①のつづき。




サザンオールスターズ12th album 
『Young Love』
('96.7.20)








 1995年5月14日大阪城ホールで桑田佳祐はMr.Children とのジョイント・ライブのツアーを終えた。



 その8日後、5月22日には1年半ぶりにサザンオールスターズ<復活>の狼煙が上がった。


 楽曲タイトルに世が騒然となった
この35枚目のシングルこそ、2013年8月10日の日産スタジアムから幕開けした復活ツアーのタイトル

『サザンオールスターズ SUPER SUMMER LIVE 2013
 「灼熱のマンピー!! G★スポット解禁!!」』
に採用された、

桑田曰く「下衆(ゲス)の極み」
(当時、ライブの楽屋で桑田佳祐がそのタイトルを紹介すると、桜井和寿が大爆笑したという逸話もある)



マンピーのG★SPOT


である。


 ベーシスト関口和之が「健康上の理由」から復帰したこの曲は、スライ&ザ・ファミリー・ストーンを彷彿とさせる強烈なグルーヴとドライヴで、オリコン4位(50万枚)に輝いた力作である。







芥川龍之介がスライを聴いて
"お歌が上手"とほざいたと言う

僕はベッピンな美女を抱いて
宴(うたげ)に舞うばかり


Come On!! 情熱や美談なんて
ロクでもないとアナタは言う

たぶん本当の未来なんて
からっぽの世界



悲しい男と女が
今日も暗闇で綱渡り
Ah Woo 浮き世は舞台
待ち人は来ない



やがてマンピーはJuke Box
Juke Box Juke Box
湖に赤いバラを捧げた憂(うれ)いの旅

だからマンピーはJuke Box
Juke Box Juke Box
君と濡れた貝を拾う
灼熱の恋のメロディ








 ここでは都々逸(どどいつ)と言うべき、男女の完璧な情歌が展開されている。
(易学ならぬ)占いブームのインチキ性さえ暴き出しているのはお見事(京極夏彦著『魍魎の匣』講談社文庫参照)。



 さらに、この2番の「芥川龍之介がスライを聴いて~」の歌詞が素晴らしい。

 あの世で、文豪・芥川がファンク・ミュージックの天才・スライを聴いて、知ってか知らずか上座(かみざ)から誉めそやす(笑)。そんな凡庸な「僕」は、二枚目のジゴロとして美女と戯れるだけの空虚な人生を謳歌するばかりだ、と人生の真理を問いてみせる(笑)のである。



 しかも、「お歌(うた)」と「宴(うたげ)」で韻を踏むという高踏技術を駆使してさえいる。


 「待ち人は来ない」(来ず)はおみくじの慣用句で、(契りを交わす)恋人が今すぐには出来ないことの例え。


 男女関係のむつかしさなんて占える訳がない、「たぶん本当の未来なんて知りたくない」し分かる訳もなし、と惚れた晴れたならぬ<浮き世の本質>を言いあてる。


 つまり、『マンピーのG★SPOT』とは単なるアソコの歌ではなく、井原西鶴の浮世草子ばりの、男が女を愛する情歌なのである。

 

 この作品が放送コードにもひっかからなければ、「放送中止」にもならないのは、桑田師匠の"巧みさ"による。

もっとも、サザンも活動再開、一発目にあえて桑田佳祐ソロアルバム『孤独の太陽』とは正反対の、サザン全開のトーンで勝負したのであって、ちょっとやそっとの事では一歩も引かなかっただろう。





 つい先ごろ2012年、「なんでこんな歌つくっちゃったんだろうなぁ」とぼやいたその舌の根もかわかぬうちに、桑田とチームサザンはちゃっかりと2013再始動ツアータイトルに採用したのだった。こうして、マンピーはいつの間にやら灼熱の代表曲におさまっているのである。
(2015年「おいしい葡萄の旅」ツアーでも選曲!)


