デビュー20周年

サザンオールスターズ13th album 
『さくら』
('98.10.21)




2週連続1位
年間32位
84・8万枚ミリオン割れ




M1.NO-NO-YEAH/GO-GO-YEAH

M2.YARLEN SHUFFLE~子羊達のレクイエム~

M3.マイ フェラ レディ

M4.LOVE AFFAIR ~秘密のデート~

M5.爆笑アイランド

M6.BLUE HEAVEN

M7.CRY 哀 CRY

M8.唐人物語(ラシャメンのうた)





M9.湘南SEPTEMBER

M10.PARADISE

M11.私の世紀末カルテ

M12.SAUDADE ~真冬の蜃気楼~

M13.GIMME SOME LOVIN' ~生命(いのち)果てるまで~

M14.SEA SIDE WOMAN BLUES

M15.(The Return of)01 MESSENGER~電子狂の詩(うた)~(Album Version)

M16.素敵な夢を叶えましょう









 前回、12thアルバム『Young Love』の稿でサザン第4期最初の4年('93~'96)がデビュー以来1番苦しかった時期ではないか(その結果、売上は過去最高を記録した)と書いた。



 だが、ここから第4期のラストを飾る20周年13thアルバム『さくら』まで2年間のサザンは、ビッグスターでありながら、従来に比してセールス面は軒並み低迷し続ける。その理由は何故か?




 それはアーティストの楽曲ジャンルが多様化した中で、サザンが楽曲的に勝負に出たからとも言えなくもないが、要は━━<“世間一般のサザン像”を打ち破りたかったから>━━ではないだろうか。




 それゆえ、「ネオジャパネスク」を掲げて制作されたと言われる13thアルバム『さくら』は、『Young Love』ではなお実験的であったコアな楽曲ばかりで構成した、世紀末日本の骨太なメッセージ・アルバムなのである。そして、硬派な軟派サザンオールスターズの<バランス感覚の本質>に貫かれたアルバムでもある。したがって、セールスが振るわなかったこのアルバムで、【一般的なサザンのイメージを木っ端微塵に打ち砕く】という課題を克服したからこそ、サザンオールスターズは永遠に不滅のバンドとなった。




 『さくら』は制作にのべ3,000時間、期間として1年半以上を費やした。



 制作期間中、桑田佳祐はこう言った。



 “このアルバムは売れなくていいんだ、30万枚売れれば満足だ”、と。




 結果的に『さくら』は90年代にサザンが発表したアルバムでゆいいつミリオン割れしたものの(84・8万枚)、249.4万枚を売り上げた前作『Young Love』ではなしえなかった、初動から2週連続1位を達成したのであった。





 すなわち、サザンは12枚目のオリジナル・アルバム『Young Love』でテーマとした痛快なロック・サウンドを即座に否定し、2年後のこの時この『さくら』で、商業主義を真っ向から否定した強烈なROCKアルバムを完成させた!


 ──咲き誇り、華やかに散る『さくら』には生と死が見事に描かれた。



 洋に溶け込む和、和に食い破られる洋。
和洋折衷が7thアルバム『人気者で行こう』なら、<生と死・和と洋の自己矛盾的自己同一(アンビヴァレント)>を描いたのが13thアルバム『さくら』なのである。



 90年代最もセールスが低かった13thアルバム『さくら』の完成こそが、今日のサザンオールスターズの生命線となった!

 言い換えれば、このアルバムが聴き手に選ばれることは、サザンにとって“名誉”の証(あかし)に他ならない。



 <生死・和洋の自己矛盾的自己同一>、すなわち、「ネオ・ジャパネスク」と銘打ったこのアルバムは、聴き手を選ぶハードコアでアクの強い鉄壁のサウンドが揃いながらも、あたかも狂い咲く桜を愛でるかのように、人の愚かさをいつしか愛おしむ珠玉の作品集なのであった。



 たとえサザンファン全員を敵に回したとしても、サザン13枚目のオリジナル・アルバム『さくら』は、そう言いうるに足る歴史的名盤であると私は確信している(個人的にはサザンのベスト❗)。デビュー20周年-こうしてサザンは、見事、新境地を切り拓いた。










