AKB48 28thシングル 『UZA』が日本武道館ならびに関連番組で披露された。センターに抜擢されたメンバーの話題が先行しているが、28thニューシングルは、今2012年におけるAKB48の終息ムードをさらに加速させる結果となった。楽曲は斬新である、しかしただそれだけがこの曲のアルファーでありオメガに過ぎないからである。しかも、斬新の内実もAKB48が演ったことがない楽曲のタイプというそれだけの代物でしかない。決定的にはこの楽曲には絶対的なボーカリストが不在なのである。

一人一人のメンバーが危機感を共有しない限り、AKB48の再建は絶対に不可能である。わずか8・6%の民法最低視聴率をたたきだした風化した定例イベントを3年間も自己満足的に繰り返す前に、今AKB48に必要なのは柱となる新メンバーの獲得ならびに歌唱力・ダンス力の強化である。個々のパフォーマンス力の飛躍なくして、新生チームA・K・Bのチームとしての確立もありえない。率直に言って、今のAKB48はグラビアアイドルとバラエティータレントの登竜門にしかなっていない。それゆえに、当然にもライブパフォーマンスにはこの一年間ただの少しも変化も進歩もない。場数を踏んでいるからやり慣れているだけで慢心している。肝心の歌とダンスと表現力の水準は何ら変わっていない。特に表現力は悲惨極まりない。さらにサウンド面は低下し続けている。その疎外感を埋め合わせているのが個人レッスンならぬ「恋愛禁止条例(ペーパー)」なるバレなきゃOKの類の看板を隠れみのとした、夢に見た"一流"タレントにふさわしい、合コン三昧とたんなるガス抜きの常態化に過ぎないまでにシンヌガー化している。「AKB48第二章」-まさに見かけとは裏腹に今このグループはバブルが崩壊し次なる目標すら失って「辞退」と肥大化が繰り返される一方の"空洞"なのである。




だからこそ、起死回生を狙った勝負曲『UZA』は、弱点だらけで、連日暴露されるAKBの腐敗と連日連夜スルーし続けているスキャンダラスを何一つ払拭できるクオリティーにはない。では、何がどう問題なのか?






……キングレコード移籍第一弾AKB48 10thシングル 『大声ダイヤモンド』、14thシングル 『RIVER』、18thシングル 『Beginner』、23rdシングル 『風は吹いている』とAKB48はつねに10月発売のシングルを紅白やレコ大をねらった勝負曲と定めてきた。今2012年に満を侍して発表しようとしているのがAKB48 28thシングル 『UZA』である。ただし今回の新曲には直接的な目標はない。「AKB第二章」を旗印としたアーティスティックなAKB48の意地をみせるためである。


そのための新たな段階として《女性版EXILE》をめざしたと言われる新曲『UZA』。従来、カップリング曲やユニット曲では試してきたものの本格的なダンサンブルをメインにしたシングルカットは今回が初めてである。たしかにR&Bを基軸としたアグレッシブなダンスミュージックに仕上がっており、Wセンター松井珠理奈と大島優子、さらに山本彩のダンスパフォーマンスは抜群に素晴らしい。ついにAKB名義の新曲でSKEとNMBに在籍する中核メンバーがフロントを奪うまでに、秋元康は珠理奈&みるきーの支店・本店兼任制で端緒的に、さらに抜本的に試みた組閣第二章に続いて、本店と支店の垣根を最後的にふっとばした。