 これはヒューマニストである桑田のもう一つの顔と言うべき、アナーキストとしての側面でもある。“健全な下衆の極み”(ゲスのきわみ)をマジメに演りきるサザンの裏の顔でもあるのだ。たかだかチンケな放送コードにROCKおよび大衆音楽が規制・統制されてたまるか、ふざけルナ!とでも言えなくもない音楽的遊び心の発露でもある。



 とはいえ、“下衆の極み”が炸裂する井原西鶴「浮世草子」ばりの好色の情歌『マンピーのG★SPOT』は、歌詞中の「♪メケメケの世界」にも示されているように、核心的に言って、※※美輪明宏が日本に輸入した『メケ・メケ』(だけどそれがどうしたの?)の世界観を一つのモチーフとして発酵した、稀代の傑作なのである。




▼※※『メケ・メケ』の世界観とは?⇒「だけどそれがナニか?」

フランス語の「Mais, qu'est-ce que c'est?」(メケスクセ)で、「だけどそれがどうしたの?」という意味。


 仏領マルティニークの原住民が訛って、「Mqu mqu?」(メケ・メケ)と発音したことから、フランスのシンガー・ソング・ライターであるシャルル・アズナヴールがインスピレーションを受け、1954年に作詞し発表した。作曲はジルベール・ベコー


 アズナヴール(存命中)は、1946年に偉大なるシャンソン歌手エディット・ピアフに認められ、名声を博した。


 1957年、丸山明宏(現在の美輪明宏)が日本語でカヴァーした『メケ・メケ』が一世を風靡した。1966年に作詞作曲した労働歌『ヨイトマケの唄』と並んで、美輪明宏の世界観が如実に刻印された名曲である。
シャンソン歌手・美輪の根底に流れる魂は Bluesである。
※※









 続く、7月17日には36thシングル


あなただけを ~Summer Heartbreak~


をリリース。



 福山雅治が主演したTVドラマ『いつかまた逢える』のテーマ曲で、週間1位、年間25位、111.8万枚を売上げ、『涙のキッス』『エロティカ・セブン EROTICA SEVEN』に次ぐ、歴代サザンのシングル中、3作目のミリオンセラーを達成した。

 カップリングは『LOVE KOREA』。桑田は下町の陽気な人びとに遊び心満載でこの曲を捧げた。桑田ほど、ありとあらゆる音楽ジャンルを書き上げ、発表した作家は皆無である(むしろ、すべての音楽ジャンルを遺してやろうとしている節すらある)。抜群にセンスに富んだ曲だが、個人的には余り陽気な曲は興味が薄かったりする。桑田が沢尻エリカの代表作『パッチギ!』を観て、興味が再燃したフォークルことザ・フォーク・クルセダーズの『イムジン河』『悲しくてやりきれない』のカヴァーの方が好きだ。




 ちなみに、<マンピー>はオリジナル・アルバムに収録されていないが、こちらの<あなただけを>は収録された。桑田の思い入れが強いこの曲は2013サザン復活直後のNHK『SONGS』収録時のスタジオ・ライヴ以来、2015年サザン10年ぶりの本格ツアー「おいしい葡萄の旅」で久々に選曲された。






 ところで、この両シングル発売の間隙をぬって、6月24日、『すいか SOUTHERN ALL STARS SPECIAL 61 SONGS』以来6年ぶりにベスト盤が発表された。

桑田佳祐みずからが選曲した


『HAPPY!』


は、シングル、C/W、アルバム収録曲の枠をこえサザンが発表した全曲の中から、発表順にもこだわらずセレクトされている。高額7,000円にもかかわらず、完全予約限定70万枚が即日完売した(1位、年間29位)




 その只中、8月5日、6日には、16万人を動員した


『 サザンオールスターズ スーパー・ライブ・イン・横浜「ホタル・カリフォルニア」 at 横浜みなとみらい21臨港パーク』


公演を実現した。




 さらに12月1日には

『Act Against AIDS '95』

に参加。同日、桑田佳祐はタイのThe Mall in Bankokで、原由子は大阪城ホールで、ソロライブを実現した。




 この只中、10月からサザンは4年ぶりに発表することをめざし、ニューアルバムのレコーディングを開始した。







【96年】

 長いレコーディングの末、5月20日サザンは


愛の言霊(ことだま) ~Spiritual Message~


を、6月25日には38thシングル


太陽は罪な奴
(5位、37.1万枚)