【97年】

 2月、サザンはニューアルバムのレコーディングに入った。


 同時に各メンバーがソロ活動を進めていった。



 まず、デビュー記念日6月25日、ベーシストの関口和之が念願のソロアルバムを発売した。ウクレレをこよなく愛するアーティストを招き、

関口和之 presents UKULELE CALENDAR

を完成させたのである。



 次いで、8月22日、前年11月9日にパーカッショニストの野沢"毛ガニ"が主演した映画、『アトランタ・ブギ』のビデオがリリースされた。



 さらに、10月22日には2枚同時にソロアルバムが発表された。




 一つはドラマー松田弘の前作から14年ぶりのミニアルバム

DRMS(ディルムス)

だ。


 林田健司&CHOKKAKU、岩田雅之&和田毅、森雪之丞、松尾由紀夫ら豪華作曲家陣が楽曲を提供した。


 ヒロシは11月8日に、斎藤誠・片山敦夫らと、

『松田弘 "Live DRMS"』

ライブを、日清パワーステーションで実現した。




 もう一つは、桑田が参加した故ローウェル・ジョージのトリビュート・アルバム

Rock And Roll Doctor

がリリースされたことである。


 元リトル・フィートの名ギタリストに敬意を表して制作された企画盤で、ジャクソン・ブラウンやアラン・トゥーサンらと共に、日本からはリトル・フィートをリスペクトするまさにサザンオールスターズのこの人、ということで桑田が招聘され、

『Long Distance Love』

を歌った。



 このテイクは現在、2012年7月18日に発表された桑田佳祐のスペシャル・ベスト・アルバム『I LOVE YOU - now & forever -』の「完全生産限定盤」の、[BONUS DISC]に収録されよみがえった。





 桑田佳祐は11月28日に神戸、30日と12月1日にパシフィコ横浜国立大ホールで、


『Act Against AIDS'97 歌謡サスペンス劇場』


を開催した。この年のテーマは歌謡曲に特化された。






 キーボーディストの原由子もこの年、2作のシングルをリリースした。


 まず、10月29日、SMAPの香取慎吾とのデュエット・シングル

『みんないい子』

を発表した。この曲は同じスマップの『中居正広のボクらはみんな生きている』のエンディングテーマで、別に制作された3タイプのMixも収録された。売上げの一部がエイズと闘うルーマニアの子供たちへの支援金となった。


 その1ヶ月後、11月27日に原由子は、6年ぶり13枚目のシングル

涙の天使に微笑みを

を発売した(NHK朝ドラ『甘辛しゃん』主題歌)。

 なお、C/Wは万城目正が作曲した、美空ひばりの代表作『悲しき口笛』のcoverであった。



 なお、原坊が次のシングルを発表するのはここから12年後となった。






 この只中で、サザンは7月21日にニューシングル、

01MESSENGER ~電子狂の詩(うた)~

をリリースした(5位)。


 斬新で衝撃的なデジタル・ハードロックであったがゆえに、27thシングル以来7年半ぶりに、30万枚を下回る売上げとなった。




 ここから3か月後の11月6日には、記念すべき40枚目のシングル、

BLUE HEAVEN

を発表(5位、40万枚)。

 なお、カップリングの『世界の屋根を撃つ雨のリズム』は、レディオヘッドばりのエレクトロニカなオルタナティヴ・ロックをめざした野心作であった。

 だが、サザン12枚目のアルバム以来のプログレッシヴ・ロック路線を引き継ぐこの曲は、残念にも、収録時間オーバーを理由に、翌年発表した『さくら』には収録されなかった。





 こうして、97年年末、桑田佳祐のAAAイベントライブの後、12月27日-31日まで、サザンオールスターズは年越しライブを実現した。


「Southern All Stars 1996年越しライブ in 横浜アリーナ『牛』」


は3万3千人を動員した。










【98年】

 桑田の誕生日前日の2月25日、原由子は、初のベスト・アルバム

Loving You

を発表した。


 3rdアルバムから6年8ヶ月ぶりのこの作品は、サザン・デビュー20周年イヤーにふさわしく、最高3位を獲得した。





 また、6月6日には日清パワーステーションで


「FINAL COWNTDOWN SESSION
『来ればわかる!!』
~NISSIN POWER STATION~」


が開催された。



 このイベント・ステージは、サザンのメンバーそれぞれがバンドを組んでセッションするというものだった。大トリは桑田佳祐がつとめたが、久々に「嘉門雄三」名義で登場したのである。