その理由はマスメディアとイベントに連日ひっぱりだこの反面、パフォーマンスに進歩が止まったAKB本隊のメンバーには新曲のフロントは無理だと判断したからである。あくまで「人気」を加味したうえでの実力第一主義への転換。選抜から中堅メンバーをはずして若手と力のある支店メンバーに任せた理由(わけ)である。従来にないニューAKBカラーを確立するための暗中模索である。すなわち、秋元康じしんがネタ切れで、AKB48本隊ののっぴきならないピンチに危機感をもち、右往左往しはじめた現れでもある。ライブ毎の課題も試練もなければ、個々の強化計画も皆無、おまけに全メンバーは悪慣れしてとうに「恋愛禁止条例」なるモットーに近い紙切れにはぽっかりと巨大な風穴が開いていること。夢に向けたストイックな姿勢も情熱もとうに蒸発し握手会をテコとした今の人気の陰りに無自覚なまでに慢心している。楽しいだけで魅せるパフォーマンスが出来なくなったから、特に手厳しい女性達の人気が失速している(明らかに彼女達は他のアイドルグループにシフトしている)。例えば、真正アイドル渡辺麻友などますます個人の人気の集合体となっており、グループ自体の人気は完全に失墜している始末。これでは魅力的なエンターテインメントとして成立する訳がない。今のままなら秋元康は再来年にAKB48を解散するつもりである。その問題意識が新曲のダンスポジションならびにフォーメーションにはっきりと現れている。(表向き)サインプレー一つでその場で6パターンものダンスフォーメーションを展開するまでに攻勢的だった18thシングル 『Beginner』とはまるで逆の発想である。本店絶対神話の崩壊をついに是認し見限ったのだからである。AKB48 26thシングル 『真夏のSounds good!』で明らかにした世代交代の問題意識をつきつめた格好となった訳である。




しかし、新曲『UZA』の破綻(ほころび)は以下の点にこそ明確に明らかである。



①全編にエフェクト処理を施したアフレコに終始


われわれの批判に応える形で硬派なダンスサウンドをメインにすえたヨシマサ作曲のアーティスティックな新曲『UZA』。内容は攻める愛をテーマにしており、ダンス・表現力共に難易度の高いこの曲をステージ上で披露することがまた同時に慢心しているメンバーに攻めの姿勢をひきだす試練を課すことを意味している。「AKBは成長の過程をみせる」という基本路線の内実を必死な姿勢に立ち返らせるという意味合いに軌道修正したのである。センター松井珠理奈にはこの間のチームS・チームK兼任の経験にふまえて攻める姿勢をひきだそうとしている。同時に、年長の大島優子には『Beginner』以来のシリアスで艶がありそれでいて女性の強さと弱さと打算を表現しうる、うってつけの曲が与えられた。この曲調・スタイルこそがかつて前田敦子のライバルとして送り込まれた、職人・大島優子の真の姿なのである。大島優子は合コンの幹事長としてではなく身体能力断トツのスターパフォーマーとしてポスト優子にふさわしく松井珠理奈を育てるための教育係も任されている。


ダンスフォーメーションは珠理奈と大島のWセンターを筆頭に、エース渡辺麻友・山本彩・渡辺美優紀・高橋総監督・板野・小嶋・篠田・柏木らを中心に配置している。間奏のブレイクダンスはまだお披露目に間に合わなかったため、プロのダンスチームに代役を依頼していた。本来はフロントメンバーがこのパートを披露するが現時点ではまだ未完成であった。これは「成長のプロセスを見せる」ための最初のアドバルーンでもある。


