【2013年夏以降】


 ここまでみてきた通り、1998年発表の最高傑作13th album『さくら』でロック・バンドとしてのすべてを出し尽くしたサザンオールスターズは、さらに2005年発表の2枚組14th album『キラーストリート』で古今東西のあらゆるポップ・ミュージックの歴史を注ぎ込み<日本ポピュラー・ミュージック大全>を完成させてしまった。


 サザンがこの後、再スタートを切るには、時代が変わるしかなかった。


 実際、2008年5月19日には、より新しいものをつくるための充電期間……『キラーストリート』完成で全てやり尽くした、今このまま続けようと思えば続けられるがそれではサザンの看板にぶら下がることになる、と桑田が明言し、30万人を動員した日産スタジアム4DAYS『真夏の大感謝祭』を最後に、翌2009年からの「無期限活動休止」を発表した。

 だが、2010年桑田佳祐は<ふとした病>からの術後復帰をきっかけに、2011年<3・11>東日本大震災・福島第一原発炉心溶融事故とそこから半年後の宮城ライブで再生脱構築(ディコンストラクション)を決意した。

 ついに、2013年6月25日、「本日より<デビュー35周年>サザンオールスターズ再始動」の電撃的なニュースが日本全土を駆け巡った! 




 かくして、5年ぶりのサザンオールスターズ復活ライブは、8月10日のツアー初日が近づくにつれ、日増しに活況を呈して行った。


『栄光の男』や『蛍』のミュージックビデオも次々と解禁された。


サザンは7月26日と8月2日、2週連続でタモリの『ミュージックステーション』に出演。
さらに、8月7日日テレ系『1番ソングSHOW』にも出演し、スタジオで次々と新曲を披露していった。

サザンが精力的に活動を展開することで、新曲発売日に向けた機運がいや増しに高まっていった。




ついに8月7日、サザン54thシングル『ピースとハイライト』が発売された。



店頭販売が開始される前日6日から全国CDショップでお祭り騒ぎが始まった。

発売当日、7日には『朝日新聞』でなんと2面はおろか4面にわたる全面ぶち抜き広告が掲載されたのだった。シングル収録4曲の歌詞全文ならびに著名人10人のコメントが紙面を占拠した。


○小山薫堂(放送作家・脚本家)

○俵万智(歌人)

○内田樹(レヴィナス主義思想家)

○森永卓郎(経済アナリスト)

○斎藤環(ラカン主義精神科医)

○阿川佐和子(作家・エッセイスト)

○有田芳生(参議院議員)

○泉麻人(コラムニスト)

○香山リカ(精神科医)

○太田光(コメディアン『爆笑問題』)



各界の知識人・タレントがそれぞれの観点から、サザン復活に対する思いの丈を綴ったのだった。

また、4面には以下のような三井住友ファイナンシャルグループの広告主旨文が掲載されていた。




「サザンも新たな一歩を踏み出した。過去を振り返るのではなく、新たな自分たちに挑む姿。やっぱり、これでいいと思ったら、先へは進めないんだ。」(一部抜粋)、と。





全国津々浦々、各界各層にわたるサザンシンパの物質力を誇示しつつサザンオールスターズのフロントチームは、民族排外主義の鼓吹に一石を投じる新曲(希望のラブソング)を焦点化したのである。




ごくごく一部の所謂「ネット右翼」は一時活性化したものの、程なくして潮が引くようになりをひそめていったのだった。『永遠の0』が大ヒットしサザンが手がけた主題歌『蛍』が再評価された2014年初頭には、サザンの音楽が世代も階層も人種も国籍も性別もジャンルすらもこえ市井の立場に立って奏でられていることが、全社会的に浸透していった。



この只中、サザンは日産スタジアムでライヴのリハーサルを開始した。


この頃には、新旧ファンの間で、5年ぶりのライヴはどんなセットリストが組み立てられるのか?、腰痛を抱えていたパーカッショニストの野沢“毛ガニ”始めメンバーのコンディションはどうか?が話題になっていたこともあり、スタジアム周辺にはそれなりにギャラリーが集まっていった。



そして前日9日、NHK特番『35周年スペシャル 復活!サザンオールスターズの流儀』が放送された。

番組は、横浜を皮切りに4大都市で開催される『「ピースとハイライト」展』に展示された新曲4曲にこめられたメッセージについて桑田がコメントをしたり、サザンビーチちがさきに期間限定でオープンした『海の家』の模様や、メンバーの活動再開に向けた思いと今後の抱負を語ったインタビューで構成されていた。

