①のつづき。





サザンオールスターズ13th album 
『さくら』
('98.10.21)



2週連続1位
年間32位
84・8万枚ミリオン割れ




M1.NO-NO-YEAH/GO-GO-YEAH

M2.YARLEN SHUFFLE~子羊達のレクイエム~

M3.マイ フェラ レディ

M4.LOVE AFFAIR ~秘密のデート~

M5.爆笑アイランド

M6.BLUE HEAVEN

M7.CRY 哀 CRY

M8.唐人物語(ラシャメンのうた)











 ①で見てきたように、サザンオールスターズ13枚目のアルバム『さくら』は、彼らが20世紀末日本の国家独占資本主義の腐朽性と対峙しつつ、デビュー以来の20年間を総括し・21世紀への展望を打ち出そうと試みた、極めてハードなアルバムにほかならない。



 その密度と音楽的ふところの深さは、ここまでのサザンの歴代アルバム中、断トツの出来である。骨太なバンド・サウンドに立脚した多彩な楽曲群と、激しさの反面で優しさが溶け合う味わい深い名盤である。

 <生死・和洋の自己矛盾的自己同一(アンビヴァレント)>、すなわち、「ネオ・ジャパネスク」と銘打ったこのアルバムは、聴き手を選ぶハードコアでアクの強い鉄壁のサウンドが揃いながらも、あたかも狂い咲く桜を愛でるかのように、人の愚かさをいつしか愛おしむ珠玉の作品集なのだ!








①『NO-NO-YEAH/GO-GO-YEAH』

 今回のアルバムは冒頭からハードでクールだ。全体の方向性を見事に指し示したオープニング。

 レッド・ツェッペリン『レッド・ツェッペリンⅡ』 と スティーヴィー・ワンダー『迷信』。
 そこにジョン・レノンの『コールド・ターキー』とザ・ビートルズ『カム・トゥゲザー』がしゃしゃり込むかのようなサウンドだ。

 ダークなトーンは、クリーム、ブラインド・フェイス、ザ・ドアーズのようなイメージから出発したのかも知れない。


 実際、生楽器と打ち込みのせめぎあいが抜群にスリリングである。

 パソコンをいじくり記号化した音をつなげて作る、昨今のスタティックかつ無機質な「ヒット」ソングと、ぜひ比べてほしい。18年前のこの曲は今なお斬新であるばかりか、他の追随を許さないことが分かるだろう。

 配信時代とは、音楽の自由度が無限に広がった反面、ともすると音楽・リスナー・アーティストの感性を空洞化させかねない実に不幸な時代でもある。久々にこの曲このアルバムを聴くと改めてハッとさせられる。

これがBLUES ROCKだ!








②『YARLEN SHUFFLE~子羊達のレクイエム~』

 シャッフル・ビートに乗るスライ&ザ・ファミリー・ストーン渾身の傑作『暴動』の肌触り。『ファミリー・アフェア』だろうか。「レクイエム」の雰囲気を的確に表している。迷走せる世紀末日本国独資の腐朽性を斬る。


 2020年代の現在を先取りしたかのような歌詞で、






祭壇の前に立ち
笑いをこらえて泣いてた
“Amen”SHUFLE






はゾッとすると言おうか、驚くべき文学的なフレーズだ。







だから サラバ☆サラバ 夢☆ドリーム
Sweet Sweet, Da-ba-da
どうか Never Die !!

Oh, サラバ☆サラバ愛☆スクリーム
Sweet Sweet, Da-ba-da
そうさ Never Cry !!