「嘉門雄三ブルースクインテッド with 八木のぶお」


嘉門雄三=桑田佳祐(SAS)

原由子(SAS)

バーベQ和佐田(爆風スランプ)

ファンキー末吉(爆風スランプ)

中シゲオ(THE SURF COASTERS)

八木のぶお(ジョー山中らと横浜BLITZでオープニング公演)


※ちなみに、横浜BLITZは2013年10月14日に閉館を迎えた。




23.Stomy Monday

24.All Your Love

25.Hoochie Coochie Man

26.Ain't No Sunshine When She's Gone

27.Rock Me Baby

28.Have You Ever Loved A Woman

29.Sweet Home Chicago


30.Big Star Blues(ビッグスターの悲劇)
Southern All Stars



31.勝手にシンドバッド
ALL





を披露した。








 ところで、ニュー・アルバムを制作するレコーディング期間は、もうすぐ1年半を迎えようとしていた。


 だが、その前にサザン20周年記念日が訪れた。




 6月25日当日、完成が間にあわなかった新譜に代わってリリースされたのは、ベスト盤であった。

 このコンピレーション・ベスト


海のYeah!!


初動1位(100万枚)、2週連続1位を達成し、累積244万5千枚を売上げ年間6位に輝いた。


 その後も、本作はサザン最大のロングセラーとなった。
チャート登場回数357回、累計340万枚を達成。

 出荷枚数も400万枚に及び、「4ミリオン」に認定された。




 現在、2枚組以上の作品では、史上最大の売上げを誇っている。

 DISC-1は「SEA SIDE」、DISC-2は「SUNNY SIDE」とイメージ別に分かれた全30曲のオール・タイム・ベストである。




 コアなファンには少々食傷ぎみだし、夏だ・海だ・サザンだという使い古されたフレーズに辟易してしまう訳だが(楽曲内容ではなくキャッチコピーのことだが)、サザンの入門編としては完璧な1枚であった。



 特筆すべきは、

『平和の琉歌』

がこのコンピレーション・ベスト・アルバムのフィナーレを飾っていることである。



 なお、2013年にサザン復活★=再始動が発表されるや否や、『海のYeah!!』("海の家"も、8月6日からサザンビーチちがさきに期間限定でOPEN!!された)も、7月15日付オリコンでTOP100内に復活。

 86位を獲得し、二枚組以上のCD累積売上記録を、348万9千枚まで伸ばした。





 この勢いのままサザンは、8月8日から、浜名湖畔弁天島海浜公園「渚園」にて、ライヴを開催し、2日間で10万人を動員した。



「1988夏 サザンオールスターズ スーパーライブ in 渚園 

『モロ出し祭り~過剰サービスに鰻(ウナギ)はネットリ 父(チチ)ウットリ~』」




である。

 3時間半、34曲にのぼる『渚園』で、サザンは20周年イヤーを飾る集大成のステージを魅せつけたのであった。







 また、20周年コンピレーション・ベスト盤を発売する前後、サザンのアルバムからの先行シングルが発売された。



2月11日に


LOVE AFFAIR ~秘密のデート
(57.1万枚)、


7月29日に


PARADISE


をリリース。いずれも最高4位を獲得した。







 そして、ついに、10月21日、サザンオールスターズ13枚目のニュー・アルバム

『さくら』

が発売された。





 サザンのリーダー・桑田佳祐が「30万枚売れれば満足」と言ったように、ダブル・ミリオンの前作との比較では本作はミリオン割れしたものの、前作ではなしえなかった、久々の週間アルバム・チャート2週連続1位を奪取した。つまり、コアな音楽ファンには当時、抜群に受けたからである。





 13thアルバムをひっさげたツアーは、翌年99年3月24日にグランディ・21 宮城県総合体育館からであった。






 年末の締めくくりとして、カウント・ダウン・コンサートは出来なかったが、11月30日・12月1日・2日の3日間、パシフィコ横浜国立大ホールで、この年


『Act Against AIDS '98 オール リクエスト ショー』


のタイトルでライブが行われた。



 こうしてサザンは20世紀のラストイヤーに史上空前のシングル売上を記録する橋頭堡を築き上げたのであった(シングルCD売上オリコン歴代1位のトリプル・ミリオンセラー。2023年現在ではSMAP『世界に一つだけの花』に次ぐ歴代2位を保持)。








②へ続く。











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