さらに、活動再開を発表した直後7月6日収録のスタジオライブがオンエアされ、サザン健在ぶりを大々的にアピールしたのである。





ついに、8月10日、5年ぶりの復活にして、8年ぶりのツアーが幕開けした。



『WOWOW presents

サザンオールスターズ SUPER SUMMER LIVE 2013
「灼熱のマンピー!! G★スポット解禁!!」

supported by Volkswagen Golf』




である。





(「約束」ではない。「約束」は宮城ライブで披露したoverture。)



8月10日11日
横浜・日産スタジアム、


8月17日18日
神戸総合運動公園ユニバー記念競技場、


8月31日9月1日
茅ヶ崎公園野球場
(ライブビューイング全国120ヵ所×2日間)、


9月7日8日
豊田スタジアム、



9月22日
宮城スタジアム
(WOWOWでノーカット完全生中継)





と、全国5ヵ所9公演で約35万人を動員する大復活祭が開幕したのだ。






原由子:Keyboards & Chorus
「音楽のすばらしさを皆さんにお伝えできるよう頑張ります!」



関口和之:Bass & Chorus
「初めて見る方には、『これがサザンだ!』というところをぜひ見ていただきたいと思います。」



松田弘:Drums & Chorus
「炎天下お集まりいただき、本当にありがたいですが、さらにヒートアップしてお帰りいただくことになると思います! 心地よい汗とともに熱い夏にしましょう。」



野沢"毛ガニ"秀行:Percussion
「また新たなサザンが始まります。ぼくらも思う存分楽しみますので、皆さんも楽しんで、楽しんで、楽しんで、今日という日を最高のものにしましょう。」



桑田佳祐:Vocal & Guitar
「そんな5年を経たうえで、これからは『自分達自身がサザンでいることをお客さんといっしょに楽しむ!』をテーマにしていきたいと思います。今回は記念碑的タイミングでもありますので、サザンの『おいしいところ』を存分に皆さんに見ていただこうと思います。ぜひお楽しみに!


(2013ツアーパンフレットより)





こうしたメンバーの呼びかけの下、当日、雨に見舞われるどころか最高気温38度の猛暑に襲われる中、座席指定券引き換え方式の入場方法がやや手間取り、1時間遅れの18時半に開演となった。



5年ぶりのサザン復活ライブは桁違いだった。



ヒロシのドラム、ムクのベース、原坊のキーボード、毛ガニのパーカッション、桑田のうねるボーカルと、サポメン誠の手堅いギター・プレイと、のっけからサザンサウンド全開だった。バラッドもアップテンポのナンバーも、エンターテインメントも、エロティックもあり。特に今回のツアー初日はポップスだろうとロックだろうと、やはりサザンの原点は(かつてのアメリカ南部に象徴される)サザンロックなのだ、と強烈に印象づけた。




序盤は郷愁を誘いつつハイテンション・サウンドで挨拶を済ませると、前半各世代別のラブソングでこの5年間を振り返る。

ボックス・トップス『あの娘のレター』やレイ・チャールズ『わが心のジョージア』を曲間に挿入しつつサザンロックやサザンソウルを連打した。

中盤、新曲とアコースティック・コーナーで遊び放題遊ぶ。

一転して後半からじわりとヒート・アップしてゆく。新曲で静と動のコントラストを浮き彫りにし政治的メッセージをぶちこむと、サザン定番一大スペクタクル&エンターテインメント大会に突入。

ディスコ・ビートにエレクトリック・ビート・ロック、果ては放水パフォーマンスを交えつつ、妖しげなファンク&ビート・ロックにして爆笑と熱狂の“下衆の極み”炸裂で★突き抜け、本編が“炎上”し“昇天”。


アンコールではTレックスに続いて、サザンとAKB48の疑似コラボを“ややエロ真面目”全開に展開。サザンの裏の顔とでも言うべきラテン・ロック・バンドとしての側面で会場を大爆発させた。