悲しみの歌声は
飼い慣らされた者達の
YARLEN SHUFFLE…




サラバ(sa rva):梵語で「一切」の意








③『マイ フェラ レディ』

 フォー・フレッシュメン・ウィズ・ファイブ・トロンボーン。

 音楽の分野におけるポルノグラフィをやりたかったのだろうか。

 タモリに喜んでもらおうと贈った歌。アルバム冒頭から、重い、濃いと来て、この曲で桑田はすっと引いてみせる。ねっとりとしたモダンジャズ・バラード調シャンソン。桑田が見事なヴォーカルを披瀝している。


 歌詞はそのものズバリ愛撫な訳だが、すべてカンツォーネの歌詞に当てハメタ訳だ。


 2014年のCM曲『パリの痴話喧嘩』は、この曲と『愛は花のように』に淵源をもつ。そして、明石家さんま(とビートたけし)に贈った『アミダばばあの唄』をもっと本格的にジャジィに深めた模様。


 なお、タモリには『マイ フェア レディ 』という曲を贈っているが、オードリー・ヘプバーン主演の名画のタイトルは『マイ・フェア・レディ』である。




 個人的には耳なじみ良く、つい口ずさむのが性(さが)。






俺と 寝ろ 我 雑踏に消えろ


……


闇の土手 ……



 桑田が作ったJAZZナンバー中、一二を争う争う最高傑作だと思う。







④『 LOVE AFFAIR~秘密のデート~』

 ここで一転、フィル・スペクターのサウンドにもっていく手際は見事。


 この曲はメロディ・ラインと曲構成が素晴らしい。サビのダメ押し感は完璧で、思わず「上手い!」と唸ってしまう。


 不倫をテーマにしたTVドラマ『スウィートシーズン』だかのテーマ曲。

 結果的に、一夜の逢瀬を名残惜しむ、絶妙なライヴ・レパートリーとなった。



 2011年9月11日の宮城ライブで、サザンコーナーと称し桑田が弾き語り、原とデュエットした。年齢を重ねた二人が鎮魂と祝祭のステージで音楽の神様に見守られながら歌った時、とても美しく響いた。



 2007年、この曲にインスピレーションを受けた『白夜行』『容疑者のXの献身』『ガリレオ』の著者・東野圭吾が、冒頭の歌詞の一節をとった『夜明けの街』(角川書店)というミステリ小説を発表した。サザンと東野圭吾は大衆娯楽のフィールドで本領を発揮するという点で相似的な関係性を持つ。








⑤『爆笑アイランド』

 時の小渕内閣を揶揄した。「戦略核削減」の欺瞞性、援助交際、謀略的新興宗教集団、少子高齢化、「行政改革」という名の国家機構のネオ・ファシズム的再編(内閣官房のトップダウン)など、「大爆笑 Plastic Island」をつぶさに暴き出してゆく。



 楽曲はディープ・パープル『ハイウェイ・スター』とビートルズ『カム・トゥゲザー』をからませたようだが、ラップパートやエレクトロ、デジタルサウンドに変換されていることで、⑥と同じくコンテンポラリーな雰囲気を醸し出す。



 年越しライブ2014で、この曲の歌詞の一部を「♪衆院解散なんて無茶を言う」に改変。四日間とも変えていたが、首相・安倍夫妻がたまたま観覧に来た際に反応したことが報じられ、話題となった。サザンの音楽とは民の声。しごく当たり前のこと。私から言わせてもらえば、「♪都合のいい大義名分(かいしゃく)で争いを仕掛けて」「♪「反日」なんですと※ド反動(バカ)を言う」。

※ド反動⇒
 ここで使った「ド反動」とは、ウルトラ・ナショナリズムすなわち、国境を超えるナショナリズムを指す。ヒトラーやムッソリーニが依拠したファシズムの概念。






⑥『BLUE HEAVEN』

 これもコンテンポラリーではあるが、アコースティックなウエストコースト・ロックの傑作である。

 ボブ・ディランの『天国への扉』をカヴァーしたエリック・クラプトン+クロスビー・スティル・ナッシュ&ヤング『デジャ・ヴ』の風情。


 おまけに、Cメロでは中村あゆみの『翼の折れたエンジェル』にオマージュを捧げつつ、全く別の曲として一新してしまった。


 せつなくも、たゆたう、天国の音をつくりだすことに成功している。


 個人的にエリック・クラプトンが亡き愛児に捧げた『ティアーズ・イン・ヘヴン』を想起させられる。







⑦『CRY 哀 CRY』

 タイトルはザ・ビートルズの『クライ・ベイビー・クライ』だが、明らかに曲調はジョン・レノンの『ウェル・ウェル・ウェル』に近い。


 このアルバムが「ネオジャパネスク」を謳ったように、歌詞は『JAPANEGGAE(ジャパネゲエ)』パート2と言って良い。井原西鶴に続くは、『万葉集』『百人一首』という訳だ。