だが、問題はこの曲の全編に渡って、ボーカルにエフェクト処理が施されていることである。しかも、ヒップホップの難解なダンスとはいえ、相変わらずアフレコである。機械音で加工されてエコーが強調され過ぎているため、歌にまるで人間らしさがない。アンドロイドの愛のようである。ハードボイルドの意味をはき違えたヨシマサの力み過ぎた失敗作である。いや、本人は望んでいなかったかもしれないが出来上がった結果は無知蒙昧な音楽スタッフがボーカル・コーラスの全パートにエフェクト処理を施した寒々しい作品に仕上がってしまった。その根拠はメンバーの歌唱力がプロと呼ぶには余りにも低くまた鍛えられてもいないからである(当日、スタジオ移動後披露した『ヘビーローテーション』を参照)。YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の『ライディーン』のようなテクノポップをヒップホップで味付けしている硬派なサウンドなわけだが、全編がアフレコ、口ぱくの機械音でボーカル技術のお粗末さを消してしまったが故に感情が感じられない。つまり、ソウル(魂の叫び)がない。高橋総監督以下選抜メンバーは教祖・秋元康に直訴して、今回ばかりは、ステージ披露は全て生歌に変えるべきである。生歌に変えないから、進歩が止まってしまうのである。毎回のステージで反省しながら、"歌を育てる"ことが決定的に欠落している。ただ笑顔だけを振りまいている場合ではない。激しいダンスにもかかわらず、生歌で下手くそだと後ろ指刺されることが、そんなに怖いか? 「アキバのパンツ見せ集団」とやゆされながら、下から這い上がって、ムーブメントを生み出してきたAKB48。世間体に立ち向かい、劇場から斬新なパフォーマンスを創造し、14thシングル 『RIVER』で一躍雄飛したあの情熱は一体どこへ消えたのか? インディーズ2ndシングル『スカート、ひらり』でスカートを翻すことに誇りすらもっていた信念的信念を忘れたのだろうか? 革命の放棄と単なる体制内バラエティータレントへの転落。《のりこえの立場》に立たないAKB48の役割はすでに終わった。《アイドルの革命=革命のアイドル》を目指した《哲学的=芸術的野心作》チームA6th『目撃者』公演開幕に向けた血へどを吐くようなあの時のレッスンが泣くというものだ。







②スタイルは一級、盛り上がりはゼロ


右に述べてきたように、ダンスフォーメーションが縦にも横にも変化する高速ダンスパフォーマンス自体は斬新である。だが、次回から男性ダンサーにとって変わるAKBメンバーがどれだけダンスパフォーマンスを魅せられるのかの難問が横たわっている。




けれども、それをクリアーしたとして、この新曲のサウンド面が問題なのである。この曲はサビが弱い。



全編エフェクト処理を施したボーカルとハーモニーが楽曲的な魅力を削いでしまっていることに比例して、サウンド面が機械的なのである。特にこの曲のサビは一本調子である。EXILE的な解放感もない。それはEXILEのパフォーマンススタイルを模倣したに過ぎないからである。のりきれないダンスミュージック。そうなってしまう根拠は、R&BダンスグループEXILEとAKB48との決定的な違いにプロデューサーとヨシマサが無自覚だからである。力み過ぎた斬新なスタイルへの渇望が逆に仇となってしまった。この点が次にみる核心中の核心である。








③絶対的ボーカリストの不在


②で見たサウンド面の冷たさと一本調子なサビののり切れなさ。そうなってしまうのはEXILEの外観を模倣してしまっているからである。JポップにおけるR&Bをどうボーカル面とダンスパフォーマンス面で確立してゆくか?、こうしたEXILEの内的葛藤に迫っていないからである。様々なミュージシャンと交流しながら、みずからをプロデュースするために、EXILEが日夜、どれだけ苦労しているか。みずからの音楽的ルーツをどれだけ洗い出しているか。少なくともEXILEは真剣に音楽に向き合おうとしている。彼らはソウルミュージックとして成立してこそダンスミュージックが確立すると真摯に問うている。今のAKB48がここまで真剣に音楽に向き合っていると胸を張って言えるだろうか。

結論的に言うなら、EXILEが一線で踏ん張っている最深の根拠は音楽に一丸となるグループ力である。慢心するメンバーは即チェンジされる。こうしたグループの鉄の規律を支えているのが、二人のボーカリストのたゆまぬ努力である。二人の双肩にサウンド面の出来不出来がかかっている。彼らの音楽の理解はなお浅はかかも知れない。けれども、彼らは日夜、音楽に向き合うことを忘れない。

すなわち、AKB48には絶対的なボーカリストが不在なのである。このことは個性的な表現力をもつ前田敦子の卒業とはなんら関係ない。AKB48が次のステップに立つためには避けては通れない道である。これがAKB48の根本的な弱点なのである。




②へつづく












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