ラストはプロコル・ハルム『青い影』とボブ・ディラン『血の轍』にオマージュを捧げる傑作(マスタピース)で圧倒。

『レ・ミゼラブル』風ミュージカルでユーフォリアの内に幕が降りた。



まさに復活祭は桑田曰く、新旧ファンに捧ぐサザンの「ロイヤル・ストレート・フラッシュ」にして、<いつも通り>のサザンをこれでもか!と魅せつけたのだ。




私見では、今回の一曲一曲の充実っぷりは、30周年の時の総花的で終末的な“良きサザン”“みんなのサザン”とはややアプローチが異なってみえた。

サポートメンバーを含むバンド全体が躍動感にみなぎっており、ストイックでありながらも自然体で音楽に向き合ってみえた。

音楽性とか音楽スタイルに無理に拘泥し“優等生サザン”を演じようと四苦八苦することなく、“LOVEからPEACEまで”<みんなのサザンとしてお客さんの前で音楽すること>をサザン楽団全員が楽しんでいることが伝わってきた。

サザンオールスターズであることの内的必然性を向自化した胸熱な大復活祭となった。





なお、当日入場時に会場で配布されたチラシで、9月22日のツアー・ファイナル宮城公演がWOWOWで完全生中継されることが公表された。





翌週に入ると、5年前日産スタジアムに終わり今回日産スタジアムから始まった、サザン復活『灼熱のマンピー!!G★スポット解禁!!』スタジアム・ツアー開幕のニュースが華々しく伝えられた。


同時に、サザン54thシングル

『ピースとハイライト』

は8月19日付オリコン週間チャート初登場1位を獲得


(6日~12日まで連日デイリー1位、2位と9万枚差をつけ

20.7万枚を記録)


したニュースで持ちきりとなった。




5年ぶり3作連続通算15枚目の1位に輝いたばかりではない。




サザンは(なんと!デビューから11年後の)1989年26枚目(!)のシングル『さよならベイビー』で初の週間1位になって以来、

1980年代・
1990年代・
2000年代・
2010年代と

4世代、すなわち4つの10年代でシングルチャート1位に輝く金字塔を樹ち立てたのであった。



この記録は総合では中島みゆきに続く史上2組目の記録であり、グループでは史上初である。



また、
70年代・
80年代・
90年代・
ゼロ年代・
10年代と、

デビュー以来5つの年代でシングル週間チャート2位以上の栄冠に輝いた。



さらに、9月9日付週間8位獲得をもってサザンオールスターズは、山口百恵をこえる<シングル歴代最多週間10位以内獲得週数>の記録を250週まで更新した。

すなわち、盛者必衰が激しい音楽界で極端な浮き沈みなく、楽曲レパートリーが大衆的な規模と形態で最も愛されるアーティストの称号を得たのである。





だが、音楽流通形態の異なる5年前、CDセールスが50万枚をこえ、嵐に次ぐ年間3位に輝いた前作『I AM YOUR SINGER』と比較し売り上げが半減したなどと、「ネット右翼」が悔し紛れに絶叫した。すなわち、社会的メッセージを盛り込んだ『ピースとハイライト』が各音楽サイトやコマーシャルを媒介として社会的に浸透し、概ね好意的に迎えられたことに追い詰められ断末魔の悲鳴をあげた訳である。


ところが、サザンの『ピースとハイライト』は

2週目も6万枚を売り上げ週間4位、

3週目6位、

4週目8位、

5週目にも11位を記録し、

約1ヶ月にわたって週間ベストテン圏内を死守した。


累計で31・6万枚に達し、一定のアイドルグループを上回った。その結果、『ピースとハイライト』はAKB48の32枚目のシングル『恋するフォーチュンクッキー』についで、8月月間2位に輝いた。


この年、『ピースとハイライト』は33・9万枚を売上げ年間17位を記録。アーティストならびにロック・バンドとしてはぶっちぎりのトップに立った。その後、映画『永遠の0』のエンディングテーマ『蛍』が注目を集め話題が再燃。2014年5月、


〈約37万枚〉


に達した。





また、サザン復活とツアー開幕をインパクトとして、サザンのコンピレーション・ベスト・アルバム

『海のYeah!!』と

『バラッド3 ~the album of LOVE~』、

桑田佳祐 Special Best Album『I LOVE YOU - now & forever -』

の3作品も連鎖的にスマッシュ・ヒットを記録した。



『ピースとハイライト』をめぐっては、終戦記念日の8月15日に『朝日新聞』が社説で掲載したのを始め、全国紙や政党機関紙が社説や特集で取りあげ真摯な論説を展開した。

その最中、8月21日サザンオールスターズのシングル全54枚の音源配信が解禁された。






②につづく。









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