 楽曲の後半でナチュラルにハード・ロックからプログレッシヴ・ロックへと転化する。



世は無常 汝は慕情
我 恋ひめやも

CRY 哀 CRY
汝は妖艶たる美
さも不埒なる愛

CRY 哀 CRY
よろず能宴たる美
千代に天照らす舞





 桑田佳祐3rdアルバム『ROCK AND ROLL HERO』収録曲 『質量とエネルギーの等価性』へと発展する。







⑧『唐人物語(ラシャメンのうた)』

 この曲と原由子の歌声はもはや芸術である。


 ラシャメンとは、歌詞カードには洋妾と結論的に記されているが、直接には公娼のこと。



 江戸時代は幕末、黒船来航以降、時の江戸幕府は欧米列強より「開国」を迫られ、「鎖国」政策を解除する。その際、「治外法権」に守られた外国人が、日本の女性を弄ばないよう、横浜・関内に遊郭(港崎遊郭)が設置され、公娼(羅紗緬=ラシャメン)制度ができた。


 ところが、彼ら外国人が彼女たちに結婚を要求するようになる。ついに、万延元年、「女郎」を妾(めかけ)にすることが幕府により認められる。



 強いられたか積極的かの意志を問わず、娼婦として生きた女性が、顧客である外国人の、妾にされることを洋妾と言う。


 けれども、彼女たちは外国人には執拗に洋妾になることを強いられるばかりか、日本人からの偏見も根強く時に迫害を受け、悲運を迎える女性も少なくなかった。「唐人お吉」の物語は有名である。




下田港を訪れた黒船(フネ)が
沖遥か彼方に揺れ

駕篭で行くのは 時代(トキ)に翻弄(アソ)ばれた
眉目清(サヤ)か 麗しい女性(ヒト)


桜見頃の唐人坂で
巡る想いは ひとりひとり

泣けば花散る一輪挿しの
艶(アデ)な姿は春の宵








明けの烏と謡われしことは
今遥か昔の夢

死ぬは易くて 生きるは難しと
三味の音に託せし女性(ひと)







桜見頃の唐人坂で
巡る想いは ひとりひとり

泣けば花散る一輪挿しの
艶(アデ)な姿は春の宵

春の宵

桜舞い






 この曲のリードヴォーカルをとっている原由子も横浜出身である。桑田の作った歌を理解し、乙女のような歌声にして、せつせつと、だが自然体で歌う。


 中国残留孤児、沖縄戦の犠牲となる悲恋の女性、唐人お吉と、彼女の歌の説得力・表現力は感動的だ。


 この曲は『夢に消えたジュリア』へと発展する。



 サザンオールスターズとはLOVE & PEACEを歌うバンドでもある。

 「最近はエロが足んねぇ Why?」(『ヨシ子さん』)──生々しさも、人生の機微も、水商売の香りも、喜怒哀楽も没却した歌謡曲=最新「ヒット」ソングなるシロモノ。……否……せいぜいが(階級性の欠落した)<単純なる戦争反対主義>──アーティスト自身が没イデオロギー化し・もっぱら内(内面セカイ)にこもるか、時代状況から浮き上がったお気楽な日常セカイのみしか歌えなくなった今だからこそ、なおのことサザンオールスターズが必要なのである。


 そして━━2015年━━ついに!サザンオールスターズは彼らの最高到達点にして日本大衆音楽の金字塔『葡萄』を完成。今日の日本歌謡界にささやかな回答を叩きつけた。

 『葡萄』全16曲は瞬く間に浸透し、2015年、思わず誰もが口ずさむまでに、圧倒的な物質力を示した。








③につづく。











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