をリリースした。



 前者の『愛の言霊』は、通算2週1位、年間7位を獲得し、サザンが発表した歴代シングル中、4作目のミリオンセラーに輝いた(138.1万枚)。

 しかし、こうして振り返ってみても、なんと売上げに波があるグループなのだろう! いったん落ちたら二度と浮上出来ない、2020年代現在の常識では想像も出来ないのではないだろうか? いや当時も同じなのだ! それは裏を返せば、サザンオールスターズ、桑田佳祐がつねに音楽的な勝負をし続けてきたこと。つまり、絶対に音楽では負けない!というミュージシャンとしての業なのだ。






 かくして、ついにサザンオールスターズ12枚目のアルバム

『Young Love』

がリリースされた。



 久々にバンド・サウンドの原点に返った痛快な本作は、週間1位、年間7位、249.4万枚のダブル・ミリオンセラーに輝き、自身最高売上を更新したのである。




 間髪入れずサザンは、8月4日から


『Southern All Stars Stadium Tour 1996 「ザ・ガールズ 万座ビーチ」』


を開始。10月12日まで全15公演で35万人を動員した。




 中でも、9月15日-16日には阪神甲子園球場で野外ライブ2デイズを実現。

 さらに、10月2日-3日には17年ぶりに沖縄公演2デイズを実現したのである。




 実際、当時のサザンにとって沖縄公演を核心とした万座ビーチツアーには決定的な意味があった。



 それは以下の意味で96年当時、沖縄が最焦点化していたからにほかならない




 1995年の沖縄・在日米軍兵士による少女暴行事件をきっかけとして沖縄人民の怒りは爆発した。米軍地位協定をタテにした米軍の対応が、10・21沖縄県民大会を頂点に、全国の労働者・市民・学生の怒りの火に油を注いだのだ。

 こうして、翌96年には普天間基地「整理・縮小」と米軍地位協定「見直し」を大義名分とした最新鋭の沖縄・新ヘリポート基地建設をめぐる県民投票がまさに開催されようとしていたのである。


 この12月の県民投票を前にして、サザンオールスターズは10月2日と3日、(当時、米海兵隊基地の建設予定地とされていた辺野古がある)沖縄宜野湾市海浜公園野外劇場にて、17年ぶりの沖縄コンサートにのぞんだのだった。





 しかも、桑田佳祐は本ツアーに向けて新曲

平和の琉歌

を書き下ろした。




 琉球民謡を歌い継ぐ沖縄人民に我が身を移し入れ、「雇用」と戦争政策のジレンマに揺れる沖縄の労働者・市民・学生の思いを主体的に受けとめ・心の底から共有し、率直にエールを贈ったのだった。

 サザンは絶えず、支配される民(たみ)の立場にのみ立って、音楽活動を進めていることを隠そうともしないのだ。困難な状況に立たされた人々がいれば、まず行って共有することから出発する-これがサザンオールスターズの存在証明(レーゾン・デートル)なのであった。


 実際、会場とバンドが一体となったフィナーレで、※※サザンは予定になかった『いとしのエリー』を奏で、オーディエンスの声援に心の底から応えたのである。



 その後、『平和の琉歌』は翌97年の1月~3月『筑紫哲也 NEWS23 』のエンディングテーマとなった



※※96年10月沖縄宜野湾市海浜公園野外劇場にて、ラストの挨拶の後、リーダーの桑田がバンドメンバー全員を呼び寄せ、井戸端会議を始めた。

会議が散会すると、ステージ中央の桑田がふたたびカウントを開始。

沖縄人民に向け、急遽もう一曲『いとしのエリー』を演奏した伝説のステージ。こうして、聴衆とバンドは一つとなった。




「みんなのおかげでやってます! 君たちも負けちゃいかんぞ!」(桑田)とは、

明言してはいないが、もちろん新ヘリ基地建設をめぐる「県民投票」の事である。※※







 さらに、12月1日~3日、この年のAAAで、桑田佳祐は「夷撫悶汰(いヴもんた)」と称し、全編ジャズのスタンダードナンバーを披露した。


Act Against AIDS'96 
夷撫悶汰レイトショー 
~長距離歌手の孤独 in Jazz Cafe~



をパシフィコ横浜国立大ホールにて3日間開催した。



 年末カウントダウン・ライブも2年ぶりに開催。


Southern All Stars 1996 年越しライブ in 横浜アリーナ『牛』


は12月28日~31日まで全3公演3万3千人を動員した。






③に続く。











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