2位はアナログ・ドーナツ盤の時代)。


しかし、新世紀が始まるやいなや《TSUNAMIのサザン》という世評から背を向けるように、またもサザンはソロ活動に没頭してゆくのだった。









2001年──21世紀の幕開け

 この年8月7日、年末から休養していたギタリストの大森隆志がソロ活動に集中するという名目で正式にサザンオールスターズから脱退を表明した。



 これ以降、<第5期>サザンは桑田佳祐・関口和之・松田弘・原由子・野沢秀行の5人&サポートメンバー体制に本格的に移行した(-『さくら』発表後~大森脱退声明までを第4期とする)。



 この年は第3次ソロ活動展開の年となった。


 特に桑田佳祐はこの年、今日誰もが知るソロワークスの代表作を矢継ぎ早に発表した。




 7月4日、桑田佳祐はソロ名義での6枚目のシングル

波乗りジョニー

を発売。久々のソロ名義の作品で話題が集まったが、なんと新曲はサザンテイスト。今度は桑田とサザンの垣根がなくなったかと思わせたが、今日から言うとソロの桑田(「愛人」)はその時々で作りたい作品を作っているのであった。サザン(「家族とまでは言えない親戚」)がやはりど真ん中のストレートなのだ。2週連続1位と7月月間1位を獲得。同時に年間4位、110・4万枚を売上、桑田佳祐名義の作品で初のミリオンセラーを記録した。



 ソニンが在籍していた旧 EE JUMPの新曲『おっとっと夏だぜ!』とCMでコラボ。EEは4枚目のシングル『イキナリズム』の歌詞に「桑田さんどもありがと~」と挿入した。作詞・作曲はつんく♂だが、こうした微笑ましいエピソードもあった。




 前年10月6日から始まった桑田佳祐のTVレギュラー番組も3月30日でいったん終わった。だが10月5日から26日まで『桑田佳祐の音楽寅さん ~Music Tiger~ 「とりあえず4回だけ帰ってきた音楽寅さん」』が放送された。桑田佳祐はユースケ・サンタマリアと共に、ソロ曲やソロ新曲、昭和30年代歌謡曲などを特集した。



 こうした中、桑田名義の新曲発売と同日10月24日、ベーシストの関口和之がアルバムとシングルを同時リリースした。前者のアルバムは

「関口和之&砂山オールスターズ」名義の


『World Hits!? of Southern All Stars』(最高5位)



で、後者はアルバムからのシングルカット

『HOTEL PACIFIC』
「関口和之 meets 青柳拓次 featuring 玲葉奈」名義で発売した。


 砂山(SAZAN)オールスターズによるワールド・ミュージック風味のカヴァー・アルバムであった。関口和之がサザンオールスターズと桑田佳祐の曲を実に愛していることが示されている。11月27日には大阪・心斎橋CLUB QUATTROで、翌28日には東京・渋谷AXで


『関口和之&砂山オールスターズ LIVE 2001 「海は荒海」』


が開催された。



 前述したように関口のソロ作品発売日と同日、桑田佳祐はこの年2枚目のソロシングル



『白い恋人達』

をリリースした。週間1位、11月月間1位、01年年間6位95・7万枚を売上げたばかりではない。翌02年も年間37位、27・3万枚を売上げ、トータル123万枚でミリオンセラーに輝き、桑田名義での最大セールスとなった。なお、この年も桑田佳祐がレコード大賞獲得かと話題になったが、結果的に桑田佳祐を敬愛する浜崎あゆみが24th『Dearest 』で大賞を受賞した。


なお、「桑田佳祐&Mr.Children名義」ならば、1995年1月23日に発表した『奇跡の地球(ほし)』が、171万6千枚で桑田ソロワークス最多売上。)。





 さらに桑田はAAA9周年目に、ザ・ビートルズ大会を催した。

 恒例11月30日~12月2日に、パシフィコ横浜で


『Act Against AIDS'01 「クワガタムシ対カブトムシ」 ~桑田佳祐plays "ザ・ビートルズ"~』


を大成功させた。




 さらに、12月22日~24日は月寒グリーンドームで


『桑田佳祐Xmas LIVE in 札幌』


21世紀最初の1年を締めくくったのである。







【02年】

 『TSUNAMI』ブームから一転し、前年の5人編成転換ならびにソロ活動推進にこの年さらに拍車がかかってゆく。それがサザンオールスターズ25周年目の02年の偽らざる現実だった。





 まず、3月13日原由子が『MOTHER』以来11年ぶりの企画盤ソロアルバ厶



『東京タムレ』

をリリースした(1stベスト盤『Loving You』から4年ぶり)。桑田がソロアルバムに力を注いでいたため、本作のプロデュースは斎藤誠&片山敦夫が担当。60年代歌謡曲の魅力がたっぷりつまったカヴァー・アルバムの制作を原に提案したのは桑田だった。4位獲得。


 7月17日には関口和之が前年に続いてシングルを発売。タッグを組んだのは、なんとハワイ出身のあの有名人だった。



「関口和之 featuring KONISHIKI」の名義でハワイアン・ミュージック集

『私の青空~MY BLUE HEAVEN~<JAPANESE VERSION>』

をリリースした。12月1日には名古屋市民会館大ホールでライブも行った。


 ドラマー・松田弘も11月27日3枚目のアルバム

『[FUTARi.] O.S.T HIROSHI MATSUDA & QUIET LOVE NOTES』

を発売。板谷由夏有里知花加藤いづみら8人の女性シンガー・女優をゲストに招いたデュエット・スタイルの良盤を完成させた。12月11日には赤坂BLITZで、

『松田弘 & Quiet Love Notes [FUTARi.] O.S.T PARADE ~Quiet Love Memories』

も開催された。



 これに対し、桑田佳祐は最高傑作

『東京』

を発表。「三国人」発言をほざいた石原都政への憤りをもこめて、当時の首都の雰囲気を重厚ないなたいブルースで表現し、現代の『東京砂漠』をえぐり出したのだった。
 2週連続1位、7月月間1位、年間11位、54・7万枚を売上げた。

 編曲は
「THE BALDING COMPANY」。

3rdアルバムに向けて結成したバンドが強靭なサウンドを生み出した。斎藤誠・角田俊介・片山敦夫・山本拓夫・角谷仁宣・河村"カースケ"智康(4th『MUSICMAN』ではレベッカの小田原豊や、鎌田清)が結集した。



※※

個人的にも、桑田佳祐のキャリア最高傑作はこの『東京』だと思う。中島みゆき『ヘッドライト・テールライト 』と共に、他の日本人が誰も書けない<BLUES>だ。   


 そして、宇多田ヒカルの

『BLUE』『Prisoner Of Love』『Goodbye Happiness』『Play A Love Song』の、身を切るような哀しみの果てに “あなた” への愛を発見した喜びと愛するが故の切なさ、そうであらばこそ遂にあたたかみすらもが滲む<ウタダ・ブルー>四部作も忘れてはいけない。

 すなわち、宇多田ヒカルのキャリアの画期的意義は、ただに日本型R&Bの先駆者たる訳では全くない。桑田が林檎がそうであるように、良い歌にジャンルなどないのである。このことに気付いたヒッキーが歌うことの原点に回帰し、更なる地平を切り拓かんとする武器。この独自性が<ウタダ・ブルー>なのだ。

 自由への意志にかられるBlueなせつなさに、愛と哀しみとさらに優しさがそなわったこと。このトーンこそが歌謡曲からも遠く離れ、外観のみR&Bだが実はただの電子音の集合体にすぎない日本大衆音楽シーンに輝く宇多田ヒカルの独自性をなす。歌謡曲に足場を置きつつもあらゆるジャンルの楽曲・コンテンポラリーなポップ・ミュージックに共通する魂の叫びが宇多田ヒカルの音楽には脈打っている。

 ヒッキーが独自性<ウタダ・ブルー>を武器に活動休止から復帰後の今日2021年に至るまでの全キャリアを通し、苦闘しつつ切り拓いてきた画期的地平。それは音楽にしかもたらせぬ感動=<音楽的感動>に他ならない。)。

※※






8月10日には

『ROCK IN JAPAN FES.2002』

の2日目トリで出演。バンドと会場が一体でソロ新曲14曲を披露した。




 9月26日、ついに桑田は3rdアルバム

『ROCK AND ROLL HERO』

を発表!



 2001年イスラム原理主義勢力による<9・11>殉教自爆攻撃が、アメリカ帝国主義文明の<終わりの始まり>を告げ知らせたことで、桑田佳祐は自問する。



 西洋文明は絶対化されるべきなのか?、アメリカン・ロックン・ロールは本当に我ら日本人のヒーローなのか?、このままアメリカン・グローバライゼーションに無条件につき従うことが「正義」であり「平和」なのか?、と。



 その結果、バンドの生音と電圧にこだわりながら、<9・11>に解答した内省的でドライヴ感あふるるロック・アルバムが誕生した。


 たしかに、桑田は2011年の<3・11>以降、この作品と2ndアルバムには「温かみが足りなかった」と明言した。しかし、人間存在は時代的制約性と無縁ではない。桑田が時代と格闘した本作は、紛れもなく時代からタイムリーに産まれた、ヒューマニズムの結晶であった。週間2位、年間22位(60・6万枚)とやや低迷したものの、〈東京〉〈ロックンロールヒーロー?〉という2曲の代表作が生まれたことにこそ、本作の世界史的意義がある!







③へ続